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兎は月を墜とす  作者: hal
その後の話
98/99

奇術師

 舞台の上、白い人形がくるりと廻った。


 大型の操り人形のようにも見えたが吊り糸はなく、その動きは踊り子の魂が宿ったかのごとく滑らかだ。


 同じ舞台の隅では、口ヒゲを黒々と蓄えた旅芸人が胡座をかき、弦楽器を奏でている。緩やかにたわむ響きは遥か東の国の特徴だ。繰り返される単調な旋律が客席を陶酔へと導く。


 だが突然、弦は激しく掻き乱された。


 観客が息を飲むと同時に、布人形の四肢がバラバラと解け崩れ落ちる。演奏は止まり、見世物小屋はシンと静まり返った。不安と期待とが一斉に押し寄せる。


 一、二、三。


 ヒゲの旅芸人──看板には『奇術師』と書かれていた──がゆっくりと指を立てた。

 勿体振るようにして片眉を上げ、弦を押し下げながら爪弾くと、二重に張られた共鳴弦がびいんと震え、もの哀しく響き渡る。


 ゆら。

 人形は再び繋がり、立ち上がった。


 怒涛の喝采に小屋が揺れる。

 目鼻すらなかった布人形はいつの間にか、白い布を纏う半裸の美少女とすり変わっていた。

 少女は琥珀玉のようなあどけない瞳を輝かせ、薄らと朱に染まる繊細な指を精一杯に伸ばし、可憐に舞い始める。

 あまりに幻想的で、かつ不可思議な演舞に客席は熱狂した。

 幕が降りきった後もしばらく、豪雨のような拍手は鳴り止みはしなかった。


 やがてぞろぞろと客が去り半刻ほどが過ぎた。夜もだいぶ更け、見世物小屋の周囲はひっそりとした闇が包んでいた。


 小屋の裏手、広場から死角となっている場所に、男が二人。

 一方は背が高く、他方は低い。二人ともこの国でよく見かける、極めて普通のくすんだ衣服を纏い頭巾を被っている。

 長身の男がもう一人の胸ぐらを掴んで持ち上げ、小屋の壁に叩きつけた。小柄な青年からヒキガエルを握り潰したような声が溢れ、男は慌て、青年の口を塞いだ。


「静かにしろ! ……俺のこと覚えてるか? 久しぶりだな、この前は話をする前にお前、居なくなっちまっただろう?」


 そう言いながら男が頭巾の端をめくり上げると、灰色の獣耳が現れた。

 壁際の青年の顔が蒼白に変わる。視線を泳がせ周囲を探ったが、助けは現れそうにもなく、逃げる事ができない。


 狼耳の男は親指を立て、小屋を指差した。


「まさかこんな場所で会うとはなあ。手伝って貰いたい事があるんだが……お前、やってくれるだろう? ……犬の餌にはなりたくねえよなあ」


 青年は表情を強張らせ、首を縦に振った。


※※※


「ねえ、ヘクターさん。昨夜の警吏さん、僕に何か言ってなかった?」

「……別に」

「おっかしいなあ。ホントの、ホントに? 警吏さんの名前とか、聞いてない?」

「……」


 無言のまま顔を背けると、ブルーノがため息を吐いた。ヘクターはガイドブックから切り取った地図を睨みつつ、露骨に舌を打ち鳴らす。

 今日は裏通りの泥棒市場へ向かい『暗示の首輪』を探して買い戻さねばならない。見つかるという保証は無いが、手に入れなくては身の破滅が待っており、今はブルーノの戯言に付き合ってやる気分には、とうていなれはしなかった。


