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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
65/99

猫と少女

前回の直接的な続きは、18禁なので別の場所に投稿してありますが、読まなくても本編には何の影響もありません。ただただエロいだけです。

 灰色の石畳にぽたりぽたり水滴が垂れ、黒い染みが滲む。

 ブルーノとアネットはホテルに入り、部屋へ戻ろうとしていた。ブルーノは籠を抱え上機嫌だが、溢れる海水で足元に人魚が這ったような筋が出来ている。


「もうちょっとホテルに気を使って運んだら? 後ろ、酷い事になってるから」


 アネットが声をひそめ咎めた。トゥオーロのホテルは石造りで、回廊は洞窟のように小さな音をもわんわんと響かせる。ブルーノは後ろを振り返った。


「ああ……水だからきっとすぐ乾くよ。これが、重くてさ」


 銛や足ヒレ、二人分の水着を詰め込んだ鞄と銀色の魚が溢れる水籠が重く、つい飛沫を散らしてしまうのだと、悪びれる様子もなく笑う。


 アネットは肩をすくめ天を仰いだ。

 視線の先、突き当たりの天井に殆ど崩れた鮮画(フレスコ)が見える。傷みが酷く判別しにくいが、黒い羽の形が漆喰の欠片に残っているようだ。

 修道院の鮮画だ、とにかく神の絵であることは間違いないだろう。アネットは指先で祈り神前を汚した事を謝った。


 神に祈り魔力を理に乗せるため、魔導師は信心深く、神の前では行儀がいい。荒らぶる魔力をそのまま使う獣とは考え方が違う。ブルーノは神前でも帽子をとらないし跪かない。


 仕方ないなあ。

 ブルーノは小さく息を吐き、水を溢さないよう慎重に歩いた。神の為にでも、ホテルの掃除夫の為にでもない。


 角を曲がり、四人部屋を目指す。

 と、ブルーノは突然足を止めた。


「どうしたの?」


 アネットが訪ねたが、にやにやと口角を上げ、たちの悪い笑みを浮かべている。


「あのねっ、アネットちゃん」


 が、言いかけた瞬間、一気に青ざめ口を閉ざした。頭を横に振り回れ右をすると、そのまま溢した水跡を追うように、今来た通路を戻り始める。


「えっ、ね、ブルーノさん何かあった?」

「ちょっとねっ」


 人間であるアネットの耳には聴こえていないが、ブルーノの大きな猫耳の中には、甘くせつなげな吐息が響いている。


 ブルーノだけだったなら、鍵を壊してでも侵入し、二人の間へ割り込みじゃれるところだ。当然ヘクターから仕置きを受けるだろうが、翌日にはなんだかんだと赦してもらえるだろう。

 しかし、今はアネットを連れている。12歳の少女にそんな現場を見せてしまえば、関係がぎくしゃくし、せっかくの旅行は台無しになる。半殺しの仕置きで済めばいいが、棄て猫にされてしまうかもしれない。


