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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
72/99

屍人と魔法少女と兎の王

 隠者のように厳かな黒い森。長い白髭に似た山道を登りきると、石柱が二本、道を挟み立っていた。

 麓の山道口で見たものと同じ、螺旋の筋が刻まれた柱。ヘクターはその間を慎重に潜り抜ける。後ろをぴょんぴょんと追っていた鳥人(ハルピュイア)は軽く羽ばたき、脇をすり抜け眼前へ降りた。


「ようこそ。ここが山のてっぺんよ」


 鳥人は翼を恭しく折り、おどけた仕草で礼をし、ヘクターを前へと促す。


 唐突に拓かれた山頂の小広間で、風が夏草を波立たせた。


 人間が手入れをしているのだろう。余分な木は抜かれ、草も低く刈られている。

 中央には大人三人が手を広げたほどの太さがある古めかしい樫の大木が、黒い巨人のようにそびえ立っていた。

 巨人の足元には、石を重ねて作られた円形の平台。祭壇にも、小さな石舞台にも見える。


「……なんだ、ここ」

「あたしたちのレストラン、かしら?」


 頻繁に掃除されているのか広場は清潔で、葉も鳥の羽も殆ど落ちていない。しかし、頭痛がするほど強烈な異臭が漂っている。

 ヘクターは鼻を摘まんだ。悪臭が目にしみる。


「臭いレストランだな。俺はてっきり、頂上に船乗りの墓があると思っていたんだが」


 周囲には墓も竈も見当たらない。


「ふふ、ダーリン酷い顔。この臭い嫌いなの? じゃ、足に掴まって」


 鳥人は低く浮かび上がり、ヘクターの顔の高さへ鮮やかな黄色の脚を差し出した。

 薄い鱗が細かな波模様を描く、太枝のような脚。毒々しい鍵爪を避け、足首を慎重に握る。予想を裏切る弾力と、血流を感じさせる低温。

 ヘクターがしっかり握ると、鳥人は楽しげに微笑んだ。


「行くわよ、息止めて。舌、噛まないでね」

「いっ!? ……っ!」


 鳥人が金目を輝かせる。空気が濃く、重くなった。直後、足が地を離れ、気流と共に空へ吸い込まれる。氷を押し当てたように肌が痺れた。ぐるり、景色が変わる。鳥人は空へ墜ちる鉄塊のように宙天へ舞い上がった。


「……すっげ。島が、全部見えるのか」


 鳥の空から見降ろす島には、港の篝火だけが点々と灯っている。海は凪ぎ、黒曜石のような海面に、月が青い筋を落としていた。空との境目が判らないほど暗く、泡立つ白波が真珠飾りのように縁を示している。

 海を見詰めるヘクターへ、鳥人は頬を撫でるように微笑み、そっと高度を下げた。古木の太枝にヘクターを降ろし、向かいの細枝へ座り込む。


「凄いでしょう。ここは、あたしの特等席。臭い、ここなら平気?」

「……まだ少し臭うが、息がつまる程じゃないな」


 生い茂る葉の隙間からは、青く神秘的な海が覗いている。ヘクターは絶景を眺めながら答えた。


「この席ではお食事しないから、それほど臭わないでしょう。でもそんなに臭いかしら。あたしたちにとっては、食欲を誘ういい薫りなんだけど」

「……もしかして食事って、船乗りの死体、か?」

「そーよ。だからここはレストランなの。あたしたちの餌場、よ」

「……鳥葬かよ」


 ヘクターは顎にシワを寄せ、苦々しく眉を寄せた。死体とはいえ人間を魔物の餌にする事は神への不敬を感じ、抵抗がある。

 鳥人は眠る海を翼で指し示した。


「この辺りの海域は潮の流れが複雑でね。島には昔から難破船が多く流れ着いてたの。そのうち安全に食べられる屍肉を求め、鳥人が住み着いて鳥の島になったわ。やがて人間が住み着いて、今じゃ一緒に暮らしてる。あたしは風を操って船を遠くからも集めるの。人間って悪魔みたいにしぶとくて、無遠慮よね」


