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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
71/99

屍人と魔法少女

 珍しい蝶が入ったカゴを覗くように、月は雲のカーテンをそっと開き、真っ直ぐな光の筋をこぼしました。

 兎の王は足元に波紋を重ね、海の上に輝く光の道を軽やかに駆け抜けます。


 王のために敷かれた月明かりの絨毯は、甘い甘いお菓子の船へと延びていました。


※※※


 甲板へと続く階段の途中、ロージーは足を止めた。

 手すりにくくりつけられた魔導具のランプに手の甲をかざし、指先でなぞる。やがて納得したように頷き、四角く切り抜かれた天井を見上げた。


「……ネコさん、意外とやるね」


 ロージーの後ろ、アネットも釣られて顔を上げる。


 マストの上に船員の影が揺れていた。張り巡らされたロープの間から夜空が覗く。

 夕方までよく晴れていたというのに、黒雲が星々を隠している。しかし雲は月の正面で二つに裂け、細長い光を漏らしていた。


「まあいいや! どっちが勝っても、問題なかったんだから」


 ロージーは笑い振り返ると、ひんやりとした指でアネットの手を握り、階段を再び上がり始めた。


 甲板の上、花の形をしたランプが左右に列なり、橙色の明かりで船首へと導いている。帆柱や樽が彫刻や花、果物で飾られ、濃く甘い香りを漂わせていた。

 ロージーがアネットの手を引き、甲板を軋ませ弾むように歩く。


「……粉と香水で誤魔化しているおばさんみたい」


 アネットは唇を尖らせた。何もかもが気に入らない。


 ヨルドモの広場で騎士たちに連行された時よりも、ロージーはさらに明るく積極的になったようだ。しかし、アネットはその事を素直に喜べない。

 先程のロージーは、本当に別人のように恐ろしかった。


 ぞくり。思い出し、多足の虫が這い回るように背筋が粟だつ。

 床に転がっていた子供の頭。魔法で焦がされた鳥の魔物の肉。

 ブルーノは魔法を使えない。ロージーか、従者のような男がやったのだろう。ブルーノはあの男に連れていかれてしまった。


「こんばんは。あら、ロージーの服を借りたの? とても可愛らしいわ。着せ替え人形みたいで」


 船首の段差に白磁の尾を投げ出し、人魚が首を傾け微笑むと、金の髪が楽しげに揺れた。

 泥だらけだったアネットの身体は浄化され、ロージーのひらひらした服に着替えさせられている。


 虐殺の魔女。ヘクターという名前の、狼の昔の恋人。


 この人魚と、ロージーの中に住むというモーリスが、ロージーを別人のように変えたのだろう。


 アネットは魔導具入りの鞄をひしと抱き締め、無言で後ずさった。

 返事を促すように、人魚が顎を傾ける。

 挨拶をしろというように、ロージーがアネットの手をぎゅ、ぎゅと握った。アネットは黙って唇を噛む。

 ロージーは取り成すように言った。


「えっと。アネットちゃん、緊張してるみたい。人魚さん見るの初めて(・・・)だからビックリしたんだよね? 人魚さん、いつも話しているアネットだよ。今日から一緒に船で暮らすの」

「……え? 私、そんな事聞いていないわよ」


 アネットは驚き、大声で聞き返した。ロージーは腰に手を当て、得意気に笑う。


「アネットちゃんはこれからずーっと、私と一緒に暮らす事になってるの。帰さないんだから。……んー、もし船で生活するのが嫌なら、どこか別の国に行こうか。私、ヨルドモにはいられない。捕まっちゃうよ」

「でも私、学校に行かなきゃ。魔女になるのよ」

「アネットちゃんが魔女になる必要なんてない。あんな国、捨てればいい。私がずっと守ってあげるから」

「なっ……!」


 顔を白くし、息を飲む。

 それを愉しげに眺める視線に気付き、アネットは人魚を睨んだ。


「……あなた、魔女なんですってね。黒の魔女が人魚になったんでしょ」

「あら、よく知ってるのね」


 人魚は華やかに笑う。


「黒の魔女だったんなら、ロージーを元に戻すくらい出来るんでしょ、戻してよ。あなたのせいでロージーが変わっちゃった! 昔のロージーに戻してちょうだいっ!」

「ええっ! アネットちゃん、私は、私だよ。何も変わってないから!」


 ロージーはアネットの手を強く握り、目を覗こうと引き寄せた。しかしアネットはロージーを見ず、噛みつくように人魚を睨む。


「……ロージーじゃないわ。ロージーは引っ込み思案だけど、楽しくて、可愛くて、気が弱くて守ってあげたくなる、とても優しい女の子だった。大好きだったんだから。元に戻してよ! 私のロージーを返して!」

