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不良と悪魔の怪しい取引




 じりじりと照りつける日が肌を焼く。あたしは日陰にしゃがみこみ、目の前の草を気まぐれにブチブチとむしっていた。

 日本の一般的な高等学校では、校内の清掃は生徒によって行われているという。しかし当然のように鳳雛学園内の掃除は雇われ清掃員たちにまかされており、生徒は箒塵取りに触れる機会さえない。

 つまり、草むしりという行為は鳳雛学園の生徒にとって屈辱以外の何物でもないのだ。


 風紀委員会からのお達しにより、あたしには一週間の校内清掃が課せられた。軍手とゴミ袋が支給され、伸びかけの雑草をむしってこいと放り出されたのだ。ちなみに女生徒の風紀委員がわざわざジャージまで持ってきていた。あたしが体育をサボりまくり、体操着を持参していないこともバレていたらしい。

 おかげであたしには生徒会室へ行かない口実ができたというわけだ。


 土いじりを屈辱に思うほど高潔な気質ではないが、何分育ち方が育ち方。あたしも他のお嬢様方と同じで、草むしりなんてしたことがない。

 なにこれ。むしってどうするの。

「こんな壁の隙間からよく生えてくるな……。雑草魂とはよく言ったものだ」

 そんな独り言を言っていると、短パンのポケットの中のスマートフォンがぶるぶると震え始めた。

 そのまま無視すること約一分。

 あたしは相手のしつこさと振動の不快感に負け、しぶしぶと軍手を外して通話ボタンを押した。

「……はーい」

『ようやく出た! 僕が昨日から何度電話かけたと思ってるんだよっ』

「あーもう、うるさいなァ。こっちも忙しいのー」

『うう、そうだろうね……。ゴメン……』

 テンションの落差の激しさに、相手の動揺が伝わってくる。


 面倒だなァ、とあたしは隠しもせずにため息をついた。昨日はいろいろとありすぎて、カバンにいれたままのスマートフォンをすっかり放置していた。今朝になって着信履歴をみれば、画面いっぱい雀野の名前で埋められていたのだ。

「今どこからかけてる。学校内でしょう」

 聞かれてもいいのかと問うと、雀野は口早に言った。

『大丈夫。音楽科の個人練習用防音ルームだから。それより、なんで今日は生徒会室に来ないんだ』

「姉さんに伝言頼んでたでしょ。あたしは今日から一週間学園内の奉仕活動に努めなきゃいけないの」

『君だったらそんなの素直に聞かなくてもいいじゃないか。篤仁も表には出してないけど不満そうだった』

「勝手言うなよ」

 あたしが苦笑すると、雀野はため息まじりに泣き言を言った。

『だって今日の白河さん、いつも通り天使なのに篤仁のこと見るたびに人間みたく頬真っ赤に染めるんだ。やっぱり昨日のことが原因? もう天使の心は奪われてしまったのか?』


 何をバカなことを、と突っ込む気にもなれない。悲しいかな、雀野の言いたいこともわかってしまう。

 美月様は降ってわいた鷹津との縁談話にあたしへの嫉妬心もすっかり忘れてしまったようだった。今日は朝からどこかフワフワとしていて、時折切なげに長い睫を伏せている。あたしが生徒会室に行かないことがわかると、とたんに不安と期待ないまぜの表情を浮かべていたものだ。

「わかってるだろうからハッキリ言うね。ウチの意志は固まった。あたしがこれからすることは、見張りじゃなくて愛のキューピッド役だよ」

 雀野と違い、あたしは誰かに聞かれる可能性のある校舎裏だ。具体的な名詞を避けてはいるが、雀野には十分通じるだろう。

 白河は鷹津篤仁を婿に迎えるための根回しを始めていた。あたしはもっと直接的に鷹津と美月様を結びつける手助けをしていく。

 鷹津を牽制するという、雀野の望む立場にはもう立てない。


『……白河さん自身がそう望んでいるんだね』

 雀野の真剣な声音に、あたしも本気で応えた。正直なところ、雀野の想いが叶うことはないだろう。今までさんざん非道な手段で美月様に下心を寄せる連中を追い払ってきたが、少しばかり世話になった雀野に同じことはできなかった。

「あたしはあの家を守るためにいるけれど、姉さんの意に沿わないことはしない」

『わかったよ』

 取り乱すことなく冷静に答えた雀野に、あたしは淡々と続けた。

「もう生徒会室への出入りもやめる。この電話番号も消しておくから心配しないでほしい。私的に話した内容を言いふらすつもりもないし、ヘタレだの根暗だの根性悪だのと悪評を流すこともしないから」