 眉をひそめたままのヘクターを、鳥人はからかい笑う。


「人間が船から死体を集めてここに運んできてくれる。あたしたちは船内を探さなくても、楽に食事にありつける。人間は船から好きなだけ荷物を手に入れられる。

昔っからそう。ヨルドモの国が出来るのより、もっと前から」


 鳥人が小さく跳ね、ヘクターの横の枝へと移った。切れ長の目を眠たげに細め、首を傾けてヘクターを見上げる。


「ただね。何故か最近、魔導師の死体がないのよ」


 ちょんちょんと、黄色い趾で枝を伝い、距離を詰めた。艶やかな唇を物欲しげに開き、やや低い艶声で甘く囁く。


「ねえあたし、お腹がぺこぺこなんだけど。魔力、食べたいなあ」

「寄るな。生理的に受け付けない」


 ばさり、羽毛が舞う。鳥人はヘクターの足払いを避け、跳んだ。枝を移り不思議そうに首を傾げる。


「おかしいわね。さっき読んだ雑誌に『夜景の見えるロマンチックなレストランで愛を語れ!』って書いてあったんだけど」

「今の会話の何処に愛があったんだ! ってか、お前、雑誌を読んでるのか!?」

「さっき、雌の屍人(ゾンビ)に貸してもらったのよ。人間の雄の堕とし方が載ってるから参考にって。あたしだって、人の口説き方なんて知らないもの」


 マニュアルなんて役に立たないわねと、鳥人は羽を伸ばした。闇色の大きな翼が月を隠し、奔放な胸が青白く輝く。つんと尖る尖端。金の瞳が笑う。黒翼の天使のような、神々しく妖艶な姿。

 ヘクターは目をそらし、誤魔化すように島を見渡した。


「……いねーな、アネットたち。まあ当たり前か」

「そうよね、おかしいわ。誰もいない。……うちの子たち、どこ行っちゃったのかしら」

「子持ちっ!?」


 意表を突かれ大声をあげると、鳥人は金目をすがめ、不機嫌そうに答えた。


「鳥や人と一緒にしないでちょうだい。私は金の鳥人。黒目の鳥人は大人にならないの。金目を持って産まれた鳥人だけが大人になって、他の子たちを養うのよ」

「金、ねえ。そういえばブルーノも金目だな」


 それに、ダリアの目は青と、赤だ。


 ヘクターは音に出さず呟いた。ダリアの瞳は空を写したように青いが、時折狂暴な赤に塗り潰され兎の魔獣に変わる。

 金の鳥人は話を続けた。


「金や赤の瞳には魔力があるわ。金がその種族にどのくらいいるのかは、それぞれなの。殆どが金の種族もあれば、うちみたいに金が稀な種族もあるわ。ただ、どの種族にも赤は一匹。王様は一人よ」

「……赤が二人いる種族もあるんだろう?」

「なーい。ダーリン、赤に飼われているのに知らないのね。古い赤が消えると、新しい赤が現れるの。王冠を神から授かるようなものよ」


 鳥人は得意気に笑う。


「ある日突然、ただの獣が王になるのよ」


 ヘクターは顎に手を沿え、海を睨んだ。


 三年……もう四年前になるか。

 船でヘクターが戦った赤目の白兎。月光を浴び青白く輝く、ダリアの父親。あれが当時の兎の王だったのだろう。

 つまり、四年前のダリアは赤い兎ではなかった。その後父親が亡くなり、ダリアが赤い瞳を受け継いだという事になる。


「……目が赤くなったり青くなったりするのは、何故だ?」

「知らない、そんな変なの。でもダーリンの王様、人間に擬態してるわよね。眼の色くらい誤魔化せちゃうんじゃないの? よく知らないけど」


 獣にもわからないんだな、と、ヘクターは模型のような景色へ目をやった。

 真っ直ぐ伸びた月影が、海空に青い線を描いている。


 突然、月が墜ちた。


 柔らかく欠けた月は膨らみ、海へ近づいたかのように光を強くする。月光の道は消え、代わりに舞台照明のように海の一点を照し上げた。

 黒雲が晴れ、歌劇のフィナーレを飾るような豪華な星空が現れる。海は空を写し、上も下もなく眩むような光に包まれた。


「っな! 月がっ!?」


 枝から身を乗り出し叫ぶ。鳥人も吸い込まれるように月を見詰め、言った。


「あー、これ、赤の魔力だわね。お肌がピリピリする。兎がなんかやったんじゃない?」

「お前、解るのか!? あそこ、か?」


 ヘクターが月明かりの示す先を指差すと、鳥人は頷いた。


「あたし魔力に敏感なの。生きた魔力を食べるからね。……やっぱり王様ってすごいのねー」

「おい、あそこに連れていけ。後で血を好きなだけ飲ませてやるから!」


 血かあ、と鳥人は呟き、勿体ぶるように眉を上げる。


「……んー。まあ、いいでしょ。約束よ? あたし、もう魔力が底をついちゃうんだから。……危なそうだからそばには行かないけどね。ほら、足を掴んで。墜ちたら死ぬからね」


 鳥人の脚をヘクターが握る。金の瞳が輝くと、雷鳴に似た轟音をたて空気がうねった。


※※※


「ダリア、さん?」


 意思とは関係なくロージーの唇が震え、少年の声が洩れる。モーリスが喋ったのだろう。


 今、ダリアさんって言った?


