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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
45/99

飼い主とアヒル

 背の低い二つのグラスを、屑氷を入れた水で満たし充分に冷やす。

 中身を捨て、陶器の氷籠(アイスペール)から大きな氷を選び、再びグラスに入れた。

 目の前には高級で度数の高い蒸留酒の瓶が並ぶ。葡萄、麦、林檎、中には精製を繰返し純度が高められた、白樺の蒸留酒もあった。

 ヘクターは十五年もの麦蒸留酒を選び、グラス中程まで注ぎ入れる。消毒液のような独特の香りが周囲に広がり、琥珀色の液体が蕩け落ち、カランッと音をたて氷が崩れた。

 引寄せられるように鼻を近づけ、匂いを味わう。磯を思わせる、怜悧で濃厚な芳香。


 酒の状態の良さに満足げな笑みを浮かべたヘクターだったが、這い寄る気配を感じ片眉を上げた。


「……ちっ」


 舌打ちし、鼻息のかかる距離まで近寄ってきていた魔導師にグラスを押し付け、脚付き盆(サルバー)と自分のグラスを持ち立ち上がる。

 呑み始めた頃は然り気無く移動し、かわしていたヘクターだったが、避けても避けてもにじり寄る、しつこい魔導師に辟易し、今では堂々と歩いて逃げている。


 酒瓶を挟んだ向かいへ、会話は問題なく出来るが触れる事は出来ない絶妙な距離を取り、座り直した。

 魔導師がグラスに口をつけるのを確認し、ヘクターも一口含む。


「自分の店を持っているとは聞いていたが、巧いものだな。店の名前は何と言うんだ?」

「……」


 魔導師の質問が聞こえなかった振りをし、再び酒をあおる。『青兎亭』に来る事だけは勘弁して欲しい。


 魔導師との会話でそれとなく聞き出し、ブルーノが魔導師の飼い猫であり、今夜の商談の商品はブルーノなのだと確信が持てた。

 しかし会話の合間に挟まる口説き文句と自慢話に、精神力がガリガリ削られている。


 今はもう、この麦蒸留酒が旨い事だけが救いだ。


 当初、乾杯用にボーイが持ってきた発泡葡萄酒は、手付かずのまま放置されている。

 魔導師が呑み干すのを確認してから呑むつもりだったが、こちらの様子を伺うばかりで、口をつけようとしなかった。

 そんな怪しげな酒を呑める筈がない。


 その為、飲物は自ら作り、まず魔導師に毒味をさせている。

 店や魔導師に任せたなら、おかしな薬を飲まされてしまう。


「……ところで、ブルーノはお前の恋人なのか?」


 突然魔導師に問われ、鼻に酒が入る。

 鼻腔を抜ける強いアルコールに涙目になり、ハンカチで押さえた。


「っなわけないでしょ。一緒に遊ぶだけよ」

「しかし、たった一晩来なかっただけで、心配して探しに来たじゃないか。愛が無い遊びは嫌だと繰り返していたのはお前だろう?」

「……あははー。そうねー」


 ヘクターは空笑いをした。

 愛が無くては、などと言ったのは当然、魔導師が鬱陶しかったからだ。


「めんどくせっ」


 口の中で呟く。酒が入らなければやってられない。呑み直すようにグラスを唇に押し当てる。この麦蒸留酒は微かに煙臭く、舌先に甘い。


「それとも余程、ネコの具合が良かったのか?」

「ぶっ!!」


 含んだ酒が一気に噴き出た。

 温厚なオカマのふりも、そろそろ限界だ。


「……なんで俺がブルーノの為に、こんな馬鹿の相手をしなきゃいけないんだ」


 目の前で喋り続ける魔導師をグラスで隠し、独り言を呟きながら酒を煽る。


「……まてよ? こいつより面倒な飼い主なんて、そうそう居ないんじゃないか?」


 今まで、こんなに酷い飼い主に飼われていたブルーノには同情をしよう。しかし、今夜飼い主が変わるのだ。もう、何も問題が無いじゃないか。

 むしろ全て丸く収まった。俺が無理してまでこの魔導師と呑む必要はない。

 帰ろう。


 ヘクターはグラスを置くと、唐突に立ち上がった。


「……ブルーノは新しい飼い主のもと、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。じゃあ私、帰るわ」

