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悪魔の悪夢

 



 休んだ気がしない週末が終わり、あっという間に月曜日だ。気が重いったらない。

 喜ばしいことに美月様は朝から元気いっぱいだ。

 大きく手をふり、やる気満々で学校へ向かう道すがら、あたしにぐっと握りこぶしを突き出した。

「アキラ、今日から生徒会がんばろうねっ!」

「あー、うん。まあ、それなりに」

「アキラー?」

 あたしのやる気のなさを感じ取ってか、美月様は笑いつつもあたしを咎める。

「がんばるウ……」

「いい子!」

 頭を撫でてくれる美月様に、上都賀さんはちょっと意外そうに言った。

「美月ちゃんはともかく、そっちもちゃんと続いてるのね」

「まぁね」

 彼女はあたしがとっくに仕事を放り投げてるかと思ったらしい。本当だったらそうしたい。

「最初こそ反発もあったけど、今じゃ野放しにしているよりいいかもって言われてるのよ。知ってる?」

「はっ! あたしは野獣か何かかっつの」

「似たようなものだわ」

 辛辣な上都賀さんだが、どこかあたしを心配してくれているようないないような。願望まじりの自意識過剰か。

「アキラはね、今日からより一層がんばるって決めたの! だから大丈夫だよ、綾乃ちゃん!」

「ならいいけど。美月ちゃんの負担になったら大変だわ」


 最近は美月様が生徒会にいそしむあまり、上都賀さんと接触する機会が少なくなっている。二人の仲はどうなるか、と少しばかり心配だったが、こうして朝の登校は一緒だしクラスメイトであるお二人は問題なく過ごしているようだ。

「あっ、職員室に生徒会の書類おいてこなくちゃ! 朝一でやるようにって言われてたの」

「私もついていく?」

「ううん、いいの! 教室で待ってて」

 先に行くね、と美月様は小走りに校舎へと向かっていった。上都賀さんは笑って手をふっているが、やっぱり寂しそうだ。


 二人になったところで、あたしは上都賀さんに声をかけた。

「ねえ、綾乃たん」

「その呼び方やめてって何回言えばわかるの?」

「姉さん、今ちょっと新しいことに夢中みたい」

「……そうね。でも、やる気に満ちてる美月ちゃんってすごく素敵だわ。こっちも頑張らなきゃって気持ちになる」

「うん」

 それは美月様に拗ねたところがないからだろう。

「さみしくはない?」

「ちょっとだけ」

 こけしみたいで愛嬌がある上都賀さんの幼顔に、苦笑がのる。少し胸が痛い。

「でも姉さん、綾乃たんのこと大好きだから」

 上都賀さんに生徒会という連中に必要以上の思い入れがないのも幸いだった。彼女は冷静に校内での立ち位置を決めているようで、危ないラインには決して近づかない。ましてや美月様を利用して生徒会に取り入ろうなどとは絶対に考えないだろう。そういうご友人は貴重だ、ぜひとも大事にしてほしい、とあたしは思っている。

「ちゃんとわかってるわ。それに私だって美月ちゃんが大好きよ。余計な心配は無用」

「ああん、やっぱり綾乃たんステキ!」

「気持ち悪い」

 そう切り捨てた上都賀さんは、もだえるあたしを置いてさっさと校舎に入っていった。




 美月様が生徒会入りしてからというもの、めっきり美月様に告白しようとかいう愚か者は減った。鷹津のお気に入りという噂によるものか、生活委員会からの圧力か、原因は複数あるだろうが、それによってあたしの仕事が少しばかり減ったことは間違いない。

 しかし、反面あたしの負担は増すばかりだった。


「見習いー、これ二十部ずつコピー!」

「見習いさん、部費の用途バレー部とサッカー部と手芸部に明細聞いてきて」

「あ、コピー用紙少なくなった! オレ取りに行って……」

「待ちなよ、正輝。そういうのこそ見習いの出番でしょ。帰りに持ってきなよ」

「ついでに新しいトナーもそろそろ欲しいわ、申請しておいて」


「はぁ~!? なんであたしが!?」

 放課後、足取り重く生徒会室に入った途端にコレだ。別段忙しそうには見えない。それなのに、これだけ一度によくもまぁ用事を言いつけることができたものだ。

 当然文句を言うあたしだが、そのセリフを待ってましたとばかりに雨宮はツンと細い顎をそらした。

「やるって決めたんでしょう」

「う」

 どうにかしろよ、と雀野を見れば、彼は素知らぬ顔でキーボードをタイプしている。あの野郎、一昨日の大爆笑すっかりなかったことにする気か。感謝するなら態度で示せよ、もー!

