訓練
我は軍神に 随身する者
その歌は讃美歌の斉唱によく似ていた。
慎重に厳かに、男女の声が重なる。
雷笏にこそ 捏ねあげし
呻吟に充ちた 業を仕出かす
高いドーム状の天球に、歌声が反響する。
窓の無いホール。既に深夜であったが、輝く尖型柱のお陰で昼間のように明るい。
ダリアが歌いながら回る。
円舞台のような黒い石床が、カタンタタンとリズミカルに鳴った。
ダリアは歌うヘクターの背後に回り両手を取ると、躍りを教えるように身体を重ねる。さすがにそれは、と手を払うが、ダリアは強引に握り直した。
この歌にはこの躍りが無くてはならないのだ、そう言うかのように。
戦いながら踊る事なんて無いから、躍りまで覚えるつもりは無いんだが。
引かれるままに躍りを真似、苦笑する。
主の刻は 近くにあり
神怒の刻 また報復の刻
闇黒の刻 また雲霧の刻
奇しき喇叭 鳴りて轟き
いとどしく 雷鳴ふるふ
曲調が激しさを増す。
ヘクターの周囲に太陽のような金の魔力が渦巻き、魔法が構築されていく。ダリアの身体も青白い月の魔力を纏い始めた。
壁に貼り巡らされた結界が魔力を感じたのか、やがてくる衝撃に備えざわめく。
躍りの速度が増し、ダリアがくるくると廻った。ヘクターも左足を軸に同じように回転する。
廻る度に複雑さを増し、積み重なる魔力。ヘクターはようやく、この躍りの意味に気がついた。
これは魔力に形を持たせるための結印。
歌に合わせ全身で踊る事で、より頑強な魔法を構築している。
これ、どんな大魔法だよ。
今までに作り上げた事が無い程、複雑に組み上げられた魔力に、内心焦りながら歌を続けた。
ここはヨルドモの北東地区にある、魔導師学校の鍛練場。強靭な結界が貼られ、魔法への耐性がとても高い施設だ。
ヘクターがダリアから歌の詠唱を教わるにあたり、大きな問題があった。
ダリアはサラサから教わった歌を、躍りと共に百数種類覚えていたが、それが魔法の詠唱だと知らなかった。どの歌でどんな魔法が発動するのか全く判らない。
とりあえずヘクターと相性がいい風か雷に関する歌をと、一曲教えて貰い暗唱したのだが、歌詞から推測するに攻撃魔法のようだ。部屋で迂闊に発動させてはアパートが壊れかねない。
人通りのある昼間、空き地で詠唱するわけにはいかないし、夜中、屋外で実験すれば月にダリアを拐われてしまうかもしれない。
ヘクターだけならば城にある騎士の鍛練場を使うことも出来るが、魔獣の性質を持つダリアが一緒だ。結界に阻まれ城内に入れないだろう。
その為、王子ミューラーに夜間、学校の施設を借りる申請をして貰った。重要な機密実験だ、と言うことにしてあるため、ホール内に立ち会いは居ないが、扉の外では警備兵が構えている。
夜中の学校で魔法練習をする、とダリアに伝えると、ダリアはとても懐かしがり喜んでいた。跳び跳ねるように廊下を歩き、案内の警備兵を不審がらせた程だ。
人みなを 神座のまへに追ひやるべし
かの刻にぞ 微塵と砕け去らむ
暴風雨に 弄され
地は凍てついて しまうた
歌が佳境に入り、太陽と月の魔力の渦は二人を巻き込んで膨れ上がった。
巻き起こる風に、無造作に積み置かれた魔導書が崩れ、頁がバサバサと捲れる。離れて立てられた魔法人形の的が倒れた。
昂る魔力が心地好い。
石床が鳴る軽快な音に、自然と笑みが溢れた。
いかばかり 慄へをののかむ
裁き手きたりて すべてを
業のもとに 断じたまはん
詠唱を終え、ヘクターは急いで床に座り込み『雷』の魔導書を開く。ダリアも興味深げに覗き込んだ。
攻撃意識を魔法人形に向けたまま、目次を読み上げる。
「えっと。『雷』……『落雷』……『招雷』……『青雷』……」
