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兎は月を墜とす  作者: hal
秋の月と夜の海
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エピローグ

 喇叭(ラッパ)手が喇叭を口にあてる。太鼓が叩かれるのと同時に鳴り響く勇壮な旋律が、ステンドグラスを震わせた。

 金で縁取られた玉座に座る、王と王妃。神話が織り込まれた絨毯に並び立つ、盛装の王子や貴族たち。厳しく整列する四色の騎士団。王前には、跪き首を垂らす逞しい男。


 やがて吹奏は止み、詩人が登場し朗々とした語りを始める。

 この跪く男がどのように活躍し、皆を救ったのか。

 獣と化した黒の魔女を打ち倒し、傾国を謀る悪漢を退治し、沈む船から王子を助けたという、大げさに飾られた騎士物語。


「狗、よ」


 語りが終わり、雷のような威厳を持って王の声が落とされた。空気が張り詰め王の間は静まりかえる。

 狗……ヘクターはじっと沙汰を待った。


「数々の活躍、御苦労であった」


 全ては、神の御為(おんため)に。

 頭を下ろしたまま、ヘクターは決まり言葉を返す。


「我が神に尽くし、国を援けた武勲を讃え、無色の狼騎士の威名とともに、お前の求めるものを与えよう」


 事前の打ち合わせ通り、式典は滞りなく進む。


 月見船の翌日からミューラーとザルバが、これを機会にヘクターの名前と身分を戻そうと奔走したそうだ。先日、得意げな二人に台本を渡され、この式典用の台詞を暗唱させられた。


 一呼吸置き、頭をあげる。惨たらしい痣が消え、本来の精悍さを取り戻した顔立ちが露わになった。

 ヘクターは舞台俳優のように声を張り上げ、台詞をなぞる。


「偉大なる我が君。身に余る栄誉に感謝いたします。褒美を戴けるというのならば、私の願いを叶えては頂けないでしょうか」

「よろこんで聞こう。願いが当を得たものであるならば、きき届ける」

「寛大な王よ、私は冒険の途にのぼりたいのです。魔物や獣が生きる世界を廻り、知識を深め、そして必ずやここに帰りましょう」

「そういえばお前には、魔獣使いの素質があるそうだな」


 台本に無い言葉(アドリブ)を言ってみせた王は、ニッと口角を上げた。


 兎人にヤマネコ、鳥人、人魚。獣たちの顔が次々と脳裏を過り、ヘクターは内心舌打ちをする。獣に懐かれやすいなど、そんな面倒な才能は、いらない。


「いいだろう、旅を許そう。だがお前はあくまでヨルドモの騎士だ。他の国に属することは認めない。……首輪を」


 目の前へ、脚付盆に乗せられた『暗示の首輪』が運ばれる。ヘクターは自らそれを首に巻き、国への隷属を誓った。


※※※


 この世界の何処かで、新しい兎人の王が生まれたという。


 勿論それは、ダリアとは似ても似つかない二足歩行の巨大な兎なのだろうが。


 会いたい。

 会いに行かなければ。


 朧げな焦燥が胸を支配し、不死の心臓をギリギリ締め上げる。兎と会ったとして何をどうしたいのか、するつもりなのか、全くわからない。

 それでも、砂漠に取り残されたかのように心が渇き、泉の蜃気楼を追いかけるように兎を求めた。


 いつの間にか兎に、『魅了』をかけられていたのだろうか。


※※※


 式典から数日後、ヘクターは『青兎亭』従業員部屋へ向かっていた。


 月見船の夜からはおよそ、ひと月。

 その間宿を転々とし、この建物へ近づいてすらいなかった。だが部屋には希少な本や重要な書類、価値のある道具類が残されている。このまま置き棄てるワケにはいかないだろう。


 寒々しい石階段に、硬質な靴音が響く。二階の『青兎亭』をあえて視界から外し、ヘクターは早足で三階を目指した。

 従業員部屋の扉の前に辿り着き、大きな溜息をつく。肺を空にし、心の底までを空虚で満たし思考を止める。そうでもしなければ部屋に入った途端、泥人形のように崩れ落ちてしまいそうだ。