「パソコンも使えない、事務処理も苦手っていうあなたにできそうなこと任せてあげているのよ? これくらいさっさとこなして」

 眼鏡の位置をわざとらしく直している雨宮に続き、美月様が今朝と同じように拳を突き出す。

「アキラ、がんばって」

「うう、姉さん……。わかった、がんばる……」

 しぶしぶと頷いて初瀬からぞんざいにコピーする原紙を受け取る。いじけて背中を丸めながらまた生徒会室を出ようとすると、今度は鷹津があたしを引き留めた。

「アキラ」

「なんですかぁ? あたしもォキャパシティオーバーなんですけどォ!?」

「気を付けて行っておいで」

「………はぁい」

 何にだよ、という突っ込みがとっさに出てこないほど、鷹津は優しい笑みを浮かべていた。




 コピー機ってハイテクだなぁ、十枚もあるのに、一つボタンを押しただけでページ順に並べて部数分コピーできるんだもんなぁ。

 あたしはろくに触ったこともないコピー機に悪戦苦闘しつつ、あふれ出る紙の束に感心していた。

 職員室隣の印刷室は教師に申請すれば誰でも自由に使える。あたしが職員室に入ったときはちょっとした騒ぎになった。そりゃそうだ、学園の悪魔、白河アキラが絶対に踏み入れないであろう場所が職員室だ。

 無言で突き出したコピー機使用願いに、担任教師は二度三度とあたしと申請書を見比べて冷や汗をかいていた。そして一言、「本当に生徒会の仕事やっていたんだな……」という無礼な言葉は聞かなかったことにしておいてあげましょう。


 そうでなくても、さきほど訪れたバレー部とサッカー部と手芸部には大げさなほど驚かれた。各部の部室をまわり出納帳再提出依頼の紙を渡すだけの単純な仕事なのだが、その仕事を行う白河アキラに問題があった。部ののっとりか、部費の強奪狙いか、はたまたただの嫌がらせか。「うわあ! 出た!」と面と向かって叫ばれたあたしは、どうリアクションすればいいのだろう。

 できる限りの期待に添えるように、汚い汗臭いせせこましい、と罵倒を繰り返しながら配達を終えたところだ。どうぞ諸先生方、なんとでもおっしゃってください。


「……でも実際、らしくないよね」

 学園の悪魔、ワガママ女王。なんでこんな素直に仕事しちゃってるの?

 不自然ではないか。

 めんどくさくなったからやーめた! と生徒会室に戻るのも一つの手ではないか、とふと思いつく。しかし、それでは最悪生徒会室から追い出されてしまう。仕事はこなしつつもなんとか手を抜きました、とわかってもらえるようにするには何をすればいいか。

 生徒会の連中は仕事中は案外真面目で、美月様にちょっかいを出すほど暇ではなさそうだ。

 ならこの時間、少しばかりあたしがいなくても平気だろう。

 そう決めたあたしは、棒付飴をくわえて窓を開けた。

「休憩休憩」

 校内を歩き回って疲れたところだ。ちょうどいい。適度に時間をつぶしてから戻れば、きっと雨宮は「こんな簡単なことにどれだけ時間をかけるのだ」とヒステリックに怒ってくれることだろう。

