大鷹の心配、素知らぬ悪魔
目線だけで松島を下がらせた鷹津は、悠々と風紀室に入り込んだ。
「風紀委員長の城澤くん。こうして直接話をするのは初めてですね。二年生ながら風紀を立派に率いる優秀な生徒だと聞いています」
「いえ、まだまだ未熟者で」
立ち上がって礼をする城澤に、鷹津はにこやかに笑った。
「謙遜する必要はない、鳳雛学園の風紀委員を務めるというのは生半なことではないからね。こうした規模の大きい一斉検査が滞りなく進んでいるのは、間違いなく君の手腕によるものだ」
城澤はお褒めの言葉に恐縮したようで、黙ったまま再び軽く頭を下げる。
「さて、そんな君のことですから、もうそこの問題児の検査は済んでいるんだろう。迷惑をかけて申し訳ない」
鷹津の口ぶりから、先ほどまでの話は聞かれていないようだと胸をなでおろす。しかしなぜここに鷹津がいるのか。
ドアを背にしたソファに隠れているあたしだったが、鷹津はそんな無駄な抵抗を無視して背もたれ越しに腕を伸ばし、あたしの頭をなでてきた。
「ほら、帰るぞ」
「……会長、何しに来たんですか」
「迎えにきたんだ」
「なんで?」
「さっき美月さんと会ってね。アキラがここへ連れ込まれたというから。おや、なんだ、今日はいい子ぶった格好じゃないか」
そう言って手を差し出した鷹津に、城澤は静かに待ったをかけた。
「会長。彼女とはまだ話が終わっていません」
「うん?」
「白河アキラくんとは面談の途中です」
「もう十分だと判断するが」
「まだ問題点は過分に残っています」
「なら俺も同席しよう」
「いえ、これはアキラくんの個人的なことですので、遠慮願います」
おおっ、すごい!
あたしは思わず姿勢をただし、ぴしりとソファに座りなおした。
いくら猫かぶりモードとはいえ、鷹津相手に言い返すとは。恐る恐る鷹津の様子をうかがうと、同じことを思ったのか、いたぶりがいのあるネズミを見つけた猫の顔になっている。
「アキラ。彼はああ言っているが、どうなんだ」
「え」
なぜ、あたしに振ってくる。
「あまり美月さんに心配をかけるものじゃない。今も扉の向こうで待っているんだぞ」
「姉さん来てるの!?」
「ああ。一緒に来たがってな。俺がすぐ連れてくるから、となだめたんだが」
困ったな、とまったく困っていない顔で鷹津が言う。
憎たらしいが、こいつのいうコトはイチイチあたしの弱みをついてくる。
本当ならまだ城澤と話をしたいのだが、学園の悪魔が風紀室に居座りたがるのも不自然だ。何より美月様をほうっておくわけにはいかない。
「城澤ァ、あたしもう行っていいよね?」
「……アキラくん」
わかってるわかってる。あたしは城澤をじっと見てから一瞬だけ松島に視線を投げた。松島経由で連絡をとるから、しばし待て。そういったつもりだ。
「まったく……。しかたない、続きは罰則を受けてもらうときにしよう」
「げっ」
しまった、それもあったか。
「そればかりはあきらめるしかないな。お許しもでたし、アキラ、行くぞ」
演技ではなくしかめっ面をしたあたしを笑うと、鷹津は改めてあたしの手をとろうとし―――――そして、低くうなった。
「なんだ、これは」
鷹津はあたしの赤くなった腕を優しくすくいあげた。
「城澤風紀委員長。どうしてアキラの腕がこんなことになっている」
さきほどまでのにこやかな仮面を捨てた鷹津は、本来の暴君の顔を取り戻していた。これにはさすがの城澤も顔色を変える。
「それは……」
「男二人で女生徒相手に何をするかと思えば……。お前は信頼にたる男だと思っていたが、前言撤回だ。そこの君も同罪だ」
剣呑に目を細めた鷹津は、松島へも牙をむいた。
「床に落ちている氷嚢もどきは手当のつもりか。けが人相手にろくな処置もせず身だしなみの検査を優先させるとは、大層なことだな。風紀はいったい何をしているんだ」
反論できずにいる城澤に、なぜかあたしのほうが辛くなってきた。鷹津に正面からにらまれるプレッシャーは相当だろう、背後から感じる怒気はすさまじいものがある。
確かに指のあとが残るほど強くあたしの腕をつかみあげたのは城澤なのだが、城澤を責める気はない。
「か、会長? 違うよ、なんか誤解してない?」
「何が誤解だ」
「あの、えっと」
黙っていればいいのについ口を出してしまい、後悔する。何も考えはまとまっていない。
「えー、あー、ん、と」
ぎろり、とにらまれてしまえばもう言葉は出てこない。城澤はすっかり消沈しているし、松島は鷹津にあてられて震えていた。いや、そうではない。挙動不審な松島はこっそりと後ずさりし、一人唯一の脱出口へと向かっていたのだ。おいコラ、逃げる気か! 卑怯者!
