暴風雪にさらされる悪魔
身一つで白河家につれてこられたあたしに、自分の持ち物なんてありはしなかった。それでも不自由はなかった。必要なものならなんでもそろえられていたし、美月様のそばにはおもちゃもお菓子もたっぷりあって、美月様は快くそれらを分け与えてくれた。
それでも貪欲な幼いあたしは、「プレゼント」という言葉が大好きだった。その魔法の言葉は、あたしの所有物が増えることを意味しているからだった。
引き取られた当初母屋で生活していたあたしは、よく美月様のお部屋で遊んでいた。そこはステキなものに満ち溢れた、まるで夢のような空間だった。
「やあ、仲良くしているかい。いい子にしていたお姫様にプレゼントだよ」
時折顔をのぞかせる当主様が差し出すきれいな包みに、あたしと美月様の顔が輝いた。中身は新しいぬいぐるみだったり、絵本だったり、クレヨンだったりいろいろだ。いつもそれはそれは素晴らしいものが入っているのだ。
美月様は天使のような笑みをうかべ、「ありがとう、お父様!」と当主様に飛びつく。感謝の抱擁をおえると、美月様は丁寧に包装紙をとく。
さて、ここから先は二パターンに分けられる。
一つ目は美月様がかわいらしい歓声をあげるパターン。
「わあ、嬉しい!!」
美月様はプレゼントの中身を抱えてひとしきり部屋を走り回り、そしてあたしのそばに座る。あたしはそれをソワソワしながら見守っている。
「アキラ、もらっちゃった!」
「よかったですね、ねえさん」
「うん! だから、こっちはアキラにあげるね!」
「ねえさん、ありがとうございます!」
待ってました!と意地汚いあたしは手を差し出し、美月様からそれらをいただくのだ。
当主様からのプレゼントがぬいぐるみなら前からあったぬいぐるみを。絵本なら本棚に入ったままになっていた古い絵本を。クレヨンならちょっと小さくなってしまった使いかけの一式を。
以前の「プレゼント」が、新しい「プレゼント」に押し出されるように夢の部屋から居場所を失い、あたしの手元にやってくる。それはいつのまにか決まっていた約束事だった。
これは当主様の意地悪ではない。主と従者の違いをハッキリさせながらも、幼いあたしに何かしてやりたい、と思う当主様の優しさだったと思う。
二つ目のパターンは、もっとシンプルだ。
「ええー、なにこれー。いらないよォ」
「おや、気に入らなかったかな。じゃあそれはアキラにあげよう」
美月様が不満げな声をあげれば、それはそのままあたしのものになる。
どっちに転んだとしてもあたしは嬉しかった。
美月様から借りなくていい、自分だけのものが手に入るのだから。
実は辰巳との出会いは、この二つ目のパターンによってもたらされたものだった。
十年ほど前のあの日。
白河家での生活にも慣れ、幼稚園から戻ってきた美月様とあたしを、当主様はニコニコ顔で出迎えてくれた。いつもよりお早いお帰りに驚いた覚えがある。
「お帰り、我が家のお姫様」
「ただいま帰りました! お父様、はやかったね!」
「ああ。今日はプレゼントを連れてきたんだ」
その言葉にあたしたちはパアッと笑顔になる。
「うれしい! なにをくれるの?」
美月様は当主様に飛びついたが、なぜか当主様の手にいつもの包はない。
「ふふふ、特別なものだよ。美月たちと一緒に遊んでくれる人を連れてきたんだ」
「えっ、またいもうとが増えるの!?」
美月様はきゃあきゃあとはしゃいだ。
「いいや、違うよ。妹じゃない」
「じゃあおとうと?」
「楽しみにしておいで。さ、応接間で待っている。アキラも来なさい」
「はい」
あたしは美月様と手をつないで当主様のあとに続いた。
「アキラ、嬉しいね! どんな子かな。もう一人いればおままごとがもっと楽しくなるね! 鬼ごっこもかくれんぼもできるよ」
「はい!」
