悪魔の更生、失敗
二時限目前の十分の休み時間、ぶおーっという異音に教室内の注目が集まる。
あたしは持ち運ぶにはいささか大きすぎる鏡を机に置き、悠々とドライヤーで髪を乾かしていた。朝っぱらからの重労働で疲れた体も、運動部用のシャワールームを拝借することですっきりした。おかげで一限目はサボることになったのだが、まあいいだろう。
そろそろじゃないかなぁ。あたしは廊下側に気を配りながら、左手ドライヤー右手ブラシと忙しい。
「アキラ!」
「おっ」
きたきた、とあたしはドライヤーのスイッチを切った。
「おっはよ、姉さん」
礼儀正しく失礼します、と一言ことわり、美月様はあわてた様子でB組に入ってきた。それだけであたしに向けられている敵意やら何やらが霧散するのだから、人柄というものの効果には恐れ入る。
「さっきも来たんだけど、一限目どこか行ってたでしょう。だめだからね!」
「あーごめんごめんっ」
「あっ、それだけじゃなくて。アキラ、雨宮先輩と喧嘩したの!? それに生徒会辞めるって聞いたんだけど」
その言葉に、教室がざわりと動く。
朝っぱらからやらかした騒動は、早耳の生徒を中心にしっかり広まっているようだ。事の真相が本人の口から聞ける機会とあって、気になるのだろう。
だからあたしは親切に、ハッキリきっぱりと言ってやった。
「そーなの、辞めるの。もォ嫌気がさしました」
おてあげ、とドライヤーを持ったまま肩をすくめると、美月様はくしゃりと悲しげに眉をひそめた。
「がんばるって言ったじゃない」
「がんばったよ。でも、もうやめた! やっぱりあたしには合ってなかったみたい」
「そんな……」
「雨宮先輩とは完全に決別しちゃったしィ。もう無理」
痛む心をおさえる。美月様は雨にうたれた子犬のようで、その子犬を棒でつついていじめる悪女という光景に、一度は消えていたクラスメイトたちのあたしへの敵意が倍増している。
「あ、姉さん次は移動教室でしょ? 間に合わなくなるよ」
美月様のクラスの時間割は把握済み、次は科学の授業だったはずだ。美月様はしぶりながらも、
「アキラ、ちゃんとお話ししよう。昼休みにもう一回くるから!」
と言い残していった。
教室内のざわめきは授業開始までおさまらず、ぶしつけなまでの視線にあたしは耐えた。
これで火種は十分。
昼休みまでには、白河アキラ生徒会補佐の補佐解任の噂が学校中に伝わるだろう。
そして昼休み、美月様はうれしいお客を連れてきてくれた。
「アキラ、お昼食べよう! いつも来てもらってるから、今日は私たちが来ちゃった」
「わ~い、いらっしゃい! しかもスペシャルゲスト、綾乃たんまで!」
そう、いつもなら絶対にあたしと席をともにしない、上都賀綾乃さんがお弁当の包みを片手にひょこりと姿を見せたのだ。
「ちょっとあなたの話に興味があるから。同席させてもらっていい?」
「おっけーおっけー。なんでもしゃべっちゃう~」
うん、好奇心野次馬根性丸出しもこうストレートならいっそすがすがしい。というか、あたしの上都賀さんへの愛が勝る。
机をがたがたと動かして三つつなげると、美月様はお弁当の蓋もあけずに切り出した。
「アキラ。どうして雨宮先輩とケンカなんてしたの?」
「あたしが草むしりやってたのバカにしたから」
あえて食事に集中するふりをして、美月様の質問に簡潔に答える。今日は白身魚の照り焼きにほうれん草のおひたし、卵焼き。ごはんには辰巳手作りの乾燥野菜ふりかけがかかっていて色鮮やかだ。
「雨宮先輩が、アキラを?」
「みっともないってさ」
「それはひどいね。なんで雨宮先輩はそんなこと言ったんだろう。綾乃ちゃん、なんでだと思う?」
「さぁ……」
美月様は真剣に首をかしげている。それを慈愛のまなざしで見つめている上都賀さん。
「結局のところ、あたしが気に入らないんでしょー。いいよ、別に。もう気にしてないし、あたしが辞めれば関わりもないし」
「そういうのよくないよ。仲たがいしたままになっちゃう。本当に辞めちゃうの?」
「辞めちゃうの」
「あんなに生徒会の先輩たちによくしてもらったじゃない」
「思い返すと嫌味言われたり雑用やらされたりした記憶しかないけどォ」
しれっとツボ漬をぱりぱりと噛んでいると、美月様は珍しくムッと険しい顔をした。
「そんなことないでしょ! 篤仁先輩にはやさしくしてもらってたじゃない」
釣れたっ!
