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天使と生徒会




「おはよう! 一緒に学校行こう」

「美月さん、おはよう」


 美月様が玄関から一歩外に出ると、四方八方からすぐさま声がかかる。

 彼らは美月様の笑顔を拝むべく、こうして朝から家の前をうろつく頭の悪い連中だ。こんなヤツらが将来の国を背負うのか、と思うと悲しくなる。

 高校入学から早一ヶ月、もはや見慣れた光景だ。一人一人に律義にあいさつする美月様に、あたしは割り込むようにして抱きついた。

「ねっえさ~ん! おはよ~」

「あ、アキラ! おはよう。また寝坊してギリギリに出たでしょう。ご飯食べた?」

「辰巳におにぎり突っ込まれたよ」

 ふああ、と大きくあくびをしてみせたあたしに注がれる軽蔑の眼差しにゾクゾクしてしまう。

「ちょっと、白河さん? 品がないと思うわ」

 特にパッツン前髪の下にあるつぶらな目であたしを睨むのは、美月様と同じクラスの上都賀綾乃かみつが あやの嬢。美月様を任せるに足るしっかり者だ。


 美月様とは気が合うようで、入学後わずかな期間ですでに親友という立ち位置にいる彼女だが、周りの取り巻きのように盲目的ではない。だからあたしに対しても率直で、堂々正面から文句をつけてくる。そういうところが特に気に入っているのだけど、それはあたしの片思いで、彼女はあたしが大嫌いだ。


「あんな喉の奥が見えそうなほどの大あくびだなんて」

「相変わらず制服も着崩しているし、身支度を整える時間もなかったのかしら」

 上都賀さんの言葉に同意の声が続く。だが彼女たちはあたしに聞こえる声量で、こそこそと話しているだけだ。

 完全に無視してまたあくびを一つ。場を治めるのは美月様だ。

「ごめんね、アキラって昔から朝弱くて……」

「うっ」

 文句を言っていた連中は天使の困り顔をくらい、言葉を詰まらせた。効果は抜群。上都賀さんは甘やかしすぎだ、とあきれ顔だ。

「アキラもあと少し早起きすれば一緒に食べられるのに。目も覚めるよ」

「その分寝てたいの!」

「もー」

 困った子、と言う美月様はまるで聖母。あたしに美月様をとられて悔しそうにしていた連中の顔も一気にゆるんでいる。


 ちなみに、学校以外の場所であれば美月様と食事の席を伴にはしないし、母屋にもそう行かない。それが仕える側の礼儀だし、家での美月様のお目付役には、世話役のお姉さんである三舟(みふね)さんがいるからだ。

 あたしはひっそりと離れで食事をとっている。でも一人じゃない、辰巳と二人。それこそあたしに仕える辰巳とは席を別にしたほうがいいのだけれど、ワガママを聞いてもらっているのだ。やはり一人は味気ない。


