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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
44/99

捕縛のうた

「ダリアねーさまっ! ほら、このお店、さっき見かけたの。可愛いよね!」


 ロージーはダリアの腕を強引に引きながら、小さな店を指差し言った。花の装飾が刻まれた黒い扉を開け、ダリアを中へと押し込める。


「……うわあっ」


 店内を見渡したダリアは、思わず笑みを浮かべ歓声をあげた。

 天井から下がる黒いシャンデリア。壁も絨毯も黒く、ほんのわずかな凹凸だけで複雑な蔦文様を浮き上がらせ、随所に飾られたピンク色の小物をアクセントに、大人の可愛らしさを演出している。

 鉄をぐにゃりと曲げて作られた棚には、間隔に余裕を持って並べられた鞄や服飾品、装身具。

 ダリアたち以外に、金持ちそうな男と艶のある女が一組、腕を組み甘えあうように商品を見ていた。


「……でも、少し、高いね」


 ダリアは値札をめくると眉をしかめ、黒いドレス姿の店員に聞こえないよう、小声で言う。


「そりゃそうだよ。ここは高価な事に意味があるんだから。ダリアねーさま、世間知らずだねー」


 歓楽街の中心部にあるここは、働く女たちへの贈り物を、遊ぶ男たちが買う店。中央地区よりも価格がだいぶ底上げされている。


「そっちはダメだよ」


 ふらふらと店内を物色しながら歩くダリアを、ロージーが引き止めた。


「え?…………あ。……なーーーっ!?」

「歓楽街だもの。そういうモノを使う人もいるよ。ダリアねーさまはこっちね」


 真っ赤な顔で固まったダリアをくるりと回し、向きを変えさせる。

 大胆過ぎる雑貨類が視界から消え、ダリアは大きく息を吐き、脈打つ胸を撫で押さえた。


「……ロ、ロージーちゃん、私よりずっと小さいのに平気なの?」

「……平気なわけじゃないよ。でも私、本を沢山読んでるから、ああいうの好きな人がいるって事、知ってるし」


 ロージーも目をそらし、顔を赤らめる。


 飽和した魔力による器の崩壊。人魚がそれを止めるまで、ロージーは殆ど家から出られない子供だった。その当時、手当たり次第読み漁った本から偶々、そういった知識を得てしまった。

 しかし実物を見るのはロージーも初めてだ。

 平静を装ってはいるが、それらがどのように使われるのかを知っている分、ダリアよりも動揺は大きい。


「ダリアねーさま、見てっ。このピアス、すっごく綺麗っ!」


 熱い頬に手の甲を当てながら、ロージーが鍵のかかるショーケースを指差した。

 黒いビロード布の上、等間隔に並べられたアクセサリー類が、シャンデリアの揺れる光にキラキラと輝いている。


 ダリアはその中に指輪を見つけ、つい熱心に見入った。その視線の先を覗き込むようにして、ロージーが笑いかける。


「ねーさま、指輪欲しかったの?」

「……ママにどうかなって思って」


 ダリアが答えると、ロージーは目を見開いた。


「狼に指輪を? なんでっ!?」

「この間、ママにこの指輪を貰ったから、

似た感じのをプレゼントしたら、お揃いになるかなって。最近、カレシとカノジョになったのよ」


 ほっそりとした左手の薬指。そこに光る青い石の指輪を示しながら言った。


「そちらと同じ石で男性用でしたら、この辺りですね」


 いつの間にか隣に立っていた店員が、ショーケースの中の一角を指し示す。

 ダリアのものと同じ青い石がついた、シンプルなデザインの指輪。


「……桁が、多いっ」


 小さな値札を読み、ダリアはうちひしがれた。

 バー『青兎亭』が再開したものの、給料は全て借金の返済に消えている。ささやかな小遣いで暮らすダリアには、手が届く値段ではない。ダリアは指輪を諦めると、店内を再び見回した。


 ロージーは愕然と、口を開けたまま固まっている。

 愛する人魚とよく似た顔、同じ声を持ち、同じ歌を歌うダリアは、ロージーにとって大切な陸の人魚だ。


『あんなやつを彼氏だなんて、ダリアさん、絶対騙されてるよ』


 ロージーの口から少年の声が漏れる。その言葉に、ロージーは深く頷いた。


「ね、ダリアねーさま。狼となんで付き合ってるの? つい流されて絆されたとか? 返せないほどの借金があって脅されたり、何か弱味を握られたりした?」

「……借金は返せないくらいあるけど、そういうんじゃないよ? 私が、ママを好きだから」


 ダリアは恥ずかしそうに俯き目の前の雑貨を手に取り、広げる。


 滑らかな手触りの、黒い絹のフリル。

 これ、手芸用のフリルテープかな、と誤魔化すように呟いた。


 お揃いの指輪を贈りたいのならば、今後、だいぶ節約しなくてはならないだろう。可愛い洋服や雑貨を買うのは諦めて、安い服をフリルテープで飾るなど、工夫しなくてはならない。

