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天使と悪魔



―――――――美月様のお側にいること。

―――――――美月様をあらゆる害から守ること。

―――――――美月様を盛り立てるための踏み台となること。



 それが彼女の存在理由だ。



 桜咲き誇る空の下、鳳雛(ほうすう)学園に入学した二人の少女は瞬く間にその名を全校生徒に知らしめることとなる。

 一人は、学園の天使として。

 もう一人は、学園の悪魔として。




 高名な近代建築家の手による校舎は自然光がたっぷりと注がれるように設計されている。昼休みのこの時間、中庭の渡り廊下は風が通り明るく爽やかだ。五月の新緑は目にも鮮やかで、木々は光り輝いている。

 そこを行きかうのは、まさに理想の高校生たち。

 自然な黒髪、規定通りの長さのスカート、一番上まで止められた詰襟、手には参考書や文庫本、おだやかに朗らかに談笑し合い、落ち着いた足取りで歩いて行く。


 鳳雛(ほうすう)学園高等部。


 輝かしい伝統と歴史を掲げ、国の次代を担う若者を育てる由緒正しき学び舎である。

 この学園で学ぶのは、まさに鳳凰の雛たち。全国から名家の御曹司・御令嬢が集い、共に学び、友情をはぐくんでいくのだ。

 品行方正、質実剛健、生徒たちは学園の一員として誇りを持ち、ひと時の青春を謳歌している。


 が、しかし。どこにでも例外というのはつきものである。


「あっはははは! マジでー? ああ、うん、こっちはオッケーだよ! あははは!!」


 その場違いなほどの大きな笑い声に、生徒たちは一斉に顔をしかめた。

 短いスカート、ボタンを大きく開いた上にだらしなく裾を出したブラウス、指定外の紺色のソックス。

 大きく開けるその唇はリップグロスでつやつやと光り、健康的な白い歯をのぞかせている。猫っ毛の茶髪を遊ばせ、ちらりとのぞく耳を小さな赤いピアスが飾っていた。


 スマートフォンに対し大声で話している少女の名前は白河アキラ(しらかわ あきら)。

 はっきりした顔立ちをより魅せる化粧、すらりとしているのに出るところは出たプロポーション、長い脚。雑誌にでも載っていそうな女生徒だが、その美しさには毒がある。

 鳳凰の腐った卵、悪性腫瘍、悪魔の女、最悪のワガママ女王。言い方は様々だが、彼女はこの学園の異分子であった。

 その格好だけではない。授業はサボる、教師に口答えをする、成績も下から数えた方が早く、集団行動などもってのほか、とにかく勝手気ままにふるまっている。

 今もかたくななまでに左通行を貫いている生徒たちを無視し、廊下の真ん中を堂々とつっきっていく。


 ここは鳳雛学園。選りすぐりのエリートのみが入学を許された聖域。例外代表・白河アキラのような人間はこの学園にふさわしくない!

 そう思う教師、生徒は多々いれど、多額の寄付金をおさめている名家・白河家の娘を表立って叱責できる者はそういない。

 そして、アキラを学園から追いやれない理由がもう一つ。それを考えると、ついアキラへの文句をこらえてしまうのだ。


 そこへ歯がみしつつも何も言えない生徒たちの願いが届いたのか、正義の味方が立ち上がった。

「待ちなさい、一年B組白河アキラくん」

 短い髪、涼やかな目元、詰襟をきっちりと着込んだ男子学生がアキラを呼びとめる。

 周囲の生徒が小さく歓声をあげる一方で、アキラはスマートフォンを持っていた手をビクリと震わせた。

「何度言ったらわかるんだ。君のその格好は相変わらず校則違反だ」

「げー、またアンタ? しつこいんですけどォ」

 げんなりとした顔を向け、アキラはおおげさなため息をつく。

「俺が風紀委員である以上、君を認めるわけにはいかない」

「表情筋だけじゃなくて頭も固すぎなんだよ、城澤ー!」

 長身の男子学生、二年生にして風紀委員長の城澤隆俊しろさわ たかとしを見上げてアキラは舌打ちをする。


 城澤は未だに諦めずアキラの素行の悪さを注意する、使命感あふれる鋼の男だ。

 この学園内において親の地位は自然と生徒の地位となっていく。ここでの地位とは、生徒会、委員会委員長に属する言わば『役職持ち』である。

 中でも発言力の強い風紀委員の委員長は、さすがのアキラも無視することはできない。しかし、素直に言うことを聞くワガママ女王ではなかった。


「あたしはどっこも悪くないじゃん! 役職持ちだからっていい気になんないでよ!」

「調子に乗っているつもりはない。わからないのなら一つ一つ説明するまでだ」

 城澤は人差し指をアキラの鼻先に突きつける。

「まず髪。一つか二つにゴムをつかってまとめなさい。耳のピアス。これは外しなさい。唇をむやみに光らせないこと。ブラウスのボタンを止めて、スカートの中にきちんとしまって。スカートの長さもおかしい。靴下は白で無地のものと決まっている。携帯電話の使用はマナーを守って。以上の点をきちんと……」

