悪魔の油断
美月様は生徒会補佐という役職に強いやりがいを感じている。はつらつと学校に通う様子は、以前よりもイキイキしているようだ。美月様の人間的成長につながるよいきっかけだった、と今では敬吾さんも満足している。当主様も同じ考えだろう。
そんな美月様の傍らで、補佐の補佐として適度に役割をこなしていたあたしは、一つの結論に達した。
あたしが生徒会室にいる必要はもうない。美月様はすでに補佐としての地位を確立し、仕事も十分慣れた。最初に扉を開けることすら緊張していたときとくらべ、大きな変化だ。
鷹津も雀野も初瀬も池ノ内も、それぞれにけん制し合っているのか雨宮の睨みが厳しいせいか、美月様にちょっかいをかける様子もない。
ならばあたしの直接的な監視はもはやいらない。なにかあれば雀野から連絡をもらえるよう手配すれば、問題はないはずだ。
生活委員会や生徒会崇拝者の生徒たちを「ようやく不釣り合いな立場に気付いたのね」と大喜びさせてしまうことが腹立たしいが、余計な嫉妬心や恨みをこれ以上買うこともないだろう。事実、不釣り合いなわけだしね。
「面倒だからやーめた!」と言ってしまえば終わりだ。なぜならあたしは責任感とか使命感とか皆無の学園の悪魔だ。
敬吾さんと相談の上、いつその話を切り出すか考えていた矢先のことだった。
習慣化されつつある週に一、二度の雀野からの電話で、なんとあたしの評価がわずかながら上向きになっているらしい、と聞かされた。
おもにパシリだが、校内を駆け回るあたしの姿を見た生徒たちの間で「悪魔が天使と生徒会の厳しいな監視のもと、更正の道をたどろうとしている」「おかげで学園への被害が減った」と思われているようだ。なんとまあ、あたしの予期せぬところで生徒会補佐の補佐に対する容認の動きが見え始めたのだ。
「すずめのふくかいちょ~、あたしもう辞めたいんだけど」
『だーめ』
美月様への賞賛、鷹津への愚痴、おいしいお菓子、くだらない世間話。そんな雀野とのいつもの話の内容に本音をもぐりこませてみる。あっさり承知するとも思っていなかったが、あたしは言わずにはいられなかった。そして予想通りの返答に、あたしは卓上に置かれたスマートフォンをじっとり睨みつけた。ちなみに雀野との電話の際は必ずスピーカー機能にすることが辰巳によって決められていた。それをどう思っているのかは知らないが、雀野に抵抗感はないようだ。
『なんだかそんなこと言いそうな気がしていたんだ。でもどうして?』
「あそこにいる意味ないからダルいの。副会長が言ってたように鷹津が怪しい行動とるならまだしも、副会長だって姉さんにアプローチかけないじゃん。一般生徒は言うに及ばず。正直今って一番落ち着いてる」
『それは君がいるからだって思わない?』
「思わない。あたしはよく席を外してるけど、そっちが何も言ってこないってことは誰も動いてないんでしょ」
『……確かに、篤仁はおとなしいものだよ。でもそれとは別に、君がいることでプラスになっていることはある』
「ウソつけ」
『君のおかげでみんなのモチベーションが上がってるよ』
「そんなわけないじゃん」
あたしが鼻で笑うと、雀野は真面目に言い返した。
『そんなことあるよ。篤仁が雨宮や初瀬にハッパをかけている。見習いをバカにするならお前らはバカにされない仕事をしてくれるんだろうな、ってね』
「あたしがいなくても姉さんがいればかっこいいとこ見せたくて必死にもなるでしょ」
『君の評判だって上がったじゃないか』
「別にそんなのどうだっていい。それよりあたしは自由な時間がほしいのー」
そう、あたしは忙しいのだ。前までは丁寧に仕上げていた報告手帳だって、最近ではおざなりになっている。それで敬吾さんに怒られるのはあたしなのだ。今までこなしていた巡回や美月様の交友関係調査といったルーティンワークだって、生徒会のために時間をとられて満足に遂行できていない。時間はいくらあっても足りない。
『残念だな……白川さんはとても喜んでいたのにね』
その雀野の言葉に、あたしと辰巳の顔がそろってこわばった。そう、あたしの評価向上を誰より喜んでくれたのは他ならぬ美月様だ。
これもがんばった成果だよ、アキラ。これからも張り切ってこうね!