あたしはすかさず竿を引き上げた。
「おーっ、ソレソレ! いい機会じゃん、綾乃たん聞いてよ。あたしのことより楽しいお話があるの。姉さんにね、ようっやく春がきたの」
「え? まさか、やっぱり?」
察しのよい上都賀さんは、これまた珍しく素直にあたしの話に耳を貸してくれた。
「そうなの。いやぁ、そういうコト興味ないみたいだから逆に心配だったんだけど、釣り合う相手を待ってたのかねぇ」
上都賀さんはうんうんとうなずいている。
「あなたの生徒会云々はどうでもいいわ。今日はその話をあなたに聞こうと思ってついてきたの。美月ちゃん、ここのところポヤポヤしてて上の空になること多かったから、もしかしたらって」
「そうなんだよね。おかげであたしにまでヤキモチ」
「まぁ」
親友の意外な一面を見たのか、どこか楽しそうだ。
話の中心であるのに蚊帳の外におかれた美月様は、きょと、と目を丸した。
「何のお話?」
「だーいーじーな、お話。ね、あたしが生徒会辞めるとさ、帰りまたバラバラになるじゃん?」
「ああ、そうだね。それもさみしいな。アキラ、やっぱり……」
「いやいや、待って待って。そこで提案。姉さんお耳拝借。綾乃たんもどーぞ」
わざとらしく声をひそめ、顔を寄せ合ってからあたしは小さく言った。
「一人で帰るのは物騒だし、一緒に帰りましょって誘いなよ。……鷹津会長に」
「ええっ!!」
コミカルなほど美月様は飛び上がり、一瞬で頬を真っ赤に染めた。
「そ、そんなこと言えない! っていうか、アキラ、なんで!?」
「やっだなぁ、姉さんのことならなぁんでもわかるって」
行儀悪く箸でツンツン、と美月様のほうを指すと、美月様はすぐに犯人を思いついた。
「お母様が言ったんでしょ! もー、なんでもしゃべっちゃうんだから!」
それはあなたがなんでもしゃべっちゃうからですよ、とは言わないでおく。
「そうなるとあたしがいないほうが都合いいんじゃなぁい? だいじょぶ、応援はしっかりするからさ」
「相手にとって不足はないわ。待ってるだけじゃなくて女性のほうから積極的になるのもいいと思う。なにせ留学経験があるんだもの。美月ちゃん、がんばって!」
「ええ~!」
もう美月様はパニック状態で、自分が何のためにここへ来たのか頭から飛んでいる。よかったよかった。あとは残りの昼休みを年頃のあたしたちらしい『コイバナ』とやらに費やせばいいのだ。
まさかこんな青春じみた時間が迎えられるとは……。
しみじみと感慨深く思っていると、それを邪魔する無粋な声が飛び込んできた。
「あーっ、見つけた、アキラ! ごめんな、ちょっとお邪魔します」
きゃあ、というかわいらしい歓声と近づいてきた足音に、あたしは一瞬で現実に戻された。
「……せっかく楽しくおしゃべりしてたのに……」
「そりゃ悪かった」
恨みがましくいうと、その相手 ――――― 池ノ内は気にしたふうもなく言った。ただでさえこちらに注意を向けている生徒たちが多かったというのに、これで完全にあたしたちは見世物になってしまった。
「なんなんですかぁ」
「なぁ、補佐の補佐辞めるって本当か?」
ああ、もう、タイミングが悪いっ。せっかく話がそれてたのに、美月様が正気に戻ってしまうじゃないか!
