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悪魔と恋愛感情




 先日は、大変不快な思いをお掛け致しまして申し訳ございませんでした。姉よりご憔悴のご様子であったと伺い、わたくしも心を痛めております。誠に軽率な発言と行動であったと深くお詫び申し上げます。

 わたくしのすべての言葉に嘘はございません。

 どうか、今後とも姉をお引き立て賜りますようお願い申し上げます。




「どーよっ」

 つんと胸をそらして高らかに言うと、げんなりと顔をゆがめた東条があたし力作の草稿を放り投げた。

「なんだこりゃ。どこに送る詫び状だ」

「だから鷹津会長に送ったんだってば。見たがったのそっちじゃん」

「あのおっそろしい王様が機嫌よくしてた秘密を教えろって言ったんだよ」

「たぶんこれのことじゃないかと思うんだけど……」

 あたしの答えに、東条は不満げだ。

「これでどこの誰がご機嫌になんだっつーの」

「ま、形としてはこのあたしが鷹津に頭を下げたってことになるんだから泣いて喜んでもらいたいところよ。しかも手書き!」

 東条のテリトリーたる校舎裏のゴミ捨て場近く。あたしは東条と並んで座りこみ、昨日の無事の生還を祝ってもらっていた。

 言葉を曲げるつもりはなかったようで、放課後になって顔を見せたあたしに、東条は眉をひそめながらもいつかと同じ千歳飴を差し出してくれた。

 さっそくそれをいただきながら、昨日の顛末を話していたところなのだが。


「わたくしのすべての言葉ってなんだ?」

「ん?」

 東条は探るようにあたしを見た。

「なんか引っかかる」

「……どう思う?」

「うるせぇ、早く言え」

 にやっと笑うと、東条はデコピンの構えであたしを脅してくる。あれ、けっこう痛いんだよな。

 あたしは両手をあげて降参すると、簡潔に言った。

「べっつに。そのままの意味だよ。あたしは本当の気持ちしか伝えてないよってこと」

「つまり、お前の『軽率な発言と行動』も真意の一つってワケか。全然反省してねーじゃねーか!」

「あらー?」

「ごまかすな! で、こんな仰々しい慇懃無礼働いておいて、なんで会長喜んでんだよ。マゾか、あの男」

「今度本人によく言っとくわ」

「やめて」


 東条でさえ気づくこの無礼に、鷹津が気づかないわけはない。だが今更鷹津の不況をかうことにためらいはないし、これで美月様に嫌がらせをするほど小さい男ではない、とふんでいた。

 要は、美月様が納得してくれればいいのだ。

 おかげであたしは直接対峙せずに鷹津への謝罪を果たし、美月様はあたしを許してくれた。今日は仲良く二人で登校、お昼も共にいただいた。嬉しいことに、なんと上都賀さんまでいっしょだった。

 元通り仲良くするあたしたち姉妹を見る生徒たちの目は相変わらず厳しかったが、妙ないたずらをしてくる者はいなかった。きっと東条効果もあるだろう。


 ひとまず嵐は治まった。

「正直どうしてご機嫌よくなるのかはハッキリしない。鷹津がマゾ気のある変態かどうかはおいといて、これで姉さんの笑顔もあたしの平安も戻ったし、言うコトないよ」

 それよりも、あたしは今すっごく言いたいコトがあるのだ。


「ねえねえ、それよりさァ! 聞いてよセンパイ! 昨日城澤がね!」

 あたしはじゃれつくように東条の厚い肩をゆする。

「なんだ、うっとうしい。コクられでもしたか」

「いや。でもあいつあたしのこと好きかも」

「あァ?」

 不良のお手本みたいな顔で凄まれるが、あたしは気にせず東条の腕をひっぱった。

「あのねぇ、あたしのこと好き?って聞いたら、顔真っ赤にしたの。どう思う?」

 それを聞いた東条は、露骨に顔をしかめてみせる。

「お前デリカシー皆無だな。そういうのふつう本人に直に聞くか?」

 この男からそんな繊細なワードが出てくるとは驚きだ。

「だって気になったんだもん。ねぇ、どうだろう? あたしこういうの初めて!」

 照れながら飴をなめていると、東条は驚いた拍子にがりっと自分の飴を噛み砕いた。

「マジで? 遊んでそうな外見して……。いや、口開けるとそうでもねぇか」

「うるさいなァ。東条はあるワケ? いや、ないだろう」

「うるせーよ、お前といっしょにすんな」

「えっ、あるの!?」

「俺はモテるんだよ」

 防ぐ間もなくデコピンされ、あたしは痛みにわずかに呻いた。

「しっかしあの堅物男がなァ……。趣味わりィ」

「超失礼!」

 反撃とばかりに脇腹をつつくと、東条はぐわっと滑稽な声をあげる。


「……で、どうするんだよ」

「何が?」

「だから、城澤とお付き合いすんのかって聞いてんだよ」

「お付き合いって、いわゆる男女交際?」

 あたしと城澤が?

