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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
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金目の鳥

 彼女は、慌てて目を覚ました。

 皮膚が粟立ち、黒々とした羽毛は大きく膨らんでいる。人の形をした首筋を汗が伝い、肩甲骨の間をぬるり滑り落ちる。耳をそばだて気配を探ろうとしたが、激しく脈打つ心音に邪魔された。

 首を伸ばし辺りを見回す。

 そこはいつもと変わらない自室。彼女の座る脚高の寝台はカラフルなビロード布が重ねられ、乱れた様子はない。高さのある丸天井は帰宅した時と同じように柱でしっかりと支えられ、葡萄色の絨毯には染みの一つもない。


 しかし、肌に残る魔獣の咆哮に、身体が震えている。


 開け放たれた窓から、膨らみを持ち始めた上弦の月が輝いているのが見えた。

 いつもであれば月の魔力を楽しむのだが今夜は別だ。急いで窓の縁へ飛び降り、足の鍵爪を器用に使って鎧戸を閉じ、魔獣から隠れる。


 先程の強烈な叫び声は、船にいた赤のものだろう。


 昼、餌を求め海を散歩していた彼女は、極上の魔導師を積んだ商船を見掛けた。早速襲い掛かろうとしたが、同じ船に獣の気配を二つ感じ、留まった。

 一つは金。もう一つは、赤。

 金の獣だけでも面倒だというのに、と落胆し盛大な溜め息が漏れる。

 赤は王の色。王の性質を持つ魔獣が船に乗っている。つまりあの魔導師たちは王の供御(おてつき)だ。


 彼女はここ最近、魔力に飢えていた。難破船をいくら集めても魔導師の屍肉は見当たらず、養殖していた魔導師は王都へ猫を貰いに行ったまま戻ってこない。

 格上の魔獣の餌を掠め、怒りを買うのは恐ろしいが、それ以上に空腹だ。


 船は帆に彼女を乗せたまま、海面を切り裂き疾走する。


 もうすぐ、赤の人魚の縄張りだわ。赤と赤とが戦えば、その隙に餌を奪えるかもしれない。

 期待を込めその瞬間を待ち続けたが、赤の人魚は仮面を被ったまま沈黙を貫き、船にいるはずの赤も金も姿を見せなかった。


「……魔導師を二匹も飼ってるんなら、一匹くらい分けてくれたらいいじゃない。お邪魔します、これお土産ですってさ」


 彼女は唇を尖らせて呟く。格上の魔獣が手土産など渡すはずがない事はわかりきっていたが。


 今、魔獣の一行は彼女の島にあがりこんでいる。子供たちを張り付かせ様子を伺わせているが、未だに何の魔獣なのかすら判らず赤の目的は謎のままだ。


 壁から壁へ互い違いに伸ばされた金のポール。留まり木代わりのそれに飛びうつると、唇と翼とで艶の剥がれた身体を整えた。

 磨きこまれた木目に金の装飾が施された執務机。幅広で柔らかな革張りの椅子。この部屋の主であった魔導師は未だ帰らない。


「あーもー。おなかへった……」


 魔力が食べたい。彼女の子供たちももう限界だろう。鳥人(ハルピュイア)は肉だけでは充たされない。


 彼女は『飽食』の鳥人。人間の上肢と大鳥の下肢を持つ金目であり、この島の王。空腹のまま瞳を閉じ妄想を膨らませる。

 この島の近くには人魚、『不死』の赤が住んでいる。何故か今は薄い仮面を被っているが、赤の人魚にうまく取り入れば、どんなに食べても無くならない、素晴らしい魔導師を作ることができるかもしれない。

 今、島にいる二匹の御馳走を不死の魔導師として養殖する事ができれば、上質の魔力だけでなく肉までもが食べ放題だ。


 夢想の中、むにゃむにゃと涎を垂らし再び眠りについた。


※※※


 翌日ヘクターは一人、領主の邸宅へと向かった。

 地図を頼りに海岸線沿いを歩き、ホテルのある港とは丁度反対側、こじんまりとした漁村に辿り着く。

 天気は良く、夏の日差しが眩しい。海から吹き込む潮風が心地好く通り抜けた。

 真っ黒に日焼けした子供たちが細い路地を駆け回り、女たちは井戸の周りで世間話をしている。漁に出ているのか働き盛りの男の姿はあまり見られない。

 極めて穏やかな島の光景に、思わず目を細め眺め入った。

 トゥオーロは魔導師のいない小規模な島だ。石造りの民家は質素で単純なものばかりだが、細部を見れば驚く程に豊かな暮らしぶりだ。

 丸い頬をし、靴を履いた子供たち。女はみな軽く化粧を施し、中には装身具を身に付けた娘もいる。痩せすぎて目の窪んだものなど一人もおらず、城塞のスラムなどよりも余程豊かだ。