 ロージーは閉ざしていた視野を瞳に重ね、モーリスの視界を共有した。


 白い甲板は、瑠璃粉を撒いたような月光に包まれ、帆柱を飾るバラの棘がくっきり見えるほど明るい。

 船首に人魚の姿はなく、その代わり、白いワンピースを纏ったダリアが月を従え、磔刑を受けているかのように腕を広げたまま浮いていた。

 その瞳は見開かれ、赤く光っている。


「……兎、だ。ダリアさんじゃない」


 モーリスが呟き、ロージーは詠唱を中断した。とっくに止まった筈の心臓が打ち鳴らされる。ロージーと重なるモーリスの魂は、未だ兎に魅了されている。

 兎の王は宙に漂い、赤い瞳で船を見渡した。そしてブルーノへと焦点を合わせ、何かが削げ落ちたように顔色を変える。

 瞬き数回。赤が、青に戻る。

 ダリアはトンッと音を跳ねさせ、桃色の爪先を降ろした。


「うわあっ、ブルーノくん、凄い大怪我だよっ! ね、ね、大丈夫!?」

「……あ、ああ、うん。これ? これはさっき切ったヤツだけど、浅いし、他はみんな返り血だから、そこまで慌てなくても……」

「ああっ! しゃべっちゃダメ! 口から血が溢れてるよ! そ、そうだ……止血、止血しなくっちゃ」

「えっとね、これは血を吐いた訳じゃなくて……」


 突然素に戻り、ワンピースのポケットを探りあわあわと手を動かしたが、何も見付からなかったようだ。キョロキョロと周囲を探した後、何かを思いつき兎耳をピンと立てた。


「……そ、そうだ。さっきママが言ってたよね。癒しの歌は、魔法の歌だって。たしか発動キーは……『治癒』」


 あー、あーっと、ダリアが発声を確かめる。大きく息を吸い、深く吐き出すと、穏やかに歌い始めた。月光が応えダリアを青白く包む。



 わが祈りの ふさふにあらねど


 やさしき君 ただあわれみたまへ


 心のおくを みたしたまへ



 一段高い船首は、せり上がった舞台へ代わり、ダリアは月の神へ讃美歌を捧げる神子のようだ。

 ダリアが静かに歌い、舞う。くるり、くるり、回るたび魔力が膨らみ、ダリアから溢れ出た。重く濃い、獣の粗野な魔力が渦を巻く。ロージーの集めた魔力が、じわじわと広がる兎の魔力に飲まれていった。


「うわ、これはあれか。ロージー逃げるよ!」


 モーリスはロージーにだけ聞こえるよう囁く。


「何?」

「兎は人間の魔法を暴走させるんだ。少し前、僕の魔法は狂わされ、僕は粉になった。ロージーにも覚えがあるだろう? ほら、歓楽街で傘を壊されたじゃないか。兎に魅了された僕らじゃ、抵抗も出来ない」


 早口なモーリスの呟きは、耳に入った羽虫の音のように響き、聞き取りにくい。ロージーはダリアを見つめたまま首を傾げた。


「ダリアさんの魔法が発動すると、僕らは粉々になる。多分。仕組みは全くわかんないけど」

「アネットちゃんも?」


 ロージーが言うと、首が勝手に頷ずく。モーリスが『うん』と答えたのだろう。


「……大変。アネットちゃんを連れて逃げなくちゃ」


 アネットに駆け寄ろうとしたが、足が縫いとめられたように動かない。


「ロージー。従属屍鬼(ペット)も連れて行くって事? 頼むから諦めてよ。わざわざ死体を運んでも邪魔なだけだ」

「違うよ! 屍人にするのは後にしたの。アネットちゃんは生きたまま連れて逃げるから!」


 モーリスが小さく溜め息を吐いた。


「ここは船の上だ。もう海の底にしか逃げ道がない。海に落ちれば人間は溺れ死ぬだろ。死体を海に沈めるのは面倒だよ。もたもたしてたら兎に壊されちゃう」

「……」

「諦めなよ。アネットさんより僕らの身体の方が大事だ。そんなにアネットさんが欲しいの? どうせ、けして逆らわない屍人にして、身の回りを飾るだけだろ。それなら、僕と人魚がアネットさんの代わりに、よく似たお友だちを探してあげる。ロージーが溶ける前にちゃんと見つけてあげるから。ほら、アネットさんは棄て……」