 目を閉じ、秋の空気に冷えた金属ノブを握り、慎重に押し下げゆっくりと手前へ引く。


 おかえり。


 誰かの声が聴こえた。心臓が期待に飛び跳ね、ヘクターは目を開く。


 だが、室内は薄暗く寂寞としていた。

 月を避け、カーテンを締め切ったままの、低い灰色の天井が迫る虚しい空間。


 ただいま。


 空耳だったかと思いつつ、ヘクターはひとりごとを言った。


 直後、足が柔らかな肉を踏んだ。大袈裟な猫の悲鳴に思わず前へつんのめる。


「痛っ、なんで堂々と踏むのっ!? おかえりただいまーって今言ったよねえ。もしかして、あえて踏んだ!?」

「……ブルーノ? 何でひとんちの玄関で昼寝してんだ……」


 背中につけられた靴跡を払い、ブルーノは床に座り直した。


「どこ探してもいないから、寝て待ってたんだよ。ベッドやソファで寝てたらヘクターさん、どうせ無視するでしょ」


 ……するだろうな。

 ヘクターは返事の代わりに目をそらし、後ろ髪を掻く。この一ヶ月、ブルーノの事などすっかり頭から消えていた。


「ヘクターさん、騎士になったんだって?」

「まーな」


 全くどこから聞きつけたのやら。ヘクターはカーテンを開けつつ、気のない返事をした。舞い上がった埃が陽光に照らされ、チラチラと輝く。


「青兎亭、どーすんの?」

「お前がやれ」

「やだよ。できるわけないじゃん」


 自室に入り棚を漁るヘクターにヤマネコはつきまとい、そういえばと呑気な世間話を始めた。

 うぜえ。

 蔑むように呟いたが、取り止めもない話題に多少、気が紛れる。ありがたく放置しつつ、ヘクターは次々と袋へ貴重品を投げ入れた。


 粗方片付けが終わった頃、ブルーノはヘクターの前へ周り込んで用紙を差し出した。


『特殊ペット登録証』


 思わず仰け反り鼻白むヘクターに、ブルーノは捲し立てる。


「ほらここ、ヘクターさんの本名、教会で調べて書いてもらったんだけどあってる? ……あってるんだ、良かった。家に入ったら机の上に書類があってね、なかなか帰って来ないから自分で届けてきちゃった。僕、もうヘクターさんのペットなんだからね」

「さすがに勝手すぎだろっ!」

「それから、ダリアねーさんから、伝言。ねーさんの部屋に貝殻の小物入れがあるから、中を見てって。……よっし全部言ったぞ。じゃあ僕、行くから。また後で!」


 ブルーノは全てを吐き出すように言い、慌ただしく従業員部屋を出た。


 台風が去ったかのように置き残され、室内が妙に広く感じられる。小物入れは一人で開けろ、というブルーノなりの配慮なのだろうが。


「……あいつにまで気、使われてんのか、俺」


 それはあまりに情けない。


 ヘクターは両手をパンッと打ち鳴らし気合を入れ直すと、ダリアの部屋へ飛び込んだ。

 途端、室内に漂う微かな兎の気配と清涼な秋花の香りに包まれる。『遺産』はマイヤスが来る前にまとめてあったのだろう。部屋に荒らされた様子などはなく、ダリアが居た頃と同じように整えられ、キチンと片付けられている。

 探すまでもなく、鏡台に陳列された可愛らしい雑貨の中心に、その貝殻の小物入れは置かれていた。


「ハーリアの時の……」


 ヘクターはそっと持ち上げ、眺めた。


 冬の旅行の際にダリアが選んだ、光沢のある二枚貝の小物入れ。

 あの日、頭から生えた兎の耳を見つけ、ダリアを守ろうと決めた筈なのに。ヘクターは不甲斐のなさに自分を憎み、責めた。守ろうと誓った相手を失うのは、もう二度目だ。


 人差し指と親指で貝を挟む。

 艶やかな蓋はバネ仕掛けで、力を込める前に呆気なく弾け、パチンと開いた。


 中には薄桃色の便箋が小さく折り畳まれ、入れられている。


 手紙、か。


 ヘクターはベッドへ座り、慎重に開いた。

 びっしりと書かれた細かな文字。伝えようと必死でペンを走らせるダリアの姿がまざまざと浮かぶ。


「ママへ。私には、ママにずっと言えなかった事があります」


 耳の奥に蘇る、懐かしい声。

 手紙の中、ダリアは繰り返し謝っている。


 母は衰弱死したと言ったが、それは嘘だ。衰弱した母に、死ぬための薬を用意したのは自分だ、と。


「……嘘ついて、ごめんなさい。嫌われたくなくて言えませんでした。黙ってて、ごめんなさい。

それに、この手紙を読んでるって事は、やっぱり私はマイヤスさんのところに行ったんですよね。

でも大丈夫。お母さんはマイヤスさんになら安心して預けられる、と言っていました。

だからきっと、何も問題はありません。私は元気で暮らしていると思うので、心配しないでください。

ママ、大好き。青兎亭での毎日は、信じられないくらい楽しかった。私は嘘つきで酷い兎だけど、お願いだから、嫌いにならないで。

ごめんなさい。絶対いつか、できるだけ早くママに会いに行くから。待っていてください。

大好きです」


 思わずシーツを握る。肩が震え、心臓は握り潰されそうなほどに痛く、苦しい。


「……謝ってんじゃねえよ、バカ……」


 呟きを掻き消すように嗚咽が漏れる。幾ら謝っても足りないのは、何も事情を話せなかった自分自身だ。

 伝えていれば少なくとも、マイヤスに取られない方法くらいは思いついただろう。


 空虚な喪失感に目眩がし、全身から力が抜けた。悔いの痛みが胸を締め付ける。


 瞳を閉じればはにかんで笑う愛らしいダリアの姿が思い出される。ダリアと出会ってからヘクターの環境は目まぐるしく変化し、騒ぎの中心にはいつだってダリアがいた。

 名を失い狗に落とされ、中ば自棄だったヘクターが前を向くことが出来たのは、ダリアの起こす型破りなトラブルのおかげだろう。


 しかしダリアはもういない。

 夜空の月がダリアだというのなら、攫った月を恨む事も出来ない。


 会いに行くから。待っていてください。


 便箋の文字が脳裏で揺れた。


「……月になったら、どうやって会いに来るつもりなんだよ。……会いに、来てくれよ……ダリア」


 ダリア。


 繰り返し、名を呼ぶ。閉じ込めていた思い出が後から後から滲み出る。

 記憶に翻弄され、崩れ落ちた身体はなす術もなくベッドに倒れ込んだ。


 そしてようやく思い出す。

 ダリアを攫われたあの日の事を。


『では狼さん、さようなら。秋の最後の満月の夜、人魚の入り江、ですよ。日が暮れる前に必ず、来てくださいね』


 ヘクターは飛び起きる。最後の満月は、今夜だ。

 もう、時間がない。


※※※


 強い潮風が吹き抜け、男は二角帽(ビコーン)を押さえつけた。


 岩と岩との間から覗くハーリアの海は、黄金の油を流したかのように輝き、水平線の際で朱色に染まる雲が、光の筋を幾層も重ね海面に落としている。

 あまりの眩しさに、男は目を眇めた。


 太陽が海の果てへと沈んでいく。

 岩場の影が長く伸びて宵闇に溶け、よく晴れた青紫の天頂に、ほの白い満月が現れた。


 間に合えばいいのですが。

 そう呟いた男の耳へ、夕空を切り裂くような嗎が届いた。男は安堵に顔を綻ばせ、鳴き声の方へと急ぐ。

 そこにはやはり、木に大型の蒼馬を繋ぎとめる長身の男がいた。二角帽の男は近寄りそっと声をかける。


「久し振りですね、おかわりはありませんか、狼さん」

「っマイヤス! てめえやっぱり生きていやがったのか! もう一度、ぶっ殺してやる」


 本当に何も変わっていないようだ。振り向きざまの血の気の多い返事に、帽子の男……マイヤスは呆れたように笑った。


「先日はどうも、お世話になりました。殺して頂いてありがとございます」


 目の前の狼は歯を剥き出し、怒りに震えている。事実だからなあ、とマイヤスは開き直り、挑発に近い言葉を足した。


「もーね、こっちとしても派手に決めて欲しかったんで、胸ポケットに血糊ギッシリ詰め込んでて。服は油でヒタヒタにして、燃えやすいように工夫してたんですよ! 蟹の腐臭でわからなかったでしょうけど」