だが、しかし。美月様の無邪気な期待は完全に裏切られることとなった。
「紹介しよう、私の娘だ。美月にアキラという」
当主様に背中を押され、わくわくもじもじと応接間に入ってみれば、ソファに座っていたのは学生服に身を包んだ男の人だった。まだ幼さの残る少年ともいえる年ごろだったが、当時のあたしたちには十分大人に見えた。
ばっと立ち上がった彼は当主様より背が高い。石のように冷たい目でぎろりと見降ろされ、真一文字の唇をほとんど動かさずに出てきた言葉は低いうえに重かった。
「白井辰巳と申します」
「おいおい、子ども相手なんだ。そんなに固くならずとも……」
苦笑した当主様が場を和まそうとしたところで、耳をつんざく美月様の悲鳴があがった。
「うわああああああん!!」
「ど、どうしたんだ美月!」
「怖ァい! 大きい!! やだー!!」
あわてて美月様を抱きかかえた当主様は、必死であやしながら言葉を重ねる。
「怖いことはない、とっても優しい子だよ。これから美月のお世話をしてくれるんだよ」
「やだあああ!! いやあああああ!! ぎゃあああああん!!」
ますますパワーを増す泣き声に、ちょっと失礼、と当主様は応接間を出て行ってしまった。
残されたのはあたしとその男子学生だけだ。
表情こそまったく変えないが、かわいそうにどうしたものかと困惑しているのだろう。そんな相手に対し、幼いあたしはとんでもない行動に出た。
直立不動で困り果てている彼の足もとに近寄り、ズボンのすそをそっと握った。そこでようやくあたしの奇行に気づいた少年は、固い顔であたしを見下ろした。
確かに、ロボットのようで怖い。当主様より大きい。だがあたしの頭は単純で、怖さうんぬんよりも「美月様がいらないと言ったプレゼント」を前に喜びのほうが勝っていた。
「みつきさまがいらないなら、わたしがもらっていいですか」
「はっずかしいなァ、もー……。っていうかあたしバカじゃないの。人間をもらうとか、バッカじゃないの。美月様がいらないイコールもらっちゃおうとかあさましいにもほどがある」
「おかげで俺は白河から追い出されずにすみ、居場所を得ました。あのときのアキラ様は本当にお可愛らしかったです。今も変わっていませんが」
「と、とにかく! 一度美月様は辰巳のこといらないって言ったんだから、それはしょうがないよね!? 辰巳があたしのことばっかり気にして世話やいてくれるのもしょうがないよね!?」
「当然です。俺はアキラ様だけのものですから。アキラ様アキラ様としつこく連呼することになんの問題もありません」
辰巳からのお墨付きをもらい一息ついたあたしは、いつもならば用意されたところで絶対座らない椅子に腰を下ろした。右腕には湿布が張られている。かろうじて包帯だけは拒否したのだ。
「なのに美月様は辰巳と鷹津が似ているっていうんだ。あたしに優しくするのは辰巳だけなのに。鷹津じゃないのに。気持ち悪いよ、似ているはずない、似てちゃいけないのに」
「アキラ様……」
気遣うように名前を呼んでくれた辰巳は、あたしの背にそっと手を添えてくれた。
「さて、少し吐き出せて落ち着きましたか。それなら、今はアキラさんと辰巳くんの関係については置いておきましょう」
「は、はいっ! 失礼しました」
まわりかけていた熱も一瞬でひく絶対零度の視線に、あたしはびしりと凍りついた。
ここは気をダルダルに抜ける離れではない。
敬吾さんの仕事部屋である白河本宅の書斎である。
美月様が帰宅するなり自室にこもってしまったことで、母屋は火が消えたように静まり返っていた。美月様は白河の小さな太陽なのだ。天岩戸を開けようと三舟さんが奮闘しているようだが、いまだ達成されていない。
事態を重く見た敬吾さんによりあたしは呼び出され、なぜか辰巳も同席を求められたのだ。
混乱していたあたしにはありがたく、辰巳に支えられるようにこの場へやってきた。
