悪魔と根暗雀のおしゃべり
コンコンコン、と性急なノックの音が静かな廊下に響く。美月様のお部屋は母屋の三階だ。
「はーい! どうぞ」
「姉さん、入るね」
「あれ、アキラ? 珍しいね!」
美月様の部屋は当然ながら洋風で、ちょっとした天蓋付のベッドやパステルカラーでまとめられた調度品が置かれている。主と同じくかわいらしい印象だ。
美月様は机にむかい、初瀬からもらったアルバムを眺めているところだった。ちょうどよかった、あたしもそれに用がある。
「ねー、あたしもそのアルバムもう一回みたいな」
「これ? いいよ! また行きたいね、今度はサーカスでも来ないかなぁ」
自分が見ていたというのに、美月様は快くアルバムを貸してくれる。あたしはそれを受け取ると、バラバラとページをめくって例の写真を探した。
美月様の前でひざまずく道化。
彼の鼻筋はきれいに通り、形のよい唇は厚めでセクシーだ。しゃがんでいてもわかるそのスタイルの良さ、そして艶のある黒髪。
まったく気づかなかった。
さっきまで間近で見ていたというのに!
「御曹司があんなマネするなんて……」
「え?」
こぼれたあたしの呟きに美月様は聞き返したが、答えるつもりはない。普通なら呆れかえるか眉をひそめる行為だが、美月様はきっと真正面から感激しスゴイスゴイと褒めるだろう。こんなところで奴の株をあげることはない。
「ありがとう、姉さん」
「もういいの?」
「うん、充分だよ」
あたしはアルバムを返し、首をかしげる美月様をそのままに部屋を出た。
「まさか、ホントにホントなんだ……?」
『僕を疑っていたのか。あの道化は正真正銘、鷹津篤仁だよ』
離れに駆け戻ったあたしを出迎えた少し不満げな声に、あたしは当然だと言い捨てた。
「信じるかっての! だって鷹津だよ?」
雀野の伝えた衝撃の事実。疑わしいことこのうえなかったが、あの写真を見た後だと納得せざるをえない。あれは鷹津だ、確かに彼だ。あんな人間が二人といてたまるか。
「そもそもなんで大道芸なんか!?」
『たぶん、白河さんに会ってみたかったんだろう。大道芸フェスティバルの宣伝チラシを持ってきたのは篤仁だ。僕たちが白河さんを補佐に抜擢しようとしていることはその時には知っていたはずだから』
「で、雀野先輩は素直にチラシを姉さんに見せて、連れて行って、ばっちりお膳立てしたってワケ? 完全にいいように使われてるじゃん! それで本気で姉さんのこと好きとか信じられない」
『し、仕方なかったんだ……』
あたしは辰巳が差し出した湯呑を一気にあおった。
「っはー、ありがと。母屋からの往復は疲れた」
『……本当に離れで過ごしているんだね』
「当たり前でしょ。それより、なんで仕方ないの」
『僕は鷹津のおじ様……いや、篤仁の父親から直々に頼まれていてね、日本での篤仁のお目付け役なんだ』
「何それ。なんで雀野の坊ちゃんが鷹津の坊ちゃんの面倒みる必要がある」
いくら幼馴染といえど、そこまでする義理があるのだろうか。あたしが眉根を寄せると、辰巳が控えめに口をはさんだ。
「アキラ様。鷹津家当主と雀野家当主は幼馴染と聞いております」
「あ」
ああ、そういうことか、とあたしはげんなりと顔をしかめた。見るまでもなく敏感な雀野にも伝わったのだろう、彼は黙り込む。
「オーケーオーケー、お二人の関係って根が深いのね」
『……察してくれて助かる』
つまるところ、鷹津と雀野の力関係は親世代譲りなのだ。
「しっかしバカじゃないの、鷹津って。それだけのためにあんなことやるとは。というか、やれるのがスゴイっていうか」
『篤仁は器用っていうか、才能の塊なんだ。なんでもこなすよ。しかもやるって決めたら恐ろしいほどの集中力と徹底した努力で、自分の中の才能の芽を引き延ばす』
「才能の塊ね。でも努力家」
そういうタイプ、一番強いよね。
才能にあぐらをかいてくれるなら、まだ対応策はあるんだけど。
『まあ、あの大道芸の一座とは留学中の知り合いみたいだったけど』
「はぁ? ますますわかんない。どういう交友関係結んでんだっつーの」
『付き合いの長い僕でもそれはわからないよ……』
二人同時にため息をついたあたしと雀野。だが、彼はまた気を取り直したかのようにぷっと噴出した。