 学校までは徒歩で向かう。仰々しい車での送迎を美月様が嫌ったためだ。実際、徒歩二十分の距離を車で行くのも馬鹿らしい。

 あたしは美月様に時折世話を焼かれながら周囲を怠りなく見渡し、行列の参加者を確認した。昨日までの顔ぶれと大差ないが、一人姿が消えている。

 昨日、美月様に手紙なんぞ渡した愚か者、あたしからのショッキングな電話を受けた哀れな少年。

 あれくらいで本当に近寄らなくなるような根性無しに用はない。


 涙目をこすりつつ美月様の様子を窺うと、少しばかりその表情は暗かった。原因はきっと昨日の悲鳴にある。

「はァ」

 本人にその気はないのだろうが、大きくこぼれたため息におしゃべりはぴたっと止まった。

「美月さん、何かあったの?」

 気遣わしげに尋ねた御学友に、美月様は小さく首をふる。

「あ、ごめんなさい。なんでもないの」

「なんでもなくないよ、どうしてため息なんてついたんだ」

 更に問いかけたのは、昨日美月様と一緒に帰っていた取り巻きの一人だ。

「ん……。お父様がね、今度パーティに出ろって言うの」

「嫌なの?」

「わたし、ああいう場って苦手でずっと断ってたのに。もう高校生なんだからって今度ばかりは聞いてくれなくて」

 きゅっと唇をかむ姿はいじらしく、見ている者の憂いを誘う。しかしあたしは殊更大きな声であっさり言った。

「なーんだ、姉さんったら、そんなことで悩んでたの?」

 そんなこととはなんだ! という非難をかわし、あたしは美月様の前で笑顔を見せる。

「そんな固くならなくていいじゃん。かわいいドレス着て、美味しいもの食べて、ちょっとお辞儀してれば終わっちゃうよ」

「アキラ……」

「感性も品性もないどっかの誰かと美月ちゃんはぜーんぜん違うと思うわ」

 繊細な美月様とお前を一緒にするな、と遠回しに言って来る上都賀さん。

「そりゃあたしと姉さんは違うけど。そのパーティの話敬吾さんから聞いたよ。なんだっけ、留学してたどっかの御曹司が鳳雛に帰ってくるっていうんでしょ? それのお迎えパーティ」

「そう、鷹津家の」

「ああ、それなら僕も聞いた」

「私も」

 次々と上がる声。

「なんだ、みんな知ってるんなら、どうせパーティにも呼ばれるんでしょ? 姉さん、深く考えずに友達に会いに行くって思えばいいんだよ」

「あ、そっか。みんなも来るんだ」

「そうそう。それに……」

「え、何?」

 思わせぶりに言葉を濁してみると、思った通り美月様は食いついた。

「鷹津家の御曹司。イケメンかもよ?」

「もー、またソレ!?」

 美月様はむくれたが、それを聞いて穏やかでないのは周囲を囲む男たち。愛しい美月様が他の男にとられてはたまらないのだろう。

「僕も絶対参加するよ。元気だして、美月さん」

「俺もだよ!」

「そうよ、私もうかがうことになるはずよ」

「ありがとう、みんな!」


 チョロいものだ。

 今朝敬吾さんから返された手帳に記入されていた、『鷹津家のパーティ出席の説得』というミッションは見事クリア。

 ずうっと遠くまで続く真っ白な鳳雛学園の外壁沿いは、生徒用の遊歩道になっている。規則的に並んだ銀杏の木は鮮やかな緑色の葉をつけていた。美月様の笑顔も戻ったし、こんな気持ちがいい日なら眠くもなる。

 一安心したあたしは、また大きなあくびをした。




 あたしの役目は、使用人の目が届かない学校生活が中心になる。しかしクラスが違うから、実際に動ける時間は限られる。

 昼休み、美月様のご機嫌伺いのために隣のA組をのぞきこむ。週に一回か二回、不定期で昼食を一緒にいただくのだ。

 白河アキラの登場すなわち避難警報、とすでにA組では決まっているらしく、あたしの姿を見ただけでそそくさと教室から逃げる影がちらほら。

 でも美月様はいつだって同じ反応だ。

「アキラ! 一緒に食べよ~!」

「うん、姉さん! おっじゃましま~すっ」

 満面の笑みで手を振る美月様のもとにスキップ気味で近寄っていくあたし。ひきつる美月様のお友達のお顔。若干机も美月様から遠ざけている。

 いつものようにあたしを見とめた上都賀さんはお弁当の包みを持って立ち上がると、「じゃあまた後で」と教室を出ていった。そうそう、「美月ちゃんは好きだけど、問題児の妹とは一緒に食べたくない」と堂々宣言しちゃうようなところも好き。


 いなくなった上都賀さんの席に座ると、美月様はこてんと首をかしげて問いかけた。

「アキラはお弁当中身なに?」

「辰巳お手製の豆腐ハンバーグ。じゃーん」

「おいしそう! さすが辰巳さんっ」

 美月様は今朝の不安もすっかり消えたようで、つつがなくお過ごしのようだ。顔色もよく食も進んでいる。あたしも食べようとした、その時。


 きゃあとざわめく歓声、近づく足音。

 ふり返らずともわかる厄介な集団の登場に、あたしの顔はひきつっていく。こいつらには会いたくなかった。けど、ここへ来たのは正解だった。


「こんにちは、白河さん。ちょっと話したいんだけどいいかな」


 長ったらしい前髪も似合ってしまう細面の甘いマスク、上背のある体、穏やかな物腰。

 彼こそは雀野光也すずめの みつや。三年A組に在籍し、学年トップの成績を誇る頭脳と魅力的な容姿、もとは某藩の御典医であった立派な家柄という合わせ技でもって、鳳雛学園のトップたる生徒会会長に君臨する男だ。