 ぶっ殺す。

 狼がレイピアを抜き放った。マイヤスは宥めるように手を上げ、友好的に眉尻を下げる。


「実は私も、不死なんです。不死同士で決闘したって、無駄に痛いだけしょ。それに……私は衆目の前で派手に死ななければ、自由になれなかった。『狗』であったあなたと同じように、国に囚われ一生飼い殺される運命でしたから」


 そう言うと狼の首輪を指差した。


「狼さん、あなたにはその首輪はなんの効力もない。不死の祝福を授かっているのですから、首を斬り、奴隷の鎖を引きちぎる事だって簡単に出来る。あなたは自由です。

……旅に出るのでしょう? ついて来てください。渡す物がありますから」


 マイヤスは踵をかえし歩き出した。

 人魚の入江は岩壁が複雑に重なりあい、迷路のように入り組んでいる。マイヤスは細い通路のうちの一つへ、狼を誘導した。

 急がなければ。既に太陽は沈み、赤紫の名残雲を残すばかりとなっている。

 ふと、背後の足音が途切れた。振り返れば狼が、驚愕の表情で胸を押さえ立ち尽くしている。マイヤスは狼を突ついて起こし、先を促した。


 やがて岩壁が開け、海に切り立つ小さな岩場へと辿りついた。岸壁には帆を畳んだ小型の船が留められ、その特徴のある輪郭を満月に滲ませている。


 狼は心臓を握るような仕草のまま、呆然と呟いた。


「なんだ、この……船」

「兎さんの魔力を感じているんでしょう? これは、私と兎さんが造った空飛ぶ船です。昼のうちにここまで運んでおいたのですが、どうやらこの船の船長は私よりも、あなたの方が相応しい。……こちらへ来てください」


 マイヤスは二角帽を狼の頭へ被せると、梯子つたいに甲板へ上り、中央に建てられたドーム屋根の建物へと導いた。

 壁に取り付けたレバーを倒すと、カラクリ仕掛けの屋根が全開になり、荘厳な星空を引き連れた満月が姿を表す。

 中央に聳える青月石の柱へ、月光がドッと降り注いだ。柱は神々しく輝いて応え、兎の魔力を船いっぱいに溢れさせる。


「……どうやら、間に合ったみたいですね。わかるでしょう? 兎さんが呼んでいます、あなたを」


 マイヤスは狼をドームに押し込めると部屋を出、後ろ手に扉を閉めた。そのまま沈み込むように壁へ凭れ、空を見上げる。

 兎の魔力を見つけた満月は、夜を飲み込むように月輪を膨らませ、光を強めていく。

 ……もう間もなく、だ。兎そのものの魔力を持つ柱を前に、狼は今、何を思っているのだろう。そしてこれから始まる大仕掛けに、どんな反応をしてくれるだろう。

 マイヤスは想像して少しだけ笑うと、大きな溜息を残して船を降りた。


「……疲れました」

「これで全部、終わったのかい?」


 呟いたマイヤスへ、岩の上から人魚が微笑んだ。


「疲れただろうね。お前は物語を作ることで、兎からこの国を守ったのだから」

「……それは大袈裟です。実際、兎さんも、そこまでするつもりはなかったのかもしれませんし。私の空回りではないでしょうか」

「とにかく物語は終わったのだろう? さあ、ここに来て全部語ってくれないか。ちゃんと、私好みのハッピーエンドにしてくれただろうね」


 マイヤスは岩をよじ登り、人魚の正面へ膝をつくと、海の魔力に溢れる赤の瞳をじっと見詰めた。


「人魚さん、私を食べてください。

世界中の物語と兎の物語の筋書きを、頭に詰め込んでおきました。食べて記憶を共有すれば、話は全てわかりますから。

人魚さんに助けられて以来、食べたあなたが楽しめるよう物語を紡ぎ続けました。兎の物語を終わらせる事で私の魂は、あなたに食べられる価値を得られたでしょうか。

お願いです、私を食べてください」

「そうか」


 人魚は笑い、大きく口を開いた。


 獣である人魚へどれほどの愛を語ったとしても、伝え尽くす事など出来そうにもない。食べられる事で全てを理解してもらえるのなら、それが自分にとっての最も幸せな甘い結末にも思えた。


