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兎は月を墜とす  作者: hal
残夏の蜜罠
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学者と屍人

 ゆるりなだらかな上り坂。白い砂利が敷き詰められた道の両側に、常緑の高木が植えられ、溢れんばかりに咲く白い花粒からは、甘い香りが強烈に漂った。

 道の片端は崖になっており、遠浅の海が一望できる。太陽はその角度を下げ、橙色の影を海に落とし始めていた。

 潮風が花を揺らし、少女の青いワンピースをはためかせる。


「あの家、ちょっと怖いんだよね」


 一人きりで歩く少女が、少年のような声で呟いた。少女は一人芝居のように、今度は少女らしい舌足らずな声で応える。


「どんな風に?」

「気味が悪い化け物の像が沢山あって、おかしな虫が瓶に詰めてあって。まさしくホラーハウスだよ。ロージーは、そういうの平気な方?」


 少女……ロージーの中の少年……モーリスは身をすくめ、大袈裟に身体を抱き、ロージーはそれに答えた。


「嫌にきまってるじゃない。でも、兎についていろいろ知ってそうな人なんだよね? その家に住む学者って。まずは、ねーさまが本当に兎さんなのか、何で人間の見た目なのかを聞かなくちゃ。次に、あの不思議な力への対処方法を聞いて、最後に、ねーさまにうちに来てもらえる手段を相談するの! ついでに、学者が魔導師だったら、仲間になってもらわないとね」


 仲間になってもらう、とは、ロージーたちの従屍鬼(ペット)にする、という意味だ。

 核を持たない特種な屍人(ゾンビ)であるモーリスとロージーは、屍鬼主(アンデッドマスター)として、他の生き物に(コア)を埋め使役している。また、核のある従屍鬼は、死体から屍鬼(アンデッド)を作り従わせる事が出来る。

 二人は、より便利な従屍鬼軍団を作るため、優秀な魔導師を捕らえては核を埋めていた。


「確か、あそこだよ」


 モーリスが小さな家を指差した。


 海に囲まれた眺めの良い丘の上。青緑の屋根と白い壁を持つ小さな家は、白い花を揺らす高木に囲まれ、木の合間から石像が覗く。


「どれどれ、これが化け物の……あれ? モーリス、これ人魚像だよ。全然、怖くない。むしろ可愛い」

「本当だ。こっちの噴水も人魚になってる。

前に来たの、もう十五年も昔だからなあ。……家の持ち主が代わってなければいいけど」

「とにかく、これはもらって帰ろうね」


 ロージーは悪戯っ子のように笑い人魚像を撫でた。


※※※


「学者さんのお宅ですか?」


 玄関に立ち白い木の扉を叩くと、背の低い中年男性が顔を出した。頭にタオルを巻き、エプロンを身に付け、手袋をはめている。半袖シャツの下から覗く腕には何の陣も刻まれていない。

 魔導師じゃないんだ、と、モーリスがこっそり落胆の声をあげた。


「こんにちわ……ずいぶんと可愛らしいお客様ですね。今、作業中なものでこんな格好で申し訳ない。はじめまして、ですよね。どこかでお会いしましたか? 誰かの紹介ですか?」

「こんにちわ」


 二人は声を揃えて言う。一人の口から二人分の声が一度に発せられ、学者……マイヤスはつい後ずさる。


「僕はモーリス。もう一人がロージーです。二人でこの身体を使っています。覚えていますか? 僕、十五年前に人魚と兎に命を繋いでもらった子供なんですが」

「……ああ、あの時の領主の子供ですか。時が流れるって凄いことですね。あの小さな男の子が今ではこんなに可愛らしい女の子に……って納得しませんよっ! 帰ってくださいっ。私はあなたと関わりたくありませんから」