 もう一人、この部屋に泊まる鳥人ハルピュイア)のハルピは朝の水浴びの最中だ。ブルーノはヘクターから離れ、身支度中のダリアの真後ろに立った。


 再び、やたらと大きなため息。


「うぜっ!」


 ヘクターは思わず仰け反ったが、ダリアはかなり鈍い。二度、三度。そういう体操であるかのように繰り返し、息を切らし始めた頃、ダリアはようやく振り返った。


「どうかしたの、ブルーノくん」

「……恋煩い……かな」

「そのゼイゼイいう運動が、恋煩いなのか?」


 ヘクターは視線を地図に固定したまま、忌々しげに呟いた。ダミ声で鳴き騒ぐ発情猫は煩わしい事この上ない。

 だがダリアはこの手の話題が大好きだ。目をランランと輝かせ食らいつく。


「ブルーノくん、誰かを好きになったってこと? ね、ね! 相手は、誰」

「すっごくカッコいい警吏さん。昨日、ヘクターさんを探しに行った時にナンパされたんだけど。言葉があんまり通じないからよく聞き取れなくて……でもまた会いたいなあ」

「そんな事があったんだ。ねえママ、その警吏さん何て言ってたの?」


 ダリアからの呼びかけに、ヘクターは渋々と口を開いた。


「普通の事務会話しかしてねえよ。ブルーノがウロチョロしてっから、怪しく思った警吏が仕事で職務質問した、それだけ。ありゃナンパじゃねえ」


 ブルーノは不満げに唇を尖らせた。どうあってもナンパだと思い込みたいようだが、紛れも無く職務質問だ。

 うーん、とダリアは少し考え込み、いつも通りネジが数本外れた呑気な調子で言う。


「でも、気になるんだよね? 会いたいなら、とにかく頑張って探すしかないんじゃないかなあ。その人がこの街にいる事は確かなんでしょう」

「そうだね。探してもう一度、会わなくちゃ。僕、今日はヘクターさんと一緒に裏通りに行くよ。準備してくるね」

「バカか! 俺とは別行動だ! 一人で行け」


 寝室の扉を開けるブルーノの背に、ヘクターは叫んだ。泥棒市場へ盗品を買いに行く道中で、警吏を探したくはない。


 扉はまたすぐに開いた。そこから、着替えを終えたブルーノが大張り切りで飛び出した。


「じゃあ僕一人で行ってくるね」

「……おい、その格好でかっ!?」

「完璧でしょ」


 ブルーノは刺繍が施されたベストを素肌に羽織り、ゆったりしたズボンをずり落ちる寸前まで降ろしている。

 シャツなどは身につけていない。そのため胸や腹部はギリギリまで露出され、しなやかな筋肉に直接重ね付けられたチープな宝飾品が、動くたびジャラジャラと騒がしい。

 だが、顔だけは黒い頭巾でしっかりと覆っている。つまりは、なんというべきか……。


「確かに……完璧だな」


 ヘクターがボソリ呟くと、ブルーノは尻尾を得意げに揺らし親指を立てた。頭巾からは三日月のように歪む金目だけが覗いていたが、おそらく犬歯を剥き出し笑っているのだろう。