敬吾さんはあたしが落ち着くのを待ってくれたらしい。
「美月様が言った鷹津様と辰巳くんの類似は、近いけれど別の点でしょう」
「近いけど、別、ですか」
聞き返したあたしに、敬吾さんは淡々と言った。
「アキラさんの見たところでは、美月様は鷹津様に心奪われたようだ、と」
「……はい。好意を寄せているのは間違いありません。今日向けられたのはあからさまに嫉妬心です」
そう、あたしは美月様に嫉妬されたのだ。
おそらくは鷹津などの面々から構われすぎているから。
何事にも素直にものを見る美月様には、あたしがさぞかし「愛され」ているように見えたのだろう。
そんなわけないのに。
「やはり以前と状況が似ていますね、辰巳くん」
「……」
「え」
急に話が辰巳にふられ、あたしはハッと顔をあげた。
「アキラさん。あなたの感傷もいいですが、今は美月様の頭の中を考えてみてください。美月様はあの時も自覚はせずともあなたに嫉妬したはずです」
言われてようやく気がついた。あたしは自分のことしか考えられていなかった。
敬吾さんの言う「あの時」とは、辰巳が正式に白河家ではなくあたしの使用人になった時を指している。
白河家の分家筋の息子だった辰巳は、実家の金銭的な問題のせいで本家へ行儀見習いとしてやってきた。
補足しておくと、白河の一族で優雅な暮らしを保っているのは本家と本家に近しい二つ三つの分家のみだ。白河の強みはその血の尊さだけなので、うすまっていく血に利用価値はない。辰巳もあたしと同じ、当主様に拾ってもらった身なのだ。
「美月様は最初こそ辰巳くんにおびえていたようでしたが、アキラさんと仲睦まじくしている様子をちらちらとうかがっては、うらやましそうにしていました」
敬吾さんが思い出話にはふさわしくないとがった声で言った。
「あの時は美月様の恋情が育つ前に、辰巳くんをアキラさんだけの使用人にすることでなんとか押えましたが……」
小学四年生になったころから、美月様はあからさまに辰巳を意識し始めていた。隣近所の一番身近な年上の異性には、初恋をしやすいのだと三舟さんが言っていた。幼いころには恐怖の対象でしかなかった長身も、石のような動きのない顔も、見た目に反して子どもと遊ぶのが上手で優しく親切なところも、恋に落ちればすべて美点にかわるのだそうだ。いわゆるあばたもえくぼ。
そのころには既にあたしは辰巳べったりになっていたが、美月様はそれをうらやましがり、あたしと遊ぶといいながら辰巳もまきこんで一緒にいたがった。
それくらいの淡い恋心くらいほうっておいてもいいじゃないか、と思うが、美月様を溺愛する当主様と奥方様は真剣だった。辰巳では本家の婿にふさわしくない。距離をおいたほうがいいだろう。
その考えによって、辰巳はあたしの生活費の一部で雇われるあたし専属の使用人になった。そして、あたしの離れでの辰巳との生活が始まったのだ。距離も意識も遠ざけようという作戦だ。
「美月様は、思いを寄せる鷹津がまたあたしにとられたように感じている、ということですか」
敬吾さんは神経質そうな長く節だった指を額にあてた。
「とはいえ、辰巳くんのことはまだ好きでいるのかと思っていましたが……。女の子の気持ちはうつろいやすいものです」
言っていることはかわいらしいのだが、敬吾さんの場合心底迷惑だ、という気持ちが隠れていないので性質が悪い。
「あたしが鷹津のこととるとか、あり得ないじゃないですか」
「当然です」
「なんとかそれをわかってもらないでしょうか」
「効果的なのはアキラさんの説得より、鷹津様自身でしょうね。辰巳くん、わかっているとは思いますが、決して美月様に優しい言葉などかけないように。君への気持ちが再燃する、なんてことになったら本末転倒です」
「はい。俺が美月様に近寄ることはありません。俺が甘やかすのはアキラ様だけです」