あたしの心の叫びも届かず、松島は扉へたどりつき後ろ手に扉を開けた。
しかし、松島は逃げ出そうとしたのではなかった。
「あっ、開いた!」
鈴の音のような声に、あたしはハッと鷹津の手をふりほどいた。
「すみませ~ん、失礼します……。白河アキラいますか?」
「ねえさんっ!」
ああ、まさにあなたは救いの女神!
ひょっこりとのぞきこんできたのは、美月様だった。松島は彼女の介入を目論んだのだ。よくやった、鷹津も美月様の前でならそう怖いマネはしないだろう。
「あっ、アキラ! 大丈夫? 怒られなかった?」
「うん、だいじょぶ!」
この場から逃げたい一心で美月様に駆けより、両手を広げて抱きついた。
「ねぇさ~んっ」
「ふふ、甘えただね。あれ、腕、赤いよ? どうしたの?」
今それで面倒なことになってるんです!
しかし不思議と美月様がいると冷静になれて、口からでまかせがポンポン飛び出てきた。
「や、城澤怖いし罰則イヤだし、逃げようと思って暴れたら階段から落ちそうになってさー」
「え! 危ないじゃない!」
「うん。でもそこを城澤が支えてくれたんだ。あいつ馬鹿力で逆に腕ちょー痛くなったんだけど」
「痛いね、平気? でもそれならアキラが悪いんじゃない。まったくもー……」
「そんなつまらない嘘で説明をしたつもりか!」
鷹津の鋭い言葉に、美月様がびくっと震えた。
「アキラくん、かばう必要はない。悪いのは俺だ」
馬鹿正直な城澤は真摯に言った。でも、そんなのどうでもいい。
「かばう? そんなつもりない。まァ、最初っからおとなしくしてればこんなケガしないですんだかなって反省はしてるけど」
そう、あたしが拗ねて暴れただけだ。城澤があたしの喫煙を疑っているんだなって思ったら、悔しくなった。だから必要以上に挑発して城澤を怒らせた。城澤は、あたしのことちょっとばかり信用してくれていたみたいなのに。
だから、この痛みは痛くないのだ。
「ね、ねぇ。どうしたの? アキラ、城澤先輩はアキラを助けてくれたんじゃないの?」
「そうだよ。助けてくれようとしてるよ」
生活委員会からも、生徒会補佐の補佐の役目からも。
「それなら、やっぱりちゃんとお礼を言わなきゃダメだよ」
ね、とあたしをやさしく諭す美月様。それを鷹津は一刀両断した。
「礼なんて言う必要はない。アキラ、お前は何一つ答えてはいない。美月さん、なぜ入ってきた? 俺がアキラを連れ出すと伝えたはずです」
「あっ……、ご、ごめんなさい」
鋭い眼光を直接あびて、美月様は小柄な体を一層すくめた。鷹津はいつも穏やかに鷹揚に美月様に接していた。こんな高圧的な態度をとったことはなかったはずだ。
おどおどとおびえる美月様の様子に、ぞわりとあたしの闘争本能がかきたてられる。怖さよりも、美月様を守るという意識が前に出た。
「姉さんにそういう言い方やめて。あたしのこと心配してくれてるの」
真っ向から鷹津を睨み付ける。
すると、鷹津は珍しく苦々しげに口元をゆがませた。
「この強情め。もういい」
鷹津はスイッチを切り替えたかのようにまた仮面をつけなおすと、いくぶん穏やかに言った。
「風紀委員長。あの子相手では多少強引にならざるを得ないのもわかる。しかし限度というものがある。気を付けてくれ。……二度目はない」
「はい」
「アキラ、来い」
さっと身をひるがえした鷹津は通り過ぎざまにあたしの腰に腕をまわすと、引っ立てる勢いで歩き出した。あたしは転ばないように反射的に足を前に出すだけだ。
「うわっ、危ないんですけど!」
「足は怪我していないだろう、ちゃんと着いてこい」
「かいちょう!」
