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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
42/99

商談と交渉

「ほら、そろそろ起きなさい。もう帰らなきゃ」


 大きな手が頬を挟み、捏ね回した。


「……あ、れ?」


 押し歪められた口の端から涎が溢れかけ、急いで手の甲で拭う。

 曖昧にまぶたを開くと、形の良い眉骨を寄せ、困ったように笑うヘクターの顔があった。


「起きた? もうとっくに二次審査も授賞式も終わっちゃってるわよ」

「……えっ? もっと早く起こしてよう……」


 ダリアは寝惚け声を出しながら身体を起こし、辺りを見回す。


 そこは、ゴンドリー辺境伯の楽屋。

 壁一面にかけられた大きな鏡に、ソファに横向きに座るダリアと、私服に着替えたヘクター、それから機嫌良く微笑む大柄な貴族、ゴンドリーが映っている。


 一気に眠気が吹き飛んだ。


 緊張と疲労にすっかり眠ってしまい、コンクールの二次審査をすっぽかしてしまったらしい。

 当然、優勝などできるはずはない。


「うわあ、一攫千金が……。あんなに一生懸命お祈りしてきたのに」

「お祈りって、ブルーノのためじゃなかったのっ!?」

「朝はカクテルコンクールの方が心配だったから。コンクールで優勝して、ついでにブルーノくんも帰って来ますようにって。こうなるんだったら、ブルーノくんの方をしっかりお祈りしたらよかった」


 兎耳が力無くしおれ、俯いたまま言う。


「……ママ、ごめんなさい。借金、返せなかった」

「別に急いで返さなくてもいいって言ってるじゃない。ゆっくり、何年かタダ働きしたらいいだけよ」

「……タダ働き」

「食事は出してあげるし、お小遣いもちゃんと渡すから。ダリアちゃんは今まで通り、ずっと私の家に住んで、のんびりしてればいいの」


 ヘクターが意地悪で優しげな笑みを浮かべ、ダリアの頭を撫でた。

 ああ、成る程、とゴンドリーが呟き、ヘクターとよく似た笑みを浮かべ、言う。


ヘクター(・・・・)。お前にかけられた『黒い魔女の呪い』はもうすっかり解けているんだな」

「……うるせー、デブ」

「これは贅肉ではないっ! 日々鍛え上げ研ぎ澄まされた筋肉だっ!」

「使い道の無い暑苦しい肉なんざ、全部駄肉だ」

「使い道なら充分あるぞ。肉体美の虜となる美女がそこら中にいるからな」


 ゴンドリーが力コブを得意気に作るが、ヘクターは一瞥もせず、ダリアをソファから立たせる。


「さ、ダリアちゃん、こんなのと同じ部屋にいたら、頭が悪くなっちゃうわ。着替えて家に帰りましょ」

「はーい」


 そのまま部屋を出ようとする二人にゴンドリーが近寄ると、ダリアは慌ててヘクターの影へと隠れた。


「……すっかり嫌われてしまったな。そうだ、ダリアさん、ヘクター。この辺りにある旨い店で、夕飯を食べないか? 先程の言い訳を言わせてくれ」

「嫌だわ。駄肉と夕飯だなんて、食欲失せちゃう」


 ヘクターが口の端を上げ嘲笑うと、ゴンドリーは大袈裟に項垂れるふりをしