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悪魔と天使、鷹の巣へ




 都会から一時間ほど車を走らせただけなのに、窓から見える景色はずいぶんと山深い。夏の緑が目にも鮮やかだが、あたしの心は暗かった。

 隣で運転している敬吾さんの横顔を盗み見るが、いつも通りの冷静さを崩さない。これからどんな波乱が待っているか、恐ろしくないのだろうか。


「ドキドキしてきちゃった! お母様、この服似合う? 変じゃない?」

「ふふ、昨日からそればかりね。大丈夫よ、美月は世界で一番かわいいわ」

「よく似合っているよ、お姫様」

 後部座席からはほほえましい親子の会話が聞こえてくる。

 美月様のレモンイエローのワンピースは実によく似合っている。髪をハーフアップにして黄バラの髪飾りでとめた後ろ姿は妖精のようで、ちらりと振り返って微笑みを浮かべれば天使のごとし。水音様のベビーブルーのスーツも実に可憐で、並ぶとあたし以上に姉妹のように見えた。

 その姿にただただ賞賛を与えたいが、今募るのは不安ばかりだ。

 過度な期待はうまくいかなかったときの落胆が大きくなる。

 帰りの車中で美月様が泣いていないこと、それだけが今日のあたしの望みだった。

 せめて辰巳が隣にいてくれたなら。

 こっそり息をついたあたしは、また窓の外を眺めることで自分の呼吸を落ち着かせようと試みた。




 いよいよ鷹津との食事会を控えた昨日のこと、あたしはお食事後のお茶を楽しんでいた当主様たちの前に呼び出された。

「失礼します、アキラです。お呼びでしょうか」

「待っていたよ」

 当主様は優しく微笑むと、小さく手招きをした。

「明日の予定を伝えておこうと思ってね。少し距離があるから九時過ぎには出るよ。用意をしっかりね」

「はい、承知しました」

「うん」

 こんなことのためにわざわざ?

 普段なら敬吾さん経由で伝わるであろう内容に、あたしは内心首をかしげる。それに、当主様はいつもより浮かれているように見えた。

 意識がそれかけたとき、甘い声があたしを引き戻す。

「ねえ、あなた。明日は家族だけで十分じゃないかしら。大人数でご厄介になるのも失礼でしょう」

 水音様はあたしを一切視界に入れずに言った。これは想定の内だ。水音様はあたしと同席することを何より嫌う。

 しかし、これに続く美月様の言葉は想定外だった。

「……そうだね。アキラは、無理に来なくても大丈夫だよ」

 あたしの驚きが伝わってしまったのか、美月様はあわてて言った。

「あの、この前篤仁先輩とケンカしたでしょ? もちろん先輩はアキラのお手紙でもう許してくれてるけど、アキラはまだ気まずいかなって。顔合わせたくないからお手紙にしたんだろうし、だから、その」

 もじもじとティーカップを手にする美月様。

 手紙を渡してくれるよう頼んだときやけに張り切っていると思ったら。あたしを鷹津と会わせたくない、そんな自覚しえない嫉妬心がいじらしい。


「よろしければ、わたくしは辞退させていただきます」

 火種たるあたしがいなければ、鷹津の凶行も恐れる必要はないのでは。

 先延ばしにすぎないが、あたしはあえて当主様に申し出た。しかし、それをきっぱりと断られる。

「だめだ。アキラ、お前も来なさい」

「あなた」

 水音様が不満気に訴えるが、ご家族に甘い当主様は珍しくきつい口調で言った。

「水音も美月もわきまえなさい。これは鷹津さんからの招待で、アキラもしっかりその中に入っているんだよ。生徒会でお世話になったんだろう」

 一時とはいえ籍をおいていた生徒会のことは否定はできない。あたしは何も言わずに頭を下げるが、こっそり見た美月様はしょんぼりとうなだれていた。

「ごめんなさい、お父様」

「わかってくれればいいんだ。アキラ、いいね」

「はい、承知しました」

 水音様ははかなげで可憐な笑みを消している。当主様はこれからきっと不満不平をぶつけられるに違いない。

 飛び火する前に、とあたしは早々に部屋を後にしたのだった。




 逃げることも隠れることもできなくなったあたしは、辰巳が見立ててくれた勝負服に身を包み、鷹津家別邸へと向かっていた。

 公用で当主様が使われる黒塗りの車は乗り心地は良いはずなのだが、どうも落ち着かない。

 敬吾さんからは「卑屈になることなく堂々と振る舞って、我関せずを貫き通せばいい」とだけアドバイスを受けた。さすがに鷹津当主の前でバカを演じる必要はないというわけだ。

