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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
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再会

「ネコさん。私、あなたの事なんとなく見覚えがあるんだけど。何処で会ったのかな。……思い出せないや」


 ロージーは、わざとらしく首をかしげた。金の巻き毛を絡めた指を頬に添え、えくぼのような窪みを作る。

 その仕草は可愛らしくみえたが、ブルーノのカラカラに渇いた喉から空気混じりの警戒音が溢れた。ロージーを凝視する瞳に力が籠る。


 ブルーノはロージーの頭部(・・)を、強烈に覚えていた。


 アレは『花』の農場でヘクターさんと戦っていた子供だ。首を失い、身体を小間切れにされても歌いながら魔法を放つ化け物……。


 ヘクターのレイピアに跳ねられ、赤い軌跡を描いて飛んだ少女の首は、血で出来たゴム紐を手繰るように、平然と胴体へと戻った。ヘクターが倒しきれなかった、不死身の怪物。

 全身の毛穴が粟立ち、尻尾が倍の太さに膨らむ。耳を後方に倒しアネットに注意を払いながら、身を屈め臨戦体勢をとる。


 少女の姿をした怪物は、カンテラを振り回し船室を探った。光の帯が顔の上を横切り、ブルーノは不快そうに瞳孔を細める。

 貝が無数に貼り付いた壁、血と藻で滑る床、散らばる鳥の残骸。

 ブルーノが踏み砕いた鷲の頭を照らし、怪物はわあっと歓声をあげた。砂糖漬けの果実のような唇からピンクの舌先を覗かせ、無邪気な悪戯娘の顔で笑う。


「ネコさん、鳥さんたちと戦ってたの? ちゃんと使えるペットになってくれそうね」


 熱風邪をひいたような悪寒。ブルーノはぶるりと身体を震わせた。

 返事など求めていないのだろう。ロージーは腕を組み頬を膨らませ、独り言のように話す。


「小鳥さんがいっぱい船に集まっていたから、もしかしたらアネットちゃんがいるのかなって思ってたんだけど。……ネコさんだけかあ」


 アネット。


 怪物がアネットの名を口に出した。ブルーノは出来る限り平静を保とうと、声色を低くし感情を隠す。


「……そうだよ。僕だけだ」

「ふうん。せっかく、鳥さんを片付けたのにな。ねえ、ちょっとそこ、退いてくれない? 中を捜したいから。アネットちゃんがネコさんよりも前に、船へ迷い込んだのかもしれないじゃない?」


 足元の床が小さく鳴った。アネットが身動ぎし、身体を隠したのだろう。ブルーノは嫌だと答える代わりに、膨らんだ尻尾を左右に揺すった。


 ロージーが一歩踏み出す。床の液溜りがばしゃりと跳ねた。


「……邪魔なんだけど。もう一度言うね。そこ、退いて」


 至近距離でカンテラを掲げ、口の端だけを大きく吊り上げる。妙に大人じみた無感情の笑み。

 仕方ないね、そう呟き、ロージーはポケットから真珠を二つ取り出した。


 ブルーノの心臓を捉えるように真っ直ぐ指を伸ばし、胸元へ真珠を当てる。滑らかな石の感触。本能で恐怖を感じ、慌てて身を引き、避けた。


「どうしたの?」


 恋人に甘える娘の顔で、嘲り笑う。ブルーノは噛み締めた歯に力を入れた。


 怪物から、直ぐにでも逃げなくてはならない。


 ヘクターさんでも倒せない相手だけど、僕だったら逃げ切れる。


 耳を前に傾け、感覚を尖らせる。


 だけど、まだ後ろに何人かいる。……この化け物を眠らせたら、後ろのやつらを寝かせて、アネットを連れて逃げなくちゃ。


「ね、お嬢さん、ちょっと」

「ん、なあに? ネコさん?」


 ブルーノが震え声を絞り出すと、ロージーは真珠をかざしたまま微笑み、ブルーノの金の瞳を覗き込む。ブルーノは全身の魔力を金目に集めた。瞳孔を細く尖らせる。


「ヤマネコの目を見てはいけませんよ、お嬢さま」


 その時、ロージーの背後から神経を直接弾く耳障りな声が聞こえた。反射的に首筋が痺れ『惑乱』は溶けて消え失せる。


「あ、……な、何でっ、あんたが……」


 身がすくみ動けない。膝から力が抜け、崩れ墜ちそうになる。


「ブルーノはすぐ、ズルをするからな。ほら、どうせ何かを隠しているのだろう? ブルーノ」

「あ、あ……何……?」


 ブルーノは目を見開き、口をパクパクと動かした。

 目の前にいるのは以前の『飼い主』。ブルーノがまだ歓楽街の悪童で、酔っ払いから小銭を巻き上げて暮らしていた頃、ブルーノを捕らえしつけた若い貴族の魔導師。確か先日の騒動の後、行方不明になっていた筈だ。

