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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
55/99

兎と嫉妬

 公爵家の執事エドゥアールによる、『アネットお嬢様をお預けする事に関しての 、ヴェルガー公より承った言伝て』はつまり『間違いをおこすな』だった。


 公爵はアネットを第一王子ミューラーに嫁がせるつもりだ。しかし何か(・・)が起きてしまえば、それは叶わないだろう。

 ヘクターの狼時代の奔放さを公爵は知っていたが、それでもアネットを同行させたのは、ヘクターに貸しを作るためだ。


 今回の半ばバカンスのような依頼は、アネットが自身のために強引に請けさせたという形になっている。そのためアネットが同行できなくなれば、依頼は別の騎士に回される。

 ヘクターたちをバカンスに行かせてやる代わりに、ヨルドモに戻ったらミューラーとアネットの仲を取り持って貰いたい。エドヴァールは言外にそう匂わせた。


 ミューラーとアネット。兄妹のような二人だ。仲は悪くないが恋愛には程遠く、すぐに嫁がせようにもアネットは若すぎる。数年待っているうちに他家に出し抜かれないとも限らない。

 そのためミューラーと親しいヘクターに橋渡しを頼もうというのだろう。


「ですが最近、殿下に関する少々妙な噂を耳にしまして。調査をさせてはいるのですが……」


 ラウンジの小部屋。ゆったりとしたソファに座るヘクターの横、畏まった姿勢で佇むエドゥアールは言葉を濁した。

 もちろん例のアレ、ミューラー男色疑惑の事なんだろうなあ、とヘクターは苦笑いを浮かべる。


「ああ、全くの事実無根です。ザルバ辺りが面白がって尾ひれをつけただけで、ミューは普通に、女好きですよ」


 俺の女を拐う程度に、とヘクターは小声で付け足した。


「そ、そうですかっ! 殿下が若い騎士を道具や薬で手込めにしただの、市井の男色バーに恋人がいるらしいだの、歓楽街から男娼を城に呼びつけただのは、根も葉も無いただの噂なのですね。輿入れしたアネットお嬢様が傷付くような事にならないのなら、いいのです」


 エドゥアールは一息に言った。

 根も葉も無い……訳ではなく、根と葉は全てヘクターとザルバが付けたものだが、言わぬが花だろう。


「それから……」

「まだ何か?」


 安心したのだろう。エドゥアールは満面の笑みを浮かべ、柔らかに頷いた。


「ええ。公爵様から承っております。もし手を出した場合は、必ず殿下の近衛となり、その後キッチリ男の責任を取る事、だそうですよ」

「はは。……もちろんジョークですよね?」

「ええ幾分かは。ですが、我がヴェルガー家にはまだ長男がおりませんので」


 つまりは、手を出すなら養子になる覚悟で来い、という事だ。

 

「まあ、俺がアネットに手を出すなんて事は、まずないですが……」

「もちろん、そうでございましょうが、もし万が一、ブルーノ様が何かをなさったとしても、同様。ペットの不始末は飼い主の責任です」

「……」


 女性に興味が無いブルーノがアネットに手を出す筈がない。

 そう思ってはいるものの、ブルーノは歓楽街を根城にしていた好奇心の強い子悪党(チンピラ)だ。全面的に信用出来るタイプではない。


 あいつ、何を仕出かすか解らないもんなあ……と、ヘクターは頭を抱えた。


※※※


「ダリアちゃーん。疲れたー」


 ラウンジから真っ直ぐダリアの部屋に向かったヘクターは、ベッドに倒れ込んだ。

 既に入浴を終え、白い寝巻き姿のダリアが、嬉しそうにヘクターの隣に座る。


「あーもう、めんどくさい……。って、アネットさんとブルーノは? ここにみんないるかと思ってたんだけど」

「うん。アネットちゃん出掛けちゃった。雑貨屋さんに行きたいんだって」


 ヘクターはベッドを跳ね降り、カーテンを開けた。

 暗い夜空に頼りなく輝く上弦の細月。


「……もうお店、開いてない時間よね? 部屋に戻ってるんじゃないかしら?」


 ダリアは首を横に振る。


「帰って来たら音と気配でわかるもの。ブルーノくんが追いかけたから大丈夫だとは思うんだけど……ちょっと遅いよね」

「あーもう、私が戻るまで待ってて欲しかったわ」


 耳が鋭い兎人のダリアがそう言う以上、本当にまだ帰っていないのだろう。

 ヘクターはカーテンを閉じベッドに仰向けに転がると、溜め息を吐いた。


 ダリアがアネットを追い掛ければ、夜の観光地を歩く可愛い女の子の二人組になってしまい、危険度はかえって跳ね上がる。

 夜目が効き、世慣れていて、一応性別が男のブルーノの方が適任だろう。いざとなれば『惑乱』を使う事もできる。


 しかし、ブルーノは危険を察っしても、避けずに首を突っ込むタイプだ。

 余計なトラブルを自ら招きかねない。


「ママ、心配?」

「そりゃあ、ね」


 アネットの父は城で暮らす子供の一人で、ヘクターが剣を教えた。そのため、アネットの事は産まれた頃から知っている。

 父に会おうと登城するアネットを、末の妹のように可愛がり、結婚してと言わせたことがある程だ。

 今では『変態犬』呼ばわりをされ、ろくでもない扱いをうけてはいるが、心配である事には変わりない。


 ダリアがヘクターを覗き込む。青く大きな瞳に見詰められ、照れ笑いをした。

 ダリアは思い出したように言う。


「……そういえばアネットちゃん、沢山の魔導具を持って行ってたよ」

「何それっ? 洒落になってないっ!」


 高価な魔導具を沢山持って行くと言うことは、危険を伴う場所へ行くと宣言しているようなものだ。

 少なくとも雑貨屋観光に魔導具は必要ない。


 ヘクターは呻き声をあげた。


「……だからって、今さら闇雲に探しても無駄だよなあ……」


 出掛けてからだいぶ時間が経ってしまっている。ブルーノがうまく危険を回避してくれる事を祈るしかない。


「アネットちゃん、年のわりにしっかりしてるから、大丈夫だよ」

「……あの子、しっかりしてるようで夢見がちだし、下手に気が強いから問題ばっかりおこすじゃない」


 よしっと呟き、身体を起こした。

 ここでモヤモヤしていても仕方がない。取り合えず探しに行こう。


「ダリアちゃん、私、ちょっと……」


 様子を見に行ってくるわ、そう言いかけた時、柔らかな唇が押し当てられた。

 ほんの、短い時間。

 ダリアはすぐに唇を離し、大きな枕を抱き寄せると顔を隠すように埋める。


「ん? どうしたの?」

「……別に。キスしたくなっただけだよっ」


 枕を抱いたまま、ベッドにうつ伏せに倒れる。


「……何、今の。ね、ダリアちゃん? 今の何ですかー?」