 あたしとの関わりをなかったことにしよう。

 そう言ったつもりだった。

 しかし、なぜか雀野は妙なことを言い出した。

『え、なんで』

「なんでって」

『なんで来なくなるんだ』

 まさか美月様があたしに妬くから、なんて言えない。だが鷹津への牽制をやめる以上、雀野のメリットはないはずだ。

『いいじゃないか、このままいれば』

「いや、ちょっと諸事情があって。あたしも忙しくなるから」

『まあ、立場上そうなのかもしれないけど。百歩譲って補佐の補佐を辞めるとしても、なんで僕の番号を消す必要があるんだよ』

 雀野の言葉に険はない。本気で不思議がっている。それがあたしには不思議だった。

「もう意味ないじゃん。あたしはそっちに不利になるようなことしかしないんだよ」

『え? そう、かもしれないけど』

「そうだよ。もうこうして話すこともないよ」

『困るよ!』


 あたしは突如あがった悲鳴に、少しばかり耳からスマートフォンを離した。

「びっくりしたー。なに、どしたの」

『だって、君がもう僕と話さないっていうから』

「なにそれ。やーん、センパイ、あたしともっとお話ししたいって思ってくれてるのー?」

 鼻にかかった甘い声でからかうと、雀野はしばらくの沈黙の後、小さく「バカ」とつぶやいて電話を切った。

 ツーツー、としか言わなくなったスマートフォンに、あたしは少しばかりの寂寞を覚えた。

 もうこれで雀野と話すことはないだろう。

 雀野のネガティブな性格を笑い、あたしの世間知らずを笑われ、時折辰巳に突っ込まれながらくだらない話をするのは悪くなかったけれど。

 しかし、つまらない感傷にひたっている暇はない。あたしはスマートフォンを無意味に触りながら、軍手をしたままの左手で適当に草を引っ張るふりをする。草むしりをサボりながら、定刻になるのを待っている生徒の演技だ。

 なぜそんなことをするのかといえば、今日ここでおとなしく草をむしっていた理由、その人物が近づいてくるのが見えたからだった。


「ちっ、またお前かよ……」

「そうイヤな顔しないでよ、せーんぱい」

 あたしは満面の笑みを浮かべて、眉間に深いしわを寄せる東条を見上げた。




「今度は罰則の草むしりだァ? お前もバカだなー」

「不良丸出しの先輩に言われたくないんだけど。そっちはどう逃れたの?」

「検問張ってんのがわかった時点で自主休校だっつの」

「不良~」

「ばーか、お前はおりこうすぎるんだよ」

 東条は小馬鹿にしたようにせせら笑い、くるっと背を向けてしまった。

「え、行っちゃうの? ちょっと付き合ってよ、あと一時間はここで草むしってないといけないの」

「ヤだね、お前のそばにいるとろくなことねぇ」

「そう言わずに。イチャイチャしようよォ」

 べっとつれなく舌を出す東条の後ろ手には、細長い紙袋が握られていた。


「何もってるの」

「あァ? べつにィ。お前に関係ねーだろ」

 そう言うくせに、東条はこれ見よがしに袋を振り回す。

「気になる。見せて」

「まーったく、鼻がきくなァ、お前。でも見せたらタカってくるだろうからイヤだ」

 誘っているとしか思えないセリフに、あたしはパッと立ち上がり、東条に飛び掛かった。しかし東条もそれを読んでいたようで軽々身をかわす。

「ばっか、あぶねーな」

「もったいぶるそっちが悪い!」

「ったく、しょーがねーなー」

 東条はしぶしぶといった態を装い、わざとらしくあたしを手招きした。

「おら、見ろ」

 のぞきこんだ紙袋の中には、紅白の細長い棒状の包が一対入っていた。ちょっと暗いが、そこに鶴と亀が描かれているのは十分わかった。

「これ……!」

 美月様の七五三のお参りの際、一本わけてもらったことがある。

 あたしはその味が今でも忘れられない。


「いーなー!」

 それは演技でもなんでもなく、ここに何しに来たのかすっかり忘れて飛び出た言葉だった。

「だろ? お前なら絶対そういうと思った」

「いーなー!!」

 くやしいが仕方ない。これはうらやましい。

 そう、中に入っていたのは七五三のお祝い用のお菓子、千歳飴だ。

 さらし飴と呼ばれる昔ながらの製法で作られたその飴は、あたしお気に入りの棒付飴とはまた違った素朴な味わいがある。

 ぜひともまた食べたい、と思っていたのだが、何しろシーズンが関係する品物だ。さらに近年はミルクだのいちごだのとよくわからない味ばかりが増え、ごくごく単純なものは一般的な店では手に入らない。