「そーだよ、ホント。辞めるよ」
「やめろよ」
「はいはい、辞めるってば」
「辞めるのやめろって言ってんの!」
あれ。
あたしはお弁当をつついていた手をとめ、あらためてまじまじと池ノ内を見た。声を荒げるとは、なんだか池ノ内らしくない。そう思ったのが伝わったのか、本人もしまったというように顔をしかめる。
「あー、ごめん。怒ってるんじゃなくてさ」
池ノ内は空いている椅子を引き寄せ、あたしのそばに座った。思わぬ人物の登場に驚いたのか、あとあとの嫉妬や揶揄を恐れてか、あからさまに上都賀さんの表情がひきつっている。せめて上都賀さんに被害がいかないようにしよう、とあたしは甘えた声で言った。
「なに。先輩、あたしがいなくなるのさみしい?」
「うん」
「うん!?」
池ノ内はまさかの即答。
「なぁ、白河からも言ってやれよ」
「えっ、あっ、そうですよね」
はっと意識を取り戻した美月様は、あたしと池ノ内を交互に見ながら口ごもっている。そこへ上都賀さんがぼそぼそと何やら耳打ちし、またぱっと美月様の耳たぶが赤くなる。
「……なんか、援護射撃は望めない感じか?」
何かを察したらしい池ノ内は、はぁ~っと大きく息をついた。
「アキラ、お前雨宮副会長とヤリあったんだって? 頭固いとこあるからさ、悪い人じゃないんだけど。あんまり気にするなよ」
「ぜんぜん気にしてないけど。でもこれ以上こじれるのは面倒」
「要も冷たくてな、お前の説得に行くのも勝手にやってろって。友達がいないよな。あ~あ、アキラ、辞めるの?」
「しつこーい」
これみよがしにまたため息。池ノ内は購買のパンの袋を開けながら、ぶつぶつと愚痴を言い始めた。ここで食べていく気らしい。
「つまんないなー、お前がいる生徒会、気に入ってたのに。会長に止められても、お前の餌付けちゃんとしとけばよかった。そうすればまだ引き留められたかもしれないのに」
なんだ、その言いぐさは。
「あのさ。あたしが去るのを惜しむ気持ちは当然として、先輩はあたしをペットか何かだと思ってない? 正直先輩は好意的に迎えてくれてたから嬉しいは嬉しいんだけども」
「ペットなんて思ってない。俺、男兄弟の一番下だからさー。妹ほしかったんだよね」
「そりゃ、あたしみたいな妹いたらサイコーでしょうけど」
「俺だったらすげーかわいがるよ」
「……ああ、そう」
なんというか、池ノ内はストレートすぎてちょっと引く。本当にそう思ってる? と聞き返したくなるのだ。鷹津のとは別の意味で腹の底が読めない男だ。
本気であたしがいなくなるのを止めようとしてくれているようにも見える。なにか下心あってのものなのか、純粋なやさしさからか。それがわからない。
「よくない? 妹と二人で外歩いて、恋人に間違えられるシチュエーションとか。俺そういうのすごく憧れる」
「兄がいないもんで、よくわかんないわ」
「そっかー。お兄ちゃんって呼んでもいいぞ」
「誰が呼ぶか!」
「どうでもいいけど、そのふりかけごはんうまそうだな。一口くれ、妹よ」
「あげない!」
結果的に言えば、その後週末までは本当に何も問題なく事は進んだ。
白河アキラは生徒会から逃げ出し、奉仕活動からも逃げまくった。東条と深い付き合いがある、とのことだったが、真偽のほどはわからない。だが類は友をよぶときく、そうであってもおかしくはあるまい。
それが学園内での共通の理解になったとき、ついに学園の悪魔の汚名挽回(間違いではない)に成功した。池ノ内もあきらめたのか、あれきり顔を出さなくなった。
