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困惑する悪魔




 アイラインで目を吊り上げさせ、四色のアイカラーを使ってグラデーションを作る。マスカラもたっぷりと。スカートは膝上までたくしあげ、シャツの裾はきちんと出した。

 最後にピアスをはめれば出来上がり。粒は小さくともルビーの放つ赤い輝きは、あたしの気を引き締めてくれる。

 学園の悪魔の完成だ。

 が、しかし。

 トイレの鏡に写ったあたしの腕、そこに巻かれた大げさな包帯が目に入り、せっかく盛り立てたあたしのやる気が八割がた削がれてしまった。

「ほんっとうに、あの男は何を考えてるんだろう」


 底抜けに頭の悪い会話は保健室への到着により打ち切られ、鷹津はふくふくとしたおばちゃん保険医の前にあたしを突き出した。

 保険医は特に処置する必要はない、放っておいていいと言ってくれたのだが、鷹津が「手当をお願いします」とにっこり繰り返したことでこんな腕になってしまったのだ。青ざめていた保険医には同情する。あたしよりも鷹津の頭をよく調べてもらった方が有意義だったろう。

 包帯ぐるぐる巻きになった腕を満足そうに見やった鷹津は、恐ろしいことにあたしを教室まで送ると言い出した。そんなこと絶対に避けたかったあたしは、お花を摘みに行くから! とその申し出を断った。


 ようやく一人きりになり落ち着いたところで、戦闘態勢を整えていたところなのだが。勢いはつかず、漏れ出るのはため息ばかりだ。

「ほんっとうに変な男。何が夫婦だ。敬吾さんが言ってたアレの一環か?」

 大道芸フェスティバルの際、鷹津のカッコつけ告白劇を前座の段階でつぶしてしまったことで、鷹津は自身のプライドを守るためにあたしへのアプローチの真似事をするかもしれない。敬吾さんはそう言っていた。

 だが、あれはアプローチとかそういう問題じゃない。いろいろすっ飛ばしていなかっただろうか。

 またもや鷹津の真意の読めぬ行動に、あたしは惑わされている。

「腕だってたいしたことないのに、こんなこと。まるで―――――」

 まるで。

 あたしはぴた、と自分の思考を無理やり停止させた。

 だって、そんなワケないから。

 気の弱い男子生徒を卒倒させるほどの目力をこめ、あたしは鏡の中の自分を睨み付けた。


 気が重い。

 足も重い。

 あたしはいつも以上に気の抜けただらしのない格好で一日の授業を乗り越えた。一瞬でいつもどおりの姿に戻ったあたしを見て、「やっぱりね」とどこか安心したようなクラスメイトたちが愛おしい。

 そう、あたしのことなんて遠巻きにしてくれていいのだ。

 下手に近寄られると、多大なる面倒事まで寄ってくる。

 松島からはあたしを気遣うメールが送られてきたが、返事をする気にもなれなかった。

 そして気づけば放課後、生徒会室へと向かう時間になってしまった。

 普段ならばこれもお役目、と割り切れるのだが、今日はなぜだか非常におっくうだ。しかし行かないワケにはいかない。

「あー、ダルっ!」

 演技ではなく本心から声をあげ、周囲の生徒たちをビビらせながら席を立つ。今日は休み時間の巡回の折、美月様のお姿を見なかった。朝の様子から健康状態には問題ないとわかっているものの、長年のくせか気になってしまう。

 生徒会室へ向かう足取りはのったりくったりとカタツムリのごとし。

 そこへスマートフォンがぶるぶると震えてメールの着信を告げた。また松島か、と確認してみると、辰巳からだった。


『今日の検査はいかがでしたか。鈴屋の水まんじゅうを買ってきました。お帰りをお待ちしております』


 漉し餡をぷるりとした本葛に包んだ上品な菓子は目にも涼しげだ。もうそんな季節なのだな、と添付された写真に心が凪いでいく。

 辰巳はまるであたしの心が全部わかっているみたいだ。なんというタイミングで、なんという優しい言葉をかけてくれるのか。

 今すぐ会いたい。

 今日あったことを全部ぶちまけて、文句を言って、弱音を吐いて。

 やっぱりあたしには辰巳じゃなきゃダメだ、と改めて確信したい。

 そう思ったら、右腕の包帯が余計にわずらわしいものに見えてきた。あたしはその場で包帯をむしりとり、湿布をひっぺがした。跡なんて言われなくちゃわからないくらいに薄くなっている。ぐちゃぐちゃになった包帯と湿布を乱暴にゴミ箱につっこんで、あたしは背筋を伸ばして歩みを速めた。




