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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
56/99

カード

 こぼれ落ちそうな青空。

 白い夏雲に縁取られ、境界を鮮明にする水平線。海原の緩やかな弧をニョキニョキと突き崩す、黒い茸型の大岩。

 その岩と岩の間を縫うように、大型の商用帆船が波を切り裂き疾走する。広い帆は存分な風をうけ大きく膨らみ、海面に白く長い帯を残した。

 甲板の上、手摺に体重をかけ身を乗り出しながら、ヤマネコの獣人ブルーノがちぎれんばかりに腕を振る。すでに遠退いた港には執事、エドゥアールが芥子粒大に見えた。


「海、すげーっ綺麗! 生きてるって素晴らしいっ! エドゥアールさん、いってきまーっす!」

「……ブルーノ、次邪魔したら、本当に刺し殺すからな」


 背後に忍び寄ったヘクターが低く冷たい声で囁き、背中に杖を押しあてた。ブルーノは身体を強張らせ、何度も頭を上下させる。

 昨夜ヘクターは、溜まりに溜まった怒りとストレスが爆発し、寸止めの剣技でブルーノのシャツをボロ布に変えた。


 ヘクターたち四人は、トゥオーロ島を経由する商用帆船に乗っている。有名観光地ではないため島への直通客船は無いが、スイーツ幽霊船を避け、トゥオーロ島を経由する商用船が何艘かあり、そのうちの一艘、信用できる商船をエドゥアールが手配したのだった。


 アネットはエドゥアールが見えなくなるとすぐ、船室への階段を降りた。


「先、行ってるね」

「うん、私もすぐ行くから」


 そう返事を返したダリアは、海風をうけ楽しげに目を細める。

 波の規則的で緩やかなリズム。麦わら帽子の下で兎耳を研ぎ澄ませた。

 遠く高く、海鳥の声。羽ばたきの音。大きな鳥影が幾つも船に落ち、通り過ぎる。


「……あれ?」


 ダリアは空を見上げた。

 逆光の日輪を背に、一羽、巨大な鳥が身を返す。

 首をひねりまあいいかと独り呟くと、踊るように階段を下り船室に向かった。


 金目の大鳥が、翻る。


※※※


「ねっ、カード、やろうよ」


 商用船の船室に窓はない。橙色のランプに照らされた狭く薄暗い室内は、夜の盛り場のようだ。

 部屋の中央には脚が床に打ち付けられた古い木製のテーブル。そのテーブルに頬杖を突き、難しい顔で考え込むアネットの前に、ブルーノが絵合わせカードを置いた。


「……絵合わせ?」

「うんっ。船といえばやっぱりカードだよね。雰囲気出るし、暇潰しには丁度いいよ。

四人で遊べるしさ」


 ブルーノの縞尻尾が大きく揺れる。部屋の片隅、暇をもて甘していたダリアが食い付き、飛び跳ねるように身を起こした。


「うわあっ! 私、絵合わせなんて初めてっ。ルール教えてね! ママ呼びに行ってくる」


 そう言うと早速、甲板に昇る階段を駆け上がる。


 トゥオーロ島までは約半日かかる。

 船に乗り込んだ直後、楽しげに探検していた二匹の獣たちは、あっという間に退屈したようだ。


「私は、いいわ。そういう気分じゃないもの」

「これ、四人で遊ぶゲームだから。……あと、アネットちゃん。考えてもわからない事はちゃんと聞かないと。ただの偶然って可能性もあるんだからさ」

「……うん」


 人魚のヘクターと狼のヘクター。

 いくら考えても偶然とは思えなかったが、アネットは静かに頷いた。


 この絵合わせカードは全部で百二十八枚あり、それぞれ花と数字、又は神々のシンボルが描かれている。

 各自九枚ずつカードを持ち、順番に山から一枚取っては一枚捨て、手持ちカード九枚と上がりカード一枚で定められた役を作る。カードは表向きに捨てなくてはならず、上がりカードは他人の捨てたカードを使うことも出来るため、運よりも記憶力と駆引きが重要なゲームだ。


 全員が揃いカードを配り終えると、ブルーノは逆さまにした帽子をテーブルに置き、カードの余りを投げ入れた。続いてダリアの麦わら帽子をその横に置く。

 カードを入れる籠がわりなのだろう。


「私、カードかなり得意なんだけど」

「ヘクターさんもなの? 僕も得意なんだ」


 ヘクターとブルーノは顔を見合わせ、お互い薄く笑った。

 新人騎士時代、生意気な性格と高い魔力を持ち、よく目立つ外見をしていたヘクターは、絵合わせカードで負け罸ゲームで酷い目にあった事がある。その後必死にやりこみ、そう簡単には負けない実力を身に付けた。

