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兎は月を墜とす  作者: hal
冬の蟹
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一章エピローグ

 カランとドアベルを鳴らし、常連客のクインスとミズナが『青兎亭』へ入って来た。


「いらっしゃいませ」


 ヘクターとダリアが声を合わせ出迎えると、ハーリアの土産話を聞くつもりなのだろう、二人は真っ直ぐカウンターの空席へ座る。

 開口一番、ミズナが言った。


「こんばんわ。ママ、ダリアちゃん、蟹パーティはどうだった?」

「……なんていうか、もうしばらく見たくないわね。食べたというよりは、退治したって感じ」

「私も。……今見たら多分吐いちゃいます」


 ヘクターもダリアも顔を顰め、そう答えた。


 本当に、もうしばらく蟹を見たくはない。もし蟹料理を出されても、あの強烈な腐敗臭を思い出し、とても食べる事は出来ないだろう。ダリアも先程、挽き肉のスープでさえ無理だとボヤいていた。


「そんなに蟹食べたんだ。すごーい」


 ミズナが羨むような声をあげ、二人は顔を見合せ苦笑した。


 昨夜は洞窟で蟹の体液まみれになってしまい、ドブに落ちたと言い訳をしながら慌ただしくホテルの部屋へ逃げ込んだ。

 大急ぎでシャワーを浴び全身を念入りに洗ったが、臭いが全く取れない。その為ヘクターは自分とダリアに『浄化』の魔法を繰り返しかけ続け、魔力が尽きかけた頃ようやく悪臭が薄れた。

 着ていた服は全て、捨てた。服屋が開くと同時にコートを買い、慌てて王都行きの高速馬車に飛び乗り、馬車内で仮眠をとった。

 帰宅後も休む間も無く『青兎亭』の開店準備に追われ、ヘトヘトのまま今に至っている。

 ヘクターは体力に自信があったが、それでも店をもう一日休みにしていればと後悔していた。


 しかし二日の休業を明けた『青兎亭』は、かなり客の入りが良い。すでに夜の刻に入っているというのに、席はほぼ埋まっている。

 開店当初はこんなに繁盛させるつもりなど無かったのだがヘクターの凝り性が災いし、常連客は次第に増え、ダリアを雇わなくては手が回らないほどになってしまった。


 再び料理のオーダーが入り、ヘクターは厨房へ引っ込んだ。ダリアはカクテルを作れないため、もし麦酒と葡萄酒以外が注文されれば、急いでカウンターに戻らなくてはならない。

 堆く牧の積まれた竈の熱で汗だくになりながら、フライパンを手早く揺すり香辛料をぶち込む。金の脂と絡み、芳ばしく焦げ始めた鶏の肝肉に、葡萄の蒸留酒を振り掛け、炎を立ち上がらせ豪快に炙る。

 出来上がった肉料理の皿に芥子菜を飾っていると、満面の笑みを浮かべたダリアが厨房へ入って来た。

 仕上げ中のヘクターを手招きでしゃがませ、耳元へ口を近付ける。


「ね、クインスさん、プロポーズ成功したみたい」


 ヘクターにはその言葉の内容よりも、耳にかかる吐息のくすぐったさに幸せを感じ、綻んだ。

 ミズナさん、ウルウルしながら指輪嵌めてたよ、と興奮気味に報告するダリアが可愛らしく、つい腕を伸ばし抱き締める。

 甘い、汗の匂いがした。


「そう、じゃ、御祝いしなくちゃね」

「ね!」


 抱擁の意味を勘違いしているのだろう。ダリアもギュッと抱き締め返し、そしてすぐ身体を離した。


 ヘクターは出来上がった料理をダリアに渡すとカウンターへ入り、珍しい発泡白葡萄酒を取り出した。

 派手な快音を鳴らして開栓し、二つ並べた脚高のグラスへ静かに注ぐ。蜂蜜に似た金色の酒から爽やかな泡が活発に立ち上り、葡萄の芳香を弾けさせた。


 ヘクターはそれを、クインスとミズナに手渡した。


「ダリアちゃんは黒すぐりの果実酒混ぜた方がいい?」


 そう聞くと、ダリアは何度も首を縦に振った。ホテルで作ったカクテルをかなり気に入ったらしい。黒すぐり酒を混ぜた白発泡葡萄酒をダリアへ渡し、ヘクターも自分用のグラスを掲げ、高らかに言った。


