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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
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快楽

 何が起きたのか、ロージーには理解が出来なかった。


 突然、全てが青に塗り潰され、旋風が巻き起こる。空に堕ちるように下から上へ吹き荒れる猛烈な暴風。

 『雷撃』として練り上げられ、ヘクターを葬る筈だったロージーの魔力が変質し、青い月に吸い込まれていく。

 空気が擦れ、頭蓋にヒビが入りそうな高音が鳴り響いた。立っていられない。床に伏せ魔力の嵐をやり過ごす。と、今度は背中にのし掛かる重力。

 身体が地面に縫い付けられる。平伏し身体を丸め、圧の塊を受け流そうとした。


 粘つく涎が口の端からこぼれる。


 レインブーツが一組、音も無く並ぶ。

 ロージーは鼻を土に擦りながらも、顎を軸に頭を強引に上げ、仰ぎ見た。


 青い兎。


 階段ホールは月明かりに昼間よりも明るく照らし上げられている。

 ロージーの頭上、月光に青く染まり二本の長い耳を揺らしながら、兎の魔物が静かに佇んでいた。


 瞳が赤く光る。


 さらに強まる重圧、全身の骨が悲鳴をあげる。


 ダリアの形をした兎の魔物は楽しそうに微笑んだ。


 この奇妙な魔力は、あの時と、同じ。

 ロージーは思い出した。

 中央広場でアネットとダリアを連れて行こうと転送陣を起動させた時、全てを塗り替え月に飛ばした奇妙な魔力。

 ロージーの中のモーリスも、一つ前の身体を粉々にしたものと同質の魔力だと気付く。


 月がさらに輝きを増す。光芒自体が重さを持っているかのように、ロージーの身体を押し潰そうとする力は倍加した。


 兎が(たけ)る。

 ロージーの首は重圧に負け、土の地面に顔がめり込み、視界が真っ暗になった。


 パンッ! 高い音が響く。

 しかし、ロージーには何も見えない。


※※※


「それ以上はダメだ! ダリア、正気に戻れっ!!」


 ヘクターはダリアの顔を両手で挟み、強く打った。頬を掴み鼻を突き合わせ、ぼんやりと笑う赤い瞳を見詰める。


 兎の赤。


 頭の奥が痺れ、縺れるように意識が揺れる。血が逆流し、心臓が早打つ。

 本能がハッキリと危険を告げ、汗が噴き出し皮膚が粟立った。

 ブルーノの金の瞳に見射られた時と近い、それよりも危うく強大な力。狂わせるのに充分な魔の瞳。


「ダリア! 止まれっ!!」


 もう一度、大声で呼び掛け、強く頬を挟み打つ。

 兎は目を見開き、赤はゆっくりと青に戻った。

 ヘクターは安堵の息を吐いたが、ダリアは青い瞳を何度も瞬かせ、身体を震えさせる。


「……あ、れ? お、おかしい、な?」


 ダリアが呟く。


「身体が、気持ち、いい」


 月はダリアを逃すまいと、その輝きを強めた。ダリアは小さな悲鳴をあげる。


「……暴走しないんじゃなかったのかっ!?」


 兎の魔力を吸収出来る青月石(ブルームーンストーン)は、ブルーノの料金代わりに魔導師へ渡してしまった。

 月はダリアの身体を媒介にし、その輝きを魔力に変換する。ダリアを中心とした魔力の渦はロージーや屍人たちを押し潰し、その余剰を月へと還し続けていた。


 ダリアの身体が浮き上がる。宙を掻くように腕をばたつかせ、地に戻ろうともがいた。

 ヘクターはダリアの腕を掴み、しっかりと抱き寄せると、月明かりに背を向け影に閉じ込める。


「……そうだっ! 青月石は、もう一つある!」


 ダリアの首もとに輝く魔導具。マイヤスが用意したダリアの暴走を防ぐ首輪には、青月石が飾られている。

 ダリアを捜しているのか、月はその明かりを強め、階段ホールを隈無く照らしあげる。ヘクターは壁際の隅、ダリアを閉じ込めるように屈み首輪の石に触れ、しかし躊躇した。


 石を外し、もしも魔導具が壊れたなら、ダリアに触れられなくなる。


「……っ月に盗られるよりましかっ! ダリア! コレに魔力を移せっ!」


 勢いをつけ石を引きちぎり、ダリアの手に握らせた。

 ダリアが力を込めると、青月石が兎の魔力を吸い輝きを強める。

 指の間から刺すような青い光を溢す青月石。ヘクターがダリアの手から取り、宙に投げる。


 ようやく目当てのモノを見つけた、と、月はその光の腕を兎の魔力の塊となった青月石へ伸ばす。