「うるっさい!!!」

 アキラは城澤の手を払いのけ、アイラインをひいた大きな目で睨みつけた。

「いいの、これで! こうしてたほうがかわいいもん! 別に誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん!」

「追加、大声で叫ばないこと。うるさいだろう」

「じゃあ小声で言いますぅ。ほっといてくれないかな、もォ。先生だって何にも言わないんだし」

「まったく、どうしてそう反抗的なんだ」

 城澤は顎に指をそえて思案するように言った。

「姉のほうはあんなにも模範的だというのに……」


「ごめんなさいっ、城澤先輩っ!」


 ぱたぱたと足音を響かせてやってきた女子生徒に、周囲の視線は一気にそちらに移った。皆一様に瞳に熱を宿している。

 華奢な体を精いっぱい動かして走ってきたのだろう。幼さの残る白い頬は赤く染まり、何も塗らなくても桃色の唇からは苦しそうに息がもれている。大きな目が子犬のように潤み、ベージュ色のシュシュで結わえられているふわふわの髪はまるでしっぽ。

 愛らしさの塊のような少女だ。


「いつもアキラが……妹が、ご迷惑おかけしてすみませんっ! ちゃんと言い聞かせます」

 彼女は長身でがっしりとした身体つきの城澤の前に立ちはだかり、アキラを守るように細い腕を広げた。

「城澤先輩、どうか、許してくださいっ」

「ねえさァん!!」

 アキラは迷わずその背にすがりつく。


 その光景に、ギャラリーの中から誰かの感嘆のため息がもれた。

「相変わらず優しいな、白河美月しらかわ みつきさん……!!」

「さすが元華族の白河家のお嬢様、気品があるわ」

「あの野蛮人と姉妹なんて信じられないな」

「まったくよ! とってもかわいいし、気取らないし、頭もいいし!」

「あんな妹のために頭下げるんだもんな。すごいよ」

「白河の血は全部姉の美月さんのところにいったんだな。妹はそのしぼりカスだ」

「彼女こそ天使!」

 小さく、だがざわざわと騒ぎ始めた観衆に眉をひそめた城澤は、こほんと咳払いをすると言った。

「一年A組白河美月くんか。……しかたない、いいか、白河アキラくん。今回は特別に免除だが、次回は風紀室で反省文を書いてもらうぞ」

「は~いはい」

「返事は一度でいい」

「こらっ、アキラ」


 不満を残しつつも去っていく城澤の背に舌を出すアキラを、美月は険しい顔で叱った。しかし子犬の威嚇と同じでまったく効果はなく、むしろ彼女のかわいらしさを引きたてている。

「またそんなカッコしてー。授業もサボッたって聞いたよ! ダメだよ、もう」

「えへ、ごめ~ん。でもありがと、姉さん!」

「しょうがないなァ、アキラは」

 自分より背の高いアキラにぷん、と胸を張ると、美月はやわらかい笑みを浮かべた。

「でもわたしはお姉ちゃんだからね」

 アキラはさきほどの城澤に対する生意気な態度はどこへやら、にっこりと美月に抱きついた。

「さっすが姉さん! 頼りにしてるよ!」

 美月の愛情を独り占めにするアキラに、羨望まじりの嫉妬の眼差しが注がれる。だが、美月の笑顔はアキラへの憎々しさより勝る素晴らしいプレゼントだ。




 学園の天使、姉の白河美月。

 学園の悪魔、妹の白河アキラ。

 正反対の姉妹は学園中の噂になり、今や誰ひとりとして知らないものはいない。

 そして意外にも姉妹仲は驚くほど良く、美月はアキラを甘やかし放題であることも周知の事実だった。

 悪魔とはいえ、妹のことを悪く言われると天使の笑顔は一瞬で消え去ってしまう。泣き顔も怒り顔もかわいらしいが、嫌われるようなことがあったらこの学園で生きていけない!! そんな気持ちにさせる力が美月にはあるのだ。

 おかげでアキラの大暴走を止められる者は、美月をおいて他にいない。(城澤は止めようとするが、アキラは決して従わない。)

 アキラのような問題児が今日も鳳雛学園に在籍していられるのは、すべて姉の美月のおかげなのだ。




 ――――――そう、考えられていた。




 美月に言われた通りきちんと授業を受けてそのまま放課後を迎えたアキラは、ぺたんこの鞄を手にさっさと教室を出ていく。当然教師に挨拶はしないし、クラスに親しく話す友人もいない。周囲はきっと、すぐにでも街に繰り出して、自分と似たような品のない頭の悪い仲間とバカ騒ぎするつもりなのだ、と考えていることだろう。