魔力を込め、一行ずつ慎重に指でなぞる。何しろ、今構築した魔法が何なのかが判っていない。
発動キーを一つ一つ、片端から試していく。
「……『轟雷』……『迅雷』……『百雷』……」
時間の経過に魔法が崩れ始めた。焦り急ぎながらキーを読み上げる。
「……『千雷』……『万雷』……『雷龍』……『神笏』……っ!」
轟音。
金の魔力が脹れ、爆発した。激しく揺れる建物。衝撃に目の前が真っ白になる。
身体から魔力が根こそぎ吸い上げられ、ヘクターは崩れ落ちた。
目を開けていられない。脳がぐわんと回る。
「ママっ! 何、今の!?」
「……ゆ……揺らさないでー。気持ち悪い……」
そっとして置いて欲しい。
一回の魔法で殆どの魔力を使い果たしてしまった。今の詠唱は上級魔法、『神笏』だろう。大変強力な魔法だが、使う毎に魔力不足で倒れるようでは使い物にならない。
ダリアが心配そうに覗き込み、言った。
「ね、大丈夫? ママ、『しんしゃく』って、何?」
「っバカッ! キーを読むなっ!」
再び、世界が弾ける。
耳をつん裂く高音。結界が震える。
ダリアの青の魔力が膨れ、結界に襲いかかった。
空気の擦れる音が何重にも響き、結界がズタズタに壊れる。
「な、なんですかっ!? 今のは!」
鍛練場の扉が開き、警備兵が雪崩れ込んだ。
「……気にしないで。ダリアちゃん、迂闊に唱えちゃダメ」
ヘクターがぐんにゃりと倒れたまま言うと、ダリアが項垂れた。
魔法耐性の高い魔法人形は全て溶け、異臭を放っている。天井の結界は大穴が開き、バチバチと音をたてた。
「鍛練場の結界が壊れるなんて……」
警備兵が呆然と呟く。
人間の魔法に対しては絶対の結界だったが、質の違う魔獣の魔力は防ぎきれなかったのだろう。
「……明日、直しておくから……」
だから今は少し休ませて、そう言い終える事の出来ないまま、意識を手放した。
※※※
目を覚ますと自室のベッドに居た。時刻は既に翌朝になっている。
ダリアの重力操作で家まで運ばれたのだろう。凄く格好が悪いな、と頭を掻いた。
また後で、結界を張り直しに学校へ行かなければならない。まだ殆んど魔力が戻らず身体は重かったが。
ベッドを降り、リビングへ向かう。
「だりー。調子悪ーい……っう!」
扉を開けたとたん、鼻を襲う刺激臭。
涙目になりながら鼻を摘まみ、急いで窓を全開にした。
残夏の太陽が、まだ朝だというのに眩しく輝いている。
「おはよ、ママ。ちょっとこれ、冷やして欲しいんだけど」
当て布で口と鼻を隠したダリアが、泥水のような液体が入った瓶を示し、言う。
「それ解毒剤?」
「うん。サイコとか、サポニとか十種類をバランスに気を付けて混ぜて作る薬だよ。痒み止めによく効くの。作るの難しいんだから! これなら高く買って貰えるかなあー」
ダリアは得意気に胸を反らした。製作難度が高い解毒剤を作り、金を儲けるつもりらしい。
何故、ダリアはこんなに必死に、俺に借金を返そうとするんだろう……。別に踏み倒してくれて構わないのに。
妙な所が律儀なダリアに苦笑いをしながら、『冷却』陣を描く為の石板を調理台に乗せる。
「ママ、今日は学校行くの?」
「昼前にね。結界直してすぐ帰るわ。魔力使い過ぎて身体がろくに動かないから、練習はまた明日にしましょ。ダリアちゃん、学校に行きたいの?」
「うん。一緒に踊りたい歌があるから。次は、それやりたいなって思って。……風でも雷でも無いんだけどね」
「どんな歌?」
ヘクターが陣を描きながら訪ねると、ダリアは厳かに歌い始めた。
眠るは罪深き深闇 有偽の狭間
紫の潮の奥戸にひそむ 異形の御神
ひたすらに 触足にひれ伏し
死灰のごと心を 捧げたまいぬ
彼が終焉を まもらせたまへ
坐したまへ 此処 罪人の体に
穢れしものを その寄処に
