葬列
生乾きの青い絵の具が滴り落ちそうな濃い夏空。巨大な入道雲が丸い塊を幾つも積み重ねている。
複雑な地形を持つ珊瑚の湾、緑の水面を僅かに覗かせる遠浅の海。見渡す限りの船骸が水平線を隠す。
船体が二つに折れたもの、鯨のあばらのような骨組みだけになったもの、殆どは朽果て褪せている。後から流されてくる船に押され、浜に昇ってしまっている船もあった。
「すげえな」
終末絵画のように無惨な光景に、ヘクターは汗を拭いながら感嘆を漏らす。遠くから眺める分には玩具箱に投げ入れた模型のようだったが、近付いてみると大型の商船や客船ばかりだ。一艘一艘が視野に入りきらないほどに大きい。
浜に乗り上げた船が裂け、大きな横穴が空いていた。中はどろどろした砂と海水で充たされている。
人の声が風に乗り聞こえた。
急いで船体に隠れる。小魚がぴしゃりと跳ねた。身体中の傷跡を人目に晒せない為、ヘクターは真夏であっても長袖シャツと丈の長いパンツ姿だ。さらに、足に装具をはめ、レイピアの仕込まれた杖を持っている。島の人間にはとても見えないだろう。
船体の穴から、何艘かの漁船を操り廃船と廃船の僅な隙間を縫い浜へ戻ってくる島の男たちが見えた。
息を殺し様子を伺う。船が浜に着き、鳥たちがけたたましく鳴いた。
男たちは布でくるまれた何かを次々と浜に並べる。漁船は優先的にその何かを運んでいるようだ。何度か往復すると漁船の積み荷は樽や木箱に変わった。
やがて、全て運び終えたのだろう。男たちは何かたちに跪き祈るような仕草をする。
「あれは、船員の遺体……?」
潮流や海底の形などさまざまな偶然が重なり、沈没した船が集まる墓場ができる。船の墓場を持つこの島では、積み荷を取る代わりに、船員たちを埋葬しているのだろうか。
祈りを終えた島人たちは、荷車に遺体と積み荷を乗せ、何処かに運んで行った。
「……この島の主産業は、廃船処理か」
思わずろくでもない事を呟いてしまい頭を掻く。
名産の無いトゥオーロ島が豊かなのは、船の墓場を所有しているからなのだろう。廃船を荒し荷を獲ている事は、国の使者であるヘクターには言い難いが、船乗りの死体を放置しては疫病が流行る可能性が高い。
「つーことは……」
呟き、泥だらけになった足を船底から引き抜いた。崩れかけた階段を昇り甲板へ上がる。
目を細め、船の山を見渡す。
海馬のついた船……ここの領主の船を見付けりゃ、この任務は終わりだ。
領主邸で執事長が領主を死んだものとして扱っていたのはおそらく、領主の船が流されて来たからなのだろう。
「わっかんねーな、こりゃ」
しかし、あまりにも船数が多すぎて目視で見付ける事が出来ない。振り返ると、島の中央にそびえる山を、荷車を押して登る男たちの姿が見えた。
※※※
船乗りの葬列が、粛々と山道を登る。
肉食の大鳥が騒いだ。
※※※
「この前読んだ本でね、魔法使いの女の子が冒険をする話なんだけど……獣人の子と山に行く話があってね」
「前言ってた本だよね? 魔物退治をして賞金を稼ぐ話だったっけ」
アネットが声を弾ませ、ダリアはのんびりと応えた。地理が苦手な二人に代わりブルーノが地図を睨んでいたが、轍のついた山道は踏み固められ、迷う心配は無さそうだ。鬱蒼と茂る木々の間から陽射しが溢れ、丸い光の粒が道を明るく照らす。
しかしほんの少しでも道を外れたなら、蔦と木が絡み合う暗い樹林へ入り込んでしまうだろう。
アネットたち三人は探検気分で島の山道を登っている。見晴らしの良い場所を探し、島を一望しようという計画だ。
この山は島の聖域になっているようだ。山の入り口には、二本の螺旋柱が神殿のように立っていた。
「うん。それで、山で大型の魔獣に襲われるのよ。主人公と獣人の子は魔法を使いながら必死で逃げるんだけど、崖から落ちて川に流されるの」
「……アネットちゃん、私、それ嫌だよ」
ダリアは溺れる自分の姿を想像し苦笑いする。
「ふふふ、ダリアちゃんは兎さんだから、戦うのには頼りないわね」
アネットがそう言って笑い返すと、ブルーノが少し真面目な声で言った。
「ダリアねーさんは王様だから、実際は一番強いけどね」
「王様?」
「僕は金で、ねーさんは赤だから。獣にとって赤は王様の色なんだよ。ヤマネコの半分は金目だから、僕はそんなに威張れないけど」
金目を覗き込み怪訝な表情を浮かべるアネットに、ブルーノは目をそらせ逃げる。
「獣の瞳を迂闊に見たらダメだよ。金目と赤目は、瞳に魔力がある証拠なんだ。魔導師でいうところの無詠唱魔法が幾つか使えるって感じかな。兎のねーさんは赤だから特別に強いんだよ」