 前回と同じくおとなしく壁の花を決め込めばいい。だが、今回は埋もれるほど人がいない。いったいどうやって振る舞えばいいのかまるでわからなかった。

 山の中に突如現れた大きな自動式の門をくぐると、待ち構えていた鷹津家の使用人によって出迎えられた。案内されるままに玄関に通される。あたしは敬吾さんに促されて当主様と連れ立って歩く水音様と美月様の後を少し離れて歩いた。


「ようこそ、白河様。ご足労いただきありがとうございます」

 広い玄関ホールに響いた声は若々しい。留学先でアメリカンフットボールをたしなんでいたというだけあって立派な体格、だがいたって顔立ちは端麗。艶のある黒髪は見覚えのあるもので、鷹津篤仁との血のつながりを感じさせた。

 にこやかな笑みを浮かべて正面に立つ男が鷹津実仁(たかつ さねひと)、鷹津家現当主であり鷹津篤仁の兄である。写真でしか見たことがなかったが、評判にたがわずイイ男だ。

 その隣に立つ父親の鷹津博仁(たかつ ひろひと)は、まるで実仁氏が数十年したらこうなる、というモデルのようで、幾分固太りした体が風格をだしている。彼もまた楽しげな様子だ。

「こちらこそご招待ありがとうございます、今日を楽しみしておりました。妻と娘たちです」

 人好きのする魅力的な微笑みで応えた当主様は、水音様と美月様の背中を押した。

「妻の水音と申します」

「美月と申します。こちらは妹のアキラです。この前もステキなパーティにお招きいただきありがとうございました。篤仁先輩にはいつもお世話になっております」

 美月様に続いてあたしも頭を下げる。

「初めまして、篤仁の兄の実仁です。ああ、噂にたがわず麗しいご姉妹ですね」

 そういう実仁氏の目に、どこか値踏みするような様子があったのはあたしの考えすぎだろうか。


「ええ、本当に目の保養」

 すっと一歩前に出た女性は、重たげな二重瞼に鋭い光を宿してあたしたちを観察した。そう、まさに観察、最初から隠す気もない好奇心。鷹津親子に並んでも見劣らない長身で、持ち主を選ぶであろう濃い紅色のツーピースを華麗に着こなしていた。

「妻の時緒です」

「御機嫌よう」

 鷹津時緒(たかつ ときお)、実仁・篤仁兄弟の母親だ。彼女は若いころ絶世とうたわれた美貌の持ち主で、還暦を間近に控えた今は生来の美しさに気品と深みが加わっている。小柄で年齢不詳な愛らしさをもつ水音様とは正反対な存在だ。


 話では当時プレイボーイだった博仁氏が深窓の令嬢である彼女に一目ぼれし、口説きに口説いて結婚までこじつけたそうで、今も頭が上がらないらしい。その溺愛ぶりもだが、鷹津の奥方はめったに公の場に姿を現さないということでも有名だった。

 実際にそばで見ると、なるほどふつうのご婦人とは気迫が違う。実家の祖は宮家にも通じるという高貴なお家柄もあいまってか、なんというか、威圧的な雰囲気すらある。実仁氏が父親似なら、鷹津のほうは間違いなく母親似だ。

「いい色ね」

 艶のあるアルトの声は耳に心地いい。

 ここはさすが美月様、にっこりとほほ笑んでワンピースの裾をちょいとつまんでみせた。素直にほめられた、と思ったのだろう。


 しかし、あたしと敬吾さんの耳には好意的な言葉には聞こえなかった。どこかトゲがある物言いだ。色とは服のことか? いや、彼女の紅に対し、美月様の黄、水音様の青とはかぶっていない。

 何が彼女の不興を買ったのか、と早くも迎えた第一の修羅場にあたしの心臓が飛び跳ねる。

 さらに一歩進んだ鷹津の奥方は、水音様も美月様も見ていなかった。どく、とまた心臓の音がする。

「今回はいい見立て。これからはその方に選んでいただいたほうがよろしいわ」

 なごやかな挨拶の場を一瞬で独壇場に変えてしまった時緒様は、なんのことかと首をかしげる白河家一同を無視し憮然とした面持ちでこちらを―――――あたしを見つめていた。


 あたしの今日の装いは、うすいベージュのワンピースドレスだ。ハイウェストでスカート部分にはプリーツが入っている。さらさらとした生地が肌によくなじみ、セミオーダーとはこんなに着心地がいいものなのか、とそのフィット感に感激したものだ。髪もギブソンロールにきれいにまとめられ、辰巳も大満足の出来上がりになっている。