 窓枠から身を乗り出してみれば、部活動にいそしむ運動部の姿が見えた。青春してるね。

 ガーッ、ガーッと音を立てて紙を排出していたコピー機はもうとっくに黙っているが、あたしは外を眺めたままぼうっとしていた。あと十五分は粘るつもりだ。


 時刻は五時手前。

 ちょっと前までは美月様の帰る後姿を見送ってちょこちょこと報告を済ませ、そろそろあたしも帰ろうかという時間帯だった。

 それが今や生徒会の雑用タイムとは。

 飴の棒をたばこのように指ではさみ、漏れ出るため息の代わりに見えない煙を吐き出した。

 そこへぶぶぶぶ、と震えたスマートフォンにいやな予感がして画面を見れば、美月様からのメールだった。

 文面はこうだ。

『お仕事はうまくいった? みんなで待ってるよ! よかったら手伝うよ』

 なかなか戻らないあたしを心配してくれているようだ。

『コピー機ってなんでこんなにボタンついてんの? 意味わかんなくてまじムカつく! でもあと少しで戻るから大丈夫だよ~!』

 あたしは本音も交えたメールを打ち返し、小さくなった飴をころがした。

 まだ早い。あと少し、あと少し。




「ただいまぁ。もー超大変だった! 部室の場所はわかんないし、コピー機は複雑怪奇だし紙は重いし」

 きっかり十五分後に印刷室を出たあたしは、盛大に愚痴をこぼしながら生徒会室に帰還した。ちなみに持って帰ってきたコピー用紙はたったの一包。怒られるのも想定済みだ。さて、どんな形相で待っているかと思えば、雨宮達は意外にもすまし顔だ。そんな中、美月様だけが少しばかり気まずげな様子だった。

「お帰り、アキラ! ごめんね」

「え」

 美月様はなぜか出迎え早々に謝ってくる。どうしたの、と聞き返す前に、あたしの胸はドクンと強く脈打った。

「アキラが遅かったから、先にみんなで食べちゃったの」


 各々のデスクに置かれた使用済みの皿とティーカップ。

 ローテーブルには、大皿に残ったワンピースの真っ白なケーキと冷めた紅茶。


「あーあ、残念だったね! 今日は最初だからって会長が同じもの食べさせてくれようとしてたのに」

「あんな単純作業でここまで手こずるほうが悪いのよ」

「美月ちゃんの淹れてくれたお茶はすごくおいしかった! 誰かのとは大違いだ」

 初瀬や雨宮の意地悪な言葉なんか頭に入ってこなかった。それよりも面倒なことでいっぱいになっていたからだ。

 ああ、そうか。

 思い出した。

 なんで美月様と同じ場所で同じものを食べたくないのか。




 白河家に引き取られてから間もなくのことだ。

「アキラ、遅かったね」

 いつもいつも美月様はそう言っていた。

 美月様はお優しいから、「お父様とゲームをしよう」「お母様と映画を見よう」「家族みんなでオヤツを食べよう」と誘ってくれる。あたしはうなずいて美月様のあとに続こうとするのに、毎回誰かの手があたしを止めた。

 お洋服が汚れていますから、お着替えしてからにいたしましょう。

 まだ今日の分のお勉強が済んでいませんよ。

 オヤツの前には手を洗わなければいけません。

 理由は様々だったが、あたしはいつもいつも遅れて美月様を追いかけた。早くしなければ、急がなければ、と。そして見つけるのだ。


 決着のついたボードゲーム、エンドテロップの流れる映画、そして円形状だったケーキの残された一かけら。

 美月様への愛情の残りカス。

「アキラ、遅かったね」


 ああ。また間に合わなかったのか。


 ゲームは一人ではできないし、映画を見る気にはならないし、一人リビングで食べるケーキはまるで砂をかむようだった。おかげであたしはいつしか美月様のお誘いをさらっと理由をつけて断るようになり、美月様がお好きなチョコレートや洋菓子をあまり好まなくなった。