「アネットちゃん、それは違う! 私は、元からこうだよ。いつもアネットちゃんの後ろに隠れてたのは、後ろが楽だったからだもの。でも、身体が元気になって、力も強くなって、アネットちゃんみたいに前を歩けると思ったの。私ずっと、アネットちゃんになりたかったんだ。今度は私が守るから、だから一緒にいて。

私も、大好きだよ」


 ロージーはアネットの頬を両手で挟み、訴えるように瞳を覗き込む。アネットは目を反らし、手を振り払った。


「ロージーがこんな我が儘を言うはずがないじゃない。ニセモノみたい」

「……私、我が儘だよ。元々、我が儘だったよ。言ってもしょうがないから、言わなかっただけ。身体がどんどん壊れていって、祈りの言葉の変わりに神様の悪口を言ってた。

アネットちゃんこそおかしいよ。何でそんな事言うの? どうして目を合わせてくれないの? 私、何も変わってない。ただ身体がとても丈夫になっただけ。私が元気になった事がダメだったの?

アネットちゃん、意地悪な子に変わっちゃったんじゃないの? 私がいない間に、誰かに……きっと狼に、変な子にされちゃったんでしょ!」


 ロージーが叫ぶ。アネットはロージーの顔を真っ直ぐ見詰め、顔を赤くし答えた。


「私は何も変わってない。狼は全く関係ないわ。ロージーこそ、その人魚とモーリスにおかしくされたんでしょ。ね、ロージー。二人から離れて、一緒にヨルドモへ帰ろう。本当は、悪い事なんてしてないんでしょ? 家族を屍人(ゾンビ)に変えるなんて、ロージーがするわけないもの。ちゃんとお城で話して、逃げたこと謝ろう。

元に戻ってよ。一緒に学校に通って、二人で魔女を目指すんだから。モーリスや人魚といたら、どんどんおかしくなっちゃうわ」


 ロージーの顔が歪む。肩越しに見える人魚の笑顔に、アネットの頭は血が昇り、カアッと熱くなった。


「人魚さんもモーリスも、大好きな私の友達なのに。嫌なこと言わないでよ。私……アネットちゃんのこと、嫌いになりそうだよ」


 泣き出しそうな声。ロージーは静かに俯いた。


「あ……ロージー?」


 思わず伸ばしたアネットの指先が頬に触れる直前、ロージーは勢いよく顔を上げる。


 鋭い影の浮かぶ、蔑むような目つき。


 アネットはたじろぎ、手を引っ込めた。ロージーの口から少年の声がこぼれる。


「アネットさんは、意地悪な子だなあ。僕は本当は、君をそのまま屍人にしないでとっておきたかったんだけど」

「モーリス、何言うの?」


 うろたえるロージーの声が重なった。

 モーリス。人魚がロージーの中に入れた少年。

 一つの口から二人分の声が流れている。

 アネットは、広場で見かけた祭りの日の大道芸を思い出していた。その芸人よりも、今のロージーの方がずっと達者で自然だが。


「うん。ロージーが溶けて、身体が腐った時に代わりが必要だからね」

「え、か、代わり?」

「ロージーはまだロージーだけど、あと何年かしたら僕に溶けるし、この身体も傷んでくる。そうしたら、別の新しい身体がいるだろう? 学者が言ってたじゃないか。僕たちには、魔力の強い子供をうまく捕まえる事が出来そうもない。大好きなアネットさんになるのなら、ロージーも嫌じゃないよね」

「……ね、どういう事?」


 ロージーは慌て、人魚を振り返る。人魚は静かな笑みを貼り付け、長い尾を平然と揺らしていた。

 手でぐいっと押さえ回したように、ロージーの顔がアネットへ向け固定される。


「ああ。今は僕が身体を使っているから、ロージーは静かにしてて。……アネットさん。ねえ、これじゃロージーが可哀想だ。だって、人間のアネットさんはロージーを置いてどんどん変わってしまうんだもの。だから時間を、止めてあげる。ロージーのために、僕はアネットさんを屍人にしてあげる。アネットさんを予備にするのは、諦めるよ」