 また、歓楽街で暮らすブルーノの勝負は、常に命懸けだ。珍しい獣人であるブルーノ自身を狙い、大勝負を仕掛けてくるものも少なくなかった。


「ダリアちゃん、帽子被ってた方がいいわよ」


 ヘクターが苦笑いを浮かべ忠告すると、ダリアは不思議そうに首を傾げる。

 何で? と言いたげに揺れる長い兎耳。こんなにも表情豊かな耳が露になっていたのでは、ダリアのビリは確実だ。


「……まあ、構わないならいいけどね」


 初心者をカモにするのもなんだ。今回は何度か勝たせてやり、馴れてきた頃に罸ゲーム付きで勝負をしよう。

 ヘクターはそう考え余裕の笑みを浮かべた。


 絵合わせカードを何巡か終え、ヘクターとブルーノは頭を抱える。


 ダリアが弱すぎてゲームにならない。


 兎耳に表れた感情を読むまでもなく、カードを引く度に無視し辛い音量で独り言を呟く。わざとかと思うほどにヘクターやブルーノの上がりカードを捨て、周りが捨てた上がりカードの殆どを見過ごす。

 ルールは解っているようだが、ゲームを全く理解できていない。

 開始前のルール説明では足りなかったようだ。一旦ゲームを終え、もう一度じっくりと説明し直した方が良いだろう。


「これ終わったら一回休憩にしよう」


 ブルーノが頬を引き吊らせ、言った。


 しかしその最終ゲームで勝ったのはダリアだ。アネットが無言のまま、ふいと投げ捨てたのが、ダリアの上がりカードだった。

 ダリアが歓声をあげる。


「うわあっ! やった、あーがりっ! ……あれ? アネットちゃん、どうしたの?」


 カードを捨てた直後、突っ伏してしまったアネットは蒼白で、額からだらだらと脂汗が滲んでいる。ダリアが不安げに覗き込むと、涙で潤む緑色の瞳と目があった。

 急いでヘクターも駆け寄り、背中を擦る。


「アネットさん、大丈夫? ……ああ、船酔いね」


 大型とはいえ、商用帆船の激しく揺れる船室。じっと手元のカードを見続けていたのだ。獣たちやヘクターならともかく、只の人間の少女であるアネットに耐えられる筈がない。


「……ごめん……なさい。気持ち悪くて……」

「喋らなくていいから。とにかく甲板に行きましょう。気が付かなくてごめんなさいね。

ダリアちゃん、アネットさんを風に当たらせてくるから、心配しないでね。あなたはその間、ブルーノに絵合わせのルール、教わってなさい」

「うん。アネットちゃん、無理しないでね。

……あれ? でも私、ルールちゃんと解ってるよ? 一応上がれたし」

「ダリアねーさん、今の、勝ててないから」


 ブルーノが呆れたように首を振った。


※※※


 わが祈りの ふさふにあらねど


 やさしき君 ただあわれみたまへ


 心のおくを みたしたまへ



 優しげな讃美歌が静かに聞こえる。

 ぐったりとした身体を船の揺れに任せながら、アネットは歌声に耳を傾けた。



 穢れしものは 焼き浄めまし


 燥けるものに  水注しめまし


 すさべるものは おし和めまし



 大きな胸の中、ゆったりとした歌のリズムにあわせ、幼子のように背をそっと叩かれる。



 倦みつかれしを  癒しめまし


 ひよわきものは 堅めたまひぬ


 彼らに憩ひを 授けたまへ



「『治癒』」


 身体がふいに軽くなり悪寒が遠ざかった。仰ぎ見た先、アネットを抱き背中を擦るヘクターと視線が重なり、思わず悲鳴をあげ飛びすさる。


「うわっ! 放してっ! あ、ご、ごめんなさい。もう大丈夫だからっ」

「……なんだか犯罪者になった気分。元気になったならいいけど。昨夜から様子がおかしいわね。何処に行ってたの?」


 船の甲板、中央辺り。揺れが少なく船員たちの邪魔にならない非常用ボート置き場で、ヘクターに看病されていたようだ。

 アネットはカードをしながらも、昨夜の事で頭が一杯になり、寝不足による船酔いもあって倒れてしまった。


 聞くなら、今。

 拳を強く握り締め、ヘクターの目を真っ直ぐに見据える。


「そのしゃべり方、やめて。聞きたいことがあるの」

「……何があった」


 真剣な顔のアネットに、ヘクターも表情を正し、言葉を素に戻した。 


「なんでヘクターなの? ヘクターって、別の誰かの……人魚の名前でしょ」

「人魚じゃ、ないけどな」


 一体誰から何を聞いたんだ、とヘクターは顔をしかめ、後ろ髪を掻き崩す。


「アネット、黒の魔女って聞いた事あるか?」

「うん。悪いことすると黒の魔女に呪われるって言うよね。実在の人物なんでしょ? 亜人や獣人を虐殺したっていう」

「あいつ、そんな扱いになってるのか……まるで怪物や悪魔みたいだな」


 哀しげに笑い空を見上げた。


「俺はその黒の魔女、ヘクスティアに仕える騎士だったんだ。っていっても晩年の一年間だけだけどな」

「虐殺の魔女の!?」

「その虐殺(・・)があったのは、俺が仕える十年以上前、まだヘクスティアがアネットくらいの年だった頃だ。ヘクスティアは姉のサラサと魔導師の国を作るために魔獣狩りをし、それが今ではヘクスティアによる虐殺という事になっている。……俺に当時の事情はわからないが、出会った頃の彼女は、気が強くて淋しげな黒竜の長だったよ」