「なっ、急だなっ! もう帰るのかっ?」


 ヘクターは構わず入り口にむかう。

 魔導師も立ち上がり後を追い、言った。


「……後一押しだったのに……」

「んなわけあるかっ!」


 つい振り返り、軽く頭を叩く。


「っ! 次はいつ会えるんだ? 店か家を教えてくれないか?」

「もう、会うつもりはないっ。……うわ触んな、気持ち悪いっ!! 抱き付くなっ!」


 魔導師は眉を下げ、すがるような目をし、掻き抱くように両腕を伸ばした。それを素早く避け、杖で牽制しつつ後ろに下がる。と、背後の入り口が突然開いた。


「……ここだったか。ネコを受け取りに来た。あそこだな?」


 男が一人、ヘクターを気にも留めず室内に入る。

 裕福そうな身なりの家鴨(アヒル)のように太った魔導師。


「ちょ、ちょっと待て。アレの事はもう少し……」


 ブルーノの今の飼い主である魔導師が、ヘクターをチラリと見て狼狽える。ブルーノがケージに入っている事を悟られたく無いのだろう。

 しかしアヒル魔導師は靴も脱がず、ずんずんと室内に押し入りケージへ近付く。


 ヘクターは急いで靴を履き、ケージに向かってヒラヒラと手を振った。


「じゃーね」

「あ、ああ。是非また会いに来てくれっ!」

「絶対、会いたくないわー」


 廊下に出ると後ろ手に扉を閉め、壁にもたれ掛かり安堵の息を吐く。


「あいつ、いい飼い主だといいな。ブルーノ、元気に暮らせよ」


 天井を見ながらそう呟いた。


 嗅ぎ馴れた血液の臭い。


 空気が震え、反射的に脇へ跳ぶ。突如横切る塊が、腹部をえぐった。シャツが裂け、革のスーツから血が滲む。

 酔いが急激に醒め、痺れる痛みに思考が鮮明になった。

 二撃目を振りかぶる塊から飛びすさるように身体を離し、杖の持ち手を捻る。


「猛々しき白の神姫ホルティアよ、我が剣に宿りその力を分け与えたまえっ!」


 早口の詠唱。印をなぞり杖からレイピアを引き抜き、薙ぎ払った。

 首と胴が別れ、天井を紅く染める。


 どうやら鈍感になる程に、呑みすぎていたらしい。幸い、腹の傷は浅い。


 狭い廊下は既に血濡れで、十数匹の屍人(ゾンビ)たちがぼんやりと獲物(ヘクター)に向かって集まってきている。

 数は多いが、雑魚ばかりのようだ。レイピアに注ぐ魔力を増やし薙ぐと、あっさり倒れた。

 髭の濃い、海賊刀(カトラス)を持った男。死んでから暫く経つのか血渋きはあがらず、床に黒い染みが広がる。


 振り返り、背面を薙ぐ。


「こいつはさっきのボーイ、かっ!」


 既に頭の割れた、見覚えのある屍人が二つに裂け、白い壁が鮮血に紅く染まった。


「こいつらは、この部屋の!」


 この部屋の前に佇んでいた、ブルーノの飼い主の従者たちだろう。胸に大穴が空いている。四肢を細裂くと濃淡の違う紅が壁を飾る。


「次は、……誰だ?」


 長剣を構えた身なりの良い首の千切れかけた男。ヘクターは切っ先を下げ、剣を誘う。撃ち込まれた剣を凪ぎ、胸を貫く。

 返り血が肌を濡らし、口腔に鉄の味が広がる。


 延々と屍人を切り裂く。

 ここ数ヵ月の連戦のお陰か、人型のモノを刻む事に躊躇は無い。


 一通り刻み終え、ヘクターは神に祈りを捧げると廊下を見渡した。


 各部屋の入口扉は開け放たれ、白い床に血の痕が塗られている。何者かが侵入し、中に居た者を殺し屍人化したのだろう。


「……ボスはあいつか」


 足元で僅かに蠢く、屍人の欠片。ボスを殺さない限り、完全に沈黙する事は無い。


 ヘクターは急ぎ身体強化魔法、『疾風』を唱え風を纏うと、ブルーノと魔導師の居る扉を勢いよく開けた。


※※※


 アヒル魔導師は無言のまま、ケージを覆う白い布を取り払う。

 中にはヤマネコ獣人の青年、ブルーノが静かに眠っていた。睡眠薬を嗅がされているのだろう。顔色は白く、呼吸が薄い。

 アヒルはケージの柵を数本纏め、飴細工のように曲げると、ブルーノの腕を掴み引き摺り出そうとした。


「お、おいっ、待てっ! 商談はどうした? 金は従者が持っているのだろう? 取り合えず金を見せてくれっ」