 一拍の思考停止のあと、あたしは飴をくわえて率直な感想を言った。

「……その発想はなかった」

「はァ? なんでだよ」

 東条はまたデコピンの形に指を構えるが、あたしが本気でそう思っていることに気づいたようで困惑したように手を下ろした。

「だって、結婚なんてまだ考えてなかったし」

「飛躍しすぎだっつの!」

 その突っ込みに、あたしは首をかしげる。

「どういう意味? だって、お付き合いってそういうことでしょう」

「ああ? いや、そうかもしんねーけど、もっと気軽に考えろよ。俺らまだ高校生だぞ?」

「……あー……」

 東条の言う意味がようやくわかって、あたしは小さく息をついた。


「東条先輩は高校編入組だよね。孤立しがちでお友達いない先輩からするとわかんないかもしれないけど、ここの校風からするとさ、不純異性交遊ってけっこう命とりなんだわ」

「ん?」

 あたしは理解の遅い生徒を優しく指導する教育者として説明した。

「高校生のおままごと恋愛が、それじゃすまなくなる可能性があるってこと。家同士のパワーバランスが崩れると困るでしょう。特に女の子のほうは万が一でもあると大変だよ。だから教師だって生徒だって生活委員会だって目を光らせてる。こんな品行方正なあたしでも例外じゃないってことよ」

「そういやお前、頭悪そうな外見して実はお嬢様だったな。言葉も文化も通じなくてめんどくせー」

 東条は心底疲れたようにため息をつき、短い髪をかきまわしてうなだれた。

「なんでだ? これアレだろ。コクられちゃった、あたし付き合おうかなーどうしようかなーって答えの出てる時間の無駄にしかならねぇくだらねぇ相談に来たんじゃねーのかよ。っていうかそういうのは女同士でやれよ」

「告白はされていない、そういうこと話し合える女友達もいない。ただ、あたしはあたしのことを好きになってくれた人がいるっていうのがうれしくて、とりあえず誰かに言いたかっただけ」


 おかげで昨日の夜は大変だった。

 辰巳は浮かれるあたしをずうっといぶかしげに見つめ、隙あらば聞き出そうと必死だった。こちらも負けじと口を閉ざしたが、漏れる笑みは隠しきれない。でも辰巳に言ったら最後、あの過保護さでどういう行動に出るか……。あと敬吾さんにバレるのも必至だろう。それはさすがに恥ずかしい。

 上がるだけだったあたしのテンションも興奮も、東条の言う男女交際という考えに至って急にすぼまりを見せた。


「お付き合いねー……。まあ、絶対ないね」

 がぶ、と固い飴に歯をたてる。

「城澤のこと嫌いか?」

「いいや、嫌いじゃないけど」

 でも、お付き合いしたいとは思っていない。城澤だってそこまでは思っていないかもしれないし。

 恋人なんかいても仕方ない。

 あたしには優先順位があって、第一位に美月様、二位に当主様や水音様、敬吾さんといった白河、そして辰巳とあたし自身があってそれ以外はないも等しい。

 他の人間にかまける余裕はないのだ。


「ああ、そうか」

 黙り込んでしまったあたしを、東条は冷めた目で見降ろした。

「お前はまたクソつまんねーこと考えてるんだろ」

「え?」

 東条はガリゴリと景気よく音を立てて飴を噛み砕くと、吐き捨てるように言った。

「お前は人間を好き嫌いで判断しない」

「……褒められてる?」

 どう聞いたってポジティブな響きをもたない声に茶々をいれるが、東条はほだされてはくれない。

「使えるか使えないかで見るんだ。だから俺のことを怖がりもせずに近づいてきた。あの姉貴のためにな」


 これは不機嫌になった、というより怒っている。

 東条は何も言えないあたしの沈黙から何を読み取ったというのだろう。

「自分は二の次三の次。恋愛なんてしてる暇はないってな」

 あらやだ、ピタリと当てられた。ついつい目を丸くしていると、またギロリと睨まれ首をすくめた。

「……それが何か? 怒られるようなこと? 飴なめる?」

「……怒ってねーよ。それ俺がやった飴だろうが。あー、ヤメだ、ヤメ」

 がしがしと頭を掻いた東条は、舌打ちをしてからまたあたしに問いかけた。

「お前好きな男いねぇの?」

 今度は幾分落ち着いた口調。むりやり怒りをどこかへ追いやった、そんな感じだ。

「超お金持ちで家柄もよくてスタイルよくってウィットに富んでて顔も整ってる彼氏なら欲しい」

「違う。特定の、実在の人間! あー、なんだ。そいつのことで頭がいっぱいになるとか、そいつには自分のこと一番に見ていてほしいとか、そういうヤツ」

「なにそれ。つまり、恋はしていないのか、という質問ですか」

「ああ」


 あまりにも可愛らしい質問に、あたしは自分から吹っかけた恋愛トークに怖気が走る。東条、お前自分の風体わかった上で話しているんだろうな。しかしそこは優しいあたし、せっかく散った怒りを再燃させる必要はない、と落ち着いて言った。

「恋愛感情ってよくわからない。そういう気持ちになったら恋?」

「知らねーよ。好きになったらわかるんじゃねぇの。他にもほら、そばにいたいとか、まもってやりたいとか、自分のこと思っててほしいとか、あとは、まあそれなりに。よくわかんねーな」

 どういうつもりなのか、聞いている東条も適当なことしか言わない。いったい何を探りたいのだろう。

 ただ、東条のいう条件をきいて頭に浮かんだ人はいる。

「それってさあ、やっぱり身内じゃダメなんだよね?」

「お前の姉貴っていう答えは絶対にダメだ」

 ああ、またもや見透かされた。

 あたしにとってそばにいたい、守りたい、と思うのは当然美月様だ。だがあたしは美月様に恋をしているのではないはずだ。

「思いついた。お前の場合、姉貴を捨ててもいいくらいに大事なやつ。ものでもいい。何かねーのか」

「あるわけない!」

 あまりにも突拍子のない東条の思いつきにびっくりして言い返す。すると東条は苦々しげに口元を歪ませた。

「くそっ。むかつく、即答すんな」

「いいじゃん、家族だって。恋じゃないけど、これも愛でしょ」

「家族が悪いんじゃねーけど。お前の場合はダメ」

「何その理不尽!」

 そう言われたってしかたない、本当のことなのだから。


 これ以上聞かれても何も話せない、と判断したあたしは、質問をそっくり返すことにした。

「ねぇ、先輩にはそういう人いる?」

「いねーよ。……でも」

 でも?

 続きを促してあたしが視線をおくると、大きな体を丸めた東条はぼそぼそと言った。


「すっげーバカ野郎がいる。自分が報われることとかまるで考えない、筋金入りのむかつくバカ。あんまり哀れなんで、少しはそいつが幸せになってくれればいい……とは思ってる」

 真摯な気持ちがこもった言葉に、胸が温かくなるのを感じた。

「それって……」

 あたしの口元がふっとほころぶ。

 やっぱり、こいついいヤツだ。

「大切なんだ」

「そういうんじゃねーよ」

 そっぽを向いてしまった東条が何やらかわいい。

「そんなふうに東条先輩に思われたら、幸せになれるよ」

「はあっ!? べ、べつに俺が幸せにしたいとか思ってるわけじゃねーよっ!! よく聞けよ! だから、誰かそういうヤツがいねぇかなって」

 大慌てで照れ隠しをする東条にほほえましさが募り、あたしは安心させるようにうなずいた。


「ごまかさないでいいよ。東条先輩が幸せにして」

 そこまで言うと、東条は唖然とした顔であたしと視線を合わせてくる。

「お前、自分がなに言ってるかわかってんのか」

 当たり前だ、誰がそのお膳立てをしたと思っている。あたしは慈愛をこめてもう一度うなずいた。

「ちゃんと幸せにしてあげてね。お父様のこと」

「誰が今親父の話をした」




 学校からの帰り道、あたしは痛むおでこをしきりにさすりながら、東条への恨み言を呟いていた。

「なんでデコピン三十連発されなくちゃいけないんだ……。親子の絆が深まったっていい話してたんじゃないのか……」

 一族の汚名返上とかつての仲間のために奔走し、名も名乗らずに貢献してきた父親への鬱屈。それが城澤との和解により気持ちの方向が転じたのだろう、と感激していたのに。あたしは少なからずその手助けができたと思っていたのに、この仕打ち。