美月様のほうも首尾は上々、池ノ内来襲があった放課後から、本当に鷹津の送迎車に乗って白河家まで送られてきたのだ。おかげで美月様はこの上なくご機嫌、というかハイテンションで、少し心配になるほどだ。あたしと敬吾さんはこれを危惧していたのだけれど、水音様のこともあるし、まあ良しとする。
そこであたしが何を思うかといえば。
「あたしって、ものすごい自意識過剰?」
恥ずかしくて穴があったら入りたい。
あたしは離れの自室で正座をし、両手で顔を覆っていた。
「やっぱり鷹津のこと勘違いだったかも。止めてくるかなーとか思っててバカみたい。スルーじゃん、何事もなかったかのようにスルーじゃん。池ノ内だけだよ、それも一回だけだよ。風紀にまでタンカきったのに。はーずーかーしーいー!!」
そう、鷹津は一切口を出さなかったのだ。
美月様いわく、あたしが辞めると伝えたときも「そうか」と一つ頷いて何事もなかったかのように仕事を始めたという。それ以来話題にも上らないらしい。
ただでさえ鷹津の心象が悪そうな風紀に気を遣い、近寄らないようにしよう、東条の家のことはほとぼりが冷めたころに改めて伺って話をするとしよう、と思っていたのに。せっかく鬼の形相の城澤と必死になる子犬の松島から逃げまくってたのに。これじゃ鼻で笑われる。
ましてや美月様が妬いちゃうから、と生徒会を辞めたなんて口が裂けても言えない。
「アキラ様、落ち着いてください」
「だってだって!」
「いいじゃありませんか、面倒がなくて。三舟さんから聞いたところでは、鷹津様は実に紳士的に美月様にふるまっているようですよ。このままならうまくいくのではないか、とも言っていました。奥方様も機嫌がいいとか」
「それは喜ばしいんですけどォ。よかったー、敬吾さんに言わないでよかったー!!」
不幸中の幸いといえば、敬吾さんに「鷹津はあたしのこと嫁にするつもり」なんて頭のおかしいこと言わないで済んだ、という点だ。もし口にしていたら、今頃あたしは雪山で氷漬けだ。
「俺はこうしてまたアキラ様がお早くお帰りになって、いっしょにお茶が飲めるのがとても喜ばしいです」
その言葉に救われる。
たしかに、生徒会の雑務をこなしてからの帰宅ではすぐに夕食の時間になってしまっていた。平日にゆったりと時間がとれるのは久しぶりのことだ。
「辰巳、あたしも嬉しい。そうだな、物事はよい方にとらえよう」
「はい」
「さて、そろそろお帰りの時間かな。お顔を見に行ってくる」
よっこらせーと気持ちを切り替えて立ち上がると、あたしは母屋に向かった。
だしと醤油のいい匂いに夕食のメニューを想像しながら廊下をわたっていくと、ちょうど美月様が玄関を開けたところだった。
「ただいま帰りました!」
「お帰りなさい、姉さん」
読み通り、とあたしがにっこり笑うと、美月様はとろけた笑顔で返してくれた。
「ただいまぁ、アキラ! 今日もねぇ、篤仁先輩に送ってもらっちゃった! 今日はいろいろお話できたの。先輩はねぇ、猫より犬派なんだって」
高校生の男女がなんの話をしているのやら。いや、美月様らしいといえばらしいのか。
外まで迎えに行っていた三舟さんも苦笑している。
「生徒会のほうは変わりない?」
「うん、問題ないよ! あ、でもちょっとみんなさみしそう。やっぱりアキラがいないからかな」
「それはねぇ。アイドルだったから。でも、アイドルに引退はつきものなんだよ」
「なにそれぇ!」
朗らかな笑い声を聞きつけたのか、「美月、お帰りなさい」と水音様が階段から降りてくる気配がする。あたしはすぐさま美月様にあいさつをするとその場を立ち去った。
まったくもって問題ない。
すべてはうまくいっている。
そう、気味が悪いほどに。
夕食後、まったりと辰巳と過ごしていると、不意にジリリリリ、と鋭い呼び出し音が鳴った。
