悪魔と紅茶と来訪者
「アキラー? もしかして寝てるの?」
「いやね、何時だと思っているのかしら」
「へー、こんな離れがあるんだな」
「趣とかワビサビじゃなくてボロいだけだね、これは」
「こら、初瀬」
「だってホントのことだし。雀野先輩だってそう思わない?」
聞きたくもない声がいくつも聞こえる。なんで? 今日は幸せの土曜日でしょ?
あたしはがばりと体を起こし、あわてて周囲を見渡した。押し入れの中しか隠れる場所が見当たらない。いや、なぜあたしが逃げる必要がある! ここはあたしの部屋だ、辰巳と美月様以外誰も訪れない、あたしだけの空間のはず!
そうは思うのだが、事実彼らはここへ向かっている。話声がこんなにはっきり聞こえるのだから、もう母屋からの渡り廊下に来ているはずだ。
今すぐ迎撃して追い出したいところだが、今のあたしは化粧はおろか寝巻すら着替えていない情けない格好だ。髪もぼさぼさになっていることだろう。せめて部屋に鍵がついていたらいいのに! こんな時ばかりはオープンな日本文化をうらむ。
どうしよう!
足音がすぐそばまで迫る。
「辰巳」
あたしは鏡台の上に置かれたスマートフォンへ手を伸ばした。祈るような気持ちでボタンを押す。
何度でも言わせてもらおう。
辰巳はあたしにはもったいないほど有能な世話役だ。
「お待ちください」
ワンコールなるかならないか、というタイミングで、辰巳が離れに戻ってきたのだ。いつもよりわずかに固い響きの辰巳の声に歓喜したあたしは、すぐさま電話を切って外に耳を傾けた。
廊下にたちはだかる辰巳のシルエットが障子にうつる。
「ここから先はどうぞご遠慮ください」
「はぁー? せっかく出向いてやってんのに、なにその言い方」
初瀬は思いっきり不機嫌そうだ。だが、辰巳の態度は変わらない。
「客間にご案内させていただきます」
「いいって。ね、美月ちゃん」
「あの、せっかくみなさんが来てくれたのでアキラも呼びにきたんだけど……」
「はい、後ほどお連れいたします」
「だからー、今迎えに来てあげてるって言ってんじゃん!」
「はい。ではお先に皆さまを客間へ」
見なくてもわかる。辰巳は物腰こそおだやかだが、きっと表情筋は一ミリたりとも動いていない。使用人としてどうかと思うほどに愛想がないのだ。本人にその気はまったくないのだが、人を見下ろせる上背とモノクロの衣服とあいまって無愛想さに拍車がかかる。
「うっわー、美月ちゃん、ちょっと使用人の教育考えた方がいいよ。やばいってコイツ。美月ちゃんに対していつもこんななの?」
「そ、そんなことないです! それに辰巳さんはウチじゃなくてアキラの使用人だから……」
「ああ、主が主なら仕えてるほうも仕えてるほうだね」
「……初瀬様」
「はいはい皆さま、わざわざこんなところまでどーも御苦労さま!」
あたしは障子をわずかにすべらせて声を張った。
本当はこのまま辰巳に任せるつもりだったけど、黙っているのも限界だった。確かに辰巳は無愛想だが、礼を尽くしている。侮辱は許せるものではない。
それに、あのままでは辰巳が何を言い出すかわからなかった。
「辰巳」
名前を呼ぶことで叱責を与えると、辰巳は頭を下げつつ、障子のあいたところへさりげなくあとずさる。これであたしの姿は完全に見えなくなった。
「朝っぱらからどしたの、姉さん?」
「アキラ! やっと起きた。先輩たちが遊びに来てくれたの、こっちにおいでよ」
「それでわざわざ呼びに来てくれたの? やーん、感激!」
「お前に会いに来たんじゃない、この離れに興味があっただけだよ」
「初瀬せんぱーい、冷たい~。それでボロクソ言ってくれたってワケ? これで案外居心地いいのよ、ココ」
あたしの嫌味など耳に入らないのだろう、初瀬はつまらなさげに言った。
「茶室か何かかと思ったらふっつーの造りじゃん。なんなの、まるで小さい家みたい」
「そりゃそうでしょ、ここはあたしの部屋ですから」
「は?」
「部屋ですって?」
どういうことだ、と言いたげな初瀬と雨宮の様子に、あたしはようやく合点がいった。こいつら、ここがあたしの部屋だと知らずに来たのだ。
「いくらあたしでもいきなり部屋に招待するほど軽くないよ。も~、センパイたちってばそんなにあたしに興味ある?」
「は、え?」
戸惑う初瀬に、辰巳はすかさずフォローをいれた。
「御無礼お許しください。ですがお客様を、ましてや男性を家人の私室にご案内するわけにはまいりませんので」
「え、もしかしてアイツここで暮らしてるの?」
「あ、そうです。この離れ自体がアキラの部屋なんです。母屋にはあんまり来ないんですよ」
「ああ、そういうことなの。……そうね、そうしたほうが絶対にいいわね」
きっと雨宮はしたり顔をしていることだろう。ええ、そうですよ、隔離ですよ。
「そうか、アキラはここで寝起きしてるのか。女の子の部屋に俺らがズカズカ行くわけにはいかないな! 納得したろ、要」
「うるさいな、正輝は」
池ノ内のからかいに、初瀬は気まずそうに引きさがった。
「思ったより積極的なんですねぇ、初瀬センパイ。今ちょっとしどけない感じになってるから、すぐ着替えて行くね! あたしがいなきゃ始まらないみたいだしぃ」
「こ、来なくていい!! 恥ずかしいやつだな!」
純情そうな返事に、あたしはべっと舌を出す。これくらいからかったってバチはあたらない。
まあ、勘違いしても無理はない。
立派な母屋があるのに妹だけ離れで生活しているとは思わないだろう。それが自然になっていたから、美月様もそこまで思いいたらなかったようだ。
「ごめんなさい! わたしが軽率に案内したから……」
「ううん、悪いのは私よ。なぜかぽつんとあるこの離れが気になる、なんて言ったから。理由はもう十二分にわかったわ」
「いい加減にしないか。すぐ戻ろう。無理を言って申し訳ありませんでした。アキラさんに待っている、とお伝えください」
「承知いたしました」
「あっ、辰巳さんはアキラをお願いします! 皆さんはわたしが客間までお連れするから」
「はい、お願いいたします」
雀野がうまくまとめたようで、複数の足音が遠ざかっていく。
ほっとあたしは肩の力をぬき、また布団に倒れ込んだ。
すっと障子がすべり、まぶしい光が筋となって入り込む。
「アキラ様」
「助かったよ、辰巳」
倒れたまま手を伸ばすと、辰巳はひざをついてあたしの手をとり、抱き起こしてくれた。
「申し訳ありませんでした」
「いや」
よくやってくれた、とあたしは辰巳の肩をたたく。
「今朝、急にあの方々がいらっしゃることになったんです。おかげで皆掃除やら仕度に追われ、俺も駆り出されていました」
「それでいなかったのか」
さすがに生徒会役員レベルの子息令嬢たちを迎えるとなっては、生半可なおもてなしはできないということだろう。
「昨日の夜、美月様の携帯電話に雨宮様から遊びのお誘いのメールがあったようで」
高校生になってから持つようになったスマートフォンは、最初こそ扱いに関する厳重な指導が入ったが、美月様はご友人とのメールの内容も食卓の話題にする隠しごとの出来ない素直な良い子だ。それに早寝早起きなので遅くまで電話やメールに興じるようなマネもしない。だから管理が甘くなっていたのだが、今回はそれがあだになった。
夜に来たメールを今朝がた確認した美月様は、ならばどうぞと雨宮たちを招待することにしたらしい。当主様は地方の温泉旅館で会合、水音様もそれに同伴しているので、気にせずおいでくださいというワケだ。おかげで急なお客様の来訪に、白河家はおおわらわ。
「迷惑な連中だ……。寝ざめ最悪」
あたしは立ち上がり、顔を洗おうとひとまず廊下に出た。障子越しのやわらかい光と違って目に痛い。
「それにしてもホントにタイミングばっちりだったね。あやうく大恥かくところだった」
「………ええ」
「辰巳?」
辰巳はどこか言いにくそうに口ごもった。一瞬のためらいの後、辰巳は母屋にちらりと視線を投げた。
「鷹津様が、教えてくださったんです」
「げっ! 鷹津まで来てるのか!?」
「はい。俺が客間の前を通りかかった時、呼びとめられたんです。他の客人たちは離れへ連れだって行ってしまったが、あそこは誰かの個人的な場所ではないのか、と」
「なにそれ。知ってるみたいな口ぶりだな」
「おかげですぐに駆け付けることができました」
「ふぅん」
辰巳の表情はまったく動いていないが、内心複雑なのがよくわかる。あたしへの無礼なふるまいから鷹津を嫌っていた辰巳だが、その鷹津にピンチを救われた。
「そう思うなら止めてくれればいいのにねぇ」
「おそらくは止める間もなく美月様が率先して動いたんでしょう」
「こら」
「失礼しました」
とにかく、あたしは土曜日幸せ計画を捨てなければならないようだ。ぐずぐずしているとまた美月様が呼びに来てしまう。
「よし、一戦まじえてくるか!」
「お手伝いいたします」
あたしは辰巳の協力のもと、十五分でなんとか外に出られる姿となった。今日はメイクも髪も服も全部辰巳プロデュースだ。
辰巳を従えて母屋に向かうとちょうど三舟さんとすれ違った。
「三舟さん、お客様へお茶は」
「はい、紅茶の用意をしております」
「すみませんが、一つミルクティーにしてください。雨宮様分で。茶葉はおまかせします」
「かしこまりました」
にこりと笑みをうかべ、かすかな足音だけを残して動き回る三舟さんはまさに使用人の鏡だ。でも辰巳に見習えと言うつもりはない。
「辰巳も手伝ってあげて」
「はい」
気合いをいれて目指すのは玄関そばの応接間。美月様のお友達がくるときは、たいていここが客間がわりとなっている。
「おっまたせ~!!」
あたしはノックもせずにちょっと重いドアを押し開いた。
この応接間はあまり広くはない。しかし雑貨が飾られたガラス棚にレンガの暖炉、毛足の長いカーペットとその空間は居心地がいい。なんとはなしに懐かしい落ち着く匂いがする場所だ。
革張りのソファに思い思いに座った客人が一斉にこちらをふり向く。制服ではない彼らは新鮮で、少しばかり幼くのびのびしているように見えた。
「よ! 早かったな」
池ノ内は片手をあげてにかっと笑う。
「そりゃもう急ぎましたよ。初瀬センパイが待ってるんだから」
「待ってない!」
「素直じゃないなぁ~」
「本気でウザい」
おっと、これ以上怒らせると面倒だ。あたしは一人掛けのソファに座っている美月様の傍らに立ち、「おはよ」と挨拶をする。
「アキラ、ご挨拶しなきゃ」
「はぁい。先ほどは失礼いたしました! お待ちかねのアキラちゃんでーす」
小首をかしげ頬に人差し指をあててみる。が、反応は鈍い。
「さっきは悪かったね」
雀野は気遣わしげにあたしに言った。この人はあたしを協力者とみなしてか、態度を大分変えてきた。少なくともこうして率直に謝れるくらいには。
「いいですよ別に。そーだな、アポとっといてくれれば雀野副会長なら考えなくもないかも」
うふん、と唇と尖らせてみせる。あまり好意的に接してもらっても困るのだ。あたしは雀野に力を貸してもらっているが、彼に力を貸すわけではないの。そうそう、だからアンタはそうしてちょっと眉をひそめているくらいがいいんだよ、副会長。
「なら、俺も歓迎してもらえるのかな」
断られることなど考えていないのだろう。鷹津はまるで家主のように長い脚を組んで三人掛けのソファに陣取っていた。ちなみに雀野はその端に小さく座っている。
ブランド物のシャツに黒いパンツというシンプルな姿だが、こいつは高校生には見えない。幼さとかじゃなく、制服で少しばかり抑えてられていた傲岸不遜さが全開になっている。
そういえばコイツもいたんだよな、なんて。嘘です、入った瞬間見えてました、でもあえて見ないようにしていました。
「会長はどーしよっかなァ。どう思います、雨宮先輩?」
適当にごまかそうと雨宮に話をふると、彼女はあたしを無視して鷹津に言った。
「鷹津くん、趣味が悪いわ」
「そうかな」
鷹津は楽しげだ。なのにこっちを向いている視線にはあたしを咎めるようなトゲが生えている気がして落ち着かない。
コンコンコン、とノックの音がしたあとに、三舟さんがティーセットを手に入ってきた。後に続く辰巳が人数分のケーキを運ぶ。
「あら」
雨宮がぱっと頬を染めた。自分の前だけに出されたミルクティーに気付いたのだ。
「美月さん、覚えていてくれたのね。うれしい」
いただきます、と真っ先にカップに口を付けた雨宮は女神もかくや、という美しい微笑みをうかべた。
「前お会いした美月さん付きの方よね。とってもおいしいです」
「うん、こっちはオレンジペコーだね。いい香り。やっぱり従者の力量っていうのは主に左右されるよねー」