「アネットちゃんの代わりなんていない!」


 モーリスの声は途中で塞がれた。結界の中、茫然とダリアを見るアネットへと走り寄る。ブルーノがうなり睨んだが、ロージーは二人の手を包んだ。


「アネットちゃん。魔力を精一杯込めて。結界を大きく、大きくして、身体から離すの!

このままじゃ、危ない!」


 ダリアの放つ兎の魔力は、チリチリと結界をつつき、溶かしている。

 判った、とアネットが答えると、ロージーは結界へ自分の魔力を思いきり注ぎ、一回り大きく膨らませた。


「絶対に結界から出ちゃダメ。魔力を注ぎ続けてね。私がアネットちゃんを守るから」


 ロージーは微笑み手を離す。結界を抜け、二人を庇うように立ち、再び詠唱を始めた。『百雷の歌』。ロージーは舌足らずで音痴な歌を、早口で、怒鳴るように歌う。


 不協和音。


 二人の歌に集まった魔力が擦れあい、キインと震えた。


「ばかロージー、いま詠唱すんなよ! もう行くよ、海に飛ぶ」


 モーリスは足に力を込めたが、釘で打ち付けられたかのように痺れ、動かない。ロージーは歌を中断した。


「……嫌」

「ふざけんな、僕らの身体がまた(・・)壊れるだろ。予備はないんだぞ!」

「違う。これは私の身体! モーリスと人魚のものじゃない」


 ロージーはアネットを振り返り、すまなそうに微笑む。


「ごめんなさい。私ね、アネットちゃんとずっと一緒にいたかっただけなの。一緒にいれるなら、屍人にしちゃってもいいって思ってた。私、アネットちゃんじゃなきゃ、嫌だったの。我が儘で、おかしいね」


 背後からダリアの讃美歌が聞こえた。教会で懺悔しているみたい、と、ロージーは笑う。


「私ね、化け物になってたみたい。きっと、人魚に出会った日から。自分じゃ死ねない不死身の怪物。このままじゃ神様の前に帰れないよね」


 アネットはロージーを見詰め、顔を歪めた。大粒の涙がこぼれる。


「泣かないで、アネットちゃん。私、今から神様のところに行くよ。ダリアねーさまを逆恨みしちゃ、だめ」


 大きく結界が膨らむ。ロージーを結界で包もうと、アネットが魔力を注いでいるのだろう。結界に入ることを拒み、ロージーは背後へ歩んだ。


「アネットちゃん、大好き。私、親友だったよね?」


 ロージーはダリアに向き直ると、素早く印を結い、詠唱を再開する。兎の魔力はもう十分だ。兎の前で魔法を発動させれば、粉になれる。

 モーリスが悲鳴をあげた。


「だから、粉々になったらもう代わりがないんだ!」

「モーリスの身体の代わりがないだけでしょ。私はとっくに、死んでるんだから」


 詠唱が終わる。ロージーはダリアへ走り寄り、ダリアを強く抱き締めた。


「え? ロ、ロージーちゃん、どしたの?」

「ねーさま、許して!」


 ロージーが『百雷』を開放する。


「え、えーーっ!?」


 『百雷』に呼ばれた黒雲は膨らんだ兎の魔力に飲み込まれ、(ことわり)を失い暴れた。魔法は発動者へ返り、皮膚を千切る。


「ダリアちゃん、やめて! ロージー、結界に入って! ねえっ! ロージー、戻ってきて! 消えちゃ、嫌!」


 アネットが喚く。全身の魔力を注がれた結界が、船を飲み込もうと広がった。

 結界がロージーに迫る。ロージーはくるりと身を返し、ダリアを抱いて舳先から飛び降りた。


 ダリアを連れたまま、ロージーは粉に変わり、雹のように海へ降り注いだ。ぽちゃん、と、一人分の飛沫があがる。


 船体は結界に触れ、その境目で輪切りに砕けた。氷山が崩れるように海が轟き、白い幽霊船が崩壊する。


 月は、兎の居場所を示すように、月光を海へ墜とした。

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