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悪魔と風紀委員長




 体育の授業を受けている生徒たちの声が聞こえる。

 淡々と美しい数式を黒板につづる教師の背を見ながら、生徒たちは一心不乱に授業に臨んでいる。夏を迎える前のすがすがしい風に眠気を誘われている一部をのぞいて、ではあるが。

 あたしはどちらかというと、両方だ。

 さすがのあたしも授業妨害のようなマネはしない。教室窓際一番後ろという最高の席にどっかりと足を組んで座り、一言も発せず、頬杖をついてうとうとしているだけだ。

 だが実際は寝ていない。空いている右手は案外せわしなく動き続け、あたしの男みたいな角ばった字でノートをとっている。

 授業中にノートをとるのは当然の行為だというのに、あたしのノートはなぜかクラスでは「閻魔帳」という物々しいあだ名がつけられている。そこにはあたしの悪だくみや、陥れてきた人物の秘密などが書かれているらしい。なんのことやら。


「今日はここまで」

 教師がそう言うと、あたしはぐーんと立ちあがって伸びをした。それだけの動作なのに、びくっと体を震わせる前の席の気弱系男子。なんにもしないよ。

 閻魔帳を大事にしまってから、あたしはポーチを持って教室を後にする。ポーチには化粧品と、お気に入りの棒付き飴が入っている。砂糖と水と醤油のごくごくシンプルで素朴な味わい、夕日を溶かしたみたいな美しい飴だ。

 飴をくわえ、さて、とあたしは気合を入れる。これから休み時間の定期巡回だ。美月様のA組を過ぎるとトイレもあるので、化粧直しのフリをしてさりげなく中を確認することができる。そのまま中庭を通る渡り廊下を進み、食堂前の自販機でジュースを買って、だらだらと教室に戻るのが一連のコースだ。

 教室を出ると、ちょうど廊下にいた美月様はあたしを見つけて大きく手を振った。珍しく一人で、おかげで誰に嫌な顔をされることなく美月様の側に行けた。


「アキラ! ちゃんと授業出てる?」

「出てるよー」

「いい子!」

 ふふっと笑う美月様はとても愛らしい。

「でも棒をくわえながら歩くと危ないよ?」

「ん」

 これが他の相手であれば決して飴を離しはしないが、美月様であれば別だ。あたしはがりがりと飴をかみ砕き、残った棒をゴミ箱に捨てた。すると美月様は腕を伸ばして、自分よりわずかに高い所にあるあたしの頭をなでてくれた。

「あ、アキラのべとべと取れたね」

「え? あ、唇?」

 捨てた棒についたグロスの跡に、あたしはポーチからリップグロスをとりだした。鏡を見ずに器用にぬるあたしを、美月様は大きな目でじっと見つめてくる。


「ねえ、アキラ。べとべとするのイヤじゃないの?」

 いかにも美月様らしい言葉に、あたしは光る唇でにこっと笑った。

「ええー、キラキラするのがかわいいんじゃん」

「ふぅん」

 あたしはティアラのマークのついた、ピンク色のかわいらしいリップグロスの容器を振って見せる。

 はちみつ配合というのも伊達ではないらしく、甘い香りとぺっとりした感触が強い。あたしもこの唇、髪にひっつくと厄介だからあまり気に入ってはいないのだが、こういった装いをしていたほうが何かと都合がいいのだ。見た目でわかる、お利口な姉とおバカな妹! 