 勢いよく扉を閉め追い出そうとしたが、屍人の力は強い。難なく扉を抉じ開け、左手でマイヤスの首を掴みあげた。


「ね、お話聞いてくれないと、予定より早く殺しちゃうんだから」


 親指を顎の下に食い込ませながら、ロージーが笑顔で言った。


※※※


 マイヤスの家の中は雑然としていた。

 幾つもの木箱が積み上げられ、紙が貼られている。家具は部屋の隅に追いやられ、椅子は重ねられていた。カーテンの外された窓から、夕風が通り抜ける。


 モーリスとロージーが、木箱に座っていると、マイヤスが台所からジュースを二つ持って来た。それを底を向けた木箱に並べ、マイヤスも向かいの木箱に座る。


「今、引越し準備をしていたんですよ。ですからこんなものしか出せなくて。葡萄のジュースですが。……失礼」


 ジュースを飲み、腫れた喉元をさすり、言う。


「ロージーさんは私の事をご存知ないですよね?私は合成魔獣(キメラ)と人魚の研究をしている、マイヤスです。随分と寄り道の多い性分で研究がおかしな方に行ってしまってはいますが。こう、一人暮らしで学者などやっていると、物騒な事が多いんですよ。ですから扉をつい、閉めてしまって……」


 取り繕うような台詞に、モーリスは鼻を鳴らし笑った。マイヤスは軽く咳払いをして続ける。


「モーリスくん、でしたよね。何故、女の子に?」

「身体が燃えたり腐ったりして、使い物にならなくなる度に交換してるんだ。このままじゃ死んじゃうって子供の身体をもらうの。身体の持ち主も長生きできて、いいでしょ。ロージーは魔力が強かったから、まだ消えないんだ」


 モーリスもジュースに口を付ける。濃い葡萄味の甘いジュース。飲めば余計に喉が乾きそうだが、子供の味覚である二人にとっては、甘くて美味しい。


「それは、今の人魚がやっているんですか?」

「そうだよ。今日もこれから人魚に会いに行くから、伝言があれば伝えるけど」


 腐っても魔女か、とマイヤスは呟いた。


「人魚は今もあの入り江に?」

「うん」


 マイヤスは膝に肘をつき、顎に手をあて黙りこんだ。その様子に焦れたように、モーリスが言う。


「聞きたい事があるんだけど。学者さん、兎に詳しいよね? 僕の友達の女の子に兎の耳が生えてたんだ。目も突然赤くなって、月の力を使ってた。兎って、人間とは全然見た目が違ったはずだけど。どうして?」

「兎さんと友達なんですか。全く、あの子はどうしてこうトラブルを……。その理由を知っても、モーリスくんにはどうも出来ないですよ。兎は兎です。兎さんをどうしたいんですか?」

「……兎にうちに来てほしい」

「モーリスくんが兎を欲しいのは、赤い瞳に魅了されているからです。十五年前の呪いがまだ解けていない」


 呪い、と呟き、モーリスは思い出す。父も自分も、前の兎の赤い瞳に魅了されてしまっていた。


「あれは、前の兎だよ?」

「関係ありませんよ。前の兎は月に帰り、赤い瞳は新たな兎に引き継がれたんです。能力ごとね。モーリスくんは兎さんに逆らう事が出来ません。融合したロージーさんも同じです」

「でもっ」


 モーリスの言葉を遮り、マイヤスは続ける。


「さて、兎さんを家に招いて、どうするつもりですか? 兎さんに魔導師を捉えさせ、人魚の餌を作るつもりなら、止めてくださいね。かわいそうだ。諦めて、遠い場所から兎さんの幸せを祈っていてください」