 飼い主の魔導師が言うと、アヒルはフンッと鼻を鳴らす。ブルーノの腕を離し、飼い主の前に立った。


「……そういえば、お前も、魔導師だったな。お嬢様に会わせてやろう。魔導師を見掛けたら連れてこいと言われている」


 アヒルは飼い主の首を無造作に掴み、持ち上げる。突然の出来事に呼吸が止まりかけ、ゲハアッと息が吹き出た。


「なっ、何を!?」

「魔導師は、仲間だ」


 右手に飼い主を掲げたまま、左手でブルーノを引き摺り出す。

 喉へ刺さる指の圧迫感。飼い主の顔は赤から青へ変化し、口元に白い水泡が浮かんだ。

 逃れようと手を掴み身体を捻れば、指が喰い込み、ますます呼吸は困難になる。次第に目の前が白く掠れ始めた。脳が痺れ、額が急速に冷える。指先から力が抜け垂れ下がる。


 と、突然柔らかな床に投げ落とされた。

 勢いよく血が巡り、喉が開く。笛のような音をたて、空気が肺に戻る。

 床にうずくまり、咳き込みながら口を拭い、揺れる頭をそっとあげた。


 断面から赤黒い液体の染み出る二本の手首。

 その指先を踏みにじる足。

 金属と骨の折れる音が、静まり返った室内に響く。


 呆然と見上げる飼い主と、手首から先を失い目を眇めるアヒルとの間に、左手に光輝くレイピアを構えたヘクターが立つ。


「……あ、今回は指輪じゃなくて、真珠なんだっけ」


 そう呟き、レイピアを軽々と横に薙いだ。アヒルの首が宙を舞い、周囲に鮮やかに赤い液体が飛び散る。


 鼻の曲がるような悪臭。


 飼い主は吐き気に口元を押さえ、床をずりずりと後退した。


「ん。ちゃんと、逃げとけよ」


 ヘクターが赤黒い血斑にまみれた顔で、妖艶に笑う。


 黒く柔らかな髪には、血液がこびりつき、腹部が破れた柄物のシャツは赤く染め上げられている。

 しかし、丹念にアヒルの首を刻み断面を抉じるヘクターは、どこか愉しげで艶やかだ。


「あー、喉にもねーな」


 そう呟き、アヒルから距離を離す。

 途端、首は元通り繋がり、アヒルがヘクターを獣の目で睨んだ。


「……な、なにが? どうなっているんだ?」

「さあね」


 飼い主の震え声に笑いながら応え、ボディバックから魔方陣が描かれた板を取り出すと、長い詠唱を開始した。

 アヒルが不機嫌そうに腕をあげる。

 部屋の入口扉が開き、雪崩れ込む人間の破片。首であったり胴であったりするそれらは、真っ直ぐ室内へと転がり込んだ。


「……う、うわあっ!! 来るなぁっ!」


 飼い主が手近の酒瓶を投げる。瓶は壁にぶつかり砕け、極めて濃い、白樺の蒸留酒が匂いたった。屍人の欠片はターゲットを飼い主に変える。


 ヘクターは口の端を上げ、笑う。

 飼い主を守るように立つと、詠唱を続けたまま魔方陣を脇に抱え、右手の指先で印を結び、左手でレイピアを振るう。

 次第に細かくなる人体の欠片は、それぞれが意思を持つように飛びかった。


「『火球』っ!」


 飼い主が叫ぶ。蒸留酒の染みた床が燃え上がる。

 黒煙。肉の焦げる臭い。黒くなった肉片が宙に浮き、芯を赤く燃やしながら飼い主へ弾け跳ぶ。

 ヘクターはそれをレイピアで叩き落とし、詠唱を終え、右手を陣に重ねた。


「……唸れ! 『風刃』!!」


 風の刃は高い金属音をあげながら、アヒルへ一直線に向かい、その身体を破片に変える。

 赤黒い肉片は天井へ舞い上がり、ボトボトと床に落ち、蠢く。


 ヘクターは肉片に手を入れ、小さな球をつまみ上げる。その途端アヒルであった肉は沈黙した。


 球を服の裾で丹念に拭うと、白い輝きを取り戻した。ヘクターはそれを口へ含む。

 何度か顔をしかめ吐き出すと、飼い主の魔導師に言った。


「……何か、真珠を壊すのにいいモノ持っていないか?」


 入口では未だ炎が燻り、部屋は煙で充ちている。動かなくなった欠片が脂身の匂いを放ちながら、じっくりと焼けていった。

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