 何も悪いことはないと思うのだが……。


 時緒様の視線をたどった敬吾さんが、こほん、と小さな小さな咳払いをした。うう、仕方ない。

 あたしは口から飛び出そうになる心臓を抑えつけ、目を伏せたまま言った。

「ありがとうございます。パーティではお見かけしなかったように思えましたが」

 さきほど時緒様は「今回は」と添えていた。つまり、以前からあたしのことを知っていたのだ。そのチャンスがあるとすれば前回のパーティしかない。

「パーティには出ませんでした。二階からこっそり見ていただけ。あまりにも似合っていなかったから目についたの」

「……お見苦しいものを、失礼いたしました」

「いいえ。あの夜で一番おもしろかった」

 どういう意味だ。

 あたし、いやこの場の一同はすっかり時緒様のペースにまきこまれ、各自がどう反応したものかと困惑してしまう。そこへ救いの手が差し伸べられた。


「母さん、いつも言っているでしょう。あなたの言葉は説明が足らないのです」

 靴音高く奥の廊下から現れた鷹津は、母親譲りの容色を苦笑に染めていた。

「遅れて失礼しました。白河様、ようこそいらっしゃいました」

 簡単に挨拶だけすませると、彼は恥ずかしそうに弁解した。

「どうも母は少々変わっていて……」

「わたくしは楽しくおしゃべりをしていただけ」

 えっ、そうなの!? 白河の面々から戸惑いを読み取った鷹津は、またもや苦笑いだ。

「拗ねていたくせによく言います。アキラさん、その服はとても似合っている。かわいいな。だが、母はあなたが前回と同じ藍色のドレスを着てくることを期待していたんだ」

「え?」

 当主様の前とあってあたしを「アキラさん」「あなた」と呼ぶ鷹津に違和感を覚えるが、それよりも時緒さまだ。

「似合わないドレスを着たところをつかまえて、自分の娘時代のドレスをあなたに着せようと企んでいたようだ。そのための準備を完璧に整えていたのに、予想外に素敵な装いで来たものだからすっかりヘソを曲げているのさ」

「ちょっとガッカリしただけです。この前の藍色と似た色で、もっときれいなサマードレスがあったのに」

「拗ねた母は怖かっただろう。悪かったな、アキラさん」

「失礼な。ちゃんと意思疎通がとれていました。ねぇ、あなた」

「はい」

 貴人の拗ねた顔というのは、どういうわけか尊さがある。あたしの従属気質がびりびりするほど刺激され、自然と頭が垂れてしまう。


「ははははっ、まったく我が妻ながらおもしろい! 惚れ直してしまう。失礼しました、長年連れ添っていても、彼女の思考回路は読めないのです」

 突拍子のない時緒様の発言にも慣れているのか、博仁氏は滞っていた空気を快活に笑い飛ばした。

「いやいや、とんでもない。娘のことをそんなに気にかけていてくださったとは、嬉しい限りです」

「昔から母の考えがわかるのは篤仁だけなのです。まさか白河様のお嬢様に対してそんなことを企んでいたなんて……。大変失礼いたしました」

 実仁氏もくつくつと笑っている。

 どうもこの口ぶりでは、時緒様の奇行は日常茶飯事のようだ。

 もしや公の場に出てこない一番の理由はこれではないか……?

「兄さん、言っただろう。珍しく顔を出す、なんて言いはったから何かやらかすと思っていたんだ。思い通りにならないとすぐ拗ねてしまうんです。どうぞお気になさらず」

「意地悪な息子」

「まあそう母さんをいじめるな、篤仁。出不精で非社交的な母が出てくるきっかけを作ってくれた白河様に感謝するとして、ここからのもてなしで挽回させてもらおうじゃないか」