 そんなあたしの心を知らず、上目遣いにあたしを見る美月様の目に興味の色が浮かんだ。ここは心を鬼にする。美月様には必要時以外の普段メイクは推奨しないのだ。


「でもォ、天然ピンクの唇の姉さんにはこっちのがいいんじゃない」

「え、コレ?」

 あたしが渡したのは無着色無香料の、お子様でも使えるリップクリーム。これこそ三舟さん推奨品だ。

「むぅ。これ、小学生のときから変わってないよ」

「あはっ! 姉さんには十分ってコト」

「あーっ、ひどい、アキラ!」

 つんと尖らせた唇は十分瑞々しい。天使を悪魔の品のない持ち物で汚すなよ!と無言の圧力をかける連中に言ってやりたい。安心しろ、そうはさせないから。

 美月様はあたしのマネをしたがるが、それは許されない。

 あたしは美月様の引き立て役であり、反面教師とならなければいけないのだ。

 でなきゃ、ホラ。


「白河アキラくん、待ちなさい」

「あああああ! また出た!!」


 場の空気を一瞬でぴりっと引きしめさせるその男の登場に、もう恒例行事となりつつある問答が始まろうとしていた。

 美月様の後ろにわざとらしく隠れるが、にっくき風紀委員長は見逃してはくれない。城澤は眉間にシワを寄せて苦々しく言った。

「また君は、唇をそんなに光らせて」

「もォおおお。しつこいよ~。これくらいいいじゃん、マジうざい」

「いいわけないだろう。反省文の準備はできているぞ」

「やだっ!」

「やだ、ではない。前回言ったはずだ。次はない、と」

「それで張ってたワケ!? 意地悪すぎ!」

「違う。たまたま通りかかっただけだ」

「うううううう」


 口には絶対に出さないが、この城澤には大変お世話になっている。利用している、ともいえるが。

 公正公明、カタブツ委員長が多くの生徒の前であたしを叱る。見るからに素行の悪そうな妹、それを必死にかばう姉。実にわかりやすく差を引きたててくれるのだ。ついでに、「グロスでテカテカの唇も乱れた制服もよくないことなんだなァ。やっぱりやめよう」とあたしのマネをしたがる美月様を止める助けともなる。こいつがあたしを叱れば叱るほど美月様の株があがる不思議。

 シチュエーションはいい。あたしのこの頭の悪そうな格好は、そのためにやっているのだから。


 だが、反省文はイヤだ。

 美月様と別れて別室に閉じ込められたら、その間どう彼女を見守ればいいのか!

「ごめんなさーい、ちゃんとするから!」

 あたしはあわてて唇をティッシュでぬぐうが、べたべたはそう簡単に落ちなかった。

「だめだ。放課後、必ず風紀室に来るように」

 困る! 放課後は美月様の帰宅確認とその他のフォローでたいへん忙しい。城澤の相手をしている暇はない。

「ううっ、姉さァん! たすけてっ」

「城澤先輩……っ!」

 美月様はうるうる上目遣いおねだりをするが、城澤はその必殺技が効かない数少ない男だった。

「白河美月くんは関係ない、黙っていなさい。アキラくん、気が変わった。放課後、俺が迎えに行くから必ず教室に残っているように」

「ぎゃーっ! 余計にひどくなった!!」

 これは演技ではない、本心からの叫びだ。効かないとはわかっていながらも、上目遣いでどうにかしてくれ!とすがりたくなる。

「さわがしい。早く教室に行きなさい」

 ぷいっと顔をそむけた城澤はそれきりふり返らず、どれだけあたしが文句を言っても聞こうとしなかった。

 最悪!




 あたしの機嫌は底を這い、その後の授業で真面目にノートをとる手にも無駄な力が入る。そのため今日の「閻魔帳」には呪いが刻まれている、悪魔に呪われて風紀委員長、死ぬんじゃないか?とクラスメイトたちはいつも以上に恐れおののいていた。

 今日は昼休みのうちに美月様の下駄箱チェック、ロッカーチェック(体操着やら何やらが盗まれる可能性がある)、昼食を共にした友人のチェックを大急ぎですませた。おかげで昼を食べのがす。せっかく作ってくれたのにごめん、辰巳。今日は手紙もなく、怪しげな呼びだしもなかった。これなら放課後、城澤につかまってもなんとかなるだろう。

