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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
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鳥と狼

 ヘクターは板から魔法陣を起動させ、強化魔法『疾風』を纏った。途端、宙空に浮かぶ魔物の金目が灯火のように光る。


 『疾風』は力を失い、溶け消えた。


 思わず舌を打つ。女型の魔物は風を操り『疾風』を打ち消すようだ。

 魔物は木の上にいる。人間であるヘクターが強化魔法無しで木に昇ったとしても、対等に戦う事は難しいだろう。どうにかして地上へ引き摺り下ろさなければならない。


 再び金の瞳が輝き、突風が起こる。ヘクターは横へ避け、森へ潜んだ。高い金属音。風に巻き込まれたカンテラが割れ、山は闇へ返る。

 風の化け物のクセに、風弾に勢いが無い。魔力を温存しているのか、こちらを殺すつもりが無いのか。それとも何か別の理由があるのか。

 呼吸を整え、木々に身を隠した。


 けたたましい叫び声に空気が震える。ダリアの魔力に慣れたヘクターは、獣の力を感じ取る事が出来た。

 風が塊に変わる。矢のように次々と撃ち落とされるそれを、木を盾がわりに走り避ける。風弾が当たる衝撃に、幹が悲鳴をあげ裂けた。津波のような轟音を鳴らし、黒緑の枝が落ちる。


「ねえ、あなた人間なのよね? なんで避けられるの。どこかおかしいんじゃない?」


 けだるげな女の声が夜の森に響いた。余裕のある口調が癪に障る。獣は全く本気を出していないのだろう。


「隠れてないで姿を見せてよ、ダーリン」


 星が瞬くように金目が輝き、気流が上昇する。葉が舞い上がり草むらが割れた。空を覆う枝が別れ、白い月が覗く。

 逆光に露になる怪鳥の影。刺すように輝く瞳を持った、知恵のある魔物。


「……鳥人(ハルピュイア)か。本物を見るのは、初めてだ」


 黒々とした翼を広げる艶かしい姿態は、神々しいとまで感じさせる。この島では鳥が神として崇められ、山は神殿のように飾られていた。つまり、この怪物こそが島の主。この山は主の屋敷なのだろう。


 山を庇いながら戦っているのか?


 ヘクターの口の端が歪み、笑いの影が落ちた。鳥人の視線を避け、再び森に紛れる。



 我は軍神に 随身する者

 雷笏にこそ 捏ねあげし

 呻吟に充ちた 業を仕出かす



 厳かな詠唱を始め、印を結い魔力を集める。雷の最上位魔法、『神杓』の歌。ヘクターの魔力を一撃で全て使い切ってしまう大魔法だ。発動すれば、山ごと神の雷に焼き尽くされるだろう。



 主の刻は 近くにあり

 神怒の刻 また報復の刻

 闇黒の刻 また雲霧の刻



 高まる魔力に空が震え、右手を振る度に印が重く連なる。『神杓』の理に応えようと、空気が夜空へ吸い込まれ、分厚い黒雲が積み上がった。細かな静電気がバチバチと雲間を揺さぶる。


