兎の伝言
「おい、下がれ」
凄みをきかせ狗が吠えた。慌て飛び退いた騎士の脇を掠め、強烈な狗の蹴りが破城槌となり戸板を裂く。金属製の錠が根元から折れ、ドアノブはカランと床に落ちた。騎士たちは唖然と凍りつく。玄関が無惨なボロ板へと成り果てたからだ。
狗は足を引き抜きもう一度、今度は割れた扉を靴裏で踏みつける。にじられた戸板は湿った音とともに倒れた。扇がれた塵埃が白煙となって巻き上がり、薄暗い玄関へ降り注ぐ。
騎士たちはモノ言いたげに狗を見た。その様子に気がつき、狗は何故か照れくさそうに後ろ髪を掻き崩す。
「何だ? ……ああ、心配するな。俺の足なら問題ない。扉を蹴破るのは慣れているからな。ほら赤蛇のガキども行くぞ、ついてこい」
狗は扉の残骸を踏み越え、灯りの消えた屋敷の中をずんずん進んでいった。
大柄な背中が闇に溶け、赤蛇の騎士たちは顔を見合わせる。もちろん誰も狗の足など心配はしていない。返事が無く、鍵が掛けられているからといって、何の躊躇いもなく屋敷の玄関を蹴破る横暴さに言葉を失っただけだ。
まるで性質の悪い竜巻に噴上げられたかのようだ。赤蛇の青年騎士は痛むコメカミを指先でさする。
昨夜遅く急遽組まれたこの部隊は、あの狗と共にマイヤス氏の事情聴取と家宅捜索を行う事を命じられている。マイヤス氏は無名だが、竜の一族の学者であり国の有力者の一人だそうだ。
にも拘らず、狗には遠慮も礼節のカケラもない。
「マイヤス、何処に隠れた! さっさと出て来やがれっ!」
凶暴な咆哮が屋敷の奥で響いている。騎士たちは後を追った。靴を拭いもしなかったのだろう、暗い廊下には狗の足跡が残されている。
「……しかし空き家のようにひっそりしてますね」
狗が入っていった大部屋は窓が閉め切られ、真っ暗だった。赤蛇の一人、金髪の若い騎士が不審げに呟くと、狗は舌打ちしレイピアをかざし魔力を込めた。輝く刀身がカンテラの代わりとなり周囲を照らす。
「……ああ? これは、どういうことだ」
声に焦りが滲む。狗が壁際に歩みレイピアを振るうと、鎧窓がスライスされ鋭く白い真昼の太陽が室内を満たした。
部屋はただただ四角い。
枠だけとなった窓にカーテンはなく、落ちる陽光は正しく斜辺形だ。家具が持ち去られたのだろう、床板が長方形を縫うように色褪せ、ぽこぽことした脚穴が凹んでいる。清潔に拭われた壁面のクロス、天井のハリに取り残されたランプの煤。
がらんとした空き家にギリリ、苛立ちの歯噛みが響いた。……を、返せ。狗は低く唸る。
「……俺は先に状況報告に戻る。カミュ、お前は俺と城へ行きマイヤスへの視察記録を調べろ。他は念の為、マイヤスが隠れていないか捜索してくれ」
狗はそう言い残し、馬の背に飛び乗った。
※※※
午後の執務室は静かだ。
城の分厚い窓ガラスが風の音を阻み、上質の絨毯は靴音を吸う。王子の政務を遮る事は許されず、隅に佇む侍女たちはひたすらに欠伸を噛み殺し、扉の前の護衛は睡魔と応戦した。
机では王子、ミューラーがペンを滑らせている。その傍、白竜のザルバは応接用のソファで胡座を組み、本を捲っていた。
ふとザルバは手を止める。昼下がりの沈黙を破り次第に大きくなる騒音。指が埋まるほどの絨毯でも吸収しきれない粗暴な足音。
ザルバは頁を見詰めたまま耳を澄ませた。
来たか。やけに早いな。
目を瞑る。次の瞬間、落雷に似た派手な音をたてドアが蹴破られた。蝶番が外れ、護衛が嘆き侍女たちは悲鳴をあげる。
「随分と賑やかな登場だな、狗」
ザルバは本を閉じ、顔を隠すフードを外した。
駿馬を使ったとはいえ、ハーリアでの調査を終えてきたとは思えない速さだ。荒れた息を整えもせず、狗は口を開く。
「……マイヤスがいなかった。家はもぬけの殻。とっくに引越していたみたいだ。報告書は後ほど提出するが、マイヤスへの監視がどうなっていたのかも、今調べさせている最中だ」
「なるほど」
ザルバは昨日の蜥蜴の強引すぎる様子を思い返し、渋を食んだように顔を顰めた。既に屋敷を引き払っていたのなら、ザルバとの縁も切るつもりだったに違いない。
