悪魔と大鷹
その後、あたしはパーティ会場の壁の花を決め込んだ。この場でふさわしい行動は大声で品なく振舞うことではない。
存在しないかのようにひっそりたたずむのは、幼いころからのあたしの得意技だった。
白河姉妹の特殊な事情は暗黙の了解とばかりに知れ渡っていることだ。わざわざ話しかけてくる相手もいない。たまにこちらを見ながら噂話している輩はいるが、今更気にもならなかった。
美月様は身分も立場も似たような状況にある友人たちを見つけ、楽しげに談笑している。こうして一歩引いた立場から見ると、やはり美月様は人目をひく。パーティは嫌だと言っていたが、この場には誰より馴染んでいるように見えた。彼女をとりまく連中はいつもの顔ぶれで、特に男性陣はどこか無理にはしゃいでいるように見える。
無理もない。大事な大事な『友人』が、急にわりこんできた大鷹に奪われかねない状況なのだ。今夜のパーティは久々に帰ってきた鷹津篤仁の顔見せといってはいるが、その実結婚相手を探すための第一段階であることなど誰の目にも明らかだ。
思惑飛び交うパーティ会場で、天使の愛らしい邪気のない笑みは誰をも魅了してやまない。
遠巻きに交される会話に耳をすますと、「あれがシラカワの」「なんて愛らしい」「結婚相手は」といった言葉がちらほら聞こえてくる。
値踏みしているのは自分だけではない、相手とて同じだ。あたしは空けるつもりのない華奢なグラスをゆらしてこっそり笑った。ホストである鷹津の父親からの挨拶はすでに済んでおり、あとはパーティ終了まで歓談と称した腹の探り合いに終始する。
わあっと若い声が響いたかと思うと、さっそうと美月様に近寄っていく華やかな集団が目に入った。やはり来ていたか、生徒会。
びしっとスーツをまとった雀野や初瀬はまさに王子のような気品があり、微笑み一つで女性陣をとろけさせている。雨宮はボートネックのドレスで見せつける首筋に色気がただよう。カラーシャツで遊び心を出している池ノ内は、飄々とした態度ながら臆する様子はない。見られることにも、噂されることにも慣れ切っているのだ。
目立つ集団に囲まれてより一層注目度が高まった美月様だが、本人はまるで気付いていない様子だ。むしろ知った顔に安心しているように見える。まさかこんな場所で生徒会勧誘などという無粋な真似はしないだろう。あの集団にはよほどの自意識過剰な人間でなければ近づかない。ある意味ではこれ以上ない美月様ガードと言える。あたしがわざわざ側にいって不興をかう必要もないだろう。
ふと大きな窓に目を向けると、外がうすぼんやりと明るいことに気がついた。今日は満月である。フロアの庭園に面した部分はガラス張りで、ここから外に出ることも可能らしい。さきほど鷹津が言っていたようにかなりの広さで、背の高い木々が道を作るように整然と並んでいた。その奥には異国の女の像が水瓶から水を注いでいる噴水まである。
こんな気持ちの良い夜なら、ちょっと散策もしたくなる。
いや、待てよ。
あたしは会場をさっと見渡し、鷹津の姿を探した。頭一つ飛びぬけているあの目立つ男を探すのは容易かと思われたが、見つからない。
理由は簡単、この場にいないのだ。
そして鷹津の言葉を思い出す。
『庭』『一緒に』『楽しませてもらう』
あれは暗に美月様を誘っていたのではないだろうか。そうでなかったとしても、この場にいない彼が庭園にいる確率は高い。
鷹津はあたしには判断しかねる男だ。ならばいっそ、美月様ご自身にあの男を見てもらおうか。敬吾さんの言いつけには従っているわけだし。
そうと決まれば、あたしはすぐさま行動を起こした。美月様をその気にさせることなどたやすいことだ。
「姉さん」
「あっ、アキラ! どこ行ってたのよー」
「ちょっとね。皆さま、こんばんはぁー」
「よう! いたのか、アキラ」
愛想よく返事をしてくれたのは池ノ内だけだ。あとの面々は露骨に顔をそむけて黙り込む。
その隙に、とあたしは美月様の腕を引っ張り、イヤリングで飾られた小さな耳にそっと囁いた。
「姉さん、ちょっといい?」
「なぁに?」
「お庭、とってもきれいだよ。変わった噴水もあるしね。ここからすぐ出られるみたいだし、姉さんも行ってみたら?」
「えっ! 見たい!」
「あそこを一人で歩いたら、きっとお姫様気分だよ」
あたしははしゃぐ美月様を庭園まで連れていき、さりげなく手を離した。後はきっとうまくいく。
一仕事終えたことで、あたしは少しだけ自分にご褒美をあげようと思った。この庭園は広い。少しだけ散歩して、パーティの喧騒から離れてもいいだろう。
噴水を中心にして放射線状に延びた道は、それぞれ別の種の花や木が並んでいる。その中から一本選び、ぽつぽつと歩いていく。その道を飾る木の幹はまるで大きな目のような模様がたくさんついていて、じいっとこちらを監視しているようだった。ふしぎな木だ、と目に触れてみようと手をのばした、その時だ。
「どこに行ったかと思った」
「え」
木の後ろから伸ばされた手にぐいっと腕をつかまれる。反射的に押しのけようとするが、無理やり引き寄せられた。今まで感じたことのない男の力だった。
「よう」
木の影に引っ張り込まれたあたしは、間近にせまる男の顔に鳥肌がたった。漏れそうになる悲鳴をとっさのところで抑える。
鷹津篤仁、あたしが先ほど探していた人物その人である。
