悪魔と鋼の先輩、子犬の後輩
「うまくやってるみたいだね。安心したよ!」
相手に警戒心を抱かせない子犬の人懐っこさを前面に押し出したところで、あたしはもう騙されない。
非常階段の踊り場は日陰になっていて少し肌寒いが、仮にも風紀委員である松島との密会場所にはやはりここが最適だ。
放課後に少しだけ時間をとってほしい、という松島のメールがきたのはついさっき。美月様を生徒会室まで送ってから、駆け足で戻ってきたのだ。
「で? 役立たずの風紀が何の用」
「冷たいなぁ」
そう言う松島の背後にしゅん、と丸まった尻尾の幻が見える。
「実際そうなんだから。どうせ呼びだしたのだって、昼休みの生活委員会とのやり取りのことでしょ」
「あ、やっぱりわかる?」
「そっちこそ、わかってたクセしてか弱い一般生徒のあたしを助けてくれないわけね。何が風紀だか」
「うう」
「話の内容も東条が来たことも知ってるんでしょ。今更何の話をしたいの。聞いたってなーんにもしてくれないんでしょ」
松島は眉毛を八の字にしてわかりやすくへこんでいる。だから、騙されないったら。絶対こいつは自分の特徴をよォく理解している。あたしからの攻撃を素直に受けて情けない反応を見せることで、あたしの苛立ちのはけ口を作っているのだ。そこで怒りを吐き出させた後に、自分に有利なように話を進めていく。立ち回りのうまい男に違いない。
「ごめんね、風紀は生活委員会には手が出せなくて……」
「前聞いた」
「うん……」
別にあたしは怒っていない。ただのポーズだ。生活委員会から目をつけられることは最初からわかっていた。今回は理由が理由だから風紀の助けも期待できない。
これはただの駆け引きだ。多分、松島もそれをわかっている。
つん、とそっぽを向いて見せると、おずおずと、しかししっかりとこちらに聞こえるように松島は言った。
「ただ、それでも君はとても上手にやってるよねって言いたかったんだ」
「今のところはね」
「そう、今のところは、だ」
ほら、来た。
階段に座った松島のつむじを、あたしはぎろりと見下ろした。
「……ようやく本題?」
「うん、まぁね。早い話が、君は生徒会役員たちと関わるべきじゃないってこと」
「はっ」
あたしが鼻で笑うと、松島は無意味に合わせた手の指をぐにぐにと動かしている。
「言いにくいけど、生徒会補佐の補佐、っていうはっきりしない役について納得する生徒はいないだろう。ましてや君の素行が素行だから。僕らは生活委員会を取り締まるどころか、君を排除しなくちゃいけなくなる」
「ならやれば? あたしは勝手にするけど」
「そうしたくないから言ってるんだよ」
松島はくるくるとまわしていた人差し指の回転をより上げた。
「どういうつながりか知らないけど、委員長がすっごく君のこと気にしてる」
「は? 城澤?」
突然出てきた風紀委員長に、あたしは首をかしげた。
「委員長、君のこと『俺が必ず更生させる』って意気込んでたよ」
「こわっ!」
「君の事が心配なんだよ。お姉さんはともかく、君は今まともな味方がいない状態で全校生徒相手にしてるようなもんだから。その上生徒会の人たちを怒らせたら、学園にいられなくなるよ」
「そうならないように松島と仲良くしてんじゃーん! うまく頼むよ」
「信用してないくせに」
茶化すと松島は力なくまた肩を落とした。
「なんでそこまでしてお姉さんにくっついてるのかな」
「あたし、姉さんのことちょー好きだから。それに玉の輿には憧れるよね。そのためなら多少のやっかみは仕方ないって言うか」
「正直すぎ! ……委員長は、そのやっかみがまた心配なんだよ。あの人、二年生で委員長になっちゃって、そういうの多かったから。君が同じ目にあうのが嫌なんだよ。あ、今じゃすっかり認められてるけどね。完璧な仕事っぷり、冷静で公正な態度、そして君へのゆるぎない指導のおかげでね」
「あたし?」
どういうことだ、と聞き返すと、松島は肩をすくめた。
「教師でさえ諦めている生徒を見捨てず、家柄におびえもせず、毅然とした態度で処罰にのぞむ。みんな歯がみしてこらえていた不満を、学園の悪魔に真正面からぶつけてくれる正義の味方。委員長本人は自覚ないけど、おかげで委員長の評判はウナギ登りだ」
「……あ、そ」
まさかそんな効果があったとは。少しばかり助けてもらうことがあったから城澤には恩を感じていたが、これでは逆に御礼でもしてほしいくらいだ。
