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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
67/99

猫と鳥と魔法少女

 晴れ上がった夕空に、真っ赤な太陽が毒々しく滲んでいた。海を埋め尽くす船骸は勝鬨(かちどき)をあげる槍兵のように、帆柱を乱立させている。

 船の墓場に辿り着いたブルーノは、腕にアネットを抱え、浜辺を全速力で駆けていた。


 鳥の群れは茜空を悠々と舞い、ブルーノを追う。時折からかうような鳥弾が降り注ぎ、群れに紛れる十数匹の小鳥人(ハルピュイア)が鳴いた。

 その嘲笑は、ヤマネコのブルーノに言葉として届く。


『魔導師を棄てれば、お前は逃がしてやるぞ』


 山道ですれ違った、ぶよぶよに膨らんだ船乗りの深海魚のような死体が頭を過った。あの山の頂で鳥人たちは腐肉を刻み、溢れた体液をすするのだろう。

 妄想の中、屍は血塗れのアネットに変わる。反射的にアネットを抱える指へ力が入った。後味の悪い白日夢、ぞくりと血が逆流し、頭を強く振り払う。


「……出来るわけ、ないだろ! そんな事っ」


 ブルーノは後ろを振り返らずに叫ぶ。

 と、腕の中のアネットがもがき、光の帯が横切った。


「あ、あれ……? おかしいわ。……全然、か、書け……ない?」


 見下ろせば、アネットは額に汗を滲ませ、光るペンで手の甲を引っ掻いている。


「なんでっ? ……ま、魔法陣が、書けない……っ! 書かなきゃっ……なのにっ」


 指先が震え図形が定まらないようだ。これではもし手の甲に陣が描けたとしても発動は難しい。


「魔法なんてやらなくていいっ。しっかりしがみついててよ!」


 下手に動かれて落としてしまったらお仕舞いだ。ブルーノが叫ぶとアネットはかぶりを振った。


「で、でも、私も戦わなくちゃっ。……力があるものには戦う義務があるんだって習ったわ。魔法使いは盾にならなくっちゃいけないって!」

「君はまだ子供だ、戦えるわけないだろう。大人しくしてて!」

「私は戦える! が、学校でちゃんと、訓練してるんだから……これならっ!」


 アネットはペンをしまい『雷砲』を構えると、止める間もなく魔力を思いきり注ぎ入れた。


「うわっ!」


 大気を引き裂く凄まじい振動。前に吹き飛ばされ視界が青く染まる。雷鳴が響き脳が揺れ、鳥の悲鳴が鼓膜を痺れさせた。

 ブルーノは身体をバネのようにしならせ前転し反動を受け流すと、アネットの頭を抱え視界を塞ぐ。無数の稲妻が降り注ぎ、鳥を打ち墜とした。炭になった肉の、食欲を誘う悪臭があたりに漂う。


「……こ、殺しちゃった? 私」


 アネットの震えはいっそう激しくなる。ブルーノはちらりと背後を見た。


 子供が持つ護身武器にしては威力があり過ぎる。アネットの魔力が強すぎたのだろう。

 白浜はえぐれ黒煙が上り、焦げた鳥の破片と、ヒルの塊のようにただれた稚児の頭部が転がっていた。

 雷を逃れ数を半分に減らした小鳥人が、怒りに吼える。


「……大丈夫、死んでないみたいだ」


 ブルーノはそう、嘘をついた。


 『雷砲』に押し飛ばされ、廃船はすぐそこだ。小鳥人の頭を見せないよう、手のひらでアネットの顔を覆い、一目散に走る。生き延びた小鳥人が奇声をあげ高く舞い上がった。


「そ、それ、全然大丈夫じゃないじゃない! こ、殺さなきゃいけないのにっ!」

「ったくアネットちゃんは、面倒だなっ! 一体、どうしたいんだよ!」


 あと数歩。勢いよく砂を蹴る。小鳥人は顔を燃やし鍵爪を尖らせ、ブルーノに飛び掛かった。転がるようにして、横穴から船の奥へ飛び込む。

 赤く燃える日差しは、船内まで届かない。ブルーノはヤマネコの瞳孔を丸く塗り潰し、闇の中を躊躇なく走る。鳥の眼は暗闇に鈍く、ヤマネコの眼は暗闇で鋭く光る。悔しげに喚く鳥の声が背後から聴こえた。