 ダリアの身代わりに、石が空へ墜ちていく。雲間に吸い込まれると、雨雲が月を隠し、階段ホールは闇に包まれた。


 月が去る。

 耳鳴りのような雨音。


 静寂の中、誰も動こうとはしない。

 ただ呆けたように、月の無い空を見上げていた。


※※※


 バー『青兎亭』のある小さな雑居アパート。三階の従業員部屋の自室。


 ヘクターは飾り気無いベッドの上、目を開けたまま横たわっている。身体は疲れてはいたものの、頭が興奮し眠れない。


 壁の向こうでは雨が降り続いている。空気は湿り気を帯び、暑い。

 帰宅してすぐ、風呂で血と汗を洗い流したが、肌は再びじんわり汗ばみ、シーツが不快に張り付く。

 窓を開けたなら風が入り、多少はマシになるだろう。しかし月にダリアを拐われる気がし、家中全ての鎧戸が閉じたままだ。


 数刻前、月が去り暗闇に包まれた階段ホールから、茫然と立ち尽くすダリアと、眠るブルーノを担ぎ上げ、無理矢理に立ち去った。

 ロージーは何も言わず、階段下からヘクターたちを泥塗れの顔で見詰めていた。


 今頃、ダリアはダリアの部屋で、ブルーノはリビングで、それぞれ寝ている筈だ。


 ヘクターは狭いベッドの上、目を閉じる事が出来ずに何度も寝返りをうつ。

 閉じれば、印象的な赤ばかりが頭を過ってしまう。


 ……残忍な人殺し、か。

 ロージーにそう言われたが、反論出来なかった。

 過去、狼として何度か人間を殺している。が、それは計画的な単独任務であって、無造作に何人も切り殺すようなものでは無い。魔導師の王国ヨルドモは、現在平穏な治世にあり、小競り合いはあるものの、大きな戦争等はここ数年行われていない。

 今日のように、生きた人間とあまり変わらない、まだ温かく新鮮な屍人たちを、ただ一人で数十体も切り裂く事はそうなかった。


 反論出来なかったのは、自分の残忍さに気付き始めたからだ。


 目を閉じれば、目蓋の裏に浮かぶ赤い斑。白い壁を彩った複雑な濃淡をもつ血飛沫。床を濡らす血溜まり。辺りに転がり蠢く、細かな肉片。骨。鮮やかな臓物。

 ヘクターの身体を高揚させ快楽に導く、濃厚な死の臭い。


 赤。


 扇情的な、赤に輝く瞳。

 記憶の中で、ダリアの赤い目に吸い込まれそうになる。


 打ち消すように目を開くと、闇に人影が見えた。静かに扉を閉め、音もなくベッドに近付いてくる。


 ヘクターは再び目を閉じ、寝たふりをした。


 華奢な指先が、汗に濡れる額を撫で、頬に伝う。

 ベッドが僅かな重みに傾き、小さな軋音をたてる。絹のような毛束が目蓋に落ち、柔らかな塊が唇へ押し付けられた。

 頬を包む手を掴み、引き寄せ、もう一方の手で身体を手繰りベッドに乗せる。


 ……起きてたの?


 触れたままの唇がそう揺れた。

 そっと離し、言う。


「寝れない」

「……私も。昼寝し過ぎたから」


 ダリアは泣き出しそうな、思い詰めた表情で眉を寄せている。


「そういう顔、するなよ」


 掻き抱くように頬を合わせ、顔が見えないようにした。

 重なる胸に鼓動が響く。

 ダリアの指が、ヘクターの裸の脇腹、屍人に抉られた新しい傷口をなぞり上げた。


「……私、知ってたよ? 前から」


 夏物のワンピースタイプのパジャマ。

 背中に回した手を伸ばし、裾をたくしあげ、小さな尻尾を握る。足を絡め身体を引き寄せ、薄い布ごしに密着させた。


「ママが朝方、疲れて帰って来る日はいつも、血の臭いがするもの。最初の頃は何の臭いかわからなかったけど。大抵は腐った血の臭い。獣だったり、人だったり、いろいろだけど。……強くて、魔導師で。あんな風に蟹と戦うし。だからずっと前から、ママが戦う仕事の人だって気がついてたよ」

「……ただの残忍な人殺し、だ。もう、俺はおかしくなってる。剣を振ると、快感に心が昂って止められなくなるほど、もう壊れている」

「そう」


 ダリアが哀しげに答えた。

 心臓が握り潰されそうに痛む。狂暴な欲がもたげる。

 首輪をつけられた細い首筋に、歯をたてた。

 柔らかく薄い肉。ほんの少し力を込めれば喰い千切れそうだ。

 腕の中、兎が小さく鳴く。逃げようともがかれたなら、ぐしゃぐしゃに引き裂いてしまうだろう。それを願っているのか拒んでいるのか、わからない。


「……力を使うのは、気持ちいいものね」


 予想外の返事に戸惑った。


「今日ね、すごく気持ちよかったの。……ロージーちゃんを潰そうとしてたのに。月の光が身体を通って、力に変わっていくの。それが気持ちよすぎて、止められなくなっちゃったんだ」