ふふ、と笑った松島は頭をあげてあたしを見上げた。
「その点君には感謝してる。風紀としての忠告はこれだけ、生徒会には近づかない方がいい。生活委員会は巧妙だ、こっちが批判しづらいやり口で君を責め立てるよ。後手に回るのは悔しいけど、実際なにかハッキリした証拠とか被害がないと風紀は動けないんだ、君を助けられない」
「はいはい、聞くだけ聞いとく」
あたしが生徒会補佐の補佐にふさわしくないのは歴然、犬とののしられるのも仕方ない。
だが、学校を辞めさせられるような臨界点を見極める自信はある。生徒会への影響力の強い美月様と、あたしの協力者である雀野。この二人がいれば、ギリギリで持ちこたえられるはずだ。
「で、ここからはまったく別件。風紀とは関係なしに聞いて」
「え?」
ぱっと立ち上がった松島は、あたしをまっすぐに見つめて口元をきゅっとあげてみせた。
「僕は君と話してるの好きだよ。うまくやれるか毎回ドキドキする。素直に話をのんでくれる相手じゃないからね。いなくなったら寂しいんだ、できるなら君のやりたいことやりつつ、上手く動いて学園に居続けてほしいよ。それともう一つ。本当は直接伝えたかったみたいだけど、それが原因でまた呼びだしにあうんじゃかわいそうだからって」
「城澤先輩からの伝言。『何かあってもなくてもいいから、また俺の名前を大声で呼びなさい。今度はきちんと先輩とつけること』ってさ。これは役職なしのただの先輩から後輩へのメッセージだよ。先輩が後輩を助けるのに、理由なんていらないからね」
この時期、ふとんにくるまって眠るとうっすら汗ばむのだが、目覚めのころにはなんとも心地よい暖かさとなる。抜けだしがたい誘惑だ。
枕元の目覚まし時計は既に八時をまわっている。
嬉しいことに今日は土曜日、学校はお休み! あたしはぬくぬくとふとんに潜り直し、枕を抱きしめた。このままもうしばらくまどろんだら、辰巳と散歩に出かけよう。今日は気温が上がるそうだから、ひんやりした葛餅を熱いお茶といっしょに食べよう。
楽しい幸せ計画をそこまで考えて、昨日あった『幸せ』がまたふわりと胸の内に蘇る。
あんなことを言われるのは初めてだった。
まともな交友関係をもたなかったあたしにとって、同学年の友達、先輩後輩、そういったものは無縁だった。
古典的な表現だが、確かに胸がきゅーんとした。いや、ホントだったんだ、的確な表現だったんだ、あれ。
仲良くなった、ということではないと思う。松島はあたしがいたほうがおもしろそうだ、という言い方だった。城澤は何やら使命感にかられているようだし。
それでも、あのようにあたしのことを肯定的に見てくれる人はそういない。手を差し伸べてくれる人もいない。そう仕向けているのは他でもないあたし自身だけど、どうしてだろう。むずがゆいほど心がざわついた。
昨日、ポツポツと辰巳にそう伝えると、やわらかく目元をゆるめて微笑んだ。相手が男というのが少々気に入らないらしい過保護な辰巳だったが、敵ではない相手ができたことを喜んでくれたようだ。ただし、という警告付きではあったのだが。
「ただしアキラ様。相手は敵となりうる風紀委員です。あまり油断してはいけません。岩土さんも同じことを言うでしょう」
「うん、気をつけるよ。ほんのちょっと、嬉しかったってだけ」
「お話は俺が全部聞きますから。大声でなくても、俺の名前を呼んでくださったら学校にだって駆けつけます」
「辰巳はホントにやりそうだな」
「本気ですから」
そんな会話を反芻していると、あたしってけっこう恵まれてるな、と口元がゆるんでしまう。
ふわふわと夢心地でいると、また眠りにおちていたようだ。いくらも時間がたったようには感じなかったが、また時計を見るとしっかり動いていた針にびっくりする。
まずい、十時近い!
さすがに寝過ぎてしまった、とあたしは布団から腕をつきだして伸びをした。そこでふと気付く。
「……あれ。辰巳、なんで起こしに来ないんだろう」
普段だったら一声かけてくるのに。
「ま、いいか。なんたって今日は土曜日なんだから……」
もぞもぞと虫のようにはいでるゆるみきったあたしは、不意に聞こえた美月様の声に寝ぼけ眼をかっと見開くこととなった。
「アキラ――――! お客様だよ! 生徒会の先輩たちが遊びに来たよ――――!!」
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