「新しい夫婦に乾杯!」


 常連客ばかりの店内のあちらこちらでグラスが鳴らされ、クインスとミズナを皆で祝福した。


※※※


「ミズナさん、幸せそうだったなあ……」


 店の後片付けを終え、従業員部屋に帰ったダリアは、リビングの二人掛けソファに倒れ込み、猫の子のように丸まって呟いた。


 この部屋には廊下が無く、玄関を開けてすぐ目の前がリビングとなっている。ヘクターが選んだ落ち着いた深緑のソファと、シンプルな木目のローテーブルが素っ気なく置かれていたが、最近ではダリア好みの可愛らしい小物があちこちを侵食し、飾り立て始めていた。


「そーね。私にはそういう幸せは縁がなさそうだけど」


 壁付け暖炉の火をおこしながら、ヘクターはつい自嘲気味に言う。一般的な幸せなど、十数年も前に自ら手放してしまった。当時はそれが最善だと思っていたのだが、やがて運命に見放され、ろくな死に方が出来ない道へ墜とされた。

 太陽の下へ戻る事など、もうとっくに諦めている。


 ヘクターがそばへ寄ると、ダリアはソファを半分開けて座り直し、膝掛けを足に被せながら言った。


「うーん……ママの場合は無理に結婚しようとかしないでもいいんじゃないかなあ? 例えば形が無くても、一緒に過ごせればそれで幸せになれると思うよ?」

「え……? まあ、そうかも、だけど」


 事情を全て理解しているような笑顔に思わす動揺すると、ダリアはわけ知り顔で続ける。


「だって、男同士じゃ結婚できないじゃない。仕方ないよね」

「……。あー、そーね、そーよね。なんだか私、今すごーく傷ついたわ」


 やはり全く理解していない。ヘクターはダリアの隣へ並んで座り、声を張り上げワザとらしく宣言した。


「今日から私もここで暮らすわ! ……何、その本気で嫌そうな顔。普通はここで頬を赤らめるもんでしょ!? いいじゃない、一応私、ここの家主よ!? むしろここで暮らして当たり前なんだから!」

「えー。じゃあいいけど、裸でうろうろするのと、カレシ連れ込むのだけは止めてね。居たたまれないから」

「はーい。わかった、わかった」


 あしらうように言いながらも、頬が緩むのをこらえきれない。ダリアは完全に油断しきっている。まずは今夜から。焦らずともチャンスは幾らでも作れそうだ。


「一緒に住むのかあ……じゃあ……」


 ダリアはバンダナを抜き取った。細かな銀毛を散らし、飛び出した長い兎耳がくるくると回る。


「これが、私のずーっと隠していた秘密。あと、兎の魔力を持っているので、浮かせたり、潰したり、それから人間の魔法を暴発させたり、できます。……ママにちゃんと話す前にぜーんぶバレちゃったけどね」

「……いや、最後のそのすごく物騒なのは聞いてないけどっ」


 そうだっけ? と、丸い目をぱちぱちさせながら首を傾げると、耳も困ったようにペコんと手前へ折れ曲がった。


「ねね、実は魔法が使えてなんだか強いっていうのが、ママの秘密だよね? 私、誰にも言わないよ?」


 ダリアはヘクターの鼻を突つきながら、大きな秘密を握ったイタズラっ子の顔で笑う。その無邪気過ぎる笑顔に撃たれ、ヘクターの胸はずきりと痛んだ。隠し事はまだまだ沢山、ある。


 疚しさに視線が泳ぎ、ヘクターはそれを誤魔化そうと視界の端で揺れる兎耳に手を伸ばした。しかし耳はクルリと回り、手のひらを掠め逃れる。ダリアの兎耳は絹のように艶やかでモヘヤのように柔らかく、とても肌触りが良い。