「それだけ直に伝えようと呼びましたが、問題なさそうですね。安心しました」
そんな意気込みはしなくていい、と肘でつっつくけれど、辰巳は表情を崩さず真正面をむいたままだ。ええい、頑固者め。
「敬吾さん。実際のところ、鷹津との縁談はどうなっているんです」
あたしが質問すると、敬吾さんはすっとこちらに目を向けた。そこから読み取れるものは何もない。
「どうとは」
「鷹津篤仁は毒気も強く問題もありますが、評価をするなら白河の婿足りうる男だと思います。美月様の気持ちが沿うのならば、話を進めてもいいのでは」
「……そうですね。アキラさんには言っておきましょう」
敬吾さんはノンフレームの眼鏡の位置を直した。
「はっきり言って難航しています。少し前までは、正式にとは言わずとも鷹津当主とそういった話をしていたのですが、今は当主様が話をふってもうまくごまかされています」
「というと」
「放蕩息子と名高かった篤仁様ですが、ご帰国後、縁談話が山のように持ち込まれているそうです。実際に彼を見た人間が彼をどう評価したか、よくわかります。破天荒な行動もありませんし、選び放題の状況から鷹津は急ぐ必要性を失ったのでしょう。美月様のことだけでなく、ここ最近はそういった話をしたがらないとも。おかげで婚約どころか縁談話さえ進まずにいます」
「そんな! じゃあ美月様は」
脈あり、と見ていたのは敬吾さんも同じだと思っていた。話が違うじゃないか、と血の気がひいたあたしは食い気味で聞き返すが、敬吾さんはそれを無視して続けた。
「あるいは、すでにお相手をしぼったのだろう、と言われています」
「すでに、相手を決めた……?」
「憶測にすぎませんが、パーティでの出会いをきっかけに鳳雛学園で一気に距離を縮め、親しくしている女生徒の可能性が高いと噂されています」
「な……なんだ……!! 結局美月様に戻ってくるんじゃないですか」
力が抜け、あたしはずるずると背もたれに体を預けた。
あたしとしては初恋を奪ってしまった負い目が少なからずある。これで鷹津ともうまくいかなかったら、と思うとぞっとする。婚約を望むわけではないが、二度目の恋くらいは美月様の納得するやり方で終わらせてほしい。
「あー、びっくりした。やめてくださいよ、敬吾さん」
「驚かせようとはしていません。縁談は進まず、こう着状態であることには変わりありません。アキラさんの報告も含め、この数か月で鷹津篤仁について調べることは調べました。美月様も望んでいるのならば、いつ縁談が進んでも問題はないでしょう。ただ、水面下で進める必要があるのは今までと同じです」
「そうですか……」
鷹津と美月様が結婚、か。
二人のウェディングを想像すると、美男美女で見た目としては申し分ない。ブライダル雑誌とは違う華やかさと粛々とした厳かさもあって、名家白河の門出にはふさわしいだろう。
「鷹津はアレで面倒見のよい男ですから。なんでも、夫婦とは嬉しいことも嫌なことも正直に言いあうもので、妻には夫に頼って泣きわめいてほしいそうです。素直な美月様とは案外相性がいい面もあるかもしれません」
あたしがポツリともらすと、敬吾さんはギラリと眼鏡を光らせた。
「……アキラさん」
「はい」
「それは鷹津篤仁の言葉ですか」
「あっ、報告が遅れて申し訳ありません、さっき言ったケガの手当の際に、そんなことを」
ケガの話で、あたしはまた自分の悩みに立ち返ってしまった。美月様の婚約の件でせっかく意識がそれていたのに。
「悪い人間ではないと思います。でも腹の底が見えないんです。なぜ、鷹津は自分とあたしを夫婦にみたてて夫婦の在り方を説いてくるのか……」
「……アキラさん」
「はい」
また敬吾さんに呼ばれ、あたしは重たい体をしっかり起こした。そしてびしっと凍りつく。
冷たい。
寒すぎる!