『だからこそ! 今日の君にはスカっとしたよ』
「いや、あれはあたしがどうこうっていうより鷹津の自信過剰でしょ。なんであんな花束一つ大事にとってあると思うのよ」
『けっこう子供っぽいところもあるロマンチストなんだよね。きっとあとで打ち明けるつもりだったんじゃないのかな。あのときから貴女のことを想っていました、とか』
「うっわ、さむ!」
『ははっ! 僕もそう思う。けど篤仁がやると洒落にならないくらいキまるよ』
「うっ、どうしよう。確かに姉さんそういうの好きかも」
美月様は運命の相手を自分でみつけにいく、というロマンチストだ。鷹津と気が合いそう、と言えなくもない。というか、そんな演出されたら鷹津を運命の相手と信じ込んでしまうかも。
しかし雀野の声は明るかった。
『僕もちょっとそれは心配なんだけど……。たぶん、君のおかげでその手は使えなくなったんじゃないかな』
「プライド傷ついたって? あたし鷹津が怒ったとき本気で鳥肌たったからね!? そんなことであんな怒気散らすの!? 何をバカな。鷹津ってわかってたならともかく、こっちはただの大道芸人だと思ってるんだから」
『でも、篤仁だからなぁ。フェスティバルのあとも、あの仮面の男は誰だって騒がれたみたいだし』
「へぇ」
『君は違うの?』
少し意地悪げな、試すような口調の雀野に、あたしは意地悪で返してやった。
「いい男だとは思うけど? 少なくともライバルの手助けしたり下手な変装してコソコソ様子うかがったりしてる情けない誰かよりは」
『え、見てたの?』
「サングラスくらいじゃバレバレ」
『……君、やっぱり変な子だねぇ』
「はぁ?」
あたしの嫌味に、雀野は怒るでもなく嘆くでもなく、なぜか感心したようにつぶやいた。
『篤仁のほうがよっぽど目立つと思うけど、あの人ごみで僕を見つけるなんて』
あたしは何も言わずに辰巳に目配せをして、肩をすくめてみせた。
こいつ、本当に卑屈だな。
鷹津篤仁という存在が輝きすぎていて、自分の美しい光がわかっていないのだろう。今までさんざん生徒会会長としてチヤホヤされていたにも関わらず、鷹津の帰還以降自ら身をひそめるように影を薄くしているきらいがある。
『君、今心の中で僕のこと貶したろう』
本当にもう! まだ口に出してないって!
「そうです、その通り。マジ根暗、マジ卑屈」
『そうなんだよ』
「認めないでよ!」
『だって君には情けないところをもう見られてるから』
開き直った卑屈な男は厄介だ。案外不屈だったりするし。
『そうそう、今日のことで僕は少し思うところがあってね。こんな僕でもまだまだ勝機はありそうだって自信がついたんだ。君のおかげだ』
「さっきまでの話でいったい何が……?」
『篤仁が何を狙っているのかって話さ』
「ん?」
しいて言うなら、収穫といえば鷹津の美月様を口説く手段が一つつぶれた、というだけではなかったか。ついでに言えばあたしが鷹津のプライドを折ったってことか。
『なぜ篤仁があんなに怒って、それを一瞬で治めてみせたかってことがポイントだよね。いったい誰がそうさせたのかな』
「ええ?」
雀野の話はわかりにくい
それなのに、雀野は一人でさくさくとしゃべり続けた。
『やっぱり君を生徒会に呼んでよかった! あんな大笑いしたの久しぶりだよ。時々電話していい? 学校で話すと何かと面倒だから。辰巳さんも交えてさ』
「あたしじゃなくて姉さんにすればぁ? ま、内容はすべて筒抜けで午後八時以降は電話もメールも禁止ですが」
『白河さんとじゃ緊張してうまく話せないだろう』
「堂々と言うことですか、情けない」
『そうなんだよ』
「だから簡単に認めるなって!」
なんやかんやとくだらない話を交えつつ長電話が終わってみれば、あたしのアドレス帳には一件連絡先が追加されていた。しかもメールアドレス付だ。
本当はこの登録番号には上都賀さんのアドレスを狙っていたのだが。
スマートフォンのデータと照合してみると、そこに載っていたものと今教えられた連絡先は異なっていた。ということは、これは白河の探りでは手に入らなかった雀野のプライベートナンバーということになる。使える使えないは別にして、貴重なものではあることは間違いない。