「おっ、アキラやっと来たか」

「遅いんだけどー!」

「自覚が足りないわね」

 ノックはするが返事をまたずに入室したあたしを出迎えてくれる、生徒会役員の方々。いつもより十分遅れただけでこの仕打ちだ。

「はーいはい! みんなのアイドルアキラちゃんが遅くって心配したー? ごめんねー」

 初瀬はいつものように「誰がアイドルだ」と吐き捨てると、荒々しく書類をめくり始めた。雨宮はキンと冷えた目であたしを一瞥し、自分の仕事に戻る。雀野は電話以外での接触を持たないようにしているから静かなものだ。これでいい、これがいい。


 内心うんうんと頷きながら、あたしは笑顔をふりまいて定位置のソファに腰を下ろした。一番大きな会長用のデスクの主はまだ来ていないようだ。顔を合わせたくなかったので少しほっとした。

「ねーえさん。遅くなってごめんね」

 声をかけると、もくもくとパソコンに向き合っていた美月様はようやくあたしに気づいてハッと肩を震わせた。

「あっ、ごめんね、アキラ! 集中しちゃってたみたい」

「ううん、邪魔してごめん!」

「いいの。あっ、それよりもう制服もどしちゃったの? お化粧まで」

「落ち着かなくて」

「ふふっ、ダメだよ? 校則違反です」

 美月様は茶化すように腕をくんであたしを軽くにらんだ。


「今朝アキラが風紀室に連れて行かれたって聞いて、すごくびっくりしたんだからね」

「う。ごめん」

「まったく、示しがつかないんだけどー! 仮にも生徒会補佐見習いが風紀に補導されるとかありえない」

 初瀬のヤジは聞かないふりだ。

「せっかくアキラががんばったのにいきなり連れてかれちゃったから、私なんとかしなくちゃって思ったの。でもどうしたらいいのかわからなくて、困ってたところに篤仁先輩が来てくれたんだ」

 頬をうっすら赤らめて、美月様はとろりと瞳を潤ませた。その様子にあたしはギクリとする。視界の端には真っ青になって頭を抱える雀野の姿があった。

「いい? 篤仁先輩が来たら、ちゃんとありがとうございましたって言ってね」

「は、はい……」


 どうしよう。

 これは本当にまずい。

 美月様のこの態度、まったくもってよろしくない! 熱に浮かされる少女マンガのヒロインみたいじゃないか! 読んだことないけど!