 笑いながらダリアの肩に手を差し入れ、くるりと上向きにかえす。が、ダリアはしぶとく枕で顔を隠している。

 しかし枕からはみ出した兎耳が赤く染まり、へにょりと横に倒れていた。


「ダリアちゃん、兎耳がとーっても赤いんだけど?」

「っ! なんでもないっ。もー」


 枕を上にずりあげ耳を被い隠す。しかし白い寝巻きから覗くほっそりとした足までもが色付き、ばたばた暴れている。


「何でもないの?」 

「……うん」

「……」


 しばらくの沈黙。


 ダリアはそっと枕をずらし、様子を伺うように顔を覗かせた。


「……ママ、近っ!」


 すぐ鼻先にヘクターの顔。

 再び重なる唇。

 盾代わりの枕が奪い取られ、首筋まで朱に染まる顔が露になる。


「顔、すごく赤い」


 ヘクターは笑いながらゆっくり身体を沈めた。柔らかなベッドが軋音をたてる。


「アネットさんに嫉妬した?」

「っし、してないよっ! ぜんっぜん」


 へえ、と呟いた。

 すもものような耳朶を口に含み、コリッと音をたて、食む。洗い立ての髪が甘く香り、腕の下に捕らえた兎が小さく悲鳴をあげた。

 舌先を尖らせ顎を伝い、唇を咬む。

 胸から伝わる、互いの心音。驚きに見開かれていた青い目が、そっと細められた。

 身体を重ね合わせたまま、背中の下に手を入れ下方に伸ばす。


「……ん?」


 兎の魔力が動いた。ヘクターは急いで肘を立て、身体を離す。


「ダリア。今、訓練に持ち込もうとした? ……全部、わかっててやってるよな、最近。嫉妬して試して、相手がその気になったら安心して。それでやっぱり何も出来ませんって逃げるのは、ズルいんじゃないか?」


 両腕の間にダリアを捕まえたまま、半目で睨む。顔を真っ赤にしたダリアは、ヘクターから目をそらした。


「……そんなに、怖い?」


 両手を握り顔の横まであげさせ、額に額をコツンと当てる。

 無防備な体勢。返事は無い。


 顎を斜めに落とし、舌で唇を歯列ごと抉じ開ける。ゆっくり深く、息が詰まる程差し入れ、口腔をかき混ぜた。

 静かに唇を離し、再び距離をとる。

 口の間を唾液の糸が細く繋ぎ、銀に輝き揺れた。


「気持ちいい、だろ? ……全部、指先から奥まで、身体中を深くあわせたい。ダリア、俺にくれよ」

「で、でも……」


 ダリアが戸惑う。握りあう指先に力を入れた。


「……嫌?」

「嫌じゃ、ないんだけど……あのね、嫌われちゃうんじゃないかなって、思って」

「なんで? 俺、したら捨てるようなタイプだと思う?」


 初めての女の子に有りがちな答えだ。ヘクターは少し安堵し、優しく尋ねた。そういう事をした過去が無いわけでは無いが。


 案の定、ダリアは首を横に振る。


 捕らえた。

 潤む目元に口づけを落とす。


「あ、あのねっ! 私じゃ、ママがしてほしい事は、痛そうで出来ないと思うのっ! だから、私じゃダメかなって!」

「……痛そうで出来ない? そりゃ、最初は多少痛いだろうけど。ダリア、そこは頑張って耐えてくれ」


 相変わらず、少しずれている。

 女の子が痛がったからと嫌うような男は、かなりおかしいだろう。


「えっ!? ……で、でも私、ママの×××の×××に×を××たり、×××を××で××××たり、×××に××××××を××××だりはできないよっ! そんな事したら、ママが裂けちゃうっ!」


 ダリアが目元に涙を滲ませ、叫ぶ。


「……」


 正直、引いた。

 ヘクターはダリアから身体を離し起き上がると、ベッドの縁に座り両手で頭を抱え、静かに言う。


「……ダリアちゃん。その変態すぎる知識は、誰から」


 室内の温度が下がる。


「えっ。ブルーノくんに本屋で教えてもらったの。ママはオカマさんでこっち側の役だから、こういう事をしてあげるんだよって。でも、あんな道具持ってないし、買うのちょっと恥ずかしくて、まだ用意してないの。