我が眼前に 召されたまへ
……
「ちょっと、まって、ダリアちゃん本物のバカッ! その歌、召喚魔法でしょっ。しかもちょっとイケナイ化物呼び出しちゃう系のっ!?」
「えー? そうかなのなあ。でもねこれ、二人一組で別々の躍りを踊るのよ。ちょっと楽しそうでしょ? 片方は殆んど床に横たわってるんだけどね」
「それ、生け贄だからっ、魂持っていかれちゃう!」
「ただの楽しいダンスだよ、多分。……そんなに怒るなら違うのにするけど」
ヘクターがジト目で睨むと、ダリアは台所を片付けながら言った。
『冷却』の魔法陣が明滅を始める。冷気を確認してから、ダリアから瓶を受け取ると慎重に陣へ乗せた。
「ダリアちゃん。次は短めの歌をお願い。あんまり複雑なのは実戦向けじゃないから。出来れば『百雷』か『迅雷』あたりがいいんだけど」
「うーん。考えておくね……長い曲の方が沢山踊れて楽しいんだけどな」
この調子では次も大魔法が来てしまうだろう。使い勝手のいい魔法を覚えられるのは、だいぶ先になりそうだ。
にしても、何だってサラサは、魔法の発動キーを教えていなかったんだ?
ダリアが知っていれば楽だったのに、と呟き、違和感を覚え眉を寄せた。
「……ね、ダリアちゃん? あなた、小さい頃、学校に通っていたのよね。当時は魔法が使えたの?」
ダリアの詠唱魔法は、発動はしたものの兎の魔力に塗り潰され、狂ったように結界を引き裂いた。
「魔法が成功したことなんて、一度もないよ! 恥ずかしいくらい下手だったもん」
下手?
「どんな感じだったの? 子供の頃」
「んー。どんなだったのかなあ、自分じゃわかんないや。でも魔法はちっとも使えて無いよ。それに八歳で学校やめちゃったし」
「暴走して学校壊して、ハーリアにいられなくなったんだっけ?」
ヘクターが言うとダリアは頷いた。
人間の魔法への耐性が高い施設であっても、魔獣の魔力には脆く壊れてしまう。ダリアの通う学校が壊れたのはそういう理由なのだろう。
暴走し、兎の魔力が施設を壊した。その為、魔獣の力を持つ事がバレないよう、ハーリアから引っ越した。
じゃあ何故、暴走するまで普通に学校に通えていたんだ。それまでは兎の魔力を使っていなかった?
「……ダリアちゃん、今日は学校で結界を直した後、ちょっと寄り道して帰るから。先にお昼食べててね?」
「はーい」
『自分じゃわかんない』のならダリアの過去を知る人物を当たればいい。
ヘクターは部屋に戻り、外出の支度を始めた。
※※※
訓練所に面した大きな窓が開け放たれ、風が通り抜けた。
ヨルドモ王城内にある、小汚ない第三食堂。
赤蛇の新人騎士カミュは、長机の隅に席をとり、盆に乗せた昼飯を口へと運んだ。
午前にうけた扱きのような訓練に、腕は上がらず胃は食べ物を受け付けようとしなかったが、午後に備え肉をかじる。
騎士団に入り、もう半年以上。
すでに身体は馴れ、食欲が無くても平然と食事が摂れるようにはなっている。
突然、食堂が静まりかえった。
先輩騎士たちは緊張と戸惑いの表情を浮かべ会話を中断し、動きを止める。
食堂の入口。
そこには見覚えのある黒髪の男、ヘクターが立っていた。
普通の市民のような衣服を着てはいたが、眼光は鋭く動きに油断がない。戦いに鍛え上げられた体躯が只の市民では無いことを示している。
もっとも、只の市民はこんな所に来ないだろうが。
ヘクターは食堂をゆっくり見渡し、目線をカミュと重ねると、口の端を上げて笑い悠然と歩み寄って来た。
「おい、カミュ。ちょっと話があるんだが」
目の前にいた筈の同僚は、いつのまにか居なくなっている。空いた席に片手を付き、ヘクターが言った。
「……お久しぶりです。センダーク邸以来ですね。どうしたんですか?」