 ヘクターはついムキになり掴み取ろうとした。耳はからかうようにクルリクルリ素早く避け、そのたびに指先をそっと撫で上げた。

 そういえば。と、ヘクターはポニーテールのリボンを解き、緩やかに波うつ髪に手櫛を差し入れ、感触を楽しむ。ダリアの白くふわふわした髪の毛はニンゲンとは質が違う。とても細く柔らかいが、腰が強く艶やかだ。


 そのまま指の腹で擽り、うなじからヒトの耳へのラインを辿ると、ダリアがピクリと反応した。

 穴が塞がっているこちらの耳は、ただ感情を表すためだけの器官となり、桃色に染まり始めている。繭のようにふっくらとした耳たぶから、細い顎の間接までを指で伝い、丸く小さな顎先を指で摘まんで顔を上に向かせ、ぐいっと手前に引き寄せた。


 身体を密着させ、ゆっくり肩を押し倒す。


 ようやく事態に気が付いたのだろう、ダリアは足をバタバタと動かし、唇と唇の間に手を割り込ませた。


「なんで! ママ、私にキスしたってしょうがないじゃん!」

「そういう気分なの」


 顎を上向かせていた指を、邪魔をするダリアの手に絡め、顔の前から外させた。

 露になった表情は恥ずかしさで真っ赤になり、目元は戸惑いに潤んでいる。そのまま顔を斜めに傾け、静かに距離を縮めた。


 むー、とダリアは唸り、決意したかのように目を閉じると、素早くヘクターの頬へと口づけをした。


「……ほっぺなら、いいけど」


 唇を奪われないよう、そのまま顔をヘクターの肩に重ね、ぎゅうっと抱きつき熱い頬を密着させる。


 それは、逆効果だろ。ヘクターは口の中で呟いた。


「……口」

「ダメっ! ……だって、私、ファーストキス、まだだし……」


 耳元に、ヘクターの常識では有り得ない言葉が響く。


「……まだ、って? えっと、ダリアちゃん、成人してるのよね? 普通に生きてたらキスくらいいっぱいするもんじゃないの?」


 ダリアは慌てて逃れ身体を離した。浮かぶ表情に、失敗を気付かされたがもう遅い。


「しないよっ、普通! すごーく好きな人とじゃなきゃ、キスなんてしませんっ!」


 せっかくのチャンスを棒に振ったヘクターは腕を広げ、いつもの雰囲気に戻そうと、からかうように笑った。


「うわあ、ダリアちゃんって今どきすごい希少種なのね! ……ていうか、ほんと、すごいわね。希少に希少を重ねた感じじゃない。ふわふわした頭の弱そうな可愛い外見の癖に、キスさえもまだで。獣人の中でもかなり珍しい兎人の、しかもまず産まれないハーフで。それなのに見た目的にはアクセサリーみたいな兎耳が生えてるだけで」

「兎尻尾もあるんだよ?」

「……尻尾?」


 ダリアは得意気に腰を指し示す。スカートに隠され見えはしないが、ここにあるのだ、と自慢しているつもりなのだろう。


「……何それ触りたい……。ね、見せて触らせて! やっぱり白くてふわっふわなんでしょ? 大きさはこのくらい? それともこんなもん!?」

「ママ、なんかその手の動かしかた、気持ち悪いっ!」

「見せなさい、そんな兵器隠し持ってるなんて! 尻尾を念入りに触りたい撫でたい握りたい弄りたい引っ張りたい!!」

「やめてよ、そんなんされたらおかしくなっちゃうよ!?」

「……おかしく、なっちゃう?」


 妄想が、暴走する。

 ヘクターはダリアを再び捕まえると、足首を掴んで引っぱり、スカートに手を伸ばした。


「や、ママ変態っ!」

「ふごっっ!!」


 強烈な重圧に襲われ、骨が軋音を上げた。ヘクターは土下座に近い姿勢でソファへ頭をめり込ませ、首を回す事すら出来ない。

 その隙にダリアはソファからぴょんと飛び降りた。


『重力操作』


「しばらくそうしててっ!」

「……息が……できない……」


 呻くヘクターを重力で縛ったまま放置し、ダリアはゆったりと寝る仕度を始める。


 少しおかしな二人暮らしが、始まった。


挿絵(By みてみん)

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