 ブルーノはわざとらしく声を響かせ、艶声を打ち消しながら、アネットに言った。


「アネットちゃん、魚を部屋に持って帰ったら、床を汚しちゃうよね。食堂に寄って捌いてもらえるか聞いてみよう」

「あ、そうね。部屋まで水浸しにしちゃったら絨毯が大変。うん、そうしましょう」


 うまく誤魔化せたと安堵の息を漏らし、真っ直ぐ食堂へ逃げる。


 給料、もっともっと上げて貰わなくちゃなあ。

 呟いて、舌を出した。


※※※


「さ、部屋に戻ろ」


 アネットが言う。

 ブルーノは口の端を上げたまま、ぎこちなく両手を広げ通路を遮り、冷や汗を流した。アネットが辺りを見渡し、不満げに唇を尖らせる。


「えー、何で戻らないの? ここに居てもしょうがないわよ。食堂閉まっちゃうみたいだし」


 アーチ型の尖柱の間に二台の長机を置いた、飾り気のない食堂。遅い昼食を終えた客を追い出し、忙しい夕飯時に向け床を磨いている。

 船乗りが食堂に食材を持ち込む事は珍しくないようで、何の交渉もなく快く魚を受け取られてしまい、もうここにいる理由がない。

 とても居づらいが、まだ部屋に戻る事は出来ない。部屋に戻らず数刻潰せる言い訳が欲しい。


 ブルーノは帽子のツバを掴み、目線を隠しながら考えを巡らせた。


 あと数刻……出来れば夕方近くまでは、アネットちゃんを部屋に近付けられない。夕方? ……そうだ、夕方。

 よし、とブルーノは頷き、アネットに向き直る。


「アネットちゃん。この島に着いた時、確か山際がくっきり光って浮かび上がってたよね。だからきっと、ホテルがあるこっち側じゃなくて、今日泳いだ浜辺の方に日が落ちると思うんだ」


 それが何? とアネットが首を傾げた。


「浜辺で夕陽を眺めたらとーっても綺麗なんじゃないかな。あの船の墓場とか、でっかい竜の骨みたいな黒い影がニョキニョキ浮かび上がるだろうから、すごく壮大な景色になると思わない? 今日は天気もいいし、早速見に行こうか」

「……そうね、せっかくの晴れだし、島の夕焼けもいいかもね。じゃあダリアちゃんと変態犬も誘って……」

「アネットちゃんっ! 僕、二人だけがいいなあっ」


 アネットの両手を握り締めながら、慌ててそう付け加える。目を丸くするアネットを、ブルーノは早口で捲し立てた。


「こうやってせっかく、アネットちゃんと旅行に来て、一緒に遊んで仲良くなれたんだしさっ。あの二人はそっとしておいて、僕たちはもっともっと仲良くなろうよ。……あああ、頬を赤らめないでっ! 違う、そういう意味じゃない。うん、僕はアネットちゃんに興味があるから、沢山お話を聞きたくってね。……だから、そういう興味じゃないんだって! 複雑に絡み合う大人の事情ってモノがあってね。僕らは二人で夕陽を眺めながら話し合いをする必要がある。って、なんで僕がここまで気を使わなくちゃならないんだっ。……とにかく、ここで絡み合う二人の邪魔をすると、後々良くない事が起きるんだよ。僕の将来の為に、僕らは夕陽を見て親密にならなくちゃいけないの。仲良くなろうよっ!」