「今夏だよ!? どこで買ったの」

「これはなー、ただのブツじゃねーぞ。川越の老舗手作り飴屋の一品だ。そこなら年がら年中売ってるんだよ」

「成分表見たい。砂糖と水飴だけ?」

「と、赤の着色料な、当然。ミルク入りは邪道だ」

「わかってるじゃないか……!! ね、赤いのちょうだい」

 あたしは恥じらうことなく軍手を投げ捨て、両手を差し出した。

「やーだーね。どっちも俺んだ」

「やだやだやだ! ちょうだいちょうだい!」

「うるせーなー」

「いいじゃん、二本も食べられないでしょ。意地悪するなら舐めて尖った先端で突っついてやる!」

「なんでお前も食う前提なんだよ」


 しゃあしゃあと言う東条は実に意地悪気で、それでいて楽しそうだ。根っからのいじめっこだな、こいつは。

 あたしは千歳飴を狙いつつ、本来の目的につながる会話の糸口を探していた。

「二本なめるのにどんだけ時間かかると思うワケ。っていうかカバンも持ってないし、なんで学校に残ってるの」

「俺の勝手だろ?」

 そう、東条の勝手だ。

 だが、あたしはなぜ東条がそうするのかの理由がわかる。

「ふぅん。それって中学時代までは警察のご厄介になることもしばしばだった先輩が、どうして高校生になってからおとなしくなったのかってことと関係ある?」

 ぴたりと動きを止めた東条の顔をのぞきこみ、あたしは続けた。

「東条先輩のお父様さァ。出身は北陸だよね」

「……それが?」

「東条の家って、その前は東北にいたんじゃない?」


 ほらあのあたり、と詳しい地名まで言ってやると、東条はすうっと笑みを消す。泣く子も黙る、というか失神しそうな凶悪な面だ。

「何が言いたい」

「飴の件とは別に、ちょっとご相談がありまして」

 あたしが切り出すと、東条は一層凄みを増す強面でうなずいた。

「いいぜ、イチャついてやるよ」

「ありがとうございます。ちょっと移動しましょっか」

「あ?」

 あたしは東条の腕にだきついてから小声で言った。

「誰かが通るかも。話、聞かれたくないでしょ?」

「……わかった。こっち来い」

 仲の良い恋人同士のように、あたしたちは寄り添って歩いた。軍手やゴミ袋はその場に放置だ。


 あたしたちが向かったのは廃棄寸前の用具が置かれた、屋外に設置された物置だ。薄暗く埃っぽいが、ここなら二人きりで話ができる。

 擦り切れた体育用のマットにポスンと腰を下ろしたあたしは、睨み付けてくる東条を見上げた。

「いいね。逢引って感じ」

「俺のこと調べたのか」

「まーね。でもそれぐらいこの学園じゃ普通だ。怒んないでね」

「怒ってねーよ。それより、俺がなんでおとなしくしてるかって?」

「はい。酒にタバコに喧嘩に女って四拍子そろった噂ばっかり聞いてたけど、実際は違いますよね。ま、実際のとこは知らないけど、少なくとも表ざたになるようなマネは一度もしていない。なんでだろーなーって思ったんですよ」


 東条はこれまで公立の学校を出ている。これは鳳雛学園の生徒にしては珍しいケースだ。なぜなら鳳雛学園に通うレベルの人間は幼稚舎からのエスカレーターか、鳳雛に匹敵する名門私立学校卒業者がほとんどだからだ。ちなみにあたしと美月様は後者にあたる。

 ここ十数年で伸びに伸びた東条家はいわゆる一代成り上がりのため、二代目を担う東条彰彦がハクをつけるためにこの学園に入り込んだ、というのが共通の理解だろう。しかし、その本心はどこにあるのか。あたしは風紀との接触により、その答えを見出していた。

「東条先輩さ。素行うんぬんというより、風紀委員、いや、城澤のことすっごく気にしてるよね」

 東条は黙ったままだが、その沈黙が何よりの返答だった。


 城澤の家は、江戸時代末期に家老職についていたほどの上級藩士だ。彼らの属していた藩は幕末の戊辰戦争の折り、朝敵と呼ばれ不遇な目にあうことも多かった。そんな中、明治に入って持ち前の教養で大学教授にまで成り上がり、同郷者たちを支援してきた城澤家は、今も結束力の強い旧藩士たちの中心になっている。