 だけどなァ、とあたしはため息をこぼす。

 美月様はひどく温厚で、真面目で、素直な良い子だ。しかし時にこちらがびっくりするほどの騒ぎを起こす。気付いたら生徒会連中と仲良くなっていたのが良い例だ。

 逃げちゃおうかな。

 帰る前のホームルーム中まで、ずっと悩んでいたのだけれど。

「きゃあ、城澤先輩!?」

「なんでここに!?」

 終了のチャイムと同時に開いた教室後方の扉の前でたたずむ城澤に、あたしは抵抗する気も失せた。




「いいんちょー、あたしちゃんと行きますよ」

「君は油断ならない」

「腕いたい」

「痛くないはずだ。力は加減している」

 城澤はあたしの手首をそのでかい手でしっかりとにぎり、風紀室へ連行した。逃げないというのに、まったく聞こうとしない。

 おかげで委員会ごとの部屋や文化部部室がある特別棟まで連行されるさまを、他の生徒たちにばっちり見られてしまった。

「いよいよ年貢の納め時か」「やだ、城澤先輩の手が汚れちゃう」、そんな声があちらこちらから聞こえる。まったく失礼だ。


 特別棟最上階は階下のざわめきが遠くに感じるほど静かだった。この階は大会議室の他、生徒会室と風紀室しかない。それだけ広々と空間を贅沢に使えるのは、この学園内でその二つの組織が最も大きな力を持っているからだ。風紀室は階段手前のやけに立派な扉の奥にあった。

 手前は応接スペースで、ローテーブルを囲むように革張りのソファが置かれていた。右をみると通常のデスクが四つあり、その奥に『風紀委員長』と書かれた三角のプレートが立つ大きな机がでんと居座っている。壁際はファイルや書籍が詰まった本棚が並ぶ。ゆったりとしているはずなのに、どこか息苦しい。ちょっとした置物も観葉植物もない、殺風景な部屋だからだろう。


「あれ、誰もいない」

「他の委員は放課後まず校内巡回をしてからここに集まる」

「へェ、そうなんですか」

「こっちに」

 城澤はあたしの手をひいて、さらに奥へと誘った。

 そこには更に扉があった。なんとも恐ろしいことに、取っ手のところにツマミがある。つまり、この扉は中から閉めるのではない。外側から鍵をかけることができる扉なのだ。噂には聞いたことがあったが……。

「ここがお仕置き部屋」

「違う。反省室だ」

 促されて入ってみると、そこは真っ白な壁に囲まれた、教室机と椅子しかない狭い小部屋。小さな窓があるものの、それはあたしの頭よりもっと高いところにある。よく刑事ドラマで出てくる取調室が連想される、嫌な部屋だ。

「さて、反省文は初回だから三枚にしよう。使うのは鉛筆だ」

 シャープペンさえ使えないとは!

 先のとがった鉛筆と消しゴム、そしてまっさらな原稿用紙がすでにセッティングされていた。

「うう、ホントにこんなとこで書くんだ」

「反省のためにな」

「鍵、閉めるんですか」

「必要があれば。だが、今回は閉めない」

 城澤はあたしをおいて一度小部屋を出ると、パイプ椅子を持って戻ってきた。

「俺が見ているからな」

「ええっ、それもヤダ!」

「つべこべ言わずさっさと書いた方が身のためだ」

 あたしは顔をしかめたが、城澤はとんとん、と白紙の原稿用紙を指さすだけだ。

「わかりました、書きます。すぐにおわしますから」

「そうしてくれ」

 口調こそ淡々としたいつもと変わらない城澤だが、どこか満足気に見えるのはあたしの気のせいだろうか。苛立たしい。

 しかし、鋼の男、と呼ばれるだけある。城澤はしつこいまでにあたしを追いまわした。

 普通なら他の教師たちのように呆れるか諦めるかするだろうに。

 覚悟を決めたあたしは、よく先のとがった鉛筆をとり、勢いよく書き始めた。内容は書きながら考える。

 城澤はトレードマークである眉間のシワをそのままに、あたしの手元をのぞきこんでいた。

 

