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兎は月を墜とす  作者: hal
秋の月と夜の海
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兎のプロローグ

 さあ、お話を始めましょう。

 これは気の毒な兎の子が、十九歳になった朝から始まる物語。


 その日は強い雨が降っていました。

 街は真っ暗で寒々しく、まだ夜なのかもう朝になっているのか、僕にはさっぱりわかりません。

 太陽も月も、眠ってしまっているかもしれないな。なんだか楽しくて、僕はカンテラを軽快に振り回しました。キラキラ輝く雨粒が、路地裏の坂道に光の帯を作って導きます。


 そうだ、兎さんは耳がいいから。うるさくしてはいけないんだよ。


 僕はみんなにそう言って、水たまりを避けながら、ゆっくりゆっくり歩いてみせました。

 すると突然、天が轟き、僕は立ち止まり身体を竦ませました。雷だと思ったからです。しかしこれは、夜明けを告げる鐘の音でした。


※※※


 建国の王ヨルドモは、大神ベアリーチェに命じられ巨大な鐘を(つく)ったという。鐘はやがて塔に祀られ、千年を経た今も神の意志と刻を民に知らしめている。

 今朝も大鐘は打ち鳴らされ、空を厳かに震わせた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……。


 城塞に住む人々が習慣的にそうしているように、ヘクターもベッドの上で微睡みながら刻を数える。


 夜明けの刻、か。

 東雲が橙色に輝き、桃紫の空を山鳥が鳴き交わす時刻だ。だが今日の部屋は闇に沈み、風雨が窓枠を叩いている。


 まだ起きるような刻ではないな。

 そう決め込み隣で眠るダリアを求め腕を伸ばした。しかし手は虚しくシーツを掻く。寝返りを打ち逆を探すと、ベッドの縁から降りた指が床に転がる毛布に触れた。


 おかしい。ダリアが、居ない。


 そんな筈はない。昨夜は丁寧に抱き、腕に閉じ込めたまま寝た。

 明け方の空気に冷えきった背中を汗が一筋、はっきり伝い落ちる。ヘクターは目を開け悲鳴に近い声で呼んだ。


「ダリアッ!!」

「はあいっ! ……うわあびっくりした。おはようママ、起きたんだね。もう朝だもんね」


 跳ね起きたヘクターを避け、ダリアはベッド脇で膝立ちのまま仰け反っている。眠るヘクターを観察していたようだ。

 安堵に血管が広がり、体温がぶわりと上がった。急激な眠気に襲われ枕へ崩れる。


「……良かった。またダリアが浚われたかと思った。……んじゃ、おやすみ」

「ってせっかく起きたのにまた寝ちゃうのっ!? ママ、もう朝だってば! 起きて起きて、今すぐ遊びに行こうよ!」

「お誕生日おめでと、ダリアちゃん。でも、まだ早いから。もう少しだけ、寝かせて頂戴……」


 つい先ほどまで見ていた夢はどんなだったか、意識の向こう側へ逃げてしまった。捕まえ再び眠りにつかなくては。なにしろダリアの誕生日ということで、夜とても頑張ったから。いつもの朝より四肢が重く、身体はまだまだ睡眠を求めている。