「ちょ、ちょっと!! 待ちなさいよっ。何やってんのよ馬鹿。山火事になったらどうしてくれんの!?」


 鳥人が叫ぶ。

 止めるわけがないだろう、そう返すように頬を上げた。

 魔力が高まるにあわせ、心も悦び昂る。森全体を取り込み、膨らむ魔力が心地よい。


 どうする? 森が、消えるぞ。


 ヘクターは口先で呟いた。


「やっ、やめて!」


 金切声。鳥人が急降下する。ヘクターは右に踏み込み鳥弾を避け、勢いよく左腕を突き出した。鳥人はレイピアをすんでで避け、羽毛が血飛沫のように舞い散る。


「うぐっ」


 鳥人が呻く。ヘクターはバランスを崩した鳥人の首を掴み、幹に押し付けた。左腕を引き、木に串刺そうと刃を翻す。


「待って!! 待ってってば!」


 レイピアを止め、鳥人を眺めた。

 押さえつける力を緩めず、刃の角度を変える。ほんの僅か、力を籠めるだけで心臓を貫ける位置。柔らかな鳩尾を剣先で、焦らすようになぞった。


「……ええっとね。あたし、あなたと戦う必要、これっぽっちも無いのよ。お願いだから剣を収めてくれないかしら」

「いまさら、命乞いか?」


 輝くレイピアに照らされた、女の身体。病的なまでに青白い柔肌。それを帳のように覆う、黒鷲の翼。水のように涼しげな目元は、恐怖に見開かれている。

 ヘクターは小さく息を吐いた。魔物とはいえ人型だ。怯えた目で命乞いをされては、さすがに殺しにくい。

 鳥人は意を決したようにヘクターを睨むと、胸を張り、冷たい乳房をレイピアの切っ先に押しつけた。赤く細い筋がレイピアを伝い流れる。


「命がとっても惜しいわ。死にたくないなんて当たり前じゃない。あたし、肉食獣だから、喧嘩を売られると血が騒いじゃうんだから。こっちは普通にお話合いしようと思って来たのに、あなたがいきなり剣をむけたのよ」


 そうだったかな、と少し毒気を抜かれ呟いた。もちろん剣を下げる事はしなかったが。

 鳥人は妙に安っぽい酒場女のような口調で話を続ける。


「あたしたち鳥人は、魔導師の魔力を食べて生きるの。でもね、あたしは他の子たちとは違って、生きたまま魔導師を食べることができるのよ。ねえ、素敵な魔導師さん? とーってもおなかがすいた可哀想なあたしに、一口だけ、食べられてくれないかしら?」