「理解の足りないあなたに教えますので、よく聞いてください」
「は……は、はい」
あたしは思わず辰巳にとりすがろうとしたが、辰巳も敬吾さんにあてられたのか指先を冷たくして固まっている。
「今噂になっているのは、パーティで出会い、学園内で急速に距離を縮めた女生徒です。今、それに該当するのが誰なのかおわかりですか」
「え、それはだから……」
「新たに迎えられた生徒会補佐、そして補佐の補佐なる謎の役職を与えられている女生徒の二人なんですよ」
あたしの開いた口はふさがらなかった。
「あなたが噂にたつようなマネしてどうするんですか。自覚がないのならなお悪い、堂々と学園内で口説かれているなんて」
「く、口説かれてません。誰にも見られていないはずですし」
「確実ではないでしょう、自分のことにも注意をはらいなさい。いくら上がしっかりしていても足もとが崩れれば白河も一蓮托生なんです」
「すみません」
「だいたい、どうして風紀の検査で腕をケガするんですか。不用意に相手を挑発したんでしょう、自業自得です。あなたはやはりどうも厄介ごとを引き寄せる」
「言葉もありません」
いきなり始まってしまったお説教タイムに、あたしはなす術もない。こうなると辰巳にも助けてもらえない。
「まったく、こうなるとあなたの縁談をまとめるほうが手っ取り早い気がしてきました」
眉間のしわをもむ敬吾さんは、珍しく冗談を言った。
冗談……だよね?
「へ、へんなオッサンとこの後家にまわさないでくださいねー。あたしだって考えてるプランとかあるんですから」
ここは冗談で通そうとあたしが作り笑いをうかべると、意外にも敬吾さんは興味深そうにうなずいた。
「気になりますね。どうぞおっしゃってください」
「え?」
「……俺も知りたいです」
「た、辰巳も?」
うっかりと口にしてしまった言葉に、なぜか敬吾さんも辰巳も食いついてしまった。
実は、こっそり胸に秘めていたプランがあることにはある。
しかし、これは確実に敬吾さんを怒らせる。
どうしよう。
「アキラさん。どうぞ」
黙ってしまったあたしを再度促す敬吾さん。
「いえ、ですから」
あたしはじわじわと冷や汗をかきながら、それが凍りつくまえに、と口を動かした。いいや、これは冗談の延長線上。
覚悟を決めた。
「あの、本当ただこうなっていくのが都合いいのかなーって思っただけで。怒らないでくださいね、ただの無駄話です」
「いいから」
「お、怒らないでくださいね!? や、あの、なんか、白河の今後を考えたら、あたしは悪評高いし他に嫁いだりとか難しいかなーと」
「まあ、それは少なからずありますね」
あっさり言う敬吾さんに、あたしのガラスのハートがちょっと傷つく。本当のことだが、他人に肯定されると辛いものがあるな。
「だから結婚するなら内輪になるなーと」
「ふっ」
敬吾さんはまたも珍しく含み笑いをした。しかし、漏れ出る息は相変わらず雪まじりの冷たい風だ。
「なるほど。辰巳くんといついつまでも、ということですか」
「え、敬吾さんとですけど」
あたしの愚かで軽率な発言に、書斎にはブリザードが吹き荒れた。
「お、怒らないっていったのに――――!!」
完全にあたしに背をむけた敬吾さんは、とてつもない冷たいオーラを発しながら低く呟いた。
「アキラさん、わたしと結婚しようと思ったんですか……?」
「だって! 敬吾さんと結婚すれば、当主様は敬吾さん、美月様はあたしって夫婦で白河支えて行けるなって思うじゃないですか。自分の家庭より白河優先っていうのも理解しあっているワケだし、もしあたしが結婚できるとなると敬吾さんくらいだなって思うじゃないですか……!!」
あたしは震えながら言いたいことを言わせてもらい、辰巳の後ろにかくれた。だが、鉄壁かと思われた辰巳は触れた瞬間膝から崩れ落ちていた。
「辰巳!? どうした」
「いえ、なんでも……」
「なんでもなくないでしょ!」
「大丈夫です……」
「た、辰巳ィ!」
雪に埋もれて凍死寸前のような辰巳の首根っこにすがりつきながら、あたしは混乱に泣いた。
「辰巳、しっかりして」
「アキラ様……」
条件反射のようにあたしを抱き寄せてくれる手は頼もしいが、辰巳の意識はもうろうとしたままだ。
敬吾さんは黙りこんで本棚とにらめっこをしている。ああ、あたしのバカ! 思わず口が滑ってしまった、あんなこと言わなきゃよかった。 今まで見たことがなかったが、敬吾さんって怒り狂うと黙り込むタイプなのか。どこまでも冷徹に饒舌なまでに追いつめてくるかと思っていたが……。というか、そこまでイヤがらなくてもいいと思うんですけど! 傷つくっつーの!
ああまったく、なんでこんなことに!?
とにかく辰巳を正気に戻そう、とあたしは書斎の扉を開けて声を張った。
「誰か! すみませんがお水もってきてください!」
すると間をおかずにパタパタと走ってくる足音が聞こえた。すばらしい反応だけど、少し様子がおかしい。白河家の使用人は敬吾さんの指導のもと、歩き方も訓練されているはずだ。
いぶかしんだあたしが廊下の先をにらんでいると、曲がり角から姿を見せたのは三舟さんだった。しかも手ぶら。明らかにあたしの呼び声に駆けつけたのではない。
「ああ、アキラ様! 岩土さんはそこにいますか!?」
「敬吾さんはいますけど、何かあったんですか」
「一大事ですっ」
三舟さんは普段の落ち着いた物腰をかなぐり捨て、必死の形相だ。
人があわてている姿を見ると、自分は妙に冷静になるものだ。あたしは気をひきしめて三舟さんを中に招き入れた。
「岩土さんっ、一大事です!」
三舟さんは繰り替えし叫ぶと、荒い息を吐いた。
「何事ですか。屋敷を走り回るなどあなたらしくもない」
彼女のあわてっぷりに敬吾さんも平静を取り戻したようで、ブリザードをひっこめていた。これで辰巳も元に戻るだろう。
それよりも三舟さんだ。ひきこもった美月様のお相手をしていたはずなのに、こうもあわてふためいて一大事とは、いったいなにがあったのか。
「お叱り覚悟で申し上げます……。美月様が、鷹津家との婚約の話を知ってしまいました!!」
ああ、このタイミングでか。
あたしは思い切り唇をかんだ。
敬吾さんの話が正しいとすれば、鷹津家の的は美月様にしぼられたといっていい。だが正確ではない以上、美月様にはお伝えすべきではない。なにせ天真爛漫、人を疑わぬ美月様は、それを真実と受け取ってしまうからだ。
ましてや運命の人を自分で探す、と息巻いていた美月様だ。縁談ありきで出会ったのではない、ほぼ仕組まれたようなものとはいえ自分で見つけた相手と実は縁談の話があるのだ、と聞かされればそりゃあ運命感じてしまうだろう。恋にのめりこんでしまうのが目に見えている。
だからこそ箝口令を徹底していたというのに、どこのバカが漏らしたんだ。
これにはブリザード再びか、と敬吾さんをうかがうと、そこはさすがと言うべきか、彼は至極冷静だった。
「決して触れないようにと言っておいたはずですが。誰が教えたんです」
「そ、それは……」
三舟さんはくちごもった末に、小さな声でつぶやいた。
「奥様が……」
あたしは先ほどの惨状を一時忘れ、敬吾さんと目配せをしあって頷いた。
ついにあの方が我慢しきれなくなったか。
また波乱がおきそうだ。
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