びっくりしてキョロキョロとあたりを見回すと、辰巳が音の発信源をかばんから取り出してくれた。
しばらく鳴ることのなかったあたしのスマートフォンだ。
「あっれ、雀野だ」
しまった、つい番号を消し忘れていた。
あれきりお互い連絡をとることもなかったが、いきなり何の用だろう。
「もしもし?」
あたしがいぶかしみながら通話ボタンをおすと、早々に雀野は言った。
『薄情者ではなくて、今日僕は辰巳さんと話がしたいんだ。いつもみたくスピーカーでいいから、かわってくれ』
「は?」
「俺はここにおります、雀野様」
『夜分遅く失礼します』
「とんでもありません。俺に御用とはなんでしょう」
『ちょっと愚痴を聞いていただきたくて』
「なんなりと」
「え? なに? 何が始まるの」
二人でポンポンと進む話についていけない。
『僕の知人はなんとも薄情なんです! もうメリットはないだろうから連絡を絶とうだなんて言うんです』
「おや」
『打算から始まった仲ではありましたけど、かかわるうちに少しばかり友情が芽生えてたのかな、なんて思っていたのに』
「それはショックでしたね」
『はい、それはもう。その知人は、この前なにかトラブルがあったみたいなんですけど、それも僕には黙ったきりで相談もしてくれなくて。その原因というか、意図はなんとなくわかってるんですけど、それでもなにか一言言ってくれてもいいと思いませんか!?』
「そうですね。雀野様はなにか働きかけてみたのですか」
『うっ……。いえ。僕も意地になって連絡しませんでした。向こうから何か言ってこないかなって期待も少しばかりありましたし』
「なるほど。そのままになってしまったのですね」
しらじらしい。
この会話の合間に、あたしは「もしもーし」とか「ちょっとー」とか口をはさんでいるのだが、まったく相手にされていない。ひどすぎる。
なにが僕の知人、だ。まるっきりあたしのことでしょうが!
それを芝居じみたかたちであたしをチクチク非難し、辰巳に告げ口するとは。これだから雀野は雀野なのだ。
「それで、今日はどうしてまた?」
『本当に連絡してこないから辰巳さんに愚痴を言いたくなったのが一つと、たぶん知人が知らないんじゃないかという情報提供を、と思って』
「なんでしょう」
『白河さんは篤仁と親密になってきたとは思う。あのわがまま俺様がお世話をやくくらいには。でも、ガードは堅いよ。絶対に二人っきりにはならない。白河さんを送る車には生徒会全員乗ってるくらいだから』
「えっ、そうなの!? みんなで帰ってるの!?」
むくれるのも忘れて声をあげると、今度ばかりはきちんと返事をしてくれた。
『今日は君のとこのお手伝いさんが白河さんを迎えに車のそばまで来てたんだけど、生徒会勢揃いの車内を見て一瞬驚いた顔をした。やっぱり知らなかったんだね』
ようやくまともに会話が成立したが、それを喜ぶ気にはなれない。
まさかみんな仲良くのご帰宅だったとは。
それではちょっと話が変わってくる。
「貴重な情報、ありがとうございます」
『いえ、とんでもないです。さ、これで僕のありがたみもわかったかな? というか、間近で白河さんが篤仁にポーッとする様見せられてもう辛い。吐き出し口もなくなるとより辛い。バカにしてもいいし、どうでもいい内容でもいいから、僕とこうしてしゃべってくれてもいいと思う』
結局本音はそこなのだろう。ようやくあたしにむかって告げられた言葉にあたしはぷっと吹き出すと、見えない相手に頭を下げた。
「ごめんなさーい、雀野大明神! 助かるよ、悪かった、このとーり」
『……見えないんだけど』
「あたしも友情感じなかったワケじゃない。ただ、雀野のこと応援できないのに悪いかなーって思ったから」