「監視を逃れたとは、厄介な事だ。蜥蜴は俺と同じ竜の直系。奴自体に力は無くてもその血脈には強い魔力が眠っている。もし蜥蜴が他国へ移り住めば、竜の血はヨルドモにとっての脅威となりうるだろう」
ザルバが息をつき、ミューラーが後を続ける。
「竜の純血はもう、ザルバとマイヤスだけなのだ。城の老魔導師たちに話を聞いてきたのだが、二十年ほど前に一悶着あり、監視つきでハーリアに住まわせる事になったのだそうだ。……ああ報告書が来たぞ。これは……マイヤスの監視記録、か」
入室した従者が執務机に書類を置いた。ミューラーはざっと目を通し、眉を寄せ呆れ声をあげる。
「酷いな、これは」
そう言って広げられた記録には、日付と『異常なし』の押印が並ぶのみ。監視など行われていなかった事は明らかだ。
書類の正当性を示すサインは、半年前に行方不明となったハーリアの前侯爵のもの。新任の領主が屍人へ変えられる事件がありゴタゴタしていた為か、春以降は押印すらない。
「ハーリア前侯爵……あいつか。あの、屍鬼主。なるほど、マイヤスと前侯爵が手を組んでいたのなら……」
狗の呟きに、ミューラーが頷く。
「監視は十分ではなかったようだ。しかし昨日のうちに取り急ぎ、国境警備は強化させてある。もちろんハーリアの港もだ。そうやすやすと国からは出させない。マイヤスの手配書も早急に用意しよう」
「ミュー、助かる……が……国境?」
狗は腕を組んで黙り、額に深い皺を寄せた。何かが胸に引っかかる、そう言いたげに俯く。やがて、気付いたのだろう。狗は目を見開いた。
「……そうか、解った! マイヤスは空から逃げるつもりだ! ウサギは月の力で空を飛ぶことができる」
「ウサギ。……合成魔獣か」
ザルバはフードを被り直し、顔を隠しながら呟いた。
「シャオ、聞きたい事がある。あの合成魔獣は……アレの原材料は、何だ」
「ダリアの原材料……両親の事か?」
「そうだ。合成魔獣は、『誰』だ?」
合成魔獣に感じた奇妙に甘い感覚。思い返すたび、胸が詰まる。
狗は顎に手を添え、斜め上に視線を泳がせた。
「……兎人の王と、黒の魔女、サラサだ」
つまりはザルバの肉親。合成魔獣のベースがザルバの母と良く似ていたという伯母であるならば。
「 合成魔獣の魔力のヒトの部分は、俺と同じ種類のものだったのか。……どうりで。つまりはこの血の性で、蜥蜴は狗に 合成魔獣を押し付けたのだな」
「おい、それはどういう!?」
狗の叫びを気にも留めず、納得した様子でソファへ沈み直した。口を結び、胸の内で呟く。
つまり、蜥蜴も 合成魔獣も、俺と同じ竜の一族だからだ。竜は純血を求めるあまり歪み果てかけている。蜥蜴と 合成魔獣では血縁が近すぎるからな。子を成し新たな種族の祖となるには相応しくない。
「……だが、しかし……」
しかし、何故蜥蜴はわざわざ、俺に見せてまで子供の存在を確認したのだろう。背に腹はかえられぬ程の必然があったのか、それとも子供を見せる事自体に何か大きなメリットがあるのだろうか。
「ザルバ、どうした?」
思案に耽り黙り込んだザルバヘ、狗が案ずるように声をかけた。基本、狗はザルバに甘く言葉を誤魔化したとしても詰問してくることもない。ザルバはワザと話題を変えた。
「ん? ……ああそういえばあの合成魔獣、『暗示の首輪』をつけられていたな」
「『暗示の首輪』!? あの、俺がお前につけられた、例の……が、もげるやつだったか?」
「……そんな魔導具ではない」
狗が顔を青くし股間を押さえている。随分とトラウマになっているようだ。
「あれは春の祭りの翌日だったか。城に来た蜥蜴に、魔法の通じない魔獣を制御する為の道具はないかと聞かれてな。丁度、狗でテストを終えたばかりの『暗示の首輪』を渡した。……デザインを女性向けに作り変えたようではあるがな」
「……もしかして青月石ついた細革のチョーカー、か? ダリアの魔力暴走を止めるためにマイヤスが用意した……」
ザルバが頷いてみせると、狗はゴクリと唾を飲みこんだ。
「あの合成魔獣は強引に二つの存在を重ねた不完全な生き物だ。ヒトと獣の魔力が互いに喰らいあい、自壊しかけている。それを防ぐために首輪を身に付けさせ、暗示の力で崩壊を抑えているようだな」