「雀野先輩。こんにちは!」

 明るいお返事、とっても良い子。

 しかし美月様、それはいけません。こいつが何しに来たのかは明白ですよ。

 あたしは美月様に変わってしっかりお返事してあげることにした。

「かいちょーう、何回来たってだめですよー。姉さんは生徒会には入らないよー」

「あっ……」

 あたしの発言からようやく雀野の目的がわかったようで、美月様は途端にしゅんと肩を落とす。

「白河さん。生徒会の件、考えてもらえた?」

 だから断ってるでしょうが、というのはこの男には通じない。先ほどからあたしのことなど眼中にないのだ。こういう性格の悪さに、なぜ全校生徒たちは気付いていないのか。

「ごめんなさい、先輩。わたし、やっぱり生徒会なんてスゴいところに入る自信がなくて……」

 美月様は箸をおき、心底申し訳なさそうに頭を下げた。その様子には関係ないあたしの心まで痛んでくる。雀野も同じなようで、柳眉をひそめて言い募った。

「そんなことを言わないでほしい。君はとても優秀で、すばらしい生徒だと評判だよ。僕自身そう思っている。これからの生徒会には、君のような役員が必要なんだ」

 さりげなく美月様の肩にふれる雀野。

 あたしは勢いよく立ち上がり、その手を両手でがっと握りしめた。


「えええ~! 姉さんをそこまで認めてくださってあたしも嬉しい~! でもォ、まだ入学して一ヶ月ですよぉ? そんな大役、さすがにかわいそうっていうかァ~。あ、でも、お茶くみとかのお手伝いだったらあたしがやっちゃおうかな! ね、ね、どうです? 会長!」

 ねっとりと甘い声を出して体をぐいぐい押し付けると、雀野は微笑みを凍りつかせて押された分だけ後ろに引いた。

「離してもらえないかな、今は大事な話をしているんだ」

「聞いてますよぉ、だから、あたしがこうしてお話してるんじゃないですかァ!」

 互いに笑顔だが、あたしと雀野の目は笑っていない。


 迷惑なことに、この雀野は美月様が入学当初から特別お気に入りのようで、こうして度々やってくる。そして生徒会入りを促すのだ。

 基本的に選挙制をとっている生徒会役員だが、既存の役員は優秀な生徒を推薦し『生徒会役員補佐』に任命することができる。

 つまり雀野は美月様を補佐に任命し、今から手元に置いておこうというのだ。

 確かに美月様は優秀だ。華も実力も人望もある。だが、敬吾さんは美月様が生徒会に加わることに難色を示している。


 鳳雛学園における生徒会は普通の高等学校とは違う。生徒会役員であった、という事実は卒業後も使える立派なステータスとなるのだ。なんと歴代生徒会役員だけによって構成された鳳凰会というOB・OG会組織まである。その構成メンバーは錚々たる顔ぶれで、まさに国を動かしている人間ばかりだという。


 つまり、生徒会に入りたいと望む生徒はとても多いのだ。彼らは一様に優秀で、華もあり、真剣だ。それぞれの得意分野で輝かしい功績を残している。いくら美月様であってもいきなり生徒会補佐になったら反感を買うだろう。それが怖い。今だって若干の嫉妬混じりの目が向けられているのだ。

 美月様が生徒会に入るのであれば、学年が上がってからで十分だ。

 それに、とあたしは手により力をこめつつ雀野を睨む。

 こいつは思いっきり美月様に下心を持っている。

 させるか! とあたしは美月様の盾となっているのだが、悲しいことに敵が多すぎた。


「ねえ、美月さん。わたしの力になってほしいの」

「雨宮副会長まで……」

 シャープな眼鏡が似合う知的美人、三年の雨宮祥子あまみや しょうこ副会長。生徒会の紅一点だ。レースの白い手袋に包まれた指が、美月様の手をしっかりと握りしめている。

「アレの言うことなんて聞くことないよ。美月ちゃん、オレと生徒会やろ?」

 ワックスではねさせた髪は少々ちゃらけた雰囲気があるが、ただ歩いて美月様を覗き込む、というだけの所作が実に優美だ。二年、書記の初瀬要はせ かなめ、華道家元の息子なだけはある。

「えっと、ええっと……」


「姉さん!」

 少し目を離すとこれだ!