 期待を裏切られた喪失感、孤独感、寂寥感。

 幼いあたしは失敗を何度も繰り返し、ようやく彼女たちの家族団欒の場に入ってはいけない、と学んだのだ。そこにあたしの居場所はない。

 仕える白河本家との適切な距離感というものを教え込まれる過程でのことだ。




 まさか、それがトラウマとなっていたとは。辰巳があたしのところに来てくれてからすっかり忘れていた感覚。

 あたしはドクドクと鳴る心臓の喧しさにめまいがし、とっさにソファの背をつかんだ。 

「アキラ?」

「ん? どしたの、姉さん」

「顔、真っ白だよ」

「えー? ファンデ塗りすぎたかな」

 あたしはふふっと笑ってそのままソファに腰を下ろした。

 おーっと、いけない、いけない。これでは雀野のこと笑えないじゃないか。情けないぞ、あたし。

 こいつらと一緒にお茶がしたかったワケではあるまい。

 昔のことを思い出してグラついてどうする。

 あたしはにっこり笑って言った。

「わーっ、おいしそう! 今日はあたしも同じもの食べられるんだーっ。間に合わなかったのは残念だけど、うれしい!」

「おいしかったよ、とっても! 中にフルーツがいっぱい入ってるの。ゼリーの層もあってね……」

 美月様は断面を指さしながら教えてくれる。

「へぇ。でも失敗した、あたしさっきお腹すいて菓子パン食べちゃったんだよね」

「ええーっ?」

「今おなかいっぱいで食べられないや」

「もー、アキラってば!」

「パン食べる暇があったっていうの?」

「パン食べながらコピーしてましたー」

 雨宮の睨みもケーキもするっとかわし、あたしは冷たい紅茶だけをいただいた。

「おっ、冷めてもおいしい。さすが姉さん」

 そう言えば、ちょっとだけあたしを叱った美月様はふにゃりと笑ってくれる。

 これでいい。

 これで、大丈夫。

 はやく帰ろう。

 帰れば、辰巳がいるから。


 自己暗示じみた精神の安定を図っていたこのとき、鷹津がどんな目であたしを見ていたかなんて気に掛ける余裕はなかった。




「アキラ、今日はがんばりすぎて疲れちゃった?」

「そうかも~。あいつらいろいろ言ってくるし!」

「こーら、口が悪い」

「ごめんなさーい」

「ふふ、いい子」

 帰り道、あたしは持たされたケーキを片手に、美月様の様子をうかがった。

 どうもあたしの顔色は悪いままのようで、美月様に心配をかけてしまった。だが、その理由が生徒会の雑用だと思ってくれていれば問題はない。

「あれ? なんだろう、あの車」

 意識を戻すと、白河家の長い塀の先の門扉からトラックがちょうど一台出ていくところだった。

 六時をまわっても外は明るい。トラックの横にはよくテレビで見る有名な警備会社のロゴが入っていた。

 まさか泥棒か何か入ったのか?

 いや、それならなぜ連絡があたしに来ない。

「システムの点検、かな。たいしたことじゃないと思うけど」


 母屋に入る美月様と別れて離れに向かうと、辰巳と敬吾さんが縁側で何やら話している最中だった。

「ただいま戻りました」

「お帰りなさいませ、アキラ様」

「お帰りなさいませ」

 あたしを見るなり、辰巳はわずかに眉をひそめた。センサーにひっかかってしまったのだろう。

「アキラ様……」

「敬吾さん、さきほど警備会社の車が入っていたようですが、何かありましたか」

 辰巳のお小言は後回しだ。

「今そのことを辰巳くんに話していたところです。詳しいことは彼から聞いてください。今日の報告はまた後で」


 敬吾さんは早口に言うと、さっさと母屋に戻ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、

「どうしたの、辰巳」

と尋ねればぐっと手をひかれた。

「それは俺のセリフです」

 いつの間に降りてきたのか、辰巳はつっかけを履いてあたしの背後に立っていた。

「どうなさったんです」

「ん?」

「怖いことでもありましたか」

 その言い方、まるで小さい子ども相手みたいだ。

 あたしがくっと笑うが、辰巳は険しい表情をくずさなかった。

「アキラ様」

「……怖いこと、あったよ」

「何があったんです」

「あったなぁって、思い出してた」

「え?」

「今は大丈夫ってこと」

 あたしは大きく息を吐き出して、辰巳にしがみついた。

 ああ、ようやく呼吸ができる。やっぱり辰巳はあたしの精神安定剤だ。

 手から落ちたケーキの包みが、ぐしゃりと地面にぶつかった。




感想のお返事が遅くなって申し訳ありません。ですが、本当にどれもうれしく思っています。

更新するたびにいただける感想に、このつたない作品を待っていてくれる方がいるんだ! とやる気がわいてきます。

更新も引き続きがんばります。

ご意見、感想、お待ちしております。



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