 突然雲が去り、花束をほぐしたような星空が現れた。船は力強い月明かりに包まれ、帆柱に上る船員の姿が、指の先までハッキリと照らされる。


 忙しそうに帆を操る船乗りの頭は、欠けていた。


「ひっ! あ、あの船員さんっ! あれ……屍人? 私、幽霊船に乗ってるの?」


 アネットは目を見開き、周囲を見渡した。甲板を無言で駆け回る船乗りたちは、誰もが虚ろでどこかが欠けている。


 月光に包まれ、輪郭の青いモーリスが顎を引く。表情は見えないが、声に含み笑いが雑ざっていた。


「うん。僕とロージーで作ったんだ。慣れないうちは不気味だけどね。みんな意地悪なんて言わないし、僕たちに忠実で、人間よりずっと真面目で優しい」

「屍人を、作った? あなたが、死体を屍人に変えたの?」

「違うよ」


 モーリスの輪郭がポケットに手を入れ、何かを取り出す。


「人間を殺して、屍人を作ったんだ。ロージーとね」

「……ロージーにそんな酷い事をさせたの?」


 真珠の粒が二つ、指先に挟まれている。モーリスはその一つを手の甲に押し付けた。手品のように、真珠は皮膚へめり込んでいく。


「何が酷いの? わからないな。屍人になれば、アネットさんみたいに意地悪に変わってしまうこともない。充分な力を手に入れて、辛い気持ちを感じる事なく、幸せに暮らす事ができるんだよ」

「だから、私は変わったわけじゃないわ。……こないでっ!」


 モーリスがもう一つの真珠を掲げ、一歩踏み出した。アネットも数歩下がる。距離を離し、魔導具を取り出そうと、鞄をガチャガチャとかき混ぜた。モーリスが近寄る。アネットは鞄を漁りつつ後ずさる。とん、と背中が何かに当たった。暖かく、柔らかい、人間のような……。


 屍人かもしれない。


 アネットは慌てて身を捩る。

 何か(・・)はアネットとモーリスの間に割り込むと、アネットの肩を手で包み背後に隠した。


「変わったよ。アネットちゃんは変わった。いつまでも君だけの親友じゃない」


 大きな三角の耳。

 全身どす黒い血に濡れていたが、金色の瞳を月のように輝かせるブルーノがいた。


「当たり前じゃないか。まだ十二歳だ。小さなきっかけでいくらでも変わる。……それは、成長っていうんだ」


 陽気なヤマネコだとは思えない、静かで落ち着いた声。緊張しきっていた身体が優しくほぐされる。

 アネットは首を振った。まだ、安心は出来ない。ブルーノの服の端を掴み、鞄を大きく開け中を探る。


 ブルーノはモーリスを一瞥し、人魚へ向き直った。


「また会ったね、ヘクター。あなたが立ち止まっている間に、何もかもが変わっているんだ。人は変わる。あなたの大事な相手であっても、ほんの少しの間に別人になる。変わらないで留まろうとするから、歪むんだよ。子供たちを歪ませて、屍人の王にでもなるつもり?」


 人魚の顔から笑顔が消える。青い瞳は夜の海のように冷たい。


「船を、島へ戻してくれないか。僕はアネットをヘクターさんのところに返さなくてはならないんだ」

「ヘクター……さん?」


 人魚が訝しげに眉を寄せた。


「そうだよ。僕らの方のヘクターさんだ。……あなたの大切な知り合いだろうと思ってたんだけど」


 ブルーノが言うと、アネットが膝を伸ばし耳打ちした。少女の声は凪いだ海の静寂に乗り、高く響く。


「……名前を知ってるだけの他人よ。だって、狼はヘクターは死んだって言ってたもの。だからその名前で自分を呪ったんだって。もう、狼の中でヘクターは死んだことになっているの」