 おのれ東条、あとでなんらかの形で復讐してやる。


 そんな執念を燃やすあたしの制服のポケットから、ぶるぶると振動が響いてきた。スマートフォンを見ると辰巳と名前が表示されている。

「はい、アキラです」

「お疲れ様です、アキラ様。本日のお戻りは何時くらいでしょうか」

「もう校舎を出たよ。美月様はまだ生徒会のお仕事があるけど、それはもう連絡済みだし、あたしが戻ることも報告してるけど……。何かあった?」

「鷹津様との会食の日取りが決まりました」


 一瞬でおでこの痛みも吹き飛んだ。

 いよいよ決まったか。

 二週間後の日曜日の昼、場所は敵陣鷹津家別宅、つまりあの因縁のパーティ会場だった。

 白河と鷹津の当主の両名が参加している大規模なボランティアプロジェクトの打ち合わせを兼ねた歓談に、両家の子供たちが同席するという形をとるらしい。

 私的なお招きであることは間違いなく、これを簡易的な見合いと呼べなくはない。もしかしたら奥方である水音様もご参加するかもしれない。

 何かを仕掛けてくることは確実で、この罠に飛び込むには勇気がいる。

 あたしが冷や汗を流していると、辰巳はさらりと聞き捨てならないことを言い放つ。

「そのためのお衣裳合わせがあります。今回は俺が服も髪も化粧もすべてお見立てしますからね。……それから、今日はしっかりお話しいただきますから、覚悟しておいてくださいね」

「おおう」

 あたしの冷や汗は増す一方だった。




「こちらのパステルカラーのワンピースはいかがでしょう。肩の大き目のリボンがアクセントでかわいらしいですよ。アキラ様は背筋がのびてすらっとなさってますから、このストレートのラインも美しくでます」

「はァ」

「安心安全のグレーもいいですね。薄い色なので重たくはなりませんし、膝丈のショートドレスは品よく年相応でよくお似合いです。アキラ様のお顔立ちの華やかさが際立っていいかもしれません」

「ふうん」

「それとも軽いジャケットにフレアスカートを合わせましょうか。大人びた印象になりすぎないよう、ブラウスに明るい色で遊びをもたせて。いずれにせよ今回は時間がないのでセミオーダーになってしまいますが、悪いものではないでしょう。アキラ様、さっそく明日つくりに行きましょうね」


 あたしの生返事など意に介さず、辰巳は畳いっぱいに広がったカタログや冊子を次々に拾っては捨てていく。いつもの鉄仮面は変わらないというのに、横顔が輝いているのは気のせいではないはずだ。

「辰巳ィ、なんでそんな張り切ってるの」

 あたしの疑問は当然だった。

 これまであたしは白河家として表に出たことはない。例外があの鷹津家でのパーティだ。だから衣裳も持ち合わせてはいないのだが、それにしてもこんなに着飾る必要はないはずだ。

「また敬吾さんが用意してくれたの着るから、作らなくていいよ。そんなお金もったいないでしょ」

「ご安心ください。その岩土さんが資金提供してくださいました」

 辰巳はそういうと、あたしと一緒に隅に寄せられていた座卓の上に置かれた黒いカードを目で指した。


「もう美月様を引き立てても鷹津様の意思は変わらないだろうから、みすぼらしい格好をするくらいなら思い切り飾り立てろとのことでした。鷹津様相手に披露するのは気にかかりますが、遠慮はいりません、思い切りやりましょう。ちなみに美月様はレモンイエローのワンピースの予定だそうです。色や形がかぶったりしないよう三舟さんとは随時情報交換をしておりますのでご心配なく」

「ご心配なく、じゃないでしょ! 敬吾さんも勝手なこと言ってくれるよ」

 あたしは年ごろの女の子にしては、自分の服装には無頓着なほうだと思う。いくら養育費をいただいているからといって、衣服を必要以上に買おうとは思わない。体は一つなんだからいいじゃないか。


 不満なのは辰巳だけで、時折どうやってか新しい服を調達してはせっせと箪笥にしまってくれている。おそらく三舟さんあたりに頼んでいるのだろう。

 ちなみに辰巳があたしのところへ来てくれるまで、あたしの衣服はほぼ美月様のおさがりだった。あたしが美月様の身長を上回ったとき、辰巳はこれで堂々と買えると一人喜んでいたものだ。