 値札を反し見て、ダリアは眉をしかめた。

 素材の性だろうか、想像を遥かに越えて高い。こんなに値が張るのなら、フリルテープ自体も自作する必要があるだろう。

 繊細な作りのフリルテープから縫製技術を盗みとろうと、指先で襞を拡げ、真剣に観察する。


『モーリス、モーリスッ! ねーさまが、凄い下着を選んだっ!』

『っ! あんな、紐みたいな下着を? あれじゃちっとも隠せないじゃないかっ。あんなのを着て、狼の前に立つつもりなんじゃないだろうなっ!?』


 ロージー自身、裸で男の前に立ち、油断した相手に(コア)を埋め込み従屍鬼(ペット)にするという事を、繰返し行ってきた。

 しかし、ダリアが狼の前で凄い下着を身に付け立つのは、意味も目的も結末も違う。


 黒いフリルを眺めるダリアの腕を掴み、ロージーは頭を左右に振りながら言った。


「ダリアねーさま、そんなのはっ! いくら借金が沢山あるからって、そんなの着ちゃダメっ!!」

「どうしたの、ロージーちゃん? 顔が真っ赤だよ? 少し、涙目だし。……少し値段が高いから、これは買えないけど。こういうの自分で作ろうかな、って思って」

「やっぱり、やっぱりそういうのを着て狼とっ!?」

「……ママのためじゃなくて、可愛いから自分が欲しいって感じかな。そりゃ、ママに可愛いって思って貰えたら嬉しいけど……」


 ロージーは力無く床にへたりこみ、ダリアがくすりと笑う。


「どうしたの? 変なロージーちゃん」


 陸の人魚が、狼に毒されている。


「……ダリアねーさま。今すぐ、ハーリアに行こう。ねーさま、完全に騙されてるから」

「騙されてる? 誰に? 仕事があるから、今すぐハーリアだなんて無理だよ。近いうちにアネットちゃん連れて遊びに行くから」

「……今、すぐじゃなきゃ。ねーさま、ごめんね」



 あたらしきつるをもて いざかれをとらえむ


 おお、わがむねの おくどにひとり


 かをいだこう まきつるのうた


 みどりのわをみに まとはせたまへ



 ロージーが外れた音程で歌を歌い始めた。人魚に教わった『捕縛』の歌。


「ああ、懐かしいね。その歌」



 おお、その針は妙にやさしく


 御身によりて あらゆる罪過も


 忘却河のめぐみなす 免さるるなれ


 みもとより 啜りつくさむ口づけ


 まことや彼は 鎖のうちに



 ダリアも声を合わせ、柔らかに歌う。

 そのまま屍人(ゾンビ)たちを引き連れ、踊るように店を出た。


 くるりくるり、雨の歓楽街を歌いながら踊る(ダリア)と、屍人(ロージー)

 詠唱に高まるロージーの魔力。金色の魔力を纏い始めたロージーに、通行人たちは大きく道を開けた。

 人間にはわかりにくいが、もし獣人や亜人がいたならば気が付いただろう。ダリアもまた魔力を纏い始めている。

 青白く狂暴な、魔獣の力。


 月の光は歌劇の照明のように、二人を丸く照らし、廻る傘が青く輝く水滴を飛ばす。



 彼罪人のごと 嘆息を吐き


 咎めのゆえに 面を紅に染む


 彼を捉えたまへ、おん神



 詠唱が終わり、ロージーが腕を振る。魔力は魔法に変換され、『捕縛』が発動し、金の網がダリアを囲む。


 ん?


 ダリアが首を傾げ、月が応える。


 楽しげに細められた瞳が赤く光り、青が金を飲み込む。

 金の網はそのまま青い刃に姿を変え、ダリアの握る傘を飲み込むと、粉々に砕いた。

 傘であった粉は、そのまま雨風に吹かれ、月光に輝きながら宙に溶ける。


「あれ? 傘が壊れちゃった。なんでかな?」


 突如握り手だけとなった傘を、ダリアは不思議そうに見上げた。


「……今、ダリアさん、何をしたの?」


 ロージーの中のモーリスが、震える声で言う。既視感のある光景。驚愕の表情でダリアを見詰める。


「何もしてないよ? 強い風でも吹いたのかなあ。全然、わかんなかったけど。……傘、無くなっちゃったね」


 ダリアはそう言って笑いながら、歓楽街の大通りをひさし伝いに歩く。モーリスも強く頭を振り、嫌な空想を打ち消すと、濡れにくいひさしの下へ移動した。


「ねーさま、何処に向かっているの?」


 迷いなく進むダリアに、ロージーが訪ねる。


「ママのところだよ。多分、あっちの方角だから」

「……方角? どの建物にいるとか知らないの?」

「うん。あっちの方角。詳しい場所はまだわからないなあ」


 ロージーはハアッとため息を吐き、ダリアを見上げた。


「……なーんだ。ダリアねーさまは、歓楽街に遊びに行った狼を探しに来たってだけか。ねー、今頃きっと風俗で遊んだり、他の子と宿に入って浮気してるよー。別に探さなくてもいーんじゃない?」

「それはないよ。ママ、人探しに来てるんだし」


 どーせ嘘だよそんなの、とロージーは不満げに呟いた。


「多分、この辺りじゃないかな?」


 ダリアが土の階段を降り、鉄扉に手をかける。


「……この店、入るの?」

「そっか、ロージーちゃん未成年だからだめだね」


 鉄扉から手を離す。


「ねーさま、本当に、ここに狼がいるの?」

「うーん。たぶん?」

「たぶんって。根拠は?」

「野生の、力?」

「……」


 薄暗い階段ホールに、青い鉄扉が一つ。メニューを照らす蝋燭が風に煽られ、兎と屍人の影を揺らした。


「傘も無いし、ここでママを待ってようかな。ロージーちゃん、猫を貰いに行くのは大丈夫?」

「うん。ネコちゃんはアヒルさんに任せたし。お話でもしよう」


 さすがに野生の堪だけで、歓楽街の建物から狼を見つける事が出来るとは思えない。待ちくたびれてダリアが諦めるまで付き合い、どうにか説得してハーリアに連れ帰ろう。

 ロージーはそう考え、ダリアの隣に並び、壁にもたれた。


 階段ホールから地上を見上げる。

 暗い土壁に切り抜かれた、青い四角。

 雨はまだ降っているというのに、満月の周りだけ雨雲がない。


「……変な、天気」


 ロージーは眉をひそめ、満月を睨みながら小さな声でそう言った。

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