 これじゃ狂暴な獣だよね。と、泣きそうな声で言う。


「……首輪、外そうか」


 ヘクターは静かに言った。


 暴走中に意識が残っているのは首輪の性だろう。首輪を外せば、獣に変わっていた事に気付かずに済む。


「やだよ。もし首輪が無かったら、ロージーちゃんを磨り潰して月に吸い込まれてた」


 身体が、震えている。


「……私のこと、怖くない?」


 そう問われ、首を傾げた。

 怖いわけがない。震える兎に怯える狼など、いる筈がない。

 ダリアはよかった、と呟き身体を寄せた。

 腕の中の兎は、狂いかけた狼が恐ろしくないようだ。

 ヘクターも安堵し、強く抱き締める。


「大好きだよ、ダリア。獣だろうと、人だろうと」


 唇を重ね、歯列を舌でなぞる。


「ママ、一緒に居たいなあ。……ずっと、一緒に、居れるといいなあ」


 居ろよ。


 深く舌を差し入れ、絡ませながら言う。

 塩の味が口腔に広がった。


 人殺しの狼と、狂暴な兎は固く抱き合う。

 狼が身体を優しく撫でながら、顔に舌を這わせ涙を舐めとると、兎は安心したように眠りについた。


「……っはあ?」


 兎が静な寝息をたてている。

 狼は困りきった顔になり、どうにか起こそうと唇を深く重ねたが、兎は甘えるように身体を寄せ、幸せな笑みを浮かべる。


「じゃあ、明日の朝、な」


 そう言って狼も小さな欠伸をし、兎に噛みつくと、眠りについた。


※※※


「……悪夢」


 魔導師は呟いた。


「これが悪夢の出口であればいいのだが……」


 店の出入り扉。その取手を握り、開けることを躊躇う。


 もう何年も通い馴染んだ酒場は様相をガラリと変えていた。常であれば、リュートが響き香の焚かれた幻想的で退廃的な店内は、今では沈黙と鮮烈な死で溢れている。


 悪夢が、覚めてくれない。


 魔導師の使用人。店のボーイ。馴染みの常連。店長。リュート奏者。

 かつて彼らであった肉。

 嘔吐を繰り返した為、胃は空になり、喉からは血が滲んでいる。


 この扉を開けたとしても、歓楽街、城塞都市の全域が、同じような悪夢に包まれているのではないか、と恐怖した。


 床に置かれ、割れた照明が点滅する。

 照らし上げられた影が大きく揺らぐ。


 気配を伺いながら、扉を細く慎重に開けた。


 少女の声が聞こえる。


「……ねーさまが、兎だなんて。人魚だと思ってたのに」

「目がさ。人魚の色になったり、兎になったり、訳がわからないよ。僕の知ってる兎は、ずっと赤い目だったんだけど。見た目も全く違うし」


 少女に応える少年の声。階段ホールで会話をしているのだろう。

 隙間を広げ、覗き見る。


「兎なら尚更、人魚の為に連れて帰らなきゃだよね。もーっ! どーしたらいーのっ!」

「……父上なら何か解ったかもしれないね。もう一人、解りそうな人知ってるけど、あんまりあの家には行きたくないなあ……」


 階段に座り一人で話をする幼い少女。

 亜麻色の髪に緑のワンピース。可愛らしい少女だが、泥だらけだ。

 少年の姿はなく、足元には三人分ほど、バラバラの四肢が転がっている。


 魔導師は息を飲んだ。

 少女と目があったように思える。


 急いで詠唱をし、印を結び、『火球』を発動させる。その隙に階段を走り逃げるつもりだったが、足が動かず倒れた。


 『火球』が死体を焼いている。


 少女は火に照らされ、嬉しそうに魔導師へ歩み寄る。


 右手に、真珠。

 魔導師が壊したものとほぼ同じ、真珠。


「初めまして。魔導師は、仲間なの」


 少女が笑った。


 無造作に胸に指が突き立てられる。心臓に真珠が埋め込まれ、意識がぼんやりと濁った。


「よろしくね」


 魔導師は静かに頷く。


 その上衣のポケットには、兎の魔力をたっぷりと吸った青月石。

 ロージーは、魔導師を連れ、ハーリアの船に帰って行った。


 悪夢は終わらない。

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