「黙れ。美月さん、先に教室へ戻っていてください。俺はこのじゃじゃ馬を保健室に連れて行きます」
鷹津は美月様を一瞥もせずに言い放つと、あたしを連れたまま風紀室を出て行った。
後から思う。
このとき、美月様はどんなお顔をしていたのだろう。
幸いなことに特別棟から保健室へと向かう道に生徒の姿はなかった。おかげで鷹津と連れ立っているところを見られないで済む。
しかし美月様がそばにいない今、再び鷹津のそばにいる恐怖が蘇っていた。
「あ、あのォ……」
沈黙に耐え切れなくなって声をかけてみる。
鷹津はふだんのむかつくほどに余裕綽綽な態度はどこへやら、苛立ちを隠そうとしなかった。だがそれは怒りというより、子どもがむくれているのに近いように思えた。明らかに風紀室にいたときと雰囲気が違う。
鷹津はじろっとあたしを見下した。
「お前は本当に強情だ」
「はぁ」
またそれか、とあたしは返答に困り、適当にあいずちを打つ。
「腕、痛かっただろう」
「別に、そんなに痛くないですよ」
いたわるような言葉にちょっと驚いて、あたしはぷらぷらと腕を振って見せた。だが逆効果だったようで、鷹津はくわっと目をむいた。
「こんなにはっきり指の跡が残っていて、痛くないわけないだろう!」
「え、いや、ホントですって」
これもまた心配してもらっているのだろうか。
さっきは城澤に心配された。美月様にも。離れに警報機をつけてくれた敬吾さんにも。あたしは最近、どうも周りに心配ばかりかけているようだ。
「お前はどうせ、何も言わないんだ」
「え?」
どういう意味か、と聞き返すと、鷹津はあたしを捕まえている腕に力をこめた。
「どうせあの辰巳さんとやらにはビービー泣きわめいているんだろう。小さなことでも大きなことでも。だがそれ以外の人間には、何一つ言わないんだ。それがどれだけ必要なことであっても!」
「……誰に言うかなんて、あたしの勝手だ」
もし今、隣にいるのが辰巳だったら。考えるまでもなくあたしはビービー泣いている。腕が痛い、鷹津が怖い、罰則めんどうくさい。不平不満をぶちまける。
だがそれがどうしたというのか。
何を言いたいのかはよくわからなかったが、なんだか理不尽なことで怒られている。そんな気がした。わかっていないことがバレているのか、鷹津はふん、と鼻を鳴らす。
「ああ、そうだろうな。お前は利用はするが頼りはしないんだ。それもお前の勝手だ。だが腹立たしい」
「勝手に怒んないでよ。会長みたいな影響力のある人が怒ると、周りはすっごく怖いんだけど」
さっきの美月様のおびえた姿が目に浮かんでくる。
「だったら強情も大概にしろ」
「はァ? なんなんですか、じゃじゃ馬だの強情だのと。あたしにどうしろって」
意味不明な問答に不毛さを感じてストレートに聞いてみると、またもやよくわからない答えが返ってきた。
「俺に言え、と言っている」
「何を」
「正直に、嬉しいことも嫌なことも、なんでもいい。俺を頼って俺に泣きわめけ」
「なんで」
「それが夫婦ってもんだろう!」
「誰が!」
「俺たちがだ!」
本当に、ここに誰もいないでよかった。
バカと天才は紙一重というが、この男。
頭の中が腐りきっているのではなかろうか。
定期的に更新できない状況が申し訳ないです。
今後も不定期になってしまいますが、続けていきますのでお付き合いいただけたら嬉しいです。
感想をくださる方、ありがとうございます!
続けよう、更新しよう、と気持ちが前向きになります。
それに文章がとても上手で、笑ってしまったり考えさせられたりと勉強になります。
レスポンスがあるってわくわくしますね。
ご意見、感想をお待ちしております。