 マイヤスは目を閉じる。降ろした手を膝の上で祈りの形に組み、じっと食べられるのを待った。

 ひやりと湿った指が頬に触れる。

 その感触に僅かな名残惜しさを感じ、マイヤスはそっと薄目を開けた。


 弓月の形に揺れる赤い瞳。

 まばたきの風が届く距離で、人魚の女王が笑う。人魚は首を少し傾けると、頬に添えていた親指でマイヤスの瞼をなぞり、再び閉じさせた。


 暖かな吐息が鼻にかかる。

 唇に、柔らかな唇が押し付けられる。


 口から与えられた人魚の温もりは、全身の隅々までを電流のように走り抜け、幸福の熱で満たした。

 祝福の口付け。

 人魚は額を付き合わせたまま、唇だけを離し、言った。


「おや。つい、間違えた」

「……はあ?」

「間違えて、また死を奪い取ってしまった」


 人魚の言葉に、マイヤスは目を開ける。顔が……近すぎる。


「な、なに言ってるんですかっ! じゃなくて、私を、食べてくださいってば!」

「まだ食べない。お前の物語は、まだ先があるようだからね。私はそっちの続きも知りたいんだ」

「しかし、それでは兎の物語が終わらな……っ!?」


 真っ赤に顔を染め慌てふためくマイヤスの口へ、人魚は指を差し入れ、舌を掴んで黙らせた。


「バカなマイヤス。おまえは相も変わらず獣の愛を疑うのだね? この舌は何のためにある。……話せばいいだろう。物語の、最後まで」


 月が、一際強く輝いた。

 人魚とマイヤスは肩を寄せ合い、夜空を眺める。


「……始まりました。この物語のラストシーンです」


※※※


 柱がキラキラ輝くと、満月の光が真っ直ぐに降ろされ、船と月とをつなぐ青い光の道ができあがりました。


 狼は嘆くのをやめ、じっと月を見詰めました。

 月がみるみる大きくなっていきます。


 あ!

 狼は叫び、立ち上がって両手を伸ばしました。青い道を通って、月が墜ちてきたからです。

 狼は月を抱きとめました。


 白い白い月は青い目を静かに開いて、狼に言いました。


「ただいま。追い返されちゃった。……私はもう王様じゃないんだって。ただの、兎」


 大きくなる月に見えたのは、月から落とされた真っ白な兎の子でした。

 狼は腕の中の兎の子を、強く抱きしめて言いました。


「……おかえり」


※※※


「兎さんは船に戻ります。青月石の柱は、そのための目印です。変な場所へ落とされたら大変ですから。だからあれは、狼さんの為の船なんです」


 マイヤスは確信を持って、眩く輝く月を見上げた。兎はきっと、狼の元へ帰ることが出来たのだろう。

 その様子に赤い目を揺らし、人魚は首を傾げた。


「何故、兎が戻るんだ?」

「……半分賭けだったんですけどね。成功して良かった。あの兎さんは、合成魔獣(キメラ)です。兎とはいえ、その性質は純粋ではない。それでも王に選ばれたということは、つまり他に兎人はいないという事になります。兎さんは最後の兎なんです。……ここまでわかりますか?」


 人魚は曖昧に頷いた。マイヤスは苦笑いし、解説を続ける。


「しかし月は王が消えた時点で、次の王を選ばなくてはならない」

「ふむ。ならば年月をかけ、月は新たな種族を創り出すのだろうな。化身を地上へ送る為に」

「それがもう一人、王位を継げるものが居たんですよ。兎さんの、お腹の中に」


 新たな王が腹にいる以上、今の兎を月に変える事が出来ない。また、王を誕生させる為には直ぐにでも兎を地上へ送る必要がある。そして地上に送るのなら、月の力が強まる秋の満月でなくてはならない。


「産まれた子供は、何もわからない赤子でありながら既に兎の王なんです」

「……それは……厄介、だね」

「ええ、とても厄介ですが、しかし両親に愛されて幸せな王に育つでしょうね。いずれ、新たな兎の王国が何処かに出来るかもしれません」


 マイヤスの言葉に満足げに笑うと、人魚は手を差し出した。


「そうか。……そろそろ私たちも帰らなくては。人魚の王国は、海の底だからね。帰って、物語を最初から話してくれ」

「わかりました」


 二人は手をしっかりと重ね合う。


 ぽちゃん。海面に銀環を残し、二つの影が消えた。


※※※


挿絵(By みてみん)


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