「東条家ってさ。その藩の出なんでしょう。一応、武家ってことでいいのかな」


 事実として東条家がその藩に籍を置いていたことは調べがついている。だが、幕末の動乱の際にどう動いたのかまではつかめていない。城澤や松島も東条の家が同郷であることに気づいていないだろう。

 以前から城澤への態度に怪しさを感じてはいたが、調査結果が出るまでにかなりの時間を要してしまった。それくらいに取るに足りないちっぽけな家なのだ。だが、そういう人間に限って、なぜか欲しくなるものがあるらしい。

「ね、昔の仲間とのつながり、ほしくない? あたし実は城澤とけっこう仲いいんだよね」

 成り上がりが欲しがるもの、それは歴史に裏付けられた立派な後ろ盾、認められる深いつながり。


 ああ、なんてあたしは下衆なんだろう。

 自嘲ものせた嘲笑が浮かぶ。東条はそれをどう見るだろうか。


「はっ」


 東条は鼻を鳴らすと、あたしに千歳飴の赤い方を放り投げた。

「バカ言ってんじゃねーよ」

「……魅力は感じない?」

「俺の家なんて、戦争になるっていうんで一目散に逃げ出したどうしようもない下っ端だ。逃げたことにも気づかれないくらいのな。そんなヤツが今更つながりをほしがるなんてバカげてる」

 自分は白い方を袋から開けると、あらあらしくバキンと歯で折ってしまった。もったいない、じっくり舐めるのがおいしいのに。

「会ったこともねぇ主君相手に忠義を尽くし、今もずるずる傷なめあってるなんて気持ちが悪いにもほどがある。今更藩主だろうが家老だろうがありがたくもなんともねーよ」

 これは、まずい方向にいっているかな。

 東条自身は、東条家のために行動することをあまりよく思っていないのかもしれない。

「でも、はばかりがあるからイイ子にしてるんでしょう」

 あたしがそう言うと、東条は飴をかみしめてあたしに向かって腕を伸ばした。

 拳一発もらうくらいの覚悟で口にした。

 暴力沙汰は本当に勘弁してもらいたいし、逃げ出したいのだが、あたしは腹をくくっていた。それくらいイヤなことを言っている自覚があったからだ。

 それでも怖さはあるから、反射的に目をつむってしまう。

 グラリと傾く体、倒れる感覚。

 あたしは肩を掴まれてマットの上に押し倒されていた。


 間近に迫る東条の顔は猛々しいが、どこか悲しくもあった。

 ああ、あたしはこの人を今傷つけているのだな。そう思った。

 東条はくわえたままの折れて短くなった飴を、顔を更に寄せることであたしの口に突っ込んできた。

「それ舐めて黙ってろ」

 あたしは無言でうなずく。

「俺の親父も大バカ野郎でな。我が家は藩士だっただの殿を守ってただの寝言言いやがる。そのくせ肝心な時にご奉公できなかったってのが後悔なんだと。いつか必ず報いるのが悲願なんだと。それが金ころがしに成功した今だと思ってる。信じられねーだろ。人脈つくりてーとかそういうんじゃなくて、ガチでそう思ってんだぜ? だから旧藩士の集いにも名乗り上げず、匿名で資金援助したりして。何に報いるつもりだよ、なんもしてもらった覚えなんてねーよ」

 口の中にじんわりと甘味が広がる。

 固さはあるが、重さはない。激しい主張のないかわりに飽きのこない柔らかでやさしい味わいだ。

「金積んでここに入学したのだって、あの城澤がいるからだ。陰ながらでいい、どうにかあいつの助けになれ、少なくとも迷惑はかけるなってさ。親父には男手一つで育ててもらった恩がある。だが我慢ならねーこともある」