 男は抱き締めてやる、とばかりに両手を拡げ、『花』を喫んだ直後のような陽気な笑みを浮かべる。


「久し振りじゃないか。可愛いブルーノ。こんな所で会えるとはな。新しい飼い主から逃げたのか? 私がまた飼ってやろうじゃないか。私はこちらのロージーお嬢さまと出会い、以前とは比べ物にならない力を手に入れた。お前は私の、従順なペットだろう? おいで、ブルーノ。しつけ直してやろう」


 ふぎゃっとブルーノが鳴く。怯え、耳を倒し、男から逃げ出そうと飛びすさった。

 男は力を込めドンッと壁を殴る。途端、ブルーノの身体から力が抜けた。血濡れの床に膝を浸し、頭を抱えしゃがみ込む。

 ペットとしての礼儀を教え込まれた身体には、逆らう力が無い。男は毛繕いをしてやるように、ブルーノの頭を優しく撫でた。


「よしよし、いい子だな、ブルーノ」


 満足そうに微笑む男へ、ロージーは不服そうに唇を尖らせる。弱いネコならわざわざ(コア)を埋め従属屍鬼(ペット)にする意味がない。


「このネコさん、知り合いなの?」

「私の、ペットですよ。長い時間をかけ、しっかりとしつけてあります。臆病で逃亡癖のある駄目な奴ですが、上手く使えばよく働く、可愛い玩具です。……先日、これと交換したんですがね」