「……青いよ?」
ダリアの瞳は青い。しかし、何時だったか赤い瞳のダリアを見たような気がする。アネットはこめかみに指を当て、思い出そうとした。
ブルーノがニッと笑う。
「本当は赤いけど、今は青くしているだけだよね、ねーさん」
「……うーん……そういえば、アネットちゃんは魔力の高い魔法使いなんだよね? もし魔獣に襲われてもアネットちゃんが退治しちゃうのかな」
ダリアは話を変える。赤い目の事は秘密なの? とブルーノが呟くと、ダリアはそっと頷き目配せをした。
アネットはそれに気付かずに言う。
「でも私、まだ体に陣を刻んでないから。魔法陣を何処かに描かないと、魔法は使えないのよ」
アネットはまだ十二歳だ。
体に魔法陣の刺青を入れる程には魔力が固まっていない。無闇に陣を刻んでしまうと、本当に馴染む魔法陣を描く場所が無くなってしまう。
「だからこれ、こんなに持たされちゃったの」
アネットは肩を竦め、肩掛けの鞄を叩いた。中には沢山の魔導具が詰め込まれている。『カンテラ』に『雷砲』『結界』『治癒薬』等々。
「アネットちゃん、それ、下手に使うと余計に危ないよ。逃げるのが一番だ。数が多すぎるからね」
ブルーノが樹林を睨みアネットの手を握った。ダリアも静かに頷きアネットの逆の手を握る。二人の手が緊張に汗ばんでいる事にアネットは驚いた。
鳥が叫ぶ。左右から握る手に、力が込められた。
「……ダリアちゃんたち、鳥がなんて言ってるのかわかるの?」
「わからないよ、言語になってないから。赤ちゃんが何喋ってるかわかんないのと同じ。
でも」
ダリアとブルーノは立ち止まり、闇の奥を睨む。アネットはそこへ視線を投げた。
「……ひっ!?」
一瞬見えたソレに驚き、瞬きをする。途端ソレは消え去った。恐怖に足がすくみ、心臓が激しく打つ。
暗い木の上に列び、にやにやと笑う稚児の首。
「か、帰ろう! 私、変な幻、見ちゃった」
アネットが叫ぶ。
「そうだね、帰ろう。ここは危ない。アネットちゃんは絶対に一人で来ちゃダメだよ」
ダリアが言うと、アネットは何度も頷いた。足が震えまともに歩けない。ブルーノに背負われ、背後をダリアが護る。
山を降りる。
途中、葬列とすれ違い立ち止まって祈りを捧げた。
ダリアは後ろを振り返り、大鳥が群がる山頂を見詰める。鳥の鳴き声の意味は判らないが、魔獣の会話は理解できる。
低級魔獣、子供の首に烏の身体を持つ、黒目の鳥人たちが、船乗りの葬列を見て、食事の時間だと笑っていた。
※※※
相変わらず、変な部屋だな。
ヘクターは天井を見上げ、首を傾げる。
昨日と同じ様に少年がお茶を出し、執事長が落ちている羽の事を謝った。
領主邸宅の執務室。客用ソファに座り脚高のベッドを見、金のポールを眺める。やはり使い道はさっぱり解らない。
「あれは、一体なんですか?」
「お答え致しかねます」
ヘクターが訪ねると執事長はそっけなく応えた。
「……まあ、いっか。ええと、島の西、船の墓場と思われる場所を見付けました」
執事長は僅かに表情を歪める。ヘクターはそれを確認し、言葉を続けた。
「何等かの特殊な条件が重なると、船の墓場が出来ると物の話には聞いていましたが、本物を観るのは初めてで、とても驚かされました。……船から死体や積み荷を運び出す姿も見させて頂きました」
「あっ、あれはっ……!」
焦りを浮かべた執事を手で制し、ゆっくりと話す。
「それらについての判断は、私がする事ではありません。私の仕事は領主の捜索です」
最も、国から酷い処分が降ることは無いだろう。多少税率が上がるかもしれないが。
「貴方たちは領主の死を確信しているようですが、領主の船が墓場に流されてきた、という事でしょうか」
「……領主様の船は確かに流されてきました」
執事長の返答に、ヘクターは内心笑みを浮かべる。これで明日からバカンスだ。
「では領主は既に埋葬した、という事ですね」
「いえ、埋葬しておりません。領主様の御遺体は見当たりませんでした。噂では魔導師は全て、可愛らしい幽霊船に捉えられたとか」
可愛らしい幽霊船。例の、スイーツ船かよ。甘い臭いを放ち魔導師を殺していくとかいう。
ダリアが話していた噂を思い出し頭を抱える。領主が死んだという確証が無ければ、捜査を終わらせ遊ぶ事が出来ない。
「島に辿り着く船は増えているのですが、残念ながら魔導師の死体が無いのです」
……残念ながら?