 書くこと五分。とりあえず言葉を変えつつひたすら謝罪を繰り返す。

「……きれいな字だ」

「はい?」

 ぽつ、とつぶやかれた言葉に、あたしは聞き返すが、城澤は返事をしない。なんだ、こいつは。あたしははらりと耳から落ちた髪をはらいのけ、更に鉛筆の勢いを増した。よし、一枚目、あとちょっと。

「髪の毛が邪魔だろう」

「ええ、まあ」

 うるさいな。

 城澤はポケットから何かとりだすと、おもむろにあたしの背後にまわった。ただでさえ狭いのに後ろに入り込まれると距離が近い。

「え、何するんですか」

「いいから、書いていなさい」

「へ?」

 ぱっと広がる視界。なんと城澤はあたしの髪を両側からすくいあげ、手櫛ですき始めた。

「ちょ、なんですか?」

「いいから」

 いいから、じゃないんですけど。

 あたしの髪は猫っ毛で量が多い。柔らかさとツヤには自信があるが、まとまりにくいのが難点なのだ。城澤はあたしの頭を何度もなでるようにしながら、髪を頭の後ろに一本にまとめあげていく。いわゆるポニーテールだ。

「うん」

 毛先を整えて尻尾をなで、一人満足そうに城澤はうなずいた。

「すっきりしていい」

「……どうも」

「毎朝こうしてきなさい」

「……考えときます」

 反抗心が首をもたげたが、ここで口答えして反省文の枚数を増やされても厄介だ。

「髪が茶色がかっているのは、地だな?」

「はい。姉さんもそうでしょう」

「そうだったかな」

「見ていないんですか?」

「そんなところまで覚えていない」

 あれ、とあたしは思わず手を止めてしまう。

 あれほど人気のある美月様、柔らかい栗色の髪に触れてみたいとよく言われているのに。ましてや城澤はあたしを叱るついでに何度も美月様と会っているはずだ。

「委員長、姉さんに興味ないんですか」

「興味とはなんだ。彼女はきみと違って、俺が気にかけるような不真面目な生徒ではなかったはずだ」


 それを聞いて少し残念に思う。うすうす感じてはいたが、本当に城澤は美月様に魅力を感じていないらしい。城澤は某一流大学教授の息子だ。実は当主様に報告する美月様の婿候補にリストアップしていたのだ。

「姉さん、あんなにかわいいのに」

 もったいない。

 その言葉を飲み込み、反省文に向き直ろうとしたあたしを、またもや城澤は邪魔をした。くい、と結んだ髪をひっぱったのだ

「もー、なんですか」

「唇、光らせていないな?」

「怒られたから止めましたよ」

「そうしていなさい」

「はいはい」

「返事は一回」

「はァい」

「うん」

 よくできた、と言わんばかりに、城澤はあたしの頭をなでた。

「俺は、そう素直にしているきみのほうがよほど――――――」


「委員長、大変ですっ!!」


 何か言いかけた城澤をさえぎり、足音を響かせて飛び込んできたのは、腕に風紀の腕章をつけた男子学生だった。

「なんだ、騒がしい」

「大変なんですっ、天使がっ。学園の天使がっ!!」

「天使? 何を寝ぼけている」

「姉さんがどうした!?」

 学園の天使っつったら美月様しかいないだろうがっ!!

 鈍い城澤を押しのけ、あたしは男子学生の胸倉をつかんだ。

「早く言えッ! 何があった!」

「し、白河さんが、校舎裏のゴミ捨て場辺りで……! ふ、不良の、東条にからまれていると報告が……!!」

 ぞわ、と首筋が泡立つ。

 あたしは男子学生を放りだすと、わき目もふらずに走り出した。




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