「そうそう、いい子だ。静かにしてろよ」
こく、と喉をならしたあたしは、静かに言った。
「……なんのおつもりですか」
「ん?」
「なぜ、こんなところにいらっしゃるのです」
美月様と会うのではないのか、と内心の動揺を隠そうとあたしは鋭く尋ねた。だが鷹津はニヤリと笑い、余裕の風をふかしながらこちらをのぞきこんでくる。
「めんどうで逃げてきた。あいさつは終わったし、俺がいなくてもいいだろう」
さきほどと全く違う粗野なもの言いに呆気にとられたものの、今の鷹津から嫌な威圧感は感じない。あたしは「そういう問題ですか」とだけ返した。
「何も問題はない。用だって済んだ」
「そうですか……。なら、わたくしはこれで」
早々に鷹津から離れようとするが、あたしの腕をつかんでいた手は腰に回り、余計に身動きがとれなくなった。
抱え込まれるような体勢に、わきあがったのは嫌悪感。護身術の稽古くらいでしか他人とこんな近い距離に立つことはなかった。例外といえば辰巳だけだ。
「冗談が過ぎます、やめてください」
はっきりと言うと、鷹津はますます笑みを深める。
「冗談じゃあない。お前だって、これが何のためのパーティかわかっているんだろう」
「……わたくしは、そのための下準備をしたつもりです」
あたしは目線だけで噴水のほうを示した。そこに、あなたの求める女がいる。そう伝えたつもりだった。しかし、鷹津は手を離さない。
「下準備? それはありがたいな。覚悟はできているというワケか」
「あ、いえ。どうか、お優しくお願いいたします。まだそういったことには慣れていないので」
夢見がちな美月様のこと、男女間の恋愛がどういうものかよくわかっていないに違いない。あたしが真剣に言うと、鷹津は片眉をひくりと動かした。
「なんだ。言っていることの割に冷静だな」
「そうでしょうか」
「まァいい。お望みとあらば優しくしよう」
鷹津はあたしのあごをつまむと、ひょいと口の端に自分の唇を落とした。
「え」
頬に触れる吐息と柔らかい感触に、ぞわあっと更に鳥肌が立つ。
「うっ!」
あたしは血の気が引くのを感じながら、鷹津の頭を押しのけた。
「汚い!」
「……汚いはないだろ」
不満そうな鷹津に、あたしは小声で言った。美月様に怒鳴り声が聞こえたらまずいからだ。
「何するんですか! あいさつとか言ったら怒りますよ!」
「あいさつじゃない。未来の妻への愛を示しただけだ」
「はァ?」
「なんだ? わかっていたんじゃないのか」
鷹津は首をかしげたが、そんな仕草、まったくかわいくない!
「何を言ってるんですか! 未来の……!?」
「妻だ」
「つま!?」
「そう。わかるか? 結婚相手のことだ」
小さい子に言い聞かせるような調子で言う鷹津に、今度は苛立ちがわいてきた。
「だから、それならあっちです! 噴水の方で待っています、早く行ってください」
「お前こそ何を言ってるんだ。むこうにはお前の姉がいた」
「そうです、あなたの望む姉さんはあちらに」
「違うな。俺はお前がほしいんだ」
「え」
何を言われたのかわからなかった。
きょとりと首をかしげるあたしは、あまりにも幼く彼の目に移ったのだろう。鷹津は口元をゆるめながら続けた。
「いいか。俺がほしいのは『姉さん』じゃあなく、お前だ」
「は?」
今度は聞き取れたが、男の意図がわからない。あたしは露骨に顔をしかめてみせた。
「おい、少しは恥じらうとか喜ぶとかしろ」
「……そんなわけのわからない冗談に付き合っていられません」
「冗談だと? 本気も本気だ、俺はお前を妻にする」
にいっと笑う鷹津はまるで少年のようだ。あたしは大きくため息をつくと、聞き分けのない弟をたしなめるように言った。
「鷹津様。御家があなたの伴侶を探しているのはわかりますし、あなたがそれを厭っているのもわかります。同じような境遇の人間がウチにもおりますから。でも、よりによってわたくしを遊び相手にするのは止めていただきたいのです」
「いーや、厭ってないさ。相手次第というものだ」
「だから、その相手が……」
「うるさい、いいから聞け」
鷹津は大きな手のひらであたしの口をばふっとふさいだ。
「白河との縁談の話は既にあるんだが、あのぽやぽやお嬢様は俺の趣味じゃない。でもお前はいい。お前にしよう。俺は決めた」
またもや見せる、いたずらの計画を立てる悪ガキの笑み。
「覚悟しておけ」
鷹津はそれからあたしに何も言わせずにその場を立ち去った。
「あっ、鷹津様!」
美月様の声が聞こえる。
「美月さん。庭にいらしたんですか」
「はい。とってもキレイですね!」
「ありがとうございます。俺も今散歩中でしてね」
「そうなんですか! 奇遇ですね」
「パーティも久し振りなもので逃げてきてしまいました。ここだけの話、疲れるでしょう?」
「ふふっ。実はわたしも苦手なんです」
「奇遇ですね。よかったら一緒に回りませんか」
「はい、ぜひ!」
美月様が楽しげに笑っている。
誰に?
あれは一体誰だったんだ。
今、美月様と朗らかに会話している好青年は?
あたしは茫然とその場に取り残されていた。
敬吾さんになんて報告すればいいんだろう。
辰巳に無性に会いたかった。
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