 前から兆候はあったのだが、最終的なキッカケがあたしとか最悪だ。敬吾さんもブチ切れるだろう、ああ、なんということ……。

 意識が遠のきかけたあたしを現実に引き戻したのは、美月様のはしゃいだお声だ。

「あっ、篤仁先輩!」

「遅れてすまない」

 鷹津は悪びれることなくさらりと言った。

「今朝はすみませんでした、でもとっても助かりました」

「あなたが気にすることはありませんよ、むしろ教えてくれてよかった。俺もアキラのことは気になっていたから」

 美月様に微笑みかけた鷹津は悠然とソファを横切って席に着こうとし―――――立ち止まった。


「アキラ。腕の包帯をどうした」

「え」

 またもやギクリとする。

 めざといヤツだ、気づくのが早すぎる。

 鷹津は不穏な空気を発しながらあたしを見下ろした。

「あ、えーと。朝はどーもありがとうございましたァ」

 にこにこと笑う美月様に背中をおされ、あたしはおざなりに礼を口にする。しかし、鷹津はそれを一蹴した。

「そんなことはいい。包帯は。湿布は」

「う、腕痛くないし、暑くなってきちゃったから、とった……」

 まさかゴミ箱につっこんできました、では花束のときの二の舞だ。あたしはこれ以上の追及を避けようとソファの上で縮こまった。

「もう痛みはないのか。跡は」

「ないよ」

「篤仁先輩、アキラのことありがとうござまいした。手当までしてくれたんですね」

「いや、保健室に連れて行っただけです。アキラ、見せろ」

「えー、いいよ、もう」


 しぶるあたしに鷹津は何を思ったのか、急にその場にひざまずいた。

「うわっ! 何してるんですか! やめてください、汚れてしまいます!」

 あたしは鷹津を立ち上がらせようと、つい敬語で両手を差し出してしまった。鷹津はそのタイミングを見逃さず、すかさずあたしの腕をとる。

「ここ。青くなっているじゃないか」

 鷹津はほんのわずかに青あざになっている部分を指でなぞった。

「ごく薄くです、問題ありません」

「跡が残ったらどうする」

「残らないと保険医も言っていました、もう大丈夫です!」

 いくら思考回路が謎めいていようとも、俺様バカ殿であろうとも、相手は鷹津家御曹司。そんな態度をとられると困るのだ。

「なんだアキラー。お前ケガでもしたのか」

 あわててソファから降りていっしょになってカーペットの上に膝をついたあたしに、池ノ内が能天気に声をかけた。

「あっ。いや、そーじゃないけど! もーっ! マジになんないでよ! うっとうしいなァ!」

 あたしは自分のとるべき行動を思い出し、おおげさなため息をついて手を振り払った。

「アキラ」

「もう治ってるの! もともとたいしたケガじゃないんだから。しつこいよォ、かいちょー」

 鷹津は不服気だったが、池ノ内はあたしたちのやり取りに快活に笑った。

「ははっ、なんだか会長が世話焼きで心配性の父親みたいだ」

 そんなほほえましく映るのか? この恐ろしい光景が?

 しかし、その表現に今朝のトイレでの葛藤がよみがえってきた。

 認めたくない。

 けどやはりそう見えるのだろうか。

 鷹津の態度は、まるで。


「まっ、ホントの父親にそんな世話焼かれたことなんてなさそうだけど」

 初瀬のさらっと放った言葉に反応を示したのは、あたしではなく雀野と池ノ内だった。

「初瀬」

「要。それはアウト」

 二人はぴしりと鞭打つように初瀬の名前を呼んだ。

「ちょっと軽率だったわね」

 珍しく雨宮も同調し、初瀬を責めるかたちになった。

 ぴりりと空気が張りつめる。


 あたしは両親の離婚騒動の末に本家に引き取られ、離れで一人暮らす白河の異端児。そんな白河家の事情は周知の事実だ。しかし、なんやかんやとしがらみのある上流階級の世界では、この程度のことはスキャンダルのうちにも入らない。わざわざ口に出して攻撃するのは、正面から相手一族まるごとに喧嘩を売る時だけだ。見て見ぬフリ、それが常識。

 さすがに失言と悟ったのか、初瀬は気まずそうに黙り込んだ。

 とはいえ、父親がどうのこうのなんて今更だ。あたしには何の痛手にもならない。

 むしろ今は顔色が悪くなる口実ができたことで、初瀬に感謝したいくらいだった。

 あたしが朝から思い悩んでいるのは、どうしたって重なるはずないのにかぶって見えてしまう二人の影だった。


 初瀬の言うとおり、あたしは父親から金銭面以外での世話を焼かれた記憶はない。

 熱心すぎるほどにあたしのそばにいてくれるのは、辰巳ただ一人だ。

 こっちがいくら大丈夫だといっても聞かない強情者。

 それはすべて、あたしを想ってくれているからだ。

 

 そんな辰巳と、どうして鷹津なんかが。

 ありえない、と何度も自分に言い聞かせている。しかし、あたしには容易に想像できてしまうのだ。帰宅後この薄いあざを目ざとく見つけ、湿布と包帯を持ってきてくれる辰巳の姿が。