雨宮と初瀬の賞讃に三舟さんは軽く会釈をすると、するすると壁際に下がった。ちゃんとわかっている三舟さんは何も言わない。
セットを整えた辰巳も無言であたしの背後に控える。今はしっかり自制して心にも完全な鉄仮面をかぶっているようだ。
「三舟さんはお料理もお茶を淹れるのも上手なんです! でも辰巳さんも負けないくらい上手なんですよ! それに辰巳さんが用意してくれたこのチョコレートケーキ、わたしの大好きなカメノ屋のなんです」
悪意というものを持たないが故に気付かない美月様だが、今回は矛先が自分ではなく辰巳だったためかフォローするような心やさしいお言葉があふれる。それに反応したのは池ノ内だった。
「辰巳さんって、例のアキラの弁当作ってる人だよな。男性だったのか! アキラのお相伴にあずかったことあるんスけど、すごくおいしかったです! ごちそうさまです!」
池ノ内はスポーツマンらしい率直さで御礼を言った。さすがの辰巳も少しばかりたじろいだようだが、一切そんな様子は見せずに軽く頭を下げる。辰巳さえ動揺させるとは、やはり池ノ内恐るべし。
「辰巳さん、俺から言うことじゃないと思うんだけど、アキラってすごい頑固ですよね」
「……は」
「コイツね、絶対俺らとお茶飲まないんスよ」
ビクリと三舟さんの肩がはねた。
習慣とは恐ろしい、母屋においてあたしへお茶がふるまわれることはほぼ無い。あたしが自分の立場を忘れないようにと、使用人たちはあたしへの過剰な奉仕を止められている。逆らうと待っているのは敬吾さんによる教育的指導だ。
それは今回だって例外ではない。それに、あたしとて長居する気はなかった。少しだけ顔だして茶化して怒らせて、後は三舟さんに任せて離れに帰ろうと思っていたのだ。
「アキラ、せめて椅子もってこいよ。俺の隣座ったっていいんだけど……」
池ノ内と初瀬も三人掛けソファに座っているので、池ノ内の隣は初瀬のすぐそばということになる。
「やめろよ、絶対やだ!」
「要がこんなんだからな」
「あー、そう、だね。辰巳」
「はい」
辰巳はすぐさま動き、別室へ椅子を取りに動いてくれる。そしてお茶を淹れるため三舟さんが足早に部屋を出ようとすると、池ノ内はそれに待ったをかけた。
「あ、俺いいもん持ってきてるんで! アキラ、お前におみやげ」
「え?」
立ち上がった池ノ内がエナメルのスポーツバックからとりだしたのは、保冷バック。さらにその中には薄茶色の瓶が入っている。
「これ、最近東南アジアから進出してきたマメ専門店の豆乳なんだよ。濃いのにマメ臭くないしほんのり甘いんだぜー。超おすすめ! これならお前も飲めるだろ」
「正輝、ばっかじゃないの。荷物大きいと思ってたらそんなモン入れてたなんて信じられない」
わざわざ近寄ってきて瓶を誇らしげにつきつける池ノ内に、初瀬は心底呆れた、とため息をついた。
「なんだよ、要。豆乳バカにすんなよ」
「バカにしてるのは正輝だって」
「なんでもいいけど、ほらアキラ」
「……ありがと」
他にどういえばいいのか。池ノ内には本気で調子を狂わされる。
「あとなー、豆乳でできたケーキもあるんだよ。白河分のおみやげはもう渡してあるから、これ全部アキラのだぞ」
「ど、どうも」
「うん」
椅子を手に戻ってきた辰巳は、あたしと池ノ内、そして瓶へと順番に目を動かしている。
「今すぐ感想聞きたいんスよー。グラスと皿用意してもらえませんか。そういうワケだからアキラ、お前今回紅茶とカメノ屋のケーキ無しな! こっち食べろよ。これ、先輩命令だからな」
「は、はい」
「いっぱい食べろよ!」
「……はい」
「お預かりいたします。すぐご用意を」
真っ先に立ち直った三舟さんは、池ノ内から瓶とケーキの箱を受け取って今度こそ応接間を出て行った。
「椅子も来たことだし座れよ。今日は学校じゃないんだし、いいだろ」
あたしはうながされるままに椅子に座り、うんうんと満足げに笑う池ノ内を見上げた。
ああ、これで強制的にここに残らざるを得なくなってしまった。
ご意見、感想をお待ちしております。
お返事が滞っていて申し訳ありません。どれも大変うれしく、楽しく読ませていただいております。