 細く狭いガレー船の槽室、斜めになった床は鼻が曲がるような泥水に濡れている。漕ぎ手が座るへこみへアネットを隠し、その前に立った。


「僕は逃げるのが専門で、喧嘩なんて殆どしないんだけど」


 足元に転がる折れたオールを拾い上げ、ずっしりと重い感触を確かめながらしっかり握る。


「でもきっと、ヘクターさんが助けに来てくれるから。それまで持たせるからね。……こうやってっ!」


 ブルーノは小さく笑い、飛び込んできた大烏めがけ思いきり振りかぶる。ぐしゃり、細い骨が砕ける感触。黒い血飛沫と肉が飛び散った。


 ああ、あの時みたいだ。

 『花』の農場でヘクターに言われるがまま、沢山の指輪を指ごと踏み砕いた事を思い出した。命を奪う手触りは、あの感触よりもずっと生々しい。

 鳥の羽ばたきが聞こえ、慌ててオールを握り直す。構え、殴る。鈍い音。また一羽、鳥は砕かれオールが血にぬめった。


 ヤマネコの『惑乱』で鳥の動きを止めたとしても、結局は殺さなくてはならない。無駄な魔力を使うより、さっさと殴り殺してしまう方がいい。


「……鳥の癖に、猫に勝てると思うな」


 感覚を尖らせ暗闇を睨み、鳥を待ち構えた。


 あの時のヘクターさんのように、生き物を冷たく壊せるようになるには、何匹殺し続ける必要があるのだろうか。


「あのねアネットちゃん。僕はさっき、ヘクターさんの悪口を言ったけど、でも案外、尊敬も感謝もしてるんだよ」


 オールを振り回し呟く。アネットの心音が返事のように聴こえた。


「あの人は今では僕の大事な飼い主だ。……ちょっと狂暴過ぎるけど、僕を泥沼から引き上げて、助けてくれた人なんだ」


 よん、ご、と打ち砕いた鳥の数を数えつつ、オールを勢いよく振り降ろす。ギャアと断末魔をあげ、鳥が壁にぶち当たり跳ねた。

 血に濡れた指先が痺れ、肩が妙に重い。


「今朝、海でヘクターさんに、アネットを危険な目にあわせるなって言われているからね。……僕は」


 僕は、ヘクターさんの代わりに、君を守るよ。


 ブルーノは牙を剥き出し金の瞳を輝かせ、獣らしく笑った。


※※※


 船の外、太陽は海の端に沈みかけている。ほの白い花弁のような夕月が浮かび、夏の星がぽつりぽつりと輝いていた。ガレー船の周囲では無数の鳥が、黒々とした蚊柱のように飛び交っている。