 サラサ? とアネットが呟く。

 国の黒歴史として隠された名だ。若い世代には知らされていない。


「俺の上司で黒の魔女、ヘクスティアの略称がヘクター。納得した?」


 アネットは頬を不満げに膨らませる。


「するわけないじゃない。なんで魔女の名前の、それも略称を名乗るのよ。親しかったの?」

「……やっぱり、聞きたい?」


 当然のように頷いた。まだ、人魚と狼の両方がヘクターを名乗っている理由が解らない。


「んー。どう話すかな」


 ヘクターは目を細め、ボートにもたれかかると、昔を懐かしむように話はじめた。


※※※


 それは、アネットが産まれる数年前。


 西の国境から配属された新人騎士は優秀で見目も良く、相当生意気な性格をしていると評判がたった。

 魔女はそれを面白がり、新人騎士を自分の専属護衛騎士に加えた。

 やがてお互い引かれあい、親しくなっていった。


「……嘘。っていうか、誤魔化したでしょ」

「何故わかるっ……とにかく、俺は好きだったし、尊敬して愛してたけどね」


 ヘクターは笑い、話を続けた。


「幸せだったよ、とても。一番守りたい人のすぐ隣に並び、守り続けるのが仕事だったんだから。でも結局、守りきれなかった」


 船の高い柵の隙間からは、青い海が見える。すでに陸地は見えず、ただ大海原に船だけが浮かんでいる。


「……彼女は船から落ち、この海の魔物に捉えられ、沈んでいった。今でも夢に見る。守ろうとした恋人が、助けに行った俺を逆に助けて、微笑みながら遠ざかっていったんだ」


 恐ろしい呪いの魔女は海で死に、人魚になったのね。あの、黒の魔女だもの。人魚になるくらい出来そうなものだわ。

 アネットはそう考え、思い詰めた顔で言った。


「……もし、魔女がまだ生きてたら、どうするの?」


 魔女はまだ生きている。その姿を人魚に変えて。

 ヘクターはアネットの頭を柔らかく撫でる。


「そういうの、昔よく考えたよ。実は助かってて、どこかの島に流されてるんじゃないかって」

「……また、会えたなら」

「そーだな。あいつ、俺より結構年上だったぞ。生きてたらすげー気合いの入ったおばちゃんになってんじゃねーかな。子供を沢山産んで、毎日怒って笑って。淋しいなんて一瞬も思わないような暮らしをしていて。俺の顔を見ても馬鹿にするように笑って、何しに来たのあんた、くらいの事は言ってくれるかもな。

……そしたら、あいつの子供たちに過去の失敗談を吹き込んでやる」


 悪戯を企むように笑う顔が、一瞬くしゃりと哀しげに歪んだ。


「……そっか」

「……そーだよ」


 魔女は死んではいない。が、ヘクターの望むような幸せも手に入れてはいない。もしヘクターが今の魔女と出会ってしまったなら、どう感じるのだろう。


 アネットは話を変えようと、口を開いた。


「あ、そう、それと……ダリアちゃんがその、人魚……じゃなくて魔女とそっくりなのは何で?」

「はあ!? 何でアネットが知ってんのっ!」


 しまった、と両手で口を押さえる。


「……あーわかった。そうか。昨夜、マイヤスに会いに行ってたんだろ。あいつ余分な事話しやがって……ヘクスティアの事だってマイヤスなら知ってて当然だもんな。

ダリアとヘクスティアが似てるのは只の偶然っ! ダリアはうちの店をたまたまバイト先に選んだんだからさ」

「偶然、か。そっか……そうだよね。……ありがと。なんだか無理矢理話させてごめん。すっかり船酔い治ったし、船室に戻るから」

「はいはい。じゃあね」


 偶然……だよね。そう何度も呟き、首を捻りながら、アネットは階下へ降りていった。


「……偶然の訳、ないだろ」


 ヘクターは小声で言う。

 ダリアの父親は兎。母親はヘクスティアの姉、サラサ。ダリアの人間である部分は全て、母親であるサラサと同じなのだろう。

 その為、ヘクスティアと顔も声もよく似ている。


「まったく、アネットは詰めが甘い。結局、俺が何でヘクターって名乗ったのか聞いてないじゃねーか」


 そう言って小さく笑うと、海を眺めた。


 ヘクスティアが死んだのはきっと、この辺りの筈だ。

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