「もー! 寝ないでママ、急がなくちゃ間に合わないんだからね!」

「……そんなわけ、ないでしょうが。劇場は午後にならないと開かないんだから。……ダリア、ほらおいで」


 言いながら胸を開いてみせたが、ダリアは飛び込まないどころか立ち上がりカーテンを開いた。しかしやはり外は暗く、朝の光は差し込まない。

 ヘクターはムウと不平の声を漏らし、ダリアの枕を掴み寄せ顔を埋めた。あっという間に小さな寝息をたて始める。


「えええっ、ちょ、ちょっとママ、起きてよー! 確かに外は暗いけど、でも早く早く!」


 急いで戻ったダリアに揺さぶられたが、枕を強く抱え目蓋に力を込め抵抗する。

 起きたくない。

 しばらく耐え続けるとダリアが離れた。ようやく諦めてくれたかと、ヘクターは薄目を開ける。


 眼前に、青白い光の塊。


 数度、瞬きをすると、腕を祈りの形に組んだダリアが月神の使徒のごとく神々しく輝いているのだと判った。

 理に則る人間の魔力とは違う、猛々しく荒ぶる魔獣の魔力。ダリアを中心に渦を巻き、発動命令を待ちながら家具を揺らしている。

 本能が鳴らす警鐘、眠気は吹き飛んだ。ヘクターは慌ててベッドから飛び降りる。


「ねえっダリアちゃん! 今、何しようとしてるの!?」

「うーん、腕が疲れちゃったから、『重力操作』で浮かせて揺すったら楽かなーって」

「あからさまに魔力込め過ぎだからねっ。その魔力で浮かせたら、私、天井突き破っちゃうでしょう!」


 ダリアは天井とヘクターを見比べ、何かに気が付いたように手を打った。


「なるほど。今日は雨だから傘がないと濡れちゃうね。ほら、この傘どうぞ」

「あら、ありがとう。ダリアちゃん気が利くー。これで天井破って雨に濡れても風邪は引かない……ってダリアちゃんのお馬鹿さん! 天井突き破った時点で血に濡れてぐしょぐしょだからね!」


 ああそうかあ、ちょっと危なかったかもね。とダリアは呟いた。


 ヘクターが手渡されたのは、端をレースで縁取り小花を散らした水色の傘だ。ダリアが大切にしまっている余所行きの傘。

 そういえばダリアはいつの間にか服を身に着けていた。

 仕立ての良い濃紺のワンピース、白い薄手のカーディガン。兎耳を隠すためだろう、薄紫のボンネット帽を小脇に抱え、足元には華奢な白のヒールパンプス。

 出かける準備が完了していたようだ。


「ええとダリアちゃん。準備、早すぎない? まだ劇場どころかレストランも開いてないんじゃないかしら。それと、今日は大雨なのに白いパンプスなんて大丈夫なの?」

「あ、これ? 汚れるの嫌だから私、雨の日は少し浮いて歩くようにしてるの」

「……お願いだから、あんまりニンゲン離れしないでちょうだいね。それにしてもダリアちゃん、朝っぱらから張り切り過ぎよ。……もう、仕方ないわねえ。なんだか起きちゃったから、私も付き合うけど」


 ヘクターは鼻先に皺をよせ欠伸をかみ殺した。多少のワガママならば叶えようと、昨夜決めた事を思い出したからだ。


 満面の笑みを浮かべたダリアが、ヘクターの手を引き洗面所へと促す。さっさと顔を洗えというのだろう。繋いだ指の先、ダリアはこしょこしょと指輪を擦った。他愛もない婚約の真似事。それが奇妙に嬉しい。


「ママ私実はね、もうおなかペコペコなんだ! 朝ごはん食べに行こうよ。さあ、急がなくちゃ急がなくちゃ。はいタオル。それとこっちはお着替え」

「どーも。ってダリアちゃん、そんなに急かして、どんだけお腹すいてるのよ。……え、と、……なに、あの大荷物。旅行鞄は必要ないでしょ」


 玄関脇に置かれたダリアの旅行鞄。その隣にはヘクターのトランクまでもが並べられている。

 今日は国立劇場へ観劇をしに行く予定だ。ヘクターはダリアを訝しげに見る。ダリアはその表情にも気が付かず、ヘクターの腕にシャツを通しながら平然と言い放った。


「夜、考えたんだけどね。もういっそ旅行に行こうかなって。ハーリアじゃない、例えば外国とかとにかく遠いところ。ね、ママ、適当に馬車乗って、二人で旅に出ようよ」

「……はあ?」


 ダリアは旅行がもっとも最善だ、とでも言いたげに洗顔道具をヘクターのトランクへ詰め始めた。ひょいと中を覗くと、すでにヘクターの着替えや生活道具が詰め込まれている。

 獣たちは相変わらず、強引で唐突で理解し難い。ヘクターは頭を抱えた。


「……えっと、私が寝起きだからかしら。ダリアちゃんの言ってる事が理解できない。……っていうか目の下、クマが酷い! 夜考えたって、あなた徹夜で考え事してたんでしょ! あーもう、そりゃあお腹すくわよ。テンション高いし変な事言ってるし。今日は家で休んでた方がいいんじゃない?」