 完璧な、変質者。


 確かにこの格好ならば、問答無用で職務質問されるはずだ。


「……ブルーノくん? え……えっと……さ、寒くない? 今、冬だよ。コートとか羽織ったほうがっ」

「全然平気! 胸の奥で燃える恋心で、もっと脱ぎたいくらい暑いよ! さあ警吏のお兄さん、僕を職質してそして、愛の牢獄に逮捕してー!」


 奇声をあげ、ブルーノは廊下へ踊り出た。ホテルの他の客の声だろう、小さな悲鳴が連なり次第に遠ざかる。

 ヘクターとダリアは窓を開き、身を乗り出した。街行く人々はみな、ハルピの時とは違った風に慌て、飛びすさり、道を大きく開けていた。


「……あれなら警吏以外で近寄る奴は、まず、いねえだろうな」


 ヘクターは呆れ声で見送り、カーテンを閉じた。


「ど、どうしよ、ブルーノくんあんなカッコで、もしおかしな人に襲われたりしたらっ! 止めに行かなくっちゃ!」

「……あいつ以上に変なヤツいるか? それにあんだけ派手にしてりゃ、すぐ職質してもらえるだろ、大丈夫だ。……それよりダリア、お前、今日も街へ行くのか?」


 ダリアは疑問符を飛ばしつつ、頷いた。


 ブルーノには心配などしていない。歓楽街育ちのヤマネコだ、いざとなれば『惑乱』で逃げる事もできる。

 問題はダリアの方だろう。おっとりと可愛らしい上、単純で騙されやすい。


「絶対に、裏通りには近寄るな。そもそもブルーノが職質されたのも殺人があったかららしい。今日は夕方前にホテルへ戻るんだぞ。それにハルピ、お前も……」


 浴室の扉が開く音に振り返り、ハルピへも声をかけた。ハルピは明け透けな性格ではあるが、年頃の美女だ……が。


「……あ、いや、やっぱお前はいいや」


 下半身が怪鳥だ。風を操り自在に空を舞う鳥人の討伐はヘクターですら難しく、殺人鬼ごときにやられるワケがない。

 腕試しの剣士に狙われる可能性はあるが、ダリアが頭上に乗せてさえいれば、そういったトラブルは起こらないだろう。


「ダーリン、呼んだ? そうそう、ほら見てコレ! ね、どう? あたしに似合うかしら」


 ハルピは洗いたての羽毛をバサバサと撒き散らし、ヘクターの正面まで跳ね飛んだ。見れば昨日買ったというスカーフを首に巻き、前に垂らしている。


「ん、それか? あー似合う似合う。食事の時には絶対使えよ、それ」


 幼児ガキ)の前掛け。


 ヘクターの頭にそんな言葉が浮かんだ。腕がない癖に生肉を好み、食事のたびに胸元が血塗れになるハルピにはピッタリだ。


「やっぱりい? ダーリンそんな褒めないでよ、やだーあたし照れちゃう」

「ああ。裸よりずいぶんマシになったな。替えは多めに買っとけ」

「ダーリン、あたしにいつも清楚で可愛くいて欲しいって事? 仕方ないわね、今日は女子二人でショッピングかしら! たっくさんお洋服買うんだから」

「……清楚? ……まあ、いいか」


 ヘクターはツッコミを飲み込み眉尻を下げた。語彙を正し機嫌を損ねる必要はない。

 ダリアとハルピは離れなければ互いに安全だ。


 ヘクターは支度を済ませると二人を大バザールへ送り、裏通りへ向かった。


※※※


 落とし穴の口が足元にポッカリと開いたかのように、突然膝が崩れた。ぐんっと迫る地面にダリアは小さな悲鳴をあげる。

 と、弾けるような羽ばたき音と共に、ハルピが後頭部を強く引き上げた。重心が矯正され、ダリアはどうにか膝と両手とを床につく。

 もう少しで顔面を打ち付けるところだった。安堵の息を吐くダリアを、頭上から降りたハルピが眉根を寄せて覗き込んだ。


「どしたの、グラってなったけど」

「ありがとう、でも何でもないよ。……立ち眩み、かな」

「しゃがんでたのに?」


 案じてくれているのだろう。ハルピは金の瞳を不安げに曇らせ、首を捻っている。


「大丈夫、だよ」


 小鳥人たちの母親役でもあったからだろうか、普段は横柄で気まぐれなハルピだが、時折、こそばゆくなるほどに優しい。ダリアは照れ臭さを笑顔で誤魔化すと、ラックから生地を一枚、抜き出した。


 大バザールの中ほどにあるこの露店では、選んだ生地を奥の店舗で洋服に仕立ててくれる。

 ダリアが選んだのはキラキラと目を引くサテンシルクだ。真珠のような光沢のある布地に、大輪の花が青々と染め抜かれている。

 やはりハルピにはトゥオーロ島の空と海を思わせる深い青がピッタリなのではないだろうか。


「少し派手だけど、とても綺麗。この布でスカーフ作ったら、ハルピさんにすっごく似合うと思うな」


 だがハルピは一瞥し、首を横に振った。


「違うの、あたしが欲しいのはこういうんじゃないの。……柄とか色とかじゃなくて……なんて言うか……フィーリング? やっぱり昨日の店ね。あそこ、特別みたいだから」


 さあ行きましょと促され、ダリアは地面に伏すようにして頭を下げた。

 無駄に羽ばたき風を巻き起こせば迷惑がかかる。つい先ほども数枚の布を吹き飛ばしてしまい、店員を慌てさせたばかりだ。


 ハルピは両翼とかぎ爪を器用に使い、頭巾の上へよじ登った。

 兎人の力、『重力操作』のおかげで重さは全く感じない。絹よりもずっと滑らかな羽毛が優しく頬を撫で、ちゃんと座ったわと合図する。


 ダリアは店員に視線で礼を送ると、ことさら慎重に立ち上がった。


 ぐらり。

 僅かに、眉間の奥の奥が眩む。

 平らなハズの地面は船の上にいるかのように不安定で、足元が覚束ない。


「……気持ち、悪い……」


 どうしてしまったのだろう。

 視界がぐらぐらと揺れ続けている。

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