「優しい息子」

 ポンポンとやりあう兄弟を順番に評した時緒様は、こちらに向き直ってからほんのりと唇に笑みを添えて言った。


「二人とも、自慢の息子」


 劇的な変化で、女帝然としていた彼女から瞬間まぎれもない母親の愛がのぞいた。

 白河家と様子は大きく異なるが、こんな形の家族もあるのか、と再発見させられた気分だ。あたしの中での母親というイメージがぐちゃぐちゃに壊されて美しく再編した。

 すっかりファンになってしまいそう。

 つい見とれていると、時緒様は優雅に身をひるがえした。

「さあ、いつまでもこんなところにいないで中へ行きましょう」

「あなたがそれを言いますか、母さん」




 敬吾さんは別室に控えることになり、いよいよあたしの孤軍奮闘が始まってしまった。真っ白なクロスに飾られたテーブルの両側に向き合うように座り、冷たいアイスティーが振る舞われる。会話の主体は博仁氏と当主様で、あたしたちは時折投げかけられる質問に答える以外おとなしく座っているだけで済んだ。

 そこまではよかった。だが、第二の修羅場はすぐそこに迫っていた。

「さて、そろそろ時間もころあいですな。昼食にいたしましょう」

 うちの料理人はなかなかの腕ですよ、と冗談めかして言う博仁氏と当主様はだいぶ打ち解けた様子だが。


 ああ、しまった。いろいろなことに気を取られていてすっかり忘れていたが、これはお食事会だ。つまり、食事をするのだ! 美月様たちと、ましてや当主様や水音様、鷹津家の方々と!

 トラウマスイッチが入ってしまうこの状況に、ただでさえなかった食欲が一気にマイナスだ。しかしまったく手を付けないのも失礼になる。ここは腹をくくるしかない。

 平常心平常心、と自分に言い聞かせて食事の用意のあるテラスへ移動している最中、先を歩いていた鷹津がわざわざ引き返してきた。

「美月さん、アキラさん。好き嫌いは?」

「ありません! なんでも食べます」

「……いいえ」

 いぶかしみながら答えると、鷹津はふふんと唇の端をあげた。

「ずいぶんおとなしいな。まあいい、好き嫌いがないのは結構。なら、アキラさんは別メニューだ」

「別メニュー?」

 聞き返した美月様に、鷹津がひょいと肩をすくめた。

「ああ。メイン料理が鶏のソテーなんだが、俺はどうも豚で調理したほうが口に合うんだ。だからいつもワガママを言って豚にしてもらっている。それで今回もそのワガママを通そうとしたら一人分は面倒だ、どうせなら二人分にしてくれとシェフに泣きつかれた」

「それなら、私が豚にしますっ」

「俺以外の人間はみんな鶏のほうがいいというんだ。美月さんには、どうせなら評判のいいほうを食べてもらいたい」

「でも……」

 ちら、とあたしを見た美月様は、切ない表情で鷹津に訴えかける。それなのに鷹津は無情に話を切り上げた。

「好き嫌いはないんだろう。先輩命令だ、アキラ」

 小声で言ってから鷹津はすぐさま踵を返す。好き勝手に動くところまで母親譲りか、と呆れていると、ぼそりと美月様が隣でつぶやいた。

「……いいなァ、アキラ」

 何も言えないあたしは、無言で美月様の背中を押した。


 前菜、サラダ、スープ、メイン、そしてデザート。今回はお昼ということもあり、ハーフコースでメインは肉料理のみだ。次々に出てくる料理で、向き合って座ったあたしと鷹津の皿のみが他の皿とわずかに違う。それは盛られたテリーヌの種類だったり、ドレッシングだったり、わずかだがはっきりと目に見える違い。