『応援なんて、最初から期待してない。ちょっとしか』
素直な答えに少し笑うと、雀野は一呼吸おいてから静かに言った。
『友情にもメリットデメリットは存在する』
「え?」
『その人といると楽しいっていうメリット。その人のイヤな面につきあうデメリット。友情って、メリットのほうが勝っている状態のことじゃないかな』
ぽかん、とあたしは口を開けて黙り込む。
悲しいかな、あたしにはまともな友人がいない。
同じくきっとあまり友達がいないだろう雀野の言葉は信用するには難しいが、そうなのかな、とも考えさせられた。
ちらりと辰巳の顔を盗み見ると、待ち構えていたようにニコリと微笑まれた。なんだか照れくさい。
『僕と君との関係は、僕にとってはメリットのほうが勝る。君にだってメリットはあるだろ。だから電話くらい付き合ってよ。それくらいの友情感じてくれたっていいだろ』
「……うん。ごめん」
するりと出た言葉に自分でも驚いてしまう。疑り深く卑屈な雀野は、あたしがきちんと反省していることを正確に読みとってくれた。
『わかればよろしい、許してあげよう。僕は君より一年長く生きてるんだからね。それくらいの分別はあるさ』
「人生の先輩、超エラそうなんですけどォ」
『ま、たったの一年だからね。そこまで大人じゃない』
呆れたあたしが顔をしかめると、なぜか辰巳は満足そうにうなずいた。
なんだか二人に謀られた気分だ。
でも、悪くはない。
「それならさ、また連絡してくれるワケ? 有益な情報をお願いします」
『いいよ、篤仁との仲をせいぜい邪魔してやるさ。その結果報告をさせてもらおう』
「愚痴で終わらないといいけどねー」
『がんばるよ。あ、そういえば君、雨宮さんとの喧嘩騒ぎは大丈夫だった? あれ以来、雨宮さんも妙に挙動がおかしというか、落ち着きがないんだけど』
「ありがと、先輩。別に問題ないよ。いつもみたくあたしのことバカにしておしまい。おかげですんなり辞めることができました」
『君の狙い通りってことか。じゃあ、あの東条彰彦と交際してるっていうのは? 君、ああいう人が好み?』
「あっははは!」
まさか、雀野とも『コイバナ』ができるとは!
あたしの青春も捨てたものではないようだ。
「東条とは話したことあるけど、親しいってほどじゃないよ。でも悪いヤツじゃない」
『やっぱり違うのか。というか、それも君が狙ってまいた噂なのかな』
「あら」
読まれてる読まれてる。
『安心してよ。別に誤解を解いて回るようなマネはしないから』
したり顔をしているであろう憎らしい雀野に、あたしはなんて切り返してやろうと頭をひねっていたほんのわずかな時間のこと。
『えっ!? なんで』
「ん? 雀野?」
突然音に雑音がまじり、雀野の声が遠くなる。
電話口のむこうで何かあったのだ。
「どうした? 雀野?」
あたしの呼びかけにも反応がない。
何もできやしないのに、あたしはつい卓上のスマートフォンに身を乗り出してしまう。
「雀野!? 大丈夫?」
なんだか不安がこみ上げる。
いやな予感がする。
それは、嵐がおさまったのかと油断していたあたしを懲らしめるかのような、いやな予感。
『ミツがこそこそ誰と話しているかと思えば、まさかお前とはな』
ゾワっと肌があわ立った。
ミツという呼び方、この口調、この声、そして電話口からでも伝わるこの存在感。
『一週間猶予をやったのに、お前は一言も弁解に来なかった。それなのにミツとは楽しくおしゃべりか。覚悟はできているんだろうな』
――――――――――――― 魔王、鷹津篤仁。たいへんお怒りのご様子。
ご意見、感想をお待ちしております。