 アキラはまだ誰もいない昇降口まで小走りに向かうと、辺りを見渡しながら下駄箱のロッカーを開いた。

 しかしそこは自分の場所ではない。

 別のクラスの、姉の下駄箱だ。

 そこに入っていた一通の手紙を鞄に押し込み、昼間に通った渡り廊下から特別教室棟へ。目指すは三階の理科実験室。行儀悪く窓際の棚の上に座り、昇降口の辺りを見下ろした。そして数分後、ぞろぞろと歩いて行く生徒たちの中に姉の姿をみとめ、目を細める。美月はまるでお姫様のように友人たちに囲まれ、楽しそうに笑っていた。

「さァて、今日は……」

 アキラはごてごてとシールを張り付けたピンク色の手帳を取り出した。

「有沢、園江、安田、長野。まァいつものメンバーだな……」

 ぼそぼそと独り言を言いながら、アキラは慣れた手つきで手帳に書き込みをしていく。手帳本体には似合わない、角ばった形の良い文字だった。


 呼びあげた名前はいずれも男子学生だ。しかし、ただの男子学生ではない。

 製薬会社社長の息子、大手商社会長の孫、大物政治家の息子などなど。つまり白河家にふさわしい家柄の人間だ。しかも顔もいい。

「あいつらはいいとして、こっちはダメ」

 姉の姿が見えなくなってから、アキラは鞄から取り出した先ほどの手紙を開いた。

 内容は見るまでもない、学園のアイドルであり天使である美月にあてた、青春と熱と欲望が見え隠れする愛の告白。

 アキラは文末にある学年、クラス、名前だけを確認すると、ペンを右手に左手でスマートフォンを操った。すぐさま個人データが小さな画面に表示される。

「やっぱり表立って近づくこともできない成り金か」

 白河家の長女であり、いずれは後を継ぐことになる美月の相手にふさわしくない。美月へ分不相応なふるまいをしようとした愚か者としてデータを更新する。


 そして更にアキラは残酷な行動に出た。んん、と喉の調子を整え、電話の発信ボタンを押す。

『はい』

「あ、もしもし、あの、今日、手紙を……」

『えっ、し、白河さん!?』

「ええ、あの、いきなり電話してごめんなさい……」

『い、い、いや、僕のほうこそ、いきなり、あんな。ああ、ごめん、なんだかあわててしまって……!!』

 電話口の向こうで焦りに焦っている哀れな少年の姿が目に浮かぶ。

「ううん、いいの……。よっぽどあわててるみたいね。あたしの下駄箱に姉さん宛の手紙入れるくらいに」

『……え?』

「あっははは、似てたァ? お姉ちゃんに! あたし誰だと思う? 白河ア・キ・ラでェ~す!!」

 想像するにはたやすいのだが、絶句する相手の顔が見られないのがなんとも悔しい。アキラは続けた。

「こういうの恥ずかしいからさァ、もっと確認したほうがいいよ? いくら同学年でも姉妹で間違えてたら意味ないし! っていうか、姉さんと釣り合うとか本気で思ってんの? 笑える。明日朝イチの大ニュースだよねェ!」

『……嘘だ、ちゃんと、確かめて……』

「うんうん、確かめた上であたしんトコ入れちゃったんだ。あー、恥ずかしい。姉さんになんて言おうかなァ」

『み、美月さんには……!』

「言わないでって? なら二度と姉さんに近づくなよ」


 アキラはそれだけ言うと電話を切る。手紙を汚らしいもののようにつまみあげると、放置されていたマッチで火を付けた。ぽと、と実験台の流しに落とす。

 また別の番号を呼び出しながら、アキラは煙をあげる紙きれを冷えた目で見つめていた。

「アキラです。美月様が校舎を出たのを確認。本日も異常ありません」

『お疲れ様です、アキラ様。どうぞお戻りください』

「はい、これから帰宅します」

 大きく息をついたアキラは、目をつむったまま天井をあおいだ。

 一日の仕事終わりには、決まってあの日の言葉がよみがえる。




―――――――いいですか、アキラさん。

―――――――あなたは今日から白河の人間となります。

―――――――当主を仰ぎ、敬い、従いなさい。

―――――――あらゆる害から守らなくてはならない。

――――――何においても上に立ってはいけない。

――――――頭の良いあなたなら、わかりますね?



――――――――はい。

――――――――あたしの役目は美月様のお側にいること。

――――――――美月様をあらゆる害から守ること。

――――――――美月様を盛り立てるための踏み台となること。



 その使命を全うすべく、彼女はその身を捧げて生きている。





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