 後方の大烏がガアと他の鳥を呼んだ。腐った側板が脆く崩れ、細長い穴が空いている。


 小鳥人が嬉しそうに鳴いた。

 命令を受け鳥の群れは夕空へ舞い、壁へ体当たりをする。長い帆柱が大きく揺れ、羽がばさばさと散った。湿った音を鳴らし船板が裂ける。

 やがて壁穴は大型の鳥が通れる大きさへ広がった。

 もとからあった入り口と、新たに出来た穴。数羽の鳥が前後から同時に飛び込む。


 小鳥人は赤子が泣くような声で笑いあった。


「あれ何をやってるのかなあ?」

「さあ。鳥がいっぱいだね」


 突如、少年と少女の能天気な会話が浜に響いた。背後を振り返った小鳥人は、目を凝らすが浜に少年などいない。

 少女が一人、若い魔導師風の男が一人、船乗りが三人。新たな餌の登場に、小鳥人は頬を弛ませ涎を飲み込んだ。


 魔導師風の男は小鳥人を指差し、少女に教える。


「ああ、あれは鳥の魔獣ですね。確か魔導師を食べる肉食の獣です。……おそらく船の中に魔導師がいるのでしょう」

「魔導師!」


 少女は手を叩いて喜んだ。


※※※


 頭上では湿気った床板が、さかんに軋音をたてている。

 ガレー船の漕ぎ手が座る板きれの下、少女一人ぶんの小さなくぼみに隠れ、アネットは身体を抱え震えていた。


 周囲は闇に包まれている。反射的に落ちかける瞼を抉じ開けたが、息が詰まる程の黒に、自分の膝頭さえ見えない。

 船底に張られた、強烈な悪臭を放つ泥水。鼻がつーんと痛み、口を縦に開けて呼吸をした。吐き気を催すほど甘臭い味の空気にむせる。

 薄いワンピースは汗と海泥に濡れ、ペタリと太股にまとわりつく。


 断続的に聞こえる、肌が裏返るような打撃音。平和な国で貴族の娘として育てられたアネットは、今までそんな音を聞いた事がなかった。恐怖に首が縮み、奥歯が揺れる。


 耳がやけに研ぎ澄まされている。


 鳥のかん高い喚き声。ばさばさと空気をかき混ぜ、埃を落とす羽音。何かで何かが殴られ、鈍い悲鳴があがった。

 すぐ足元の水に何かが飛び込み、飛沫が跳ね上がる。同時に生ぬるい何かが頬にねちょりと貼り付き、水温が少し上がった。すねに触れる柔らかな尖端。アネットは靴先で押しどける。

 わずかに白く揺れる水面に、黒く大きな塊が浮いているようだ。おそらく、ブルーノが殴り殺した鳥の死体が飛んできたのだろう。ようやく闇に慣れた目を見開き息を飲んだが、悲鳴は出なかった。


 アネットは死体から目をそらし、上を見た。

 無盡に飛び交う黒い塊が見える。それを避け、棒で打ち落とす白い影はブルーノだろう。金の瞳は魔力を放ち、月光のように輝いていた。


 鈍い音がし、白い影が揺らぐ。

 黒い塊はもう一度当て身を喰らわせようと、身を翻す。ブルーノは素早く避け、打ち落とした。塊が壁に当たり、ぐしゃりと潰れる。

 一際大きな羽ばたきの音。新たに現れた黒影が爪を尖らせ飛び掛かった。ブルーノは横に跳ね避け、身体を大きく捻りオールを振るう。

 大きな黒影は天井近くに舞い、避けながら赤子の声で鳴いた。


「っな事、できるかっ!」


 ブルーノが叫ぶ。黒い鳥影はまた、高らかに鳴く。


「……やらないっ、絶対に!」


 会話してるの? ブルーノって、鳥と話せるの? 

 アネットはブルーノをよく見ようと、板の下から身をのりだした。直後、ブルーノがオールを振り、目の前に赤斑が散る。アネットは頭を抱え、しゃがみこんだ。

 オールを振り回しながらも、鳥との会話は続いている。


「だからっ、餌じゃないっ! 僕は魔導師を食べたりしない。あの子は、餌じゃなくて、友達……親友だっ!」


 そう言って飛び交う鳥を殴った。戦いながらの会話に、息があがっている。


 違う。これじゃ親友なんかじゃない。私は自分だけ安全な場所にいて、一方的に守られている。…こんなの、親友だなんて呼べない。

 鈍い打撃音が響く。ブルーノの呻き声。出鱈目に飛び回る鳥が、ブルーノにぶつかった。ブルーノが膝をつき、鳥たちは金目にむかって一斉に飛び掛かる。


 アネットは思わず目をそらした。涙が頬を伝い落ち、自分が幼い子供のように泣きじゃくっていた事に気が付いた。


 悔しい。

 震える指先を手のひらに押し込め、固く握る。

 守られるばかりで、戦えない自分がもどかしい。国有数の魔導師の一族で、公爵家の娘。魔力が高く成績優秀、将来的には黒竜の魔女として国を守る剣になるはずの自分が、剣どころか、ヤマネコの枷になっている。