言葉に引っ掛かりを覚えながらも、残念ながら領主の死体が見付からなかった、という意味だと解釈をする。
死体が見付からないならどうにか探さなくてはならない。一応、といった調子でヘクターは訪ねる。
「領主の絵などはありませんか?」
「それでしたら此方に」
執事長はそう言って立ち上がると、隣室、猫の部屋に案内をした。
裏面に鏡の貼られた重い扉。
白で統一された室内に巨大なベッドが置かれている。猫が寝る為のベッドだとはとても考えられない。
「ベッド、でかすぎませんか?」
「指示の通りに作らせました」
一般貴族のベッドよりも大きいかもしれない。領主は猫と眠るつもりだったのだろう。
壁に貼られた肖像画には特徴の無い中年男性が描かれている。
しかし何処か、見覚えがあるように感じ、ヘクターは眉根を寄せ絵を睨んだ。
「これはこの島に配属された当時の領主様です。この後だいぶ太られまして」
「はあ」
「それはそれは、家鴨のように」
「家鴨……ねえ……なんか、見覚えがあるんだよな……」
後ろ髪を掻き上げながら、思い出そうと周囲を眺める。と、頑丈そうな鎖が付けられた首輪と、妙に装飾的な刑罰用具が飾られているのが目に入った。
猫に?
普通、大事な猫を鎖で繋ぎ留め、罰を与えるだろうか。ヘクターは首輪に近付き手に取った。金具を繋げ輪を作ってみる。
「首輪、猫にしては大き過ぎませんか。猫ではなく、虎か何かの間違いでは?」
「間違いはありません。猫の獣人を飼うのだと言われてましたから」
「猫の、獣人?」
執事長が頷く。
やけに大きなベッド、刑罰用具、獣人用の首輪、肖像画。それらを見やり、ヘクターは頬を引き吊らせる。よくよく調べると、首輪には金細工でブルーノと書かれていた。脱力し、思わず膝をつきそうになる。
一月半前の歓楽街、地下のバーで対峙した太った魔導師。ブルーノの新しい飼い主になる予定だった貴族。ヘクターが細かな肉片に変え、軽く炙った屍人だ。
「……あいつか」
「領主様を知っていらっしゃるんですかっ!? まさか、まだ生きていらっしゃるとか」
執事長が声を荒らげたが、ヘクターは額に手を当て考え込んだ。
報告書どうしよう。領主殺したの俺じゃねーか。……いや、あの時は既に屍人だったから、殺したのは俺じゃない。
「あ、あのさっ! 猫を貰いに行く前、領主におかしな点は無かったか? 挙動不審だったり、顔色が妙に悪いとか、刺しても死なないとかっ!」
「そういった事は特には」
島からバーに行く間にモーリスに捕まったのか。血もまだ赤かったし、新鮮な屍人だったからな。
ヘクターは独り頷き、強引に作り笑いを浮かべる。領主が既に死んでいる事だけは確実だ。
「すごーく、個人的に心当たりがありましてっ! 国の方には、領主は既に死んでいるから新しいのを寄越せと伝えますね」
その言葉に、執事長は涙を流しそうな程喜んだ。
「ありがとうございます! では是非、若くてタフで魔力が多く見た目の麗しい男性をお願いしますっ」
「……前の領主、特に麗しくは無いようでしたが」
「ええ、ですから次こそはと、強い要望が挙がっております」
「誰からの要望だよ、それ」
執事長は慌てて目を反らせる。
まあ、いい。これでとりあえず解決だ。
明日からようやくバカンスだと、ヘクターは目を細め、大きく伸びをした。