 雨宮も初瀬も、美月様がお気に入り。どういうワケか入学早々、美月様は生徒会役員全員から気に入られてしまっている。気難しい気位の高い連中だというのに、あっさり懐に入り込んでしまうなんて、美月様は本当にすごい方だ。

 だが、人がよすぎる。

 左右から加えられた圧力に負けそうになっている美月様の下にあわてて戻ると、下心満載の生徒会役員のと間に割って入った。雨宮と初瀬は雀野と違い、あからさまにむっとした顔を向けてくる。

「邪魔しないでくれない? 美月さんのかわいいお顔だけが見たいの」

「何が起ころうとアンタは補佐にしないからさー。化粧臭い、どいてよ」

「そんなァ! 姉さんのそばにはあたしがいるってのが常識だしぃ?」

「その常識どこかへやってくれないかしら。すごく迷惑だわ」

 迷惑なのはこっちだ。

 毎度毎度断る身にもなってほしい。すでに生徒会からの集団襲撃は三回目、最近では「あの悪魔が生徒会役員様方の邪魔をしている!」「それを必死で止めようとする美月さんはやはり天使」という謎の噂が広まっているようだが、まあそれはいい。


「そろそろ諦めてくれませんかねェ~。ほんと」

 あたしはイライラと口調を荒げた。

「だいたい、生徒会補佐って一年生からの任命は九月からでしょ? 今五月なんですけど」

「優秀な人材であれば、時期なんて関係ないよ。僕には今すぐに白河さんが必要なんだ」

 にっこりとほほ笑む雀野は、あたしを通り越して美月様だけを見つめている。

「姉さんが優秀なのは周知でしょうけど、規則を曲げてまですること? それで姉さんが『ナマイキ!』って目ェつけられたらどーしてくれんの?」

「そうならないよう、わたしが美月さんをしっかり守るわ。必ずね」

 雨宮の垂れ気味の色っぽい目に獰猛な光が宿る。お嬢様、ちょっとそれは物騒すぎやしませんか。

 だが負けるわけにはいかない。静かな睨みあいが続く。……ってちょっと、横で美月様怖がってるじゃないですか! もー!


「あれー、姉妹なのに、弁当の中身違うんだな」


 あたしの肩越しに顔を突っ込んできたのは、二年池ノ内正輝いけのうち まさき。生徒会書記だ。よく日に焼けた長い腕で空いている椅子を手繰り寄せると、あたしたちのそばにどっかりと座った。

「あっ、池ノ内先輩」

「昼混ぜてー」

「いいですよ! どうぞ」

 話題が変わったことにほっとしたように言う美月様。

「正輝、今はそれどころじゃ……」

 止めようとした初瀬に、池ノ内は持っていたパンを突きつけた。

「今は昼休みだろー? 今じゃなくていつ食べるんだよ」

 池ノ内は、大きな口でパンにかじりつく。

「白河の弁当うまそうだな」

「わたしのは美代子さんっていう人が作ってくれるんです。アキラのは辰巳さんが担当で」

「ミヨコさんとタツミさん? ああ、家政婦さんか。さすがお嬢様、姉妹で別々にお弁当作ってるとはね。俺と兄貴なんか毎日パンかコンビニ弁当だよ」

 池ノ内は大きくため息をついて美月様を笑わせる。

「そのコロッケパンも美味しそうですね。今度食べてみようかな」

「なら一口かじる? 弁当ちょっとくれよ、交換」

「ふふっ、いいですよ!」

 ラッキー、と池ノ内が美月様のお箸を受け取ると、生徒会役員を含めた教室の空気がキッと鋭くなった。きっとみんなの心は今一つになっている。


 天使との間接キスだと!!?


 大丈夫だ、教室にいる美月様ファンの紳士たち。ついでに一部いるであろう池ノ内ファンの淑女。ここはあたしに任せてほしい。

 あたしはお弁当箱を入れる巾着の中から、さっとある物を取り出して池ノ内につきつけた。


 割り箸だ。

 ほっとゆるむ教室内の緊張感。さっきまで鋭かった生徒会役員たちの視線まで、あたしに「グッジョブ!」と語りかけてくるようだ。


「池ノ内先輩、コレ使って」

「おっ!? お前準備いいなー」

「はい、姉さんはおしぼり。手ふいてからちぎって食べて」

「ありがと、アキラ」

「さんきゅ! 使わせてもらう」

 池ノ内はどれ食おうかな~と美月様のお弁当の上で、お箸をさまよわせた。そこへさらに彼を惑わせる天使の声。

「実は、この中にわたしの作ったおかずが一品入ってるんですよ!」

「えっ、まじ!? すげー。俺当てる」


 えっ、そうなの?


 また教室中の心の声が聞こえてくる。

 無念だが、あたしにできるのは割り箸を差し出すことまでだった。手のひらを返したように『お前のせいで天使の手料理が……』という怨念を飛ばすのは止めていただきたい。

 飛ばすなら池ノ内にしろ。

 池ノ内、これくらいに耐えられなければ美月様と添うことはできないぞ。がんばれ。

 そんな周囲の思いを知らずに、まるで付き合いたてのカップルのような初々しい会話が隣で続く。

「これにしよう! 肉巻きアスパラ」

「きゃあ、正解!」

「うん……。ウマイ!」

「わ~い、嬉しい!」

 それに慌てる雀野、雨宮、初瀬。

「え!?」

「ちょっとズルくない!?」

「そうよ、わたしだって食べたい!」

 

 とりあえず納まった『美月様勧誘騒動』に一息つき、新たに勃発した『美月様お弁当騒動』でわあわあ騒ぐ方々をぼんやりと眺めながら考える。池ノ内、ポイントリード。

 池ノ内は二代続く政治家の息子かァ。

 将来出馬しそうなのは現在大学生の長男のほうだが、白河の血はあって悪いものじゃない。格式と言う点では劣るが、池ノ内は悪くない物件だ。ちょっと天然ぽやぽや夫婦になりそうな危険はあるけど、そこはあたしと敬吾さんがバックアップするとして、クリーンで健康的な幸せ夫婦ってことで印象は良いかも……。


 美月様の将来設計に想像を膨らませながら、あたしはようやく席について豆腐ハンバーグを口に運ぶ。

 うん、冷めててもおいしい。

 それが表情で伝わってしまったのか、戦地から抜け出した池ノ内はとんでもないことを言いだした。

「なァ、白河妹。俺、そっちのハンバーグ食いたいんだけど」

「はァ? 姉さんの肉巻きアスパラ食べたじゃないですか」

「豆腐ハンバーグは食ってない」

「あたしパンいらないもん」

「じゃあヨーグルト一口やるから」

「ええええェ?」

 あたしが露骨に顔をしかめると、何に火がついたのか池ノ内はくっきりした眉をハの字に曲げて両手を合わせてきた。

「なあ、頼む! 半分でいいから!」

 快く弁当を分けていた美月様は、あたしのほうを向いてわずかに顔を険しくする。

「アキラ、いじわるはだめだよ?」

 ええー、いじわるじゃないです。だが、美月様には逆らえない。

 あたしは渋々お弁当箱を池ノ内に差し出した。

「半分ですよ?」

「やったー! さんきゅな、妹!」

「池ノ内先輩も、妹、なんて呼び方ダメですよ。ちゃんと名前で呼んでお願いしなきゃ」

「そっか、悪い。ありがとな、アキラ!」

「……ドウイタシマシテ」

 妹呼びも気持ちのいいものではないが、名前も嫌だ。白河でいいんだけど、それだと美月様とかぶるし……。複雑だ。


 池ノ内はにこにことあたしのお弁当箱にお箸をつっこみ、ハンバーグをさらっていった。

「おお、すげーうまい! アキラの手作り?」

「あたしが料理なんてできるワケないじゃん。姉さんマジすごい」

 そうだろうな、もっともだ、と鼻を鳴らしている雨宮たちと違い、池ノ内は豪快に笑った。

「俺も俺も! 全然できない! アキラいいなァ、料理上手な家政婦さんがいて」

 池ノ内につられたようにニコニコ顔の美月様に、あたしは文句を言う気が失せた。それに辰巳を褒められるのは嬉しい。

「ありがとうございます。伝えておきます」

「うん。今度はもっと大きい弁当箱にして、多めに詰めてもらって。俺の分」

「それは……んっ」

 伝えない、と言おうと口を開けた、その時。あたしの口にプラスチックのスプーンが突っ込まれた。


 パイナップルの切れ端の混じったヨーグルト。

「お礼!」

「よかったねー、アキラ! 池ノ内先輩と仲良しだね!」


 よくない。っていうかコレじゃあたしと池ノ内が間接キスじゃん。どうしてくれんの。今、あたしの背中に池ノ内ファンの鋭い視線がぶっすぶすに突き刺さってんですけど。「何あれ、池ノ内先輩に色目つかって、はしたない」って声、念波じゃなくて直に今はっきり聞こえたんですけど。


 池ノ内正輝のデータを更新、ヤツは要注意人物だ。

 今日のことを辰巳に言ったら、絶対すっごく怒るな。黙っていよう。





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