ママ、そうして欲しいんだろうなって思うんだけど、すごく痛そうだし、なんだか怖くて、でもママにしてあげられなくて、嫌われたらと思うと……」


 ダリアはベッドに正座し、拳を握り締め、顔に決意を浮かべた。


「うん。私、覚悟して頑張る。今度、歓楽街のお店でいろいろ買ってくるね。だから、今日はまだ何もしてあげられ……」

「……ふざけんな、ブルーノっ!! 俺は、ダリアにそんな事を要求するほど変態じゃねえっ! っダリアっ!」

「はいっ!」

「じっと、してなさい。何にもしようとしなくていい! 重力操作とかしないで、そこに横になりなさい!」

「えっ! は、はいっ!? ……こ、こう?」

「……じゃあ、いただきます」

「えーっ!?」


 左手でダリアの両手を纏め、頭上に掲げ上げると、抵抗出来ないよう体重を乗せ、右手を背中に回す。


「舌、出して」


 伸ばされた舌に、唾液が一筋、墜とされた。


※※※


 ダリアの耳がクルリと廻る。


 唇を貪り、身体に手を這わせていたヘクターを勢いよく撥ね飛ばした。ダリアは高く飛び上がり、アルコーヴベッドに着地する。


「……兎の身体能力、すげえ」


 まだ、何もできてねーぞ、ヘクターは呆然と腕を伸ばし、呟く。


「ダリアちゃん、ただいま」


 鍵をかけ忘れた扉から、アネットとブルーノが入ってきた。アネットはソファに身体を投げ出し、ぐったりと座る。


 ダリアの兎耳がアネットとブルーノの気配に気づき、急いで逃げたのだろう。

 またかよ、とヘクターは脱力し腕を降ろした。


「疲れた……。ねえ、ダリアちゃん?」


 アネットがダリアをまじまじと見詰める。


「……ど、どうかしたの?」

「ん……。やっぱり、同じ声によく似た顔。

でも、アレはヘクター(・・・・)で、喋り方もやっぱりヘクターで……あーもー、混乱するっ!」

「あ、ダリアねーさん」


 ブルーノが然り気無くダリアに近寄った。アネットから見えないように、寝巻きの背中釦をとめる。


「……ごめん」


 ブルーノが小声で謝ると、ダリアは爆発するように赤くなった。

 アネットが頭をあげ、今度はヘクターを見詰め、言う。


「ね、変態犬、人魚に会った事、ある?」

「人魚? 人魚に知り合いなんていないけど。そういえば前、似たような答えを言った事があるわね……」


 口の中に残るデジャヴ。

 あれは確か、モーリスに『人魚の恋人』と呼ばれた時だった。ヘクターは顎に手をそえ、眉根を寄せる。


「……そう。ダリアちゃん、今日は一緒に寝て。私、もう何がなんだか……じゃあ、おやすみなさい」


 人魚が追いかけて来る気がして、恐いの、と呟き、ダリアをぬいぐるみか何かのように引っ張りながら部屋を出ていった。


「……じゃ、じゃあ、ヘクターさん、僕らも一緒にっ! 邪魔しちゃったみたいだし、僕が代わりに!」

「ふざけんなブルーノ、お前は死ねっ! ダリアにおかしなこと吹き込みやがって! 本気で死ね!」


 飛びかかるブルーノを蹴り飛ばす。


「あー、バレたか。ちょっとした悪戯だよ。でも、して欲しかったらいくらでもしてあげ……嘘、冗談、本気で冗談だからっ!! レイピア止めてっ! それ、切れ味すごいから! キラッキラに光ってるしっ!」

「……痛いと感じる前に、息の根を止めてやるっ! 死ねブルーノっ!」


 魔力に光るレイピアが勢いよく突き出された。


※※※


 マイヤスから『惑乱』が抜け、ようやく意識を取り戻した時、人魚のヘクスティアはぼんやりと月を眺めていた。


「どうしたんです、ヘクター。あのヤマネコのいったことが図星だったのでしょう?」

「……してあげているつもりでいたから」


 切なげな声。マイヤスはそれを鼻で笑う。


「ヘクター。大事な従妹。愚かで馬鹿な妹。あなたを殺すのが、私の仕事です。そうしなければ私は人魚に会うことが出来ない」


 それが兎の最後の報復。

 ヘクスティアは月を見詰めたまま、静かに首肯いた。


「兎はもしかしたら、この国を丸ごと、壊すつもりなのかもしれない。……さすがにそこまではさせませんけどね」


 マイヤスはヘクスティアを優しく抱き締めた。


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