天使と大鷹
「いやだなァ。パーティ、嫌い」
「大丈夫大丈夫。言ったでしょー。すぐ終わるって!」
ずっと言っていた文句を飽きもせず繰り返す美月様に、あたしはもう一度同じことを言った。
「鷹津家はとってもいい家柄だし、友達もたくさん来るよ」
「友達とならウチとか学校で十分だよぉ」
「鷹津の御子息とも友達になったらいいじゃん」
「……放蕩息子って聞いた。どんな人だろう」
「なんかずいぶん破天荒な人らしいけど」
これは控えめな表現だ。
鷹津家の次男は鳳雛学園に入学して一年足らずで家を飛び出し、周りが気付く前に国外に逃げ出した。しかも留学先は現地に行ってから決めるという無謀ぶり。恐るべき行動力だ。とにかく一度決めたら止まらない性格らしい。
いよいよ迎えた鷹津のパーティ。
美月様はうつむいて薄青いドレスのフリルを指でいじりながらうめいている。夜会用に巻かれた髪が崩れないか、あたしは気が気でない。だが、ぷうと拗ねてはいても、ふわふわとショートラインのドレスの裾をゆらす美月様は西洋人形のように愛らしかった。
そういうあたしは、なんとパーティ用にばっちり身支度を整えられていた。
美月様と印象が重ならないようにフリルもレースもない藍色のスレンダーラインのロングドレス。開いた肩を濃い色のショールで隠すため、露出も少ない。これは美月様の愚痴のお相手をしていたら、いきなり敬吾さんに突きつけられたものだ。
なぜ、と問う間もなく三舟さんにより着替えさせられ、気づいた時にはもうパーティの準備は出来上がっていた。呆然とするあたしの横で、辰巳は普段動かさない表情筋を悔しさで歪ませた。曰く、ドレスアップするなら自分の手でメイクやらヘアセットやらいろいろやりたかったらしい。特に地味すぎるドレスは若いあたしには似合わない、と歯がみしていた。
何にせよドレスが似合うかどうかは関係ない。
敬吾さんから言われたのは、美月様をなだめることともう一つ。鷹津の次男を直接検分し、美月様と接触させること。それが今回のあたしの役割だ。彼はやはり美月様の有力婿候補なのだ。
「早く終わらないかなァ」
「姉さん、まだ十分も経ってないよ」
声はひそめているものの、もうとっくに始まってしまっているパーティ会場で交す会話ではない。当主様は美月様を咎めるでもなく、にこにこと笑っている。
パーティの名目は、一年間の外国留学をしていた次男坊の帰国祝いだ。鳳雛学園への復学が決まっており、呼ばれた客は学園の生徒を子にもつ有力者が多い。
この度のパーティの会場となったのは、郊外にある鷹津家の別邸だ。日本でいち早く外国進出の必要性を見抜いた、と言われる切れ者の先々代当主の趣味で、鷹津邸は半世紀以上前からすでに外国風のつくりの屋敷であった。そのため同じ西洋風でも白河にはない重みと風格がその家に表れている。
あくまで私的で気楽なパーティということだったが、100人を収容できるフロアは大賑わいだ。
磨き抜かれた石の床、目ざわりにならない程度に置かれた名だたる調度品、これでもかと用意された料理に飲み物、会話に花を咲かせるきらびやかに着飾った人々。鷹津の盛況ぶりをみせつけられるかのようだ。
「おお、これは篤仁くん! ひさしぶりだね」
「ごぶさたしております、白河様」
彼が今夜の主役、鷹津篤仁か。あたしは周囲を見渡していた目を素早く戻す。
その男はイタリアの某有名ブランドであると一目でわかるミッドナイトブルーのタキシードを見事に自分のものにしていた。日本人では体格の差から着こなすことが難しいとされるブランドだが、彼は服の上からでもわかる均整のとれた身体つきをしていた。印象のきつい目だが、人懐っこそうに笑う厚めの唇がうまくそれを中和している。後ろに軽く流した黒髪は計算されたように額に幾筋かこぼれて艶を放っていた。鷹津家子息という肩書はどうも似合わない。放蕩息子というのは本当らしいな、と思ったその瞬間。
当主様にむけらえていた目がぎっと音を立てるように鋭くこちらを向いた。
こくん、と自分の喉が動いてからようやく気付いた。見下ろされているだけだというのに恐ろしいほどの威圧感。
あたしはすぐさま視線をそらし、逃げるように深く頭を下げた。
そして隣を見てぎょっとする。美月様が頭も下げずに鷹津篤仁を見上げているのだ。
「ね、ねえさん……!」
「はじめまして! わたくし白河の娘、美月と申します!」
挑むような勢いの自己紹介だ。
冷や汗がどっとにじむあたしのことなど気にもせず、美月様は大きな瞳をまっすぐに鷹津に向けていた。
ぶしつけとも取れるその態度に、彼はどんな反応を示すのか。
「くっ……」
こらえられなかった、と片方の口端をぴくりと動かすと、鷹津は快活に笑った。
「あっはっは、元気な方だ! 篤仁です、どうぞよろしく」
鷹津は美月様の手をとると、優雅な仕草で手の甲に唇を落とした。
「きゃっ!」
びっくりして顔を赤くしながら手をひっこめた美月様に、あたしは隣で体をはねさせた。
「ああ、申し訳ない。あちら式のあいさつですよ。貴女があまりにかわいらしいから思わず!」
「あ、ご、ごめんなさい!」
美月様が頭を勢いよく下げると、それを見てまた鷹津が笑った。
「さ、今夜は楽しんでいってくださいね! 特に庭はなかなか見ごたえのありますよ。とはいっても、出歩いている間にいろいろ変わってしまってご案内するにはこころもとないんですが」
「あはっ、ご自分のおうちなのに!」
「ええ、だから今日は一緒に楽しませてもらうんです」
にっといたずらっ子のような笑い方をする鷹津につられてか、美月様も普段と同じ明るい声を出す。さきほどの挑戦的な様子はみられない。
「では、また後で。失礼いたします、白河様」
「うん、娘の相手をしてやってくれ」
「喜んで」
鷹津は当主様に礼をすると、美月様に微笑んでならその場を通り過ぎて行った。ふっとさわやかな香水の香りだけが残る。
あたしは小さく呼吸を整えて、そろりと彼が去った方をうかがった。そしてひゅっと息をのむ。
あたしがそうすることを見越していたかのように、鷹津が肩越しにこちらを見ていたのだ。美月様に向けたものとは全く違う、残忍な支配者の笑み。
ゾッと背筋を震わせて放心状態に陥ったあたしを救ったのは、意外にも美月様の叱責だった。
「あーきーら。だめじゃない、ちゃんとご挨拶しなきゃ!」
「あ」
しまった。頭は下げたものの、何一つ言葉を発することなく終わってしまった。慌てて当主様に「申し訳ありません」と謝罪する。
「いいよ、大丈夫さ。珍しいこともあるね」
当主様は怒るでもなく、むしろ楽しげだ。
「いい青年だろう」
「ええ! やっぱり噂は信じちゃダメね、自分の目でみなくちゃ!」
どうやら彼女なりに人となりをはかっていたようで、望み以上の結果に美月様は御満悦だ。
だが、本当に『いい青年』なのか?
ドッドッとうるさいくらいに騒ぐ胸をおさえ、あたしは先ほどの出会いが良いものなのか計りかねていた。
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