「……結構いい領主だったんだな」


 ヘクターは一人呟き頭を掻いた。

 村民が豊かという事は、領主が税を強いる事なく、島の為に尽くしているという証拠だろう。


 こりゃ、なるべく早く領主を見つけてやらなくちゃな。

 今回のヘクターの仕事(・・)は、この島の失踪した領主の捜索だ。


 ホテル近くの港で船の入港記録を調べた所、トゥオーロ島領主の船は一月半前、護衛船を引き連れ港を出たが、その二日後、護衛船だけが島に戻った。

 ハーリア港で調べた記録によれば、領主は深夜過ぎ、護衛船と共にハーリアに入り、その翌夜、今度は護衛を連れず一艘のみで出航している。

 いつの間にか帰った主人を護衛船が急いで追ったのだろう。


 噂の性で、夜中に船を走らせる船乗りなど最近は殆どいない。


「例の幽霊船とやらにやられた、のか? ……死んでたら見つけてやれねーじゃねえか」


 ヘクターは独りごちた。


 領主邸は村の高台に建てられている。


 先時代の神殿のような厳めしい建物。ホテル同様、古い建造物を改築し領主邸にしたのだろう。屋根に掲げられた海馬(シーホース)の紋章は、領主の家紋のようだ。

 等間隔に並ぶ螺旋柱の影、見目の良い少年が眉を潜め、こちらの様子を伺っている。

 小間使いの少年だろうか。ヘクターは声をかけた。


「こんにちは、この家の人を誰か……って! おーいっ!」


 途端、少年は脱兎のごとく建物に逃げ入ってしまった。


「……俺、そんなに恐いかな……」


 自分の頬をそっと撫でる。火傷痕を隠さずに来てしまった性だと思いたい。

 建物の前で佇んでいると少年が再び顔を出した。背後に年配の男を連れている。


「ああ、良かった。こんにちは、こちらで今現在取り仕切っている方を呼んでいただけませんか?」


 ヘクターが国の紋章が入った封筒を見せ言うと、彼らの態度はわかりやすく一変した。


「あなたは国の魔導師さんなんですね! 僕が伝えてきますっ!」


 少年は目を輝かせ建物に走り入り、年配の男は極めて丁寧に、しかし期待のこもった視線でヘクターの全身を眺め、満足そうに笑い、招き入れた。

 邸内は馬車が走れそうなほど、ゆったりしている。古い大理石の床はよく磨かれ、柱頭に施された彫刻は博物館でよく見かける代物だ。

 案内され歩きながら、辺りを物珍しげに眺めていると、男が言った。


「魔導師さまは、ここの領主になられるのではないのですか? ……そうですか。では、新しい領主様が来られるまでここに居てはくれませんか?」

「いや、私の仕事は現領主の行方を捜す事なので……」

「で、では! 捜す間だけでもこの屋敷に住んではいただけませんか?」

「ホテルを既にとっておりますし、そのような手間をかけさせる訳にはいきません」


 第一、ホテルではダリアたちが待っている。領主の捜索よりも皆で過ごす素敵なバカンスが主目的だ。

 男は何故か酷く落胆し、肩を落とした。


 やがて、やけに豪勢な白い扉の部屋の前を通りがかる。何の部屋かと訪ねると、猫の部屋だと言う。この館の主は貴重な猫を貰いに行ったまま、消えたのだそうだ。


 猫の為にこんな部屋を造る男が、良い領主として治めてたのか。……よくわかんねえな。

 ヘクターは僅かに眉をしかめる。


 猫の部屋の隣室、ヘクターの通された領主の執務室はとても奇妙な部屋だった。

 背の高いヘクターでは頭を屈めなければならない高さに、金のポールが二本縦横に渡され、ポールよりもさらに高い位置にベッドのような台が置かれていたが、梯子が掛けられていない。

 あれはどのようにして使う物なのだろう。ヘクターは首を傾げる。


 館の執事長だと名乗る男が示すまま、来客ソファに腰をおろすと、美しく輝く黒い羽が数枚落ちている事に気が付いた。不思議そうに拾い上げるヘクターに、掃除が不十分で申し訳ないと執事長が謝った。