「生きながら喰われる趣味は無いな」


 話す間でもなかったか。レイピアで一息に突き殺そうと、ほんの少し腕を引く。鳥人はその腕を羽で押し下げた。切っ先が乳房を深く刻み、鮮血がぷくりとあふれる。


「ふうん。男前さん、意外と固いのね。……ねえ、あたしをおなか一杯にしてよ。肉が食べたいわけじゃないの。血でも、汗でも、唾液でも……なんでもいいのよ」


 首を押さえつけていた指に羽先を絡め、そっと胸元に誘導した。形の良い、血に濡れた膨らみ。その頂をヘクターの指先がかすめ、鳥人は震えるような甘い吐息を吐く。


「あたし、今とっても飢えているの。たっぷり飲ませてくれないかしら、ダーリン」


 ヘクターを引き寄せるように翼を肩口へ回した。紅く熟した唇からなめくじのように粘る舌が覗く。鳥人はうっとりと目を細め、誘うように首を傾けた。


※※※


 カンテラは砕けてしまった。ヘクターはレイピアに魔力を込め、足元を照らしながら面倒くさげに山道を登る。

 背後から明け方の鶏のような羽音が追いかけてきた。どうやら鳥人は人と同じ速さで移動することは苦手なようだ。


 ばさばさ。ぴょん。ばさばさ。ぴょん。羽毛と土埃が不格好に舞い上がる。うっかり神々しさを感じた少し前の自分が憎い。


「……こいつ、うっせえ」


 羽音だけでも充分に騒々しい。


 鳥人によれば、今、山の中にヘクター以外の人間はいないそうだ。

 しかし、鳥人もついさっき山に戻ったばかりらしく、その前に起きた出来事についてはわからないのだと言う。


「うちの子たち、今日はみーんな静かなのよねえ。おっかしいわあ」


 お喋りな鳥人は能天気に笑った。

 言われてみれば、山で鳥の声を聞いていない。ただ単に、夜だからではないだろうか。ヘクターがそう言うと、鳥人は媚を売るように首を傾げる。


 獣のマイペースっぷりに、ヘクターはもうどうでもよくなった。鳥人がヘクターを殺すつもりがない以上、無理に命を奪う理由もない。

 鳥人を無視し、アネットたちの足跡を求め山を登ることに決めたのだが、鳥人が後をつけてくる。


「ねえっ、ねえねえっ」


 激しく羽音を鳴らし、胸を膨らませ跳ねながら言う。いわゆる『鳥の求愛ダンス』にも見えたが、ヘクターは深く考える事を止めた。


「なんだ、けだもの」

「好きなだけおっぱい揉んでいいからっ。魔力わーけーてっ!」


 思わずつんのめり、振り返って叫ぶ。


「誰が揉むかっ!」

「えー、ダーリン、蟹と戯れる程の獣マニアだって聞いたんだけど」

「……誰だ、そんな噂流したやつ。お前、もうついて来るなよ。すっげー疲れる」


 蟹へ性愛を感じたことなど当然ない。むしろ今では嫌いな位だ。

 理不尽過ぎる。何故、魔獣の間でヘクターの根も葉もない噂が広まるのだろうかと、脱力し溜め息が漏れた。


 鳥人は大きく羽ばたき、ヘクターの横に並ぶ。大理石の冷利さを持つ顔を柔らかく綻ばせ、覗き込むように言った。


「でも夜の山道って、危ないじゃない?」

「鳥さんに心配してもらわなくて、結構です」


 母性を感じさせる優しげな視線。ヘクターはつい目を反らす。


「そうじゃなくて、何かのはずみで指一本位、ポッキリいかないかなーって思って。うっかり外れた指なら、食べてもいいでしょ?」


 一閃。鳥人が素早く羽ばたき、レイピアはむなしく宙を掻く。ヘクターは聞こえよがしに舌を打った。

 手近の枝に留まり、鳥人が笑う。


「ねー、いーじゃない。草食の兎人に魔力をあげたって吸収できないのよ? なのに兎人にはたっぷりあげてるんでしょ? 兎の匂い、すっごく濃くついてるんだから」

「……うっせー」


 別に兎人(ダリア)に魔力を分け与えようとした訳ではない。獣とはいえ、女性の声で追究されると、気恥ずかしくなってしまう。


「どう考えても、兎人よりも私の方が人間に近いでしょ。見た目だけなら。……あなた、むしろ獣そのものの外見の方が好みなの?」

「ダリアは、見た目も身体も、ほぼ人間だ。全然、兎人にはみえねーんだよ。魔獣そのものじゃなくて、ハーフなんだってさ」


 ヘクターが照れ臭そうに言うと、鳥人は前を塞ぐように降り立った。金の瞳を見開き、案じるように首を傾ける。


「あなたそれ、本気で、信じてるの? 兎人と人との間に子供が産まれるわけないじゃない。獣人ですらないのに。ハーフだなんて、そんな生き物は、存在するハズがないわ」


 鳥人の言葉に、記憶が蘇った。

 酔っ払ったマイヤスが、ヘクターへ出した奇妙なクイズ。


 可哀想な狼さん。一つ、問題を出しましょう。人間のサラサと、魔獣の兎。どうやったら子供が出来るのでしょうか。


 解答は三択。一番は確か、『神の悪戯』。


 違う。神は理を司る。悪戯に道理を歪める事はない。


 ヘクターは頭を振った。


 二番、『子供など、実は存在しない』。


「存在しないわけないだろ。実際にいるんだから」


 呟くと鳥人は呆れ声を出す。


「へえ。でもね、あの気配はハーフなんてモノじゃないわよ。丸っきり獣そのもの。しかも『赤』のね。ダーリン、どうやって兎に擬態をさせたの?」

「……擬態?」

「だから、あなたどうやって兎に人の皮を被せたのよ」


 記憶の中、マイヤスが三本目の指を立てた。


 三番、『とても強引な手段を使った』。


「……強引な、手段?」


 水を浴びせられたように背筋が冷え、足元が揺らぐ。


 ダリアは、兎人に人の皮を被せて作られた? 誰が、何のために。


『失礼な。産みの親ではないですが、もう一組の親のつもりではいるんですよ?』


 マイヤスがそう言っていた。つまり、学者、マイヤスが何かのために、ダリアを作ったのか? 一組目の親は、兎人と魔女。なら、もう一組は、学者と……誰なんだ?


 喋りながら進んだ為か、山の頂はもう近い。木々の間から月が覗き、青白い光筋を何層も溢していた。

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