まぶしい笑顔が脳裏をよぎる。
『ね。辞めるなんて言わないでよ。君がいないとさみしくなる。篤仁だってあんなに楽しそうに君に構ってるしね』
根暗で卑屈、人の弱みにつけこむのが得意な雀野のせいで、あたしは辞めるタイミングを逸していた。それは美月様の笑顔が一番の理由だったが、それだけかと言われるとほんの少しひっかかることがある。
鷹津は毎回、なぜかあたしの隣に座ってお菓子やら何やらを差し出してくる。それらは常に美月様たちに用意されたものとはわずかに異なり、ともに食する罪悪感を軽減させてくれた。
最初に出されたユズジュースこそ口に合わなかったが、それ以降は実においしい一級品とよべる品々が出された。いや、別にほだされたわけではない。餌付けされたのでもない!
本来あたしがのぞむお茶会とは、辰巳と一緒に同じ席で同じものを食べることだ。
ではなぜ、気になるのか。それがわからない。
あたしは辰巳の物言いたげな視線に気づかぬふりをして、今も生徒会補佐の補佐見習いとして籍を置いている。
膠着状態に陥っていたわけだが、可もなく不可もないこの状況。
少し、油断していたのかもしれない。
高い位置でしっかり一本にまとめた髪。
ピアスも今日は外して、濃いアイメイクもマスカラも頬紅も中止だ。
スカート丈も膝下、ブラウスもはみ出していない。靴下も指定通りの純白。
あたしはくるっとまわって辰巳を振り返った。
「どーお?」
「そういったお姿もよくお似合いです。鳳雛学園の模範的な制服姿です」
その答えに満足したあたしは、カバンを手に意気揚揚と離れを出た。
門扉で行き会った美月様は、あたしの姿に目を丸くした。
「どーしたの!? アキラ!」
「ん? なにが?」
我ながら白々しい。だが、ちょっとだけ美月様の素直な反応を楽しませていただいた。
「なんで今日はしっかりした格好なの!?」
あたしはにやにやと緩む口元を抑えた。
「なんかぁ、今日はそういう気分だったっていうか」
「めずらしーい! でも新鮮で、なんだかいい感じだよ、アキラ!」
「ありがと!」
それからの道中は見ものだった。
すれ違う鳳雛学園の生徒たちは一様にぎょっと目をむき、自分の正気を確かめていた。それをストレートに表現してくれたのは、上都賀さんの「あなた、とうとう頭がおかしくなったの?」の一言だ。まともになったと思ってもらえないのが日ごろの行いというものか。
しかし当然あたしの頭はおかしくもまともにもなっていない。
いきなりこんな大変身を遂げたのにも理由がある。
風紀の柴犬こと松島少年が、ようやく『事前連絡』というものを覚えたのだ。
昨夜あたしのスマートフォンに届いた松島からのメールは、風紀委員によって不定期に行われる抜き打ち登校検査を知らせるものだった。
松島いわく罰則者にはペナルティが課せられるとのことだ。
罰則者という汚名を着ることに抵抗はないが、そのペナルティとやらが恐ろしい。また放課後捕獲されて反省文なんてごめんだ。面倒事を回避すべく、あたしは一時学園の悪魔、ワガママ女王の名を返上することにしたのだ。
「あれ、どうしたのかな。人だかりができてるね」
「え~、ホントだ~! 何かあるのかな」
「わたし見てくるね!」
美月様は、てててっと小走りに校内をのぞきこんでからまた帰ってきた。
「風紀委員の抜き打ち検査だって!」
それを聞いた上都賀さんは、露骨にうろんげな目をあたしに向けた。ま、バレますよね。あたしは素知らぬ顔で堂々と言った。
「そっか~、検査かぁ。でもあたしは大丈夫だな! この通りの模範的な生徒だし」
「あなたの口が曲がればいいのに」
「やっだー、もう綾乃たんってば愛情表現きつい~」
「黙って。……まぁ面倒ではあるけど、わたしや美月ちゃんには関係ないわね」