「……ああ、そうか。ダリアには魔法が通じないからな。確か『暗示の首輪』の効力は、暗示効果の増幅だったか。なるほど、それならば」
「……ようやく正しい効力を思い出したな。合成魔獣の暴走を抑えるのには、あの首輪がもっとも適しているだろう。だがしかし、アレは本来、奴隷や魔物を言いなりにする為のモノだ。首輪がある限り、合成魔獣は蜥蜴に逆らう事が出来ない」
「……っ!?」
狗の顔から血の気が失せる。合成魔獣ではあるが美しい恋人の身を案ずるのは無理もないだろう。
『そういう意味』では、大丈夫な事は明白であるのだが。
ザルバはフードの下から、ミューラーに視線を送る。ミューラーも意を得たとばかりに引き出しを開け、新たな紙束を取り出しながら言った。
「……わかった。私から新しい依頼を用意しよう。国中を隈無く探し、マイヤスを見つけ出せ。ただし期限は二週間だ。あまり長く成果を出さないでいると、お前を騎士に戻す事自体が難しくなってしまう」
青々としたインクをペン先に染み込ませ、ミューラーは狗への依頼書の作成を始める。
「それに、ウサギの力であの大きな船が空を飛んだのを、私も覚えている。お前の言う通り月の出ている夜は空も警備するよう伝えよう。ザルバ、白竜の魔導士たちを借りるぞ。国境に結界を貼らせなければ。もちろん海もだ。月夜の空を、閉鎖する」
※※※
夕の鐘から半刻ほどが過ぎ、ヨルドモ城塞の晴れ渡った秋空が、朱を流しこんだような夕焼けに染まる。
中央市場からほど近い西地区の路地裏。野良猫がたむろする細い坂道の、雑居アパートの二階。隠れ家的なバー『青兎亭』のドアベルが澄んだ音を響かせた。
「ヘックターさあん! 昨日はどうだったのー? ……って、あれえ……おーい、ヘクターさーん、ダリアねーさーん」
店に入ったブルーノは戸惑い、他の従業員たちの名前を呼ぶ。開店時間をだいぶ過ぎているというのに、店内は暗い。金に縁取られたヤマネコの瞳孔が丸く膨らんだ。
椅子が卓上にあげられたままのフロア。不在のうちに酒屋が来たのだろう、木箱に詰められた酒瓶と小ぶりの樽が床に積まれ、伝票が置かれている。
ブルーノは帽子を取り、薄手の外套を脱いだ。大きな三角耳がぶるりと回り、縞模様の尻尾は戸惑い揺らぐ。
「おっかしいなあ。二人とも居ないだなんて。……っていうかもしかして、昨日からずっと店に来てない、の?」
カウンターの上には、昨夜ブルーノが持って来た花束が放置され、力なく白んでいた。
昨日はウエイトレスであるダリアの誕生日だった。
ブルーノは花束を抱え、恋人候補を同伴し出勤したのだが、ダリアも店長のヘクターも、従業員部屋にすら現れなかった。何処か他の場所で盛り上がり過ぎてしまい、店に来れなくなったのだろう。ブルーノはそう決めつけ、花束を置き店を後にした。
「でも、今日もいないなんて……これは」
ブルーノは腕を組む。
「……これはもしかして。僕の大儲けチャンス?」
金目が爛々と輝いた。
『青兎亭』の厨房には高価な魔導具が並んでいる。これらを幾つか売り飛ばせば、相当な金が手に入るに違いない。ブルーノは足音を忍ばせ厨房に入った。
所狭しと並ぶ調理魔導具。ブルーノは手当たり次第に鞄へしまう。
「ヘクターさーん。ぜーんぶ、貰っちゃうよー、僕」
鼻歌混じりにそう呟くと、がたり、物音がした。ブルーノは尻尾を倍に膨らませ、ビクリと飛び上がり頭を両手で抱える。
「きゃーごめんなさい、ヘクターさーん!! 殺さないで……って、違った、か」
床に落ちたソースへら。ブルーノは拾い上げ、手持ち無沙汰に弄りながら、いつもヘクターの座っている簡素な丸椅子に腰を降ろした。後ろに体重をかけ、ヘクターがよくそうしているように、天井を仰ぐ。
「……つっまんない。本当に来ないのかよ」
ブルーノは鞄をひっくり返し魔導具を元の棚へいい加減に戻すと、のそのそと厨房を這い出し酒樽の整理を始めた。仕入れの伝票を手に取り、書かれた住所を睨みため息をつく。
「あーあ。仕入先にも連絡、しなきゃだよな? こりゃ。まったくなんで僕が……ヘクターさん、どこ行ってんだよ。めんどくさっ」
独り言を呟きながらも、ブルーノは店の戸締りをし、鍵を隠した。
「……ダリアねーさんから伝言、あるんだけどな」