 マイヤスはそう言うとジュースを飲んだ。つられるようにモーリスも喉に流し込む。


「だけど」

「…ああ、ジュースが終わってしまいましたね。お代わりを持ってきましょう」


 マイヤスはモーリスに話をさせず、グラスをつかんで席を立った。

 モーリスは悔しげに唇を尖らせる。


「あいつ、また、何も言わないつもりだ。前の時ものらりくらり、肝心な事を言おうとしなかったんだ」


 ポケットから二つの真珠、対になる屍鬼の核を取り出し、一つを自らの手の甲に埋めた。


「魔導師じゃないからちょっと勿体ないね。だけど脅しもあまり効かないみたいだし」


 密やかに笑い、ロージーが言う。


「そうだね。でも、ペットになれば本当の事を話すだろうから」


 モーリスはマイヤスに埋める為のもう一つの真珠を握りしめた。


※※※


「葡萄のジュースを切らしてしまって。これは炭酸の入ったジュースです。味は美味しいですよ」


 台所から戻り、マイヤスがグラスを置いた。グラスの側面に貼り付いた無数の気泡が、しゅわしゅわと音を立て上がっている。泡と共に弾ける柑橘類の爽やかな香り。

 小さな歓声をあげ、モーリスは口に含んだ。

 舌先がピリリと痺れる。檸檬の酸味が先程のやけに甘い葡萄ジュースをさっぱりと洗い流す。

 一口、もう一口と小さな喉を鳴らし美味しそうに飲む姿を、マイヤスは優しげに目を細め、眺めた。


「美味しいですか。それは良かった。じゃあ、そろそろ帰ってくださいね」


 満足したなら帰れ、と言うマイヤスに、ロージーが立ち上がり指を突きつける。


「……学者さん、ジュースがとても美味しかったから、最後にもう一回だけ聞くよ。ちゃんと答えてくれるなら、痛くないようにしてあげる。私は兎さんが欲しいの。でも邪魔な狼がいるの。狼から兎を助け出す方法を教えてくれない?」


 指を手で押し退け、マイヤスが口の端を吊り上げる。


「残念。私が狼に兎を預けたんです。ですから、狼から兎を奪う方法なんて教えるわけないでしょう。私とあなたたちは、目的が最初から逆なんですよ」


 不満を顔に浮かべたモーリスが真珠をマイヤスに埋め入れようと腕を伸ばす。マイヤスは木箱から転がり落ち、それを避け、手を一つ打ち鳴らした。

 パンッと高い音が響く。


「っあ……、あ? なにこれ?」


 途端、モーリスは腕を伸ばしたまま、固まった。

 マイヤスは服の裾を叩き、立ち上がる。


「さすが人魚の屍人。口も動かさず、何処から声を出しているんですか? さっき飲んでもらったのは、私のペット、特製の金属スライムです。美味しかったでしょう? なにぶん私は合成魔獣の専門家ですから。

一人暮らしで学者をやっていると、いろいろと危険で物騒なんですよ。モーリスくんは苦しいとか感じないでしょうが、水分が抜けきるまでは、ろくに動けないと思いますよ……人間ならこれだけで死んでくれるんですが」

「っ戻せ、よ!」


 モーリスが叫ぶ。が、マイヤスは気にも止めず、グラスを片付け戸締まりを始める。明るかった室内が急に闇に包まれた。


「ちょっと私も用事が出来たので、今から出かけます。ゆっくりなら動けるでしょう? 私が戻る前に消えなければ、その身体を燃やしますよ。燃えたら身体を交換しなければならないのでしたよね。新しい子供を手に入れるのは、あなたの父親が死んだ今、ちょっと難しいんじゃないですかね」


 マイヤスはそう言って、ニイッと悪魔の笑みを浮かべた。玄関へ歩きながら、ふいっとモーリスを振り返る。


「モーリスくん。あなたは理解していないようですが、今のソレは最後の身体です。どうぞ御自愛を」


※※※


 古城を改築した海沿いのホテル。その格式高いレストランには、古めかしいシャンデリアと、金の浮き彫りを施された天井画、海を眺める大窓が備えられ、出されるコース料理も完璧だった。

 しかし、豪勢な食事を前に、ヘクターたち四人は奇妙な程静かだ。

 アネットは物思いに沈み、ダリアは哀しげに俯き、ブルーノは傍らに佇む執事エドゥアールに緊張し、ヘクターは苦笑いを浮かべている。

 さらに悪いことにメイン料理が蟹だった為、ヘクターとダリアは殆ど食べる事が出来なかった。アネットもブルーノも、あまり喉を通らなかったようだ。


 全員が食事を終えたのを見計らい、エドゥアールがそれぞれに鍵を渡す。


「こちら、ホテルの部屋の鍵になります。私が部屋を用意させて頂きました。お荷物も運ばせてあります」

「全員部屋が別なのっ? 旅行なのにっ!?」


 思わずブルーノが声を上げた。


「ええ。男女二組に分ける事も検討したのですが、なんといいますか……それはそれでお嬢様への教育上不適切になりそうですので」


 男女で分ける。

 つまりは、アネットとダリア、ブルーノとヘクターという部屋割りだ。アネットとダリアはともかく、女性に全く興味がないブルーノをヘクターと同室にする事に戸惑い、苦肉の作で四人別室にしたのだろう。