当然ながら美月様や上都賀さんは、常日頃から校則違反など一つも犯していない。鳳雛学園の生徒たちは大半がそんなもので、抜き打ちだろうが慌てふためく生徒はそうそういないだろう………と思っていたのだが。
なぜか校門前は、鏡を見たりカバンの中をごそごそしたりと忙しそうな生徒たちが群れをなしていた。
「ねえ、誰か定規もってない!?」
「靴下止め貸して!」
「校章バッジなんて式典のときしか付けないよー!」
普段の落ち着きはどこへやら、ぎゃーぎゃーと大騒ぎだ。
「え、本当になんなの。なんか怖いことでも起きるの」
今度は演技ではなく本気で困惑してしまう。好奇心半分恐れ半分で長蛇の列の先をうかがうと、その理由がなんとなくわかってきた。それと同時にあたしの顔からも血の気が引いていく。
「やだ~、スカート丈あと一・八センチも足りないの!? 身長伸びていたんだわ」
「まずい、角度が五度もずれている! どうして曲がってしまうんだ!?」
生徒たちは互いのスカート丈や校章バッヂの位置を定規で計りあい、髪の毛を整え、薄付の化粧や整髪料をごまかそうとしている。とはいえ、彼らは手直しの必要もないくらい模範的な学生の姿に見えた。違反行為をしているようには思えない。
しかしここは鳳雛学園。
もともと規律を守っている生徒たちを対象とする検査ならば、ハードルが異様に高いのが当たり前なのだ。
一・八センチ!? 五度!? おい、そこの男子生徒。分度器持ち出して何やってんの。ウソでしょ、制服の何の角度直すつもりなの!?
油断した。これは、あたしの付け焼刃模範生徒コスプレでは潜り抜けられないかもしれない。
察しのよい上都賀さんも同じことを思ったらしく、ぷっとかわいらしく噴出してあたしの肩をたたいた。
「せいぜい無駄な抵抗をするのね。美月ちゃん、行きましょ? 並びながらちょっと整えれば私たちは平気よ」
「うん、ちゃんと校則を守っていれば怒られることないもんね! アキラも大丈夫だよ、行こう!」
「ん、あ、うん……」
すっかりしぼんでしまったあたしのやる気。どうしてくれようか、松島。肝心なことを伝えそびれるあの柴犬は、一度よ~く躾ける必要がありそうだ。
検査は昇降口前で風紀委員と学生指導教員たちによって行われていた。各学年のクラスごとに並び、一人ひとり検査を受けてから校舎に入る。
「スカート丈は膝下十センチです。これは八センチしかありませんね」
「ヘアゴムは黒か茶と決まっています。花模様は許されていません」
「靴下は白の無地に限ります」
「この雑誌は学業に必要なものですか」
自分の番が近づいてくるにつれ、風紀の厳しい追及の声がよく聞こえてくる。重箱のすみをつつくような執拗なやり口に、あたしは大きくため息をついた。
恨みはしたが、どうせなら松島にあたってほしい。そうすれば少しは甘く採点してくれるだろう。だが、残念ながら女生徒は女性の風紀か教員が担当する決まりがあるようで、あたしのいるB組女子担当は家庭科の鶏がらみたいなオバサマ先生だ。普段は白河の名前を気にして黙っている彼女も、今日ばかりは学校行事の名目を借りてぐちぐちとあたしを袋叩きにするのだろう。
隣の列の美月様のほうをうかがうと、きりっとしたポニーテールの風紀委員であろう女生徒がきびきびと検査を進めていた。美月様は少し緊張した面持ちだが、上都賀さんが何か軽口でも飛ばしたのだろう、かわいらしい笑みを浮かべている。これなら心配はいらないだろう。
さて、いよいよ回ってきたあたしの番。
鶏ガラ先生はくいっと張りのない細い首を動かすと、上から下まであたしをじろじろと見た。
「白河アキラさんね」
「はぁい」
「あなたはあっちよ」
「へ?」
鶏ガラ先生は校舎の中を指さした。まだ検査も受けてないけど、行っていいの? 一瞬期待してしまったが、やはり甘かった。彼女が示したのは校舎ではない。
下駄箱の先で背筋を伸ばしてあたしを待ち構えている長身のシルエット。
言わずもがな、鋼の男、風紀委員長城澤隆俊だ。
「おはよう。君は俺が直接指導したほうが良いという意見が出た」
「……朝っぱらからゴクローなこって……」
城澤はいつかのようにあたしの手首を拘束し、誰もいない廊下を足早に歩いていく。
「も~、だから逃げないよ! 逃げるつもりなら最初っから来ないっての」
「そうだろうな」
「わかってるなら手、離して」
ぐんぐんとおかまいなしに進む城澤の背中に強く言っても、城澤はおかまいなしだ。
油断その二。今更制服をただしてみたところで、あたしはもはや通常の検査対象とはみなされていなかった。だからこんな特別扱いなんのだろう。
以前より城澤への苦手意識は減っていたが、こういうことなら話は別だ。城澤は冗談も白河の家柄も通じない面倒な男だ。罰則フルコースの予感に震えてしまう。
通いなれた特別棟最上階だが、城澤が目指した先はいつも入る生徒会室ではなくその隣の風紀室。城澤はあたしを先に中に入れると後ろ手に重い扉を閉めた。
「ねー城澤ぁ。見てもらえばわかると思うけど、あたし今日はそんなにヒドい格好じゃ……」
「なぜ俺を呼ばない?」
あたしの弁解をさえぎり、城澤は鋭く言った。
「なぜ、俺を呼ばなかったのかと聞いている」
城澤はひどく重たく冷えた目であたしを見下ろしている。
「伊知郎を通して伝えているはずだ。聞いていないとは言わせない」
「や、松島からは確かに聞いてますけど」
城澤が怒気を散らす理由がわからず、あたしは一歩あとずさるが、扉を背に立っている城澤からは逃げられない。
「ならなぜ。教室にも風紀室にも来ない、伊知郎伝いでも連絡一つよこさず、どうしていた」
「だって……。城澤のこと呼ぶ必要なかったから」
これはちゃかしたりできる雰囲気ではない。あたしが真面目に答えると、城澤はきゅっと眉をひそめてから大きなため息をついた。張りつめた空気が緩む。
「まったく、君は……」
「ねぇ、何怒ってんの? 怖いよ?」
まだ何もしてないよ、とあたしが言うと、城澤は諦めたように首を振った。
「もういい。よくわかった。君はとても素直だ、それは評価すべき美徳だが危ういな」
城澤の感想に、あたしはぎょっと目をむいた。今まで言われたことのない言葉に、鳥肌がぞわりと立つ。
「はぁ!? あたし以上に頭腐ってんの!?」
「腐っていない」
城澤はしわの寄った眉間をもむと、仕切り直しだとあたしを検分し始めた。
「髪、ピアス、化粧、スカート丈、ブラウス、靴下」
つらつらと唱えた城澤は、腕を組んで頷いた。
「これは以前、俺がアキラくんに改善を促した点だ。細かいところはともかくとして、一応直っている、と言える」
「でしょ? えらい?」
「偉い。だがその反面、つけていない校章、よれよれのカバン、上靴のカカトを踏み潰しているところ、その他もろもろの俺が注意していない点はまったく直されていない。これを素直と言わずになんと言う?」
う、と黙ったあたしに、城澤は重ねて言った。
「何かあってもなくてもいいから呼べ、と言ったのに、必要がないからと俺を頼らない。それもある意味素直だ」
いや、それは素直とかじゃなくて普通だ。用事もないのに呼ぶヤツがいるか。だがあたしの心の突っ込みは届かない。
「仕方ないからこうやってこっちから理由をつけて君を連れてこなくてはいけなくなった」
「まさかあたしのこと呼び出すために検査始めたの?!」
「ついでだ。先輩としての義理だけじゃなく風紀の務めも果たせる。一石二鳥だ」
はたしてどちらがついでなのかハッキリしない答えだったが、この鋼の男は大真面目に言ってのけた。
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