「ダメ! お願いママ、今日はどうしても出かけたいの。それに急がなくちゃ」


 大丈夫だといいんだけどでも、もしかしたらって思うし。今日は家に、居たくない。ごにょごにょと聴こえないほどの声でそう付け加えた。


 ダリアの表情は真剣で縋りつく指先には力が込められている。意図は理解できないが、とにかく出かけたいのだという意志だけは伝わってきた。

 困惑し、ヘクターは眉をハの字に下げる。


 国外への旅行。

 ヨルドモ王国は戦時中ではない。

 しかし魔導師を優遇し、国内に確保しようとする傾向が強く、独自に発達した文化を守ろうと閉鎖的だ。

 国境の警備はかなり厳重で、魔導師でなくとも出国許可を手に入れるのは難しい。それが優秀な魔導師やその一族の血縁者ならばなおさらだ。

 この城塞都市の狗であり、優秀な魔導師でもあるヘクターに出国許可がおりるはずもない。


 しかし今日は誕生日。あまりがっかりさせたくもない。

 ヘクターは顎に手を当て首を振り、仕方ないと笑ってみせた。


「んー、どうしても急ぎたいのね? じゃあ、朝市の食堂でごはん食べて、観光案内所に行きましょう。お店の事情もあるから、旅行はちゃんと計画立ててからね。それに、劇場の演目と公演時間も調べないと」


 数か月後の国内旅行、その程度に濁そう。強引な旅行をハーリア、トゥオーロ、と続けてしまっている。うまく立ち回らなくては、立場がより危うくなる。


「ありがとうママ、急いで急いで! うん、今日はたいへん(・・・・)だから。急がなくちゃ(・・・・・・)間に合わないよ(・・・・・・)!」

「たいへん? たいへんって、なんの事。えっと、ダリアちゃん」

「……ったいへん(・・・・)だ」


 ヘクターの背を押していたダリアが、突然びくりと身体を震わせ、呼吸をとめた。

 丸い目は大きく見開かれ、ピンと立てられた耳が玄関を向く。寝不足の顔がさらに色を失い、石彫のように硬く強張った。


「どうしたの、ダリアちゃん」

「こんなに、早いなんて。ママ、すぐに逃っ……!?」

「っ大丈夫か!?」


 ダリアが突然ガチョウのように咳込み、喉を押さえ崩れ落ちた。吹き出した脂汗が首筋を伝い、黒革の首輪を濡らしている。

 隣にしゃがみ抱きしめ、背中を擦ると、少しづつ呼吸が落ち着いていった。

 これは出かけられそうもないな、ヘクターは呟く。


 トントンと、断続的に続く硬質な音。腕の中のダリアがひゅいと息を飲む。玄関扉が繰り返しノックされている。

 ヘクターは顔を顰めた。まだ早朝だ。何か、急ぎの案件だろうか。国からの使者かもしれない。


「誰かしら、こんな早朝に。ダリアちゃん、調子悪いみたいね。風邪かもしれないから、ベッドで休んだ方がいいわ。少し待っててね」


 背中をポンポンと叩き立ち上がると、ダリアはヘクターを見上げ、泣きそうな顔で口を動かした。声が出ないようだ。

 ヘクターは心配げに振り返り、しかしそのままドアノブを握った。


「はーい、どなた……って?」


 正面に立つ、黒い雨具姿の小男。背後には制服をきっちりと着込んだ、五人の警吏兵。

 小男が口の端を大きく歪ませて笑う。特徴のある、竜の一族の笑い方。


『捕縛』


 男が囁く。ヘクターの足元が光を放ち、魔方陣が現れ波打った。金の触手が四肢を掴む。


「捕縛の、魔導具!? ……お前、誰だ!」


 あらかじめ、扉の隙間から差し入れられていたのだろう。魔力の少ないモノでも使えるが、家が一軒買えるほどに高価な『捕縛』の魔導具。

 男は雨を払い、フードを降ろした。


「おはようございます、狼さん。魔女の遺産(うさぎさん)の回収に来ましたよ」


 マイヤスはそう言って、人の良さそうな笑顔を浮かべてみせた。


※※※


 人魚さん、ああもう、寝ないで聞いててくださいよ。

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