 ヘクターからしても『惑乱』で意識を奪うブルーノと一晩同室というのは嫌だ。

 もちろんダリアとの二人部屋が都合いいのだが、それはそれで、アネットとブルーノという意味のわからない組み合わせになってしまう。間違いはまず起こらないだろうが、組み合わせ自体が間違っている。

 ……ブルーノやっぱ邪魔だ。とヘクターがブルーノにだけ聞こえるよう、小声で言った。


「ヘクターさん酷い……。ところで、エドゥアールさんって、島まで着いてきちゃうの?」


 ブルーノがヘクターに耳打ちする。


「私は、お嬢様が船に乗るのを見送らせて頂くつもりです。島までは行きませんよ。帰りの馬車を用意し、ハーリアでお待ちしております」


 聞こえていたのだろう、エドゥアールが無表情のまま答えた。やべっ、とブルーノが舌を出し、ヘクターが笑う。


「じゃあ、各部屋に行って一休みしたら私の部屋集合ね。明日の相談でもしながらダラダラしましょ」

「ヘクター様、お嬢様をお預けするにあたり数点、公より言伝てを承けております。この後、ラウンジまで御同席お願いいたします」

「うわあ、やっぱりキたか……」


 ヘクターはうんざりした顔で呟いた。内容はもう想像がついている。


※※※


 面倒な注意をヘクターが受けている間、ダリアたちは先にホテルの部屋に入った。

 ダリアの部屋は一人用だっだが、数人でも眠れる広いベッドと応接セット、壁の窪みを利用したアルコーヴベットを備えており、豪華過ぎて少々寂しい。手早く荷物を片付け部屋を出た。

 隣室、ヘクターの部屋にはまだ人の気配がない。


「あ、ブルーノくん」

「まいっちゃうよね。僕、ああいう礼儀に煩さそうな人は苦手なんだ」


 同じようにヘクターの部屋に来たブルーノはダリアの肩を叩き言うと、軽くため息をついた。


 そのまま二人、ダリアの逆側の隣室、アネットの部屋の扉を叩く。中でアネットは多すぎる荷物をアルコーヴベットに広げ、斜めがけの鞄に魔導具を詰めていた。服装もスカートから動きやすそうなパンツに着替えている。


「アネットちゃん、どこか行くの?」


 ダリアが聞くと、観光案内を広げ答えた。


「うん、ちょっと雑貨屋さんに行こうかなって。ほら、この本にいい店がのってたから」

「へー、私も一緒に行きたいな」


 そう言ったダリアに、アネットは慌てて首を振る。


「ダメだよ、変態犬が戻ってきてダリアちゃんがいないと大騒ぎになっちゃう」

「アネットちゃんがいなくても騒ぐと思うけど……」

「じゃ、僕がついて行く。女の子一人じゃナンパされちゃうよ」


 ブルーノは尻尾を揺らし、からかい口調で言った。


「え? あ、うんっ。絶対それはないわ。私だし。それにほら、見て? このお店、男の子とはちょっと入り辛いじゃない? すぐそこだし、さっさと帰るから大丈夫っ。お願いっ、一人で行かせて?」

「……僕、別に女の子のお店、平気だけど」

「本当お願い! 私は一人で行きたいの。変態犬に、すぐ帰るから心配するなって伝えて! あ、じゃ、じゃあもう行くからっ」


 アネットが二人を部屋から追し出し、強引に扉を閉める。ダリアとブルーノは目を合わせ、そっと頷いた。

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