 年齢は言い訳にならない。

 『虐殺の黒魔女ヘクスティア』は、アネット位の年の頃、国の為に魔獣を狩っていたと、ヘクターから聞いたばかりだ。


 ポケットを漁り、魔法陣を描くための光のペンを取り出した。


 ブルーノが言葉にならない悲鳴をあげた。

 乾いた音を鳴らし、血にぬめるオールがアネットのすぐ目の前に転がり落ちる。慌てて見れば、黒鷲がブルーノの腕に爪を突き立てていた。


 ブルーノの金目が光る。

 鷲はぐらりと揺れ、墜ちた。

 足で鷲の頭を踏み割り、ブルーノは低く構えつつオールを探す。


 天井近くの大きな鳥影が派手に笑った。


「ざけんなっ、するかっ! なわけないだろう!」


 ブルーノの手にはもう、武器がない。

 アネットはオールを渡そうと掴んだが、血に濡れた重いオールが滑ってうまく握れない。歯痒さに涙があふれた。


「くるな、出ていけっ!」


 ブルーノは金目を魔力で光らせ、牙を剥き出し、後退りながらも威嚇をする。アネットはブルーノのいる船底までオールを持ち上げたが、ブルーノは気が付いていないようだ。


 私が、やらなきゃ。


 アネットは深く、静かに呼吸を整えた。

 鳩尾を意識し、身体の中でうねる魔力をゆっくりと操る。

 ほっそりとした指で挟む、金色のペン。

 魔力を図形に代えるそのペンを、船の壁板へ鮮やかに走らせた。

 湖に波紋が広がるように精緻な図形が姿を表し、主の命令に備え呼吸にも似た明滅を始める。

 はらはらと両指先で印を描き、同時に、静かに、歌うような詠唱を始めた。

 印が繰り返され、魔力が複雑に重なり合う。アネットの身体が強大な魔力を引き出し、金色に輝いていった。


 黒い影が嬉しそうな笑い声をあげる。


「だめだっ! アネットちゃん、危ないっ!」


 小鳥人の影は鍵爪を剥き出し、勢いよくアネットに飛び掛かった。ブルーノも身体をしならせ、アネットの前を塞ぐ。


 青い、閃光。


 轟音が耳を裂き、船が傾いた。

 稲光は確実に小鳥人を貫き、黒い炭へと変える。


「……あ、あれ?」


 アネットは未だ発動準備段階の魔法陣を見て、不思議そうに呟いた。驚き、発動前の魔力が収まっていく。


「アネットちゃん、ここにいるー?」


 懐かしい少女の、間の抜けた声。


 誰の声か理解するよりも先に、涙が溢れだした。


 ロージー……。


 白黒だった船室が、突如色彩に溢れる。優しいカンテラの橙色の明かりが、以前とちっとも変わらないロージーの顔を照らしていた。


 魔法を中断させ、アネットはロージーに駆け寄るため壁をのぼろうと、船板に手をかけた。と、アネットを隠すようにブルーノがはだかる。

 ブルーノの金目がアネットを見る。


 ダメだ、と言うように、ブルーノは首を振った。アネットは踏みとどまり、急いで壁面の魔法陣を擦り消す。


 ロージーは訝しげにカンテラを回し、船内を眺めた。カンテラの光に捕らえられた血塗れのブルーノは、眩しそうに顔を歪める。


「へえ、ネコさんなんて、めずらしっ! 楽しいペットになってくれるかな」


 ブルーノは耳を後ろへ倒し牙をみせ、無言のまま威嚇した。


「ねえ、女の子見なかった? 明るい茶色の髪の毛の、すっごく可愛くて元気がいい女の子。私の、大好きな親友なんだ」


 ロージーはどこか得意気に、妖しく笑う。


『ロージーは、もうとっくに死んでるの。器の崩壊でね。諦めなさい、死にかけた身体に不死の魂、モーリスを埋め込む事で生かしてあげているのよ。』


 ハーリアでの人魚の言葉が、アネットの胸を過った。

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