 あたしはすっくと立ち上がり、指をもじもじとからめて初瀬のそばに寄った。

「いやーん、いじわる。でもォ、あたしにはこうして世話焼いてくれるセンパイ方がいるからァ。ね、初瀬センパーイ」

 鼻にかかった甘え声でウィンクをすると、初瀬はくわっと歯をむいた。

「気持ち悪い声だすなよ!」

「はいはい、ツンデレツンデレ」

「デレてないだろ!」

「うっ……! 心無い、根拠も無い白河家への批判中傷で胸と腕が痛い……!!」

「な、なんだよ! 口が滑っただけだよ! ねちねち言うなよっ」

「雨宮センパーイ、初瀬センパイがいじめるぅ」

「はっ。気分が悪くなるわ」

「鼻で笑った……」


 あたしはぶすっと頬をふくらます。それを背後から近寄ってきた池ノ内が指で押しつぶしてきた。

「アキラー、要にはよーく言っとくからな。いい子いい子。あとでお菓子やるからなー」

「池ノ内センパイは生徒会アイドルたるあたしへの接し方を勘違いしている気がする……」

「なんだよ、ワガママめー」

 むに、とそのまま頬をつままれながら、あたしは生徒会室の雰囲気が戻ったことにほっとした。

 誰かから同情のまなざしを向けられるのはゴメンだ。逃げ道としては道化に徹して、怒りでも呆れでもなんでもいいから別の感情を引き起こすに限る。

 それに一時でもいいから、あたしの中でくすぶる困惑を忘れたかった。

「……やれやれ、我らのアイドルには困ったものだ。さ、仕事にとりかかろう」

 鷹津はようやく席に着くと、パンパンと手を打ってじゃれあいを終わらせた。




 ずいぶんと日がのびたのを感じる。まだあたりは明るく、空は青い。夏だな、と思う。てくてくと帰る道すがら、あたしはタイミングを計っていた。


 美月様の様子がおかしい。

 生徒会室にいる間はいつもと変わらぬ輝く笑顔を見せていたが、長年そばにいるあたしにはわかる。どこか無理をしている、ぎこちなさがあった。

 二人きりになったことで気が抜けたのか、口数少なにしゅんと下を向いてしまった。

 あたしが生徒会室に入った直後はこんなに落ち込んでいなかった。むしろ熱に浮かされたようだったのに。

 美月様の心のくもりを晴らすためにも、まずはその原因をつきとめなければならない。

「ねーえさん」

「うん?」

「何かあった?」

「なにもないよ」

 そう言いつつも、美月様は唇を開いたり閉じたりして迷うそぶりを見せた。こういうときは待つのが一番だ。美月様は素直で隠し事ができない性格だ。

「アキラってさ」

「うん」

 よし、きた。

 あたしは身構えた。何を言われても支えられるように。守れるように。

 意を決したように、美月様は苦しげに、しかしはっきりと言った。


「みんなに心配してもらえるよね」


「………ん?」

 おっと、と心の中で仁王立ちしていたあたしが転びそうになる。

「いいよね、うらやましい。アキラって愛され上手だと思う」

「……あたしが? 愛され?」

 何の言い間違いだ、とあたしが必死に頭を回そうとするそばから、美月様は調子の狂った言葉を放ち続けた。

「生徒会室のアイドルだって。すごいよ、本当にそうだよ。池ノ内先輩はアキラの好物用意してくれるし、雨宮先輩は熱心に仕事教えてくれてるし。初瀬先輩とはああやって軽口たたきあえる仲でしょ? 雀野先輩なんかはアキラを補佐の補佐にするのに一番協力してくれた。今日もすぐにアキラのことかばってたね」

「え、ちょ、姉さん……」

「風紀委員長もそうだった。アキラがいなくなった後も、私に対してすまなかったって言ってたよ。それから服装も今日は偉かった、明日からもそうするように、って伝えてくれって。罰則の件はまた連絡するからって」

「城澤め……」

 美月様を使って念押しするとは。いや、そこじゃない。


「それに、篤仁先輩も……」

 美月様はついに歩みをとめ、その場に立ち止まってしまった。

「アキラが風紀室に連れて行かれたって言ったら、私が助けてあげてって言う前にもう風紀室に向かってた。いつもは落ち着いて歩くのに、追いつくのがやっとくらい速足だったよ。それだけ心配だったんだよ」

「姉さん」

「心配って、相手のことが好きだからするんだよね。学校でもみんなに愛されていて、家に帰れば辰巳さんがいる。辰巳さんはいつもアキラ様アキラ様って、そればっかり。小さいころからずっとそう。……アキラがうらやましい」


 違うよ。

 あたしがアイドルのはずないじゃないか。

 誰からも愛されるっていうのはあなた自身のことだよ。

 辰巳は別だ。だって辰巳はあたしの使用人なんだから。

 そう続けたかった。

 しかし、あたしの口はとうとう動かなかった。


「篤仁先輩、まるで辰巳さんみたいだった」




前回の後書きのためか、いろいろ感想をいただきました。

お礼文のはずがおねだりするような形になって申し訳なかったのですが、やはりとってもうれしいです。励みになります!

本当にありがとうございます!


引き続きご意見、感想をお待ちしております。


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