 アネットは目を白黒させ、理解出来ていないといった顔でブルーノを見詰めている。やはりちっぽけな子悪党(チンピラ)では子供を騙す詐欺師(ペテンシ)にすらなれない。


 数拍置き、アネットはおずおずと右手を挙げ、遠慮がちに言った。


「……私の親友になりたいって、事?」

「それだ! うん、それがいいや。僕は、アネットちゃんの親友になりたいんだよ」


 鋭く尖った八重歯を見せ、できる限り爽やかに微笑む。


「そっか。いいわよ、いっぱいお話しましょう。面と向かってそんな事言われるの、私初めて」

「まあ普通そうだよね。夕焼け見ながら沢山話して仲良くなって、奴らの後始末が終わった頃にホテルへ戻ろう」

「後始末?」

「……間違えた。料理。魚料理の支度が終わった頃に戻ろう」


 親友、と呟きアネットも納得したように笑った。


「じゃブルーノさん、荷物を部屋に置いて来なくちゃね」

「……」


 そりゃ、そうだ。

 せっかくホテルにいるのに、荷物を担いだまま出掛けるのは不自然だ。ブルーノはしどろもどろになり、目を反らしながら言う。


「えーっと。僕、ちょっと急いでるんだ。荷物はフロントに預けていいかな?」

「なんで? 急がなくてもまだ大丈夫だと思うけど」

「……さ、行くよ」


 おかしな理屈で説得を続ける事には、もう疲れ果てた。

 アネットの腕を掴み、強引にフロントへ引っ張る。ブルーノは大人の男で、アネットは少女だ。力の差は歴然。最初からこうやって連れ出せば楽だったのに、と溜め息を吐いた。


 抱えるようにホテルを飛び出し、海沿いの崖道を、島の反対側にある浜辺に向かって歩く。

 太陽はまだ高いが、港の集落を越え、船の墓場につく頃にはだいぶ傾くだろう。そうしたら二人のんびりと無駄話をし、夕焼けを眺めてから戻ればいい。


「ね、ね、ブルーノさん」


 腕の中の少女がブルーノを見上げ、眉を八の字にして恥ずかしそうに言う。


「何?」

「あの、ブルーノくん、とか、ブルーノ、とか、そんな風に呼んでもいい?」

「それはもう、お好きにどうぞ」


 ブルーノ、とアネットが確かめるように囁いた。なあに、とブルーノは野良猫がそうするように、得意気に目の端を上げ、喉を鳴らして笑った。


※※※


 濃く青い滑らかな空で、午後の太陽はその位置を落としながらもダイヤ粒のようにギラギラしく輝いていた。

 小鳥人(ハルピュイア)たちは焼けつく陽射しから逃れ、木々の影に連なり、羽を休ませ夕刻を待っている。

 女王が昨夕、難破船を探し猟へと出掛けた。今日こそ魔導師の肉が食べられるかもしれない。ぷっくり愛らしい稚児の頬を薔薇色に染め、しっとり黒い烏羽を膨らませる。


 すぐ足元の道を青年と少女が通った。


 豊潤な魔力の薫りが辺りに漂う。これほどの魔力ならば、血は果実より甘く、肉はバターのように蕩けるだろう。想像するだけで脳が痺れ、涎が胸元を濡らす。


「どっちかな」


 鳥たちは首を伸ばし鼻の穴を広げ、獲物の匂いを嗅いだ。


「……獣臭い」

「どちらかが魔導師で、もう一匹が獣だね。赤じゃなさそうだ。金かな」

「じゃ、あれは金の餌かあ。いいなあ」


 小鳥人たちは口々に囀ずった。旨そうな匂いに紛れ、金の獣の臭いがする。二匹とも人の形をしているが、どちらかが金目の獣人なのだろう。


 島に来た魔導師を食べてはいけないと、赤の獣を恐れる女王に口酸っぱく言われた。

 腹が減って倒れそうだというのに、目の前の御馳走に群がる事ができない。あちこちで腹の虫が唸りだし、不満の溜め息が漏れる。

 金の獣とはいえ、人に近い獣人だ。集団で追い回し弱らせてしまえば、小鳥たちであっても狩る事は出来る。


 それに女王が恐れているのは赤であって金ではない。金の餌ならば少しくらい掠め取っても、問題はないのではないだろうか。


 鳥人の力が高まる時まであと数刻。太陽が海に沈み、月が闇空を支配するまでのほんの僅かな時間、鳥人の魔力は最も研ぎ澄まされる。動くなら、その時だ。


 小鳥たちは二人をうっとりと眺めた。


 突然、夢想を遮るようにばさばさと羽を撒き散らし、慌てた海鳥が降下した。

 海を見張る鳥だ。

 ケーケーと喚きたて、女王の到着を報せる。


『女王が帰って来た。白い、船に乗っている。船は壊れていない。』


 小鳥人たちは唖然とした。


「船が壊れていない? 船乗りや、魔導師は? 夕飯はどうなったんだ?」

『船に死体はなさそうだった。生きた、船員を見た。』


 海鳥が答えると、小鳥たちは憤り、けたたましく叫んだ。


「女王に裏切られた。女王は生きた船乗りを運んできた!」

「今夜も魔力を食べられない。このままでは死んでしまう」


 すでに遠くを歩いている青年と少女を、涎を流しながら睨む。

 夕暮れが近づき、二人の影は飴細工のようにじわりじわり伸び始めていた。


※※※


挿絵(By みてみん)

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