「こんなに長く電話で話したの初めて」
「アキラ様はほとんどお使いになりませんからね」
「ねぇ辰巳。雀野の言ってること、意味わかった?」
「何がでしょう」
「何がって」
たいていはツーカーで通じる辰巳との会話。こういう返事が返ってくることはあまりない。
「……さては辰巳、わかってるな?」
「いえ、まったく」
「だからー、なんで鷹津は怒って、なんですぐ治まったかってことー!」
「俺にはまったく」
「こらー! さてはあたしが美月様のところ行ってる間に二人で何か話したでしょ! 何言ってたのー?」
あたしは辰巳に背後からしがみつき、耳や頬をひっぱった。しかし辰巳は何も知りません、と首をふるばかりだ。
えーい、頑固者め。
「ふぉれより、あひらさま」
「何よー。辰巳が何言ってるのかわかんなーい」
のびた頬のせいで滑舌の悪くなった辰巳は、ふにゃふにゃとかわいく無慈悲なことを言った。
「このたびのこと、いわどひゃんにおふたへしなくては」
この度のこと、岩土さんにお伝えしなくては。
あたしはザッと血の気が引くのを感じた。
夕方過ぎにご帰宅した当主様たちは、お夕食時に美月様のおしゃべりを聞いてさぞ驚いたことだろう。
まさか学園内でも十指に入る有名人たち、生徒会役員が全員我が家に訪れていた、というのだから。
「あなたがいながら軽率にもほどがあります」
「はい、すみません」
「雨宮様がいらっしゃったからまだ良かったものの、男性のご友人を四人もお連れするとは。よからぬ噂がたったらどうするんですか」
「はい、浅はかでした」
「采配は三舟さんが滞りなく行ってくれたようですが、万が一不始末でもあったときはどう責任をとるつもりですか。とれるんですか」
「いえ、その……」
何も言えないあたしに、敬吾さんは一メートル級に積もった積雪のような息をついた。
ご立腹です。眼鏡の奥の切れ長の目、不穏な光が宿ってます。
「大方美月様が勝手に決めてやったことなのでしょうが、聞くとアキラさんはすっかり寝こけていたらしいですね。それで離れにまで客人を連れ込んだと。あなたが頭の悪い軽い人間だと見られるのは、学校だけで十分です」
「はい……」
「さて。では報告をお願いします」
いつものように書斎で待ち構えていた敬吾さんは、あたしに反論の間もあたえず叱責から始まった。暖色のランプがついているのに、なんだか寒い。すっごく寒いんですけど、この部屋。
しかし弁解もできない失敗を犯したのは確かだし、あたしはおとなしくショボーンとへこむ。あとは淡々と今日あった事実を告げ、敬吾さんの判断を仰ぐだけだ。
「―――――― ということで、雀野光也の電話番号を得ました」
「ふむ。……鷹津篤仁の行動の理由、ですか」
ブリザードをまき散らしていた敬吾さんだが、雀野との会話のことを話すと少しだけ嵐が治まった。何か考えているようだ。
「あの、敬吾さんならわかりますか」
「鷹津様はずいぶんと個性的な方のようですね」
「え、ああ、まぁ」
「……案外、本気なのか」
「何がですか」
敬吾さんはあたしの二番目の問いには答えず、氷の刃の切っ先をあたしに突き付けた。
「いいですか、アキラさん。プライドを傷つけられた鷹津様は、あなたへのアプローチの真似事を始めるかもしれません。餌付けもその一環です。雀野様は、一時的にせよ美月様への鷹津様の執着が薄れるかもしれないと期待しているのです」
「ああ、なるほど!」
そういうことか、とあたしはようやく納得した。
雀野の機嫌がいいわけだ。
「しかし、あなたはご自分の立場を忘れてはいませんね?」
何度も繰り返された問いかけに、あたしはいつものように返事をした。
「はい、もちろん。あたしは白河に使える人間です」
鷹津に付け込まれ、白河の不利益になるようなマネは絶対にしない。
これだけは自信をもって言える。
あたしは強い意志をこめて敬吾さんを直立不動で見返した。
敬吾さんはようやく満足したように、できあがったあたしの氷像にうなずいた。
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