カミュにとってのヘクターは『幼馴染みの少女と親しい男』であり『二度協闘した強く頼れる狗』だ。
先輩騎士たちが遠巻きに怯える理由がわからない。
ヘクターはくるりと背を向け、食堂から歩き出た。ついてこいと言うのだろう。
昼食の盆を持ち席を立つと、赤蠍の先輩騎士に腕を引かれ盆を取られた。
「飯なんて持っていくな。目の前で食うつもりか? ……いいか、逆らうなよ」
小声で言われ、首を傾げた。王子と親しい、という事は知っているが、恐ろしい相手だという印象は無い。
「……狗の人ですよね? 彼」
「しっ! 早く行けっ!」
食堂の入口の向こう、腕を組むヘクターを横目に、赤蠍が言う。
カミュが食堂を出ると、食堂から盛大な溜め息がいくつもあがった。
「失礼な。俺、今日は何もしてねーぞ」
ヘクターが不満げに呟いた。
騎士団は上下関係に厳しい。
単騎で任務を行う『無色』の、若くしてその第三位『狼』についたヘクターは、他の騎士にとってはかなり特異な存在だった。それが今では役を解かれ、『狗』という騎士よりは名目上、下位の役職についている。
その事を知っている騎士にとっては、大変、扱いに困る相手だ。
廊下を抜け、人気の無い奥庭にたどり着くと、ヘクターは石に腰を下ろし言った。
「聞きたいことがある。カミュ、お前、ハーリアでダリアと同じ学校の同じクラスに通ってたんだよな?」
「ええ。隣の席でした」
「普通の学校か?」
カミュは言葉の意味が解らない、と言いたげな表情を浮かべる。
「……普通の魔導師学校の、特別クラスでしたが」
国軍騎士になるには、優れた魔導師であることが大前提だ。
魔導師の子供たちは暴走の危険があるため、魔法耐性が高い施設で学ぶことになる。そのため、魔導師の学校には、魔導師の才能を持つ子供しかいない。
下っ端とはいえ、騎士であるカミュと同じ特別クラスで隣の席だったのだ。魔法の才能が無い筈がない。
「その頃、ダリアは魔法を使っていたのか?」
「コントロールは苦手みたいでしたが、魔力が凄く高くて。どんなに初歩の魔法を使っても大魔法並みの破壊力がありました。ダリアちゃんはきっと魔導師団に入るだろうと思ってたんですが」
魔法が成功したことが無い、というのはそういう意味か。とヘクターは眉を寄せ、呟く。
学校での詠唱実験。ダリアの魔法は発動直後、兎に塗り替えられた。
確かに、発動はした。
人の魔力を持たないならそもそも発動しなかっただろう。
ダリアは昔、ちゃんと魔法を使えていた。
だからこそ、黒の魔女サラサは自らの知識をダリアに教え込んだのだろう。薬の知識、歌と躍りの知識。
立派な魔女に育てる為に。
百を越える歌と躍りを覚えるのには、相当な時間と根気がいる。
まず只の歌だと教え、コントロールが出来るようになってから発動キーを教えるつもりだったと考えれば、納得がいく。
「歌を歌っていたか? それから見た目はどうだったんだ?」
「そうですね。いつも讃美歌のような歌を躍りながら歌っていました。とても上手で。見た目は……そりゃ可愛かったですよ」
「……そういう意味じゃなくて。どんな格好をしていた?」
「いつも帽子かバンダナをしていて、髪の毛をまとめていました。今とあんまり変わらないです。足が早いのに運動の授業には殆んど出ませんでした。着替えちゃダメなの、と言って」
ヘクターは顎に手を当て、黙りこんだ。
ダリアの外見は昔から兎だったが、人間の魔力を操っていた。兎は暴走時にのみ出る程度で。
「……もういい、かな。邪魔したな。飯くってこい」
ヘクターがそう言うとカミュは一礼し、食堂に戻る。
「ダリアはいつから、本物の兎に変わったんだ?」
ヘクターは青空を見上げ、眩しさに目を細めた。