 それを鷹津は鶏と豚の味の違いに合わせた変化だというが、おそらくはそうじゃない。


 以前、生徒会室で差し出されたユズジュースを思い出す。

『いいか。これは誰かの残りものじゃあない。この俺が、お前のためだけに、用意したものだ』

 あの時鷹津はこう言った。

 これは、あたしのために出された料理なのだ。

 そう思えば、あたしの腕はごく自然に動いて口に料理を運び、ゆっくりと味を確かめることができた。

 満足げに注がれる鷹津の視線には気づかないフリをした。


 食後のお茶までたっぷりと時間をかけて楽しんでいると、会話の内容はだんだんと子どもたちへと移っていった。

 鳳雛学園のこと、勉強のこと、それから鷹津との共通の話題である生徒会のこと。

「生徒会はどうだい、美月さん」

「篤仁先輩のご指導を受けながらがんばっています」

「そうか。こいつはワガママだから大変だろう?」

「いいえ! 全校生徒から尊敬される立派な生徒会長です!」

 力いっぱい否定した美月様に、博仁氏と実仁氏の顔が笑み崩れる。

「いい後輩を持ったな、篤仁」

「はい。彼女には日ごろ助けられています」

「わたしのときも、あなたのような優秀な補佐がいればよかったのに」

 二人とも生徒会長を務めた鷹津親子からの賞賛に、美月様はぽっと頬を頬紅以上に染めた。

「美月が生徒会に入ると聞いて心配していましたが、先輩に恵まれました。篤仁くんは実に立派で、歴代生徒会長のなかでも飛びぬけて優秀だと評判です」

「ええ、美月ったら毎日はしゃいで篤仁くんのことを報告してまいりますの」

 お返しとばかりに当主様が鷹津を褒めると、実仁氏は照れることなく受け止めた。

「ありがとうございます、兄として嬉しく思います。そうだ、アキラさんは美月さんの補佐についていたと聞いたね」

「はい。ほんの一時でしたが。わたしにはとても務まりませんでした」


 言い訳がましいことを言うと、それまで黙っていた時緒様がまたもや空気を凍らせた。

「生徒会補佐には役不足かしら」

 役不足。

 与えられた役目が自分の手に余ること、とよく勘違いされるが、この言葉は正しくはその役目が自分の力量と比べて軽すぎるという不満の意味を指す。

「めっそうもありません。大役過ぎて」

「そうかしら。ねぇあなた、髪のサイドを編みこんではいかが。たっぷりした髪だからそのほうがまとまると思うの。それとバレッタか、簪で飾ってみせて。失礼、どうぞお話を続けて」

 どこまでも自由な時緒様は、言いたいことだけ言ってまたお茶を飲み始める。びくびくと震えるあたしに、鷹津はたまらないと含み笑いをしていた。


「あ、あのっ」

 美月様は意を決したように、ぴっと背筋を伸ばした。

「わ、わたしはどうですか?」

「何かしら」

 時緒様のまともな返答。おお、きちんとコミュニケーションがとれている。さすが美月様。

「あの、アキラには服や髪のことアドバイスしていただけているので、わたしに何か不備はなかったかと、気になってしまって」

 鷹津とよく似た鋭い目にさらされることを望んだ美月様は、カチコチと音がしそうなほどかしこまって椅子に座りなおした。

 それを時緒様がじっと見つめる。レーザービームのような視線にも目をそらさない美月様に、時緒様はゆっくり問いかけた。


「何を言ってほしいの」

「え?」

「目の保養。そういえるくらい可愛らしいと既に伝えたつもりです。それでは足りない?」

「あ……」

「奥様の審美眼でそう言っていただけるなら嬉しいですわ。この子ったらあまり服に感心がなくて、他にどんなものが似合うかご教授願いたいわ」

 助太刀に水音様がころころと笑いながら水を向けると、時緒様はまたゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、お教えできることなんて何もありません」

「そんなご謙遜を。では、どんなお洋服をお召になってました? この子に合いそうなものは?」

 食い下がる水音様をそっと当主様が手で押さえている。だが水音様は引かない。あたしの分は用意していたくせに、と根に持っていらっしゃるのだ。

「小柄で愛らしいあなたのお嬢様には合わないものばかりですわ」

 時緒様はためらいなく言い切った。これには水音様も二の句が継げない。 

 表面的な受け答えは間違っていない。だがその答えの裏には徹底した美月様への無関心が現れている。反面よほどあたしの第一印象がみすぼらしかったのか。とにかく、あたしとの扱いの差が美月様も水音様も気に入らないのだ。時緒様はそれがわかっているのかいないのか。

 箱入り娘は数多見てきたが、ここまでぶっ飛んだ方は初めてだ。時緒様って、鷹津でもっとも強くてもっとも危険な方なのではないだろうか。

 あたしは時緒さまに魅かれているが、もし白河のお身内にいらっしゃったらと思うとぞっとしないものがある。


「これ以上口をはさまれるとまた厄介なことになりそうだ。美月さん、アキラさん、庭を散歩しませんか。夜と昼ではまた違った味わいがありますよ」

 鷹津は席を立ってあたしたちを誘った。

「は、はい! ぜひ」

 さっさと歩きだしてしまった鷹津の後を追い、美月様はあわてて走っていった。あたしはテーブルに残った面々退席を願い一礼する。

 女主人のように鷹揚にうなずいてみせた時緒様、ただでさえ白いお顔を青に染めた水音様。

 このお二方の対比が恐ろしかったが、なぜかそれより気にかかったのは、修羅場第三弾だというのに平然としていた男性方の笑みだった。




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