 そんな辰巳がそわそわと立ち回っているのを眺めていたあたしは、ふと浮かんできた疑問を口にした。


「ねぇ、辰巳には恋愛感情を注ぐ相手はいる?」

 ぴた、と面白いほど不自然に動きを止める辰巳。

「恋人はいる? 今までの恋愛経験は? 結婚願望はあるの?」

 矢継ぎ早のあたしの質問に、辰巳はばさっと雑誌をよけてあたしの前に正座した。華美さはないが端正な顔立ちの辰巳は、固い顔のまま穏やかに言った。

「その質問は、アキラ様が昨日浮かれていたのに今日どこか沈んでいることと関係があるのですか」

「うん、ある」

 こっくりとうなずくと、辰巳もうなずいた。

「俺には恋人はいません。恋愛経験というほどのものもありません。結婚願望はありません」

 否定尽くしの答え。

「それはなぜ?」

「俺にはアキラ様がいます。アキラ様より大事な人はいません」

「うん」

 あたしはお茶をすすり、それが当然だとばかりにまたうなずいた。

 我ながらなんと傲慢! だが、辰巳はそうでなくてはいけないのだ。

「今日は、その『好き』ということについてちょっと思うところがあって」

「それはなんでしょう」

「あたしは人を好き嫌いで判断しないと言われた」

「ご立派じゃないですか」

「かわりに、使えるか使えないかで判断すると言われた」

「……それはそれは」

 さすがに褒められたことではないことは自覚している。辰巳も苦笑気味だ。

「好きな人はいないのかと聞かれた。美月様はダメだって」


 東条が言った『好き』の例を思い返す。

 その人のことしか考えられなくなる、まもってやりたいと思う、そばにいたいと思う、幸せを願う。美月様以外で思い浮かべるにはちょっと難しい。

 だが、ぴたりとハマるものが一点あった。自分のことを一番に思っていてほしい、そんな相手。

「他に浮かんだのは辰巳だった。あたしは辰巳が好きだ」

「俺も、アキラ様が好きです」

 迷いのない答えはもはや日常のもので、いまさら欠かすことはできない。

「辰巳はあたしを一番にあつかってくれなければダメだ」

「わかっています」

「辰巳はあたしの家族だ。だが、血はつながっていない。これは恋愛感情だろうか」

 辰巳はゆっくりとまばたきをすると、口の端をわずかに引き上げた。優しい微笑みは常にあたしに向けられてきたものだ。


「難しく考えることはありません」

「え?」

「『好き』に名前を付けるなら、いろいろあります。恋愛もそうですが、家族愛、友愛、敬愛、はたまた自愛。それのどれが該当するかは、おのずとわかってくるものです」

「……どうやって?」

「方法の一つとしては、自分がその相手にどうしたいのか、考えることでしょうか」

 どうしたいか。

 あたしは辰巳をどうしたいか。

「何をしてほしいのか、何をしてあげたいのか、それだけでも実はけっこう違うものです。アキラ様が俺に対して抱いてくれているのは、どんな愛でしょうか。結論は急ぐことはないんです、ふっと変わってしまうこともあるんですから」

 変わってしまう。その言葉がなんだか悲しくて、あたしは倒れこんで辰巳のひざに頭を乗せた。

「辰巳は今、あたしを愛してくれている?」

「変わらない愛もあります。俺は、アキラ様を愛しています」

「あたしをどうしたい?」

 髪をなでようとする大きな手をつかまえて、あたしは甘えた声をだす。

「そうですね……」


 辰巳はあたしの指をなでながら考え込む。だが重たいものではなく、あたしの爪の切り時を見定めているような沈黙だ。

「内緒にしておきましょうか」

「ええええ? 教えてくれないの?」

 がばっと起き上がると、辰巳は楽しそうにうなずいた。

「ひどいよォ、教えるならちゃんと最後まで教えてよォ」

「今のアキラ様ではまだ早いですね」

「あっ、バカにしたな! 辰巳のくせに生意気だ」

 あたしは辰巳の首に腕をまわして乗り上げる。だが上背のある辰巳がよろけることはない。余裕をもってあたしを抱いて背中をなでてくる。

「アキラ様も大きくなられましたね。あんな質問をされるとは思いませんでした」

「また大人ぶってバカにする」

「していません。しかし、大人の俺もちょっと危なかったですね。アキラ様、愛情の区別は心の中でこっそりやるものです。俺の前でなら結構ですが、外で口に出して行ってはいけませんよ。絶対に」

「そうなの?」

「ええ、絶対に」




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