 先程の少年が緊張した面持ちで茶を並べる。ちらりちらりとヘクターを熱のこもった視線で見詰めている。


 困ったな。

 領主は既に死んでいる可能性が高い。

 期待に応え探し当てる事は難しいかもしれない。

 ヘクターが茶に口をつけてすぐ、執事長は言った。


「早急に、新領主の派遣をお願いします」


 茶を吹きこぼしかけ口元を拭う。素晴らしい領主だったわりには諦めるのが早すぎる。


「まだ死んだとは限らないじゃないですか」

「もう一月半も待ちました。この島はもう限界です。前の領主様は亡くなっているに違いありません」


 そうなんだろうけどさ。領主が居なくなって一月半で島が限界だなんて、どれだけ凄腕の領主だったんだよ。


「……前の領主のように優秀な方を派遣されるかはわかりませんよ?」

「優秀でなくても構いません。ですが、魔力が多く、タフで若くて長持ちな、できるだけ顔のいい男性魔導師をお願いします」


 随分と偏った希望を平然と言い放つ執事長に愕然とする。


「……何で? 政治能力や人格の希望は?」

「その点に関しましてはお任せ致します」

「……」

「この島には早急に魔導師が必要なんです! 島の為に何卒宜しくお願い致します」


 足元に跪き頭を下げられ、言葉を失った。領主の条件で、政治能力や人格よりも魔力の多さや見た目が大事だなんて、聞いたこともない。


 領主邸の召使い一同に盛大に見送られ屋敷を後にした。


 何なんだ。何か裏があるのか? そりゃ、死んだ事にしたら俺も楽だけど、さすがになあ。

 明日また調べよう、そう思いのんびりとホテルへ向かった。


※※※


「ママ、ただいまっ! この島凄かったよ!」


 夕暮れ近くになり、ダリアたちが賑やかにホテルへ戻ってきた。

 話は後で聞くからねと頬を赤くし興奮する三人を宥め、近くの食堂へ向かう。

 港の食堂に相応しく魚貝を中心としたメニューが並び、南国の果物の盛り合わせを見つけたダリアは飛び上がって喜んだ。


 ヘクターはそっと胸を撫で下ろす。


 普段ヘクターがダリアを連れ外食する際には、よく知っている店に行くよう心掛けている。

 以前、ヨルドモで行ったことの無いレストランに二人で入り、ご飯よりもダリアちゃんを食べたいわー等とふざけていた所、その店のメイン肉料理が兎の香草詰めだった。ヘクターの好物ではあったが、涙目で怯える兎人を前に食べる事など出来ず、無言のまま全て残す羽目になってしまった。


 この食堂のメニューに、兎料理は無いようだ。

 船乗りたちで混雑し、賑やかな店内。酒が中心の店ではない為か、それともまだ時間が早いからか、店内は家庭的で穏やかだ。

 ヘクターの前に料理が置かれる。

 赤身の大魚の頬肉を分厚く削ぎ、臭み消しの香草をまぶし、じっくりと炙った赤身魚のステーキ。草の香りと蕩けた脂の匂いが食欲をさそい、網目のついた表面をナイフでなぞると、赤みを帯びた汁がぷくり噴き出し柔らかく割けた。桜色の断面はしっとり濡れている。

 大きめに切り分けた肉を口に運ぶ。

 舌で千切れるほど柔らかな魚肉だが、まるで牛肉のような繊維質でさっくりとした歯ごたえ。こくが深く、噛む度に塩気の強い肉汁が口腔に広がり、後味は甘い。


「……麦酒ください。急ぎで」


 つい、麦酒を注文してしまった。この味に麦酒無しでは勿体無い。麦酒が来るのを待ち構えながらダリアたちに話しかける。


「で、今日はどうだったの?」

「ぐるっと浜辺を歩いて一周したから、足が痛いわ。この島、坂道ばっかりなんだもの」

「でも半日で軽ーく回れちゃう感じだったね」


 活発だがお嬢様なアネットと、おっとりとしてはいるが半分兎人のダリア。案外ダリアの方が体力があるのかもしれない。

 アネットは小魚のソースを使った貝のペンネ、ダリアは甘い小海老のサラダとフルーツ盛り、ブルーノは大魚のトマト煮込みを食べている。


 今日の昼間、ダリアたちは誰もいない海水浴場を見つけようと島の海岸線を散策していた。そうして、『船の墓場』を見付けたのだそうだ。


「船の、墓場?」


 ヘクターが怪訝な声をあげる。するとブルーノが得意気に言った。


「そう! 凄かったんだよ! 無数の朽ちた船が浜に打ち上げられてて、積み重なって複雑な迷宮みたいになってたんだ。それで船を探検して遊んでたら怒られちゃった。財宝とか隠されてそうだったんだけど」

「……そりゃ怒られて当然でしょ。島で管理してるんじゃないの?」


 そう言うと、目の前に麦酒が運ばれた。口元にわざと白髭をつけながら、喉に酒を勢いよく通す。苦味が大魚の脂をさっぱりと流した。


「その後はみんなで水遊びしてたんだよ」


 ダリアが言う。三人はそのまま、水遊びがいかに楽しかったかで盛り上がり、明日の冒険を話し合う。


 船の墓場。

 失踪した領主の手懸かりがあるかもしれない。


「……ね、ちょっと船の墓場が何処にあったのか教えてくれない?」


 ヘクターが手描きの地図を差し出すと、三人は額を寄せながら印をつけた。


「明日はママも遊べそう?」


 ダリアがヘクターに訪ねる。


「……まだちょっと調べなくちゃ。ダリアちゃんたちは三人で遊んでてね。あんまり危険な事はしないでね」

「はーい」


 三人は昨夜と同様に、声を合わせて返事をした。


 雲一つ無い夏の夜空に、昨夜よりも膨らみを増した月が昇る。

 何処か歪なこの島で、ヘクターのバカンスはまだまだ始まりそうになかった。


※※※


挿絵(By みてみん)


金目の鳥

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