 あたしが抵抗しないことがわかったのか、東条は肩をおさえつけていた手をあたしの頬へと滑らせた。意外なことに、ひどく優しい手つきだった。

「お前も親父と同じだ。あんな頭の悪いヘラヘラした女に頭下げて、何の意味がある。アイツは何にもわかっちゃいねーぞ。お前の必死さ、健気通り越してイライラする」


 ああ、そうか。

 あたしは先ほどまでの恐怖心が消えているのを感じた。おかげでこんな挑発的なセリフもポロっと言えてしまう。

「けなげは、どっちかな」

「なんだと?」

 飴をくわえたままなので発音はままならないが、きちんと通じていた。

 あたしはゆっくりと手で口から飴をとりだし、言った。

「まず先に、安易に城澤とのパイプつくりの手伝いを申し出たことを謝ります。どうも先輩のご尊父様は、そんな目先の欲を優先する方ではないようだから」

 東条の眉間のしわが深くなる。怒っているわけではない、と思う。彼はただの悪人面なのだ。

「気に入らないのかもしれなけど、先輩は父親を、父親の想いを大切にしているから、こうしているんでしょう。喧嘩を売られることのないよう、難癖つけられることのないよう、飴舐めながらひっそりと学校で時間をつぶしてる」


 東条のことを探っていてわかったことだが、この男、運が悪い。

 風体も悪いのだが、何かとからまれやすいようなのだ。警察のご厄介といっても、喧嘩に遭遇したり、生意気だと襲われたりしたところをついつい過剰防衛(という名の返り討ち)してしまった結果のことらしい。鳳雛学園においては十二分に受け入れがたいことなので不良扱いされてしまうが、実質は不良と呼べる男なのだろうか。

 おそらく東条自身自分の性質をわかっているので、だらだらとすることもなく学校に残っているしかないのではないか。

「健気な先輩」

 あたしは小さくほほ笑んだ。

「……お前、今の状況わかってんのか」

「なにが?」

「密室で二人っきり。喧嘩売ってきやがって、何されてもわかんねーぞ」

 わざとらしい脅し文句に、あたしの笑みは深まるばかりだ。

「何もしないよ、健気な東条先輩は。あたしはあたしを拾ってくれた姉さんに恩を感じてる。恩義ある相手を悲しませるようなことはしない。先輩もそうでしょ」


 子どものように、くしゃりと眼前の顔がゆがむ。

「……くそっ」

 東条はあたしの手から飴を奪い取って身を起こすと、隣にどさりと座った。

「生意気だ。むかつく」

「そう言わないでよ。ごめんね、東条先輩」

「うるせぇ」

 すっかり機嫌を損ねてしまった東条は、ガリガリと音を立てて飴をしゃぶっている。

「バカにしてるんじゃないんだ。ただ、ちょーっと取引できないかなァと思って。残念、アテがはずれちゃった」

 あたしが肩をすくめると、東条はまた鼻で笑った。

「お前に利用されるとか怖すぎるわ、どんな目にあうかわかんねー」

「そこまでじゃない。でもまずいなァ、どうしよっかなァ」

 のんきに言ってはいるものの、困っているのは本当だ。

「しかたない、他の手を考えるか。飴はもらっちゃうからね、あとでなんかお礼するね」

 赤い千歳飴を持って立ち上がろうとしたところ、東条があたしの手をつかんでマットにまた引きずり戻した。

「わっ。なに?」

「……別に、イヤだとは言ってねーだろ」

「なにが?」

「や、だから……。城澤と、その」

 東条は口ごもり、また飴をガリガリとやり始めた。


 え。

 なに、こいつ。

 さっき大口たたいときながら、そういうこと言っちゃう?

 まじまじと東条を見つめていると、彼は心底苦しそうに本音をしぼりだした。

「せめて、城澤が親父のしたこと知ってくれれば、なんか、少しは救われるような気がすんだろ」

「………せんぱーい」

 あたしは愛しさやら何やらがこみあげてきて、ついついぎゅっと腕に抱きついてしまった。

「んだよ! なつくなっ」

「不良だの悪人面だの思ってごめんねー」

「うるせーよっ。飴かえせ!」

「や、返さないし。安心していいよ。ちゃんと城澤と連絡とってあげるね」

 そっぽを向いてしまった東条は、話題を変えようと必死なようだ。

「それで、なんだよ。取引って言ったな。俺に何やらせるつもりだ」

「あ、それなんだけどォ」

 えへ、と小首をかしげてみせると、あたしは聞き流してくれないかなァと希望をのせて言った。


「実はもう始まってるっていうかァ、なにもしないでほしいっていうかァ」

「は?」

 当然ながら困惑したように聞き返す東条。

「明日からちょーっと騒がしくなるかもしれないけど、目をつむっててほしいんだ。それだけ。大丈夫、ちゃんとあとでスッパリサッパリ誤解は解けるから」

「なんか聞き捨てならねーな。何企んでやがる」

「ちょーっと、ね」

 あたしの小首かしげアンド頬に人差し指をあてる決めポーズに、東条は道端の散らかったゴミを見るような視線を向けてきた。




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