 ふうん、とブルーノが頷き、アネットは続けた。


「……つまり、ここにいるのはただの、ヘクターの幽霊だわ」

「君たち、失礼過ぎるよね。人魚さんを幽霊だなんて。ほんと、さっさと死になよ」


 モーリスが目をすがめる。


「ねえ、ネコさん。僕は君のことを少し、見直していたんだよ。弱っちいネコに見えたけど、口の中まで血塗れにして、飼い主を喰い殺せるネコなんだって解ったから」


 アネットはびくりと身体を震わせた。ブルーノの長い尻尾が、アネットを落ち着かせるようにゆったりと揺れ、手を撫でる。


「そうだね。僕も自分で驚いた」

「ネコの癖に、狼の真似をしてるの?」

「今は、違う。僕はヤマネコだ。ヤマネコのやり方で、君たちと戦いに来たんだ」


 ブルーノは針のように尖った三連の燭台を、真っ直ぐブルーノに向けた。モーリスは唇の端をめくりあげ、嘲笑う。


「残念。僕は絶対に死なないよ。核が無いから。試してみようか。ネコさんが死んでもちゃんと核を埋めて、従属屍鬼(ペット)にしてあげるよ。……ロージー、お願い」


 静かに、ロージーの調子外れな歌声が、空気を震わせた。モーリスが指先で印をなぞり、魔力を集め始める。


「二人一緒に殺しちゃえばいいよね」


 幾重にも印が重なり、魔力は金の粒子に代わる。陽炎が立ち上るようにモーリスに纏いつき、輝き始めた。

 舌足らずなロージーの、拙い歌声。それに合わせ踊るように、モーリスが印を組み重ねる。


「ロージー、歌を止めて!」


 アネットが叫ぶと、ロージーは小さく首を降った。


「止めるわけがないじゃないか。君に屍人になって貰った方が都合がいい。ロージーは家族だって屍人にしたんだよ」


 一瞬、ロージーはためらい顔を歪める。が、またすぐ詠唱を再開した。


「やめてロージー!」


 駆け寄ろうと動くアネットを、ブルーノは抱き止め、後ろに庇う。


「僕が止めるから、アネットちゃんは隠れて!」

「ああそういえば。モーリス、ヤマネコの目は見ちゃダメなのよ。魔獣の金の瞳には魔力があるの。ヤマネコの金目は人の意思を奪うわ」


 月光を浴び金の髪をうねらせ、人魚は他人事のように笑った。ブルーノは人魚を睨み、舌を打つ。


「へえ、それは便利な力だね。いい従属屍鬼になりそう」


 モーリスはまぶたを閉じた。


「っ! 目を、開けろ!」


 ブルーノが腕を強く伸ばし、燭台でモーリスを貫く。額が割れ、鮮血が飛ぶ。灰色のどろどろした塊がこぼれたが、すぐに頭へ吸い込まれ、傷口が塞がった。

 元通りになったロージーの顔で、モーリスは腹を抱え、笑う。

 アネットは床にへたりこみ悲鳴をあげ、混乱し叫んだ。


「ロ、ロージー? ねえ、ロージーッ!? 何で? ロージー、人間じゃなくなっちゃったのっ!? ロージー! ロージーは、化け物になっちゃったのっ!?」


 ロージーの顔がいまにも泣き出しそうに歪む。


「ロージー、あなた、化け物になってまで生きたかったのっ!? ロージーは心まで化け物になっちゃったの?」


 ブルーノがモーリスを刺し、身体が元通りに戻るたび、アネットが叫び、ロージーの詠唱が遅くなる。モーリスは慌ててブルーノの攻撃を避け始めた。


 しっかりと閉ざされたロージーのまぶたから涙が滲み、頬を伝い落ちる。


「君ら、うざいっ!」


 モーリスはカトラスを抜き、降り下ろす。鮮やかな赤斑。ブルーノは腕で庇い避けた。アネットの前まで下がり息を整える。血が流れてはいるが、傷は浅い。


 詠唱は完全に止まり、ロージーの啜り泣きが聞こえる。モーリスは独り言のように呟いた。


「ロージー、幸せになりなよ。好きなものを沢山あつめて、その中で暮らそう。今まで苦しんで、我慢して生きてきたんだ。せめて、溶けて消えるまでは、ロージーの幸せな国を作って暮らそう」


 ロージーが頷き、泣きじゃくるような詠唱が始まる。ブルーノが燭台を構えた。


「ブルーノ、ちょっと!」


 アネットはブルーノの腕を掴み、しゃがませる。


「私の手を握って!」

「え?」

「親友なんでしょ。私の手をしっかり握っててよ」


 地面に押し付けた右手に、ブルーノが手を重ねる。手の下には魔導具。アネットは思いきり魔力を注いだ。


「ブルーノの力も、貸して!」


 爆発するように、金色が弾ける。人と獣の魔力を吸い、球型の結界が二人を包んだ。


 青い月が墜ちる。


 月光が昼の太陽よりも眩しく、船を覆い始めた。


「……兎が、来る」


 人魚は怯えた顔で船から飛び降りる。海面でパシャンと銀冠が弾けた。

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