 男は懐から青白く輝く石を取り出した。石にたっぷり染み込んだ兎の魔力に、ブルーノは息を飲む。


「ほら、どけっ」


 男の尖った靴先が、ブルーノの腹を打った。涎と呻き声が溢れ、痛みに床を転がる。男は取り繕うようにロージーへ向き直り、微笑んだ。


「ああ、お嬢さま。このネコはこういう扱いをされるのが、好きなんですよ」

「……なわけない……っ!」


 ぼすっと鈍い音を鳴らし、足先は正確に鳩尾を蹴り飛ばす。飼いネコだった頃よりも確実に重い痛み。口内に酸が充満し、胃の中身が唇から噴き出した。

 床を這い肘を立てる度、男はブルーノを蹴り上げる。口を充たす汚物で息が止まりそうだ。


「ふうん。汚なーい。蹴られるのが好きだなんて、変なネコさんね」


 弱いネコだと判断し、興味を失ったのだろう。毬のように跳ねるブルーノの横を抜け、ロージーは船内を探った。調子外れの鼻唄を歌い、カンテラの灯りを隅なく向ける。


「あ、みーつっけたっ! アネットちゃんっ」


 腐った板を剥がし、ロージーは親友(・・)を見つけた。数ヵ月ぶりの親友は、泥にまみれ、蒼白になり震えている。

 ロージーは床穴から引きあげようと、アネットに手を差し出した。


「や、やだっ! 触らないでっ!」


 アネットは首を振り、咄嗟に手を払い除ける。緑の大きな瞳から草露が零れるように涙が落ちた。


「な、なんで? アネットちゃん、わ、私だよっ、ロージーだよ!」


 ロージーがアネットの腕を掴み、顔を覗き込む。アネットはその手を振り避けようともがいた。


「ア、アネットちゃん?」

「……きっと、鳥に追われた恐怖に動転しているのでしょう。仕方のない事です」


 ブルーノの背中を足の裏で擦り、男が言う。


「違っ! あ、あんたっ、その足を!」


 柔らかな肉を抉る音。アネットが言い終わる前に男はブルーノを蹴り飛ばした。


「そうだろう? 小娘。ロージーお嬢さまに、失礼な事など、言わないだろう?」


 男は四つん這いになり咳き込むブルーノの近くへ歩むと、勢いをつけ背中を踏みつける。ブルーノは鳥の肉塊の上にべちゃりと伏せた。

 その姿をアネットに見せ付けるように青い石で照らす。

 アネットは顔を一層白くし、息を飲んだ。涙を拭う事もできず、ただ茫然と固まる。


 ブルーノの『飼い主』はロージーをいたわり、優しげに笑った。


「やはり、娘は鳥が怖かったのですね。お嬢さまに助けて頂いて、感謝の気持ちに満たされているようです」


 そうだろう、と、男はアネットを睨む。ブルーノの背中に乗せられた足がメキッと湿った音を響かせた。ブルーノが小さくえづき、アネットは掠れる声で「はい」と呟いた。


「じゃあ、アネットちゃん、一緒に行こう! ……そのピアス、少し、邪魔だね。なんだか不愉快になる」


 ロージーはアネットの耳元、兎を型取った銀のピアスに触れる。じゅっと蒸気が上がりピアスはロージーの指先を燃やした。

 ヘクターの作った、屍鬼(アンデッド)避けの御守りを、ロージーは指を焦がしながらも丁寧に外し、指先で握り潰した。


 グニャリと歪んだピアスを投げ棄て、ロージーは再び手を差し出す。


「ほら、つかまって」


 アネットが震える手を重ねると、ロージーは宝物のように柔らかく握り返した。優しく引き上げ、目の前に座らせ、乱れた髪を丁寧にすく。


「……なんだか汚れちゃってるね。私の船で綺麗にしてあげる。可愛い服もいっぱいあるんだよ。さあ、行こう」


 ロージーはアネットを立たせ、支えるように腰に手を回し、歩き始めた。『飼い主』の男も、動かなくなったブルーノを担ぎ上げ、ロージーの後に従う。


 カンテラで照らされた船内には、大量の鳥の羽と死骸。それから、ロージーの魔法により黒く焦げた、小鳥人(ハルピュイア)

 いまだに煙を細くなびかせる人間の幼児そっくりな頭。アネットは吐き気をこらえ、まぶたを固く閉じた。


※※※


 密に繁る木々が月を遮り、静まり返る山道に、点々と青白い光斑が溢れている。夏場だというのに空気は尖り、肌寒い。


 ヘクターはカンテラを八の字に揺らし、島の真ん中を摘まんだ形の山を、足早に登っていた。左手は起動させたレイピアに油断なく添えている。


「おーい。アネット、ブルーノ……いるかあ?」


 声は木々にぶつかって反響し、森の静寂へ吸い込まれて消えた。ヘクターは肩をすくめ、後ろ頭を掻く。

 アネットたちはおそらく、この山にはいないのだろう。


 ヘクターが山を選んだのは、万が一を考えての事だ。漁村や浜辺へ遊びに行ったのなら、二人だけで問題なく帰る事ができ、わざわざ探す必要はない。しかし森へ迷い込んでしまったのなら、獣に襲われている危険がある。


「もう、二人ともホテルに戻ってるんだろうな」


 今のところ、誰かが獣と争ったような跡はない。ヘクターはカンテラを振り回した。


 この山は、とても奇妙だ。

 山道の入り口には、神殿を示す二本の螺旋柱が唐突に建てられている。


 そういえば昨日、船乗りの遺体を山へ運んでいたな。


 山頂に専用の墓でもあるのだろう。島の人間たちが山へ入るのは、遺体を運ぶためだけのようだ。螺旋柱の間から山頂へ伸びる山道は、轍の跡を残し踏み固められていたが、脇道は一本もない。森の資源に触れるつもりがない事を示すかのように、手付かずの森は密林のごとく荒れていた。

 ヘクターは念のため頂上まで登り、二人がいない事を確かめてから、ホテルに戻るつもりだ。


「アネット、ブルーノ……いないよな?」


 木々が揺れ、森がざわめく。生き物の気配。ヘクターは身構えた。


「アネットか?」


 闇は静寂に還り、返事がない。カンテラを地に置き、息を鎮め、感覚を研ぎ澄ませる。


 風がごうっと唸った。

 魔力を込め抜き放ったレイピアを、捻り突きだす。


「きゃっ! ……あっぶなかったーっ」


 森にはまったく似つかわしくない、ややハスキーで甘い、女の声。黒く輝く羽が舞い散った。


「今晩は。乱暴なのね、あたしの運命のダーリンって」


 ばさばさと空気を掻き乱す、怪鳥の羽音。ヘクターは肘を引き、刃を水平に構え直した。

 煙が吹き上がるように現れた、青白い女の裸体。その手足は闇に溶け、色気のある艶やかな顔と、豊かで張りのある乳房だけが宙空に浮かんでいる。


「……女の、魔物か」


 レイピアの切っ先を喉元へ向ける。

 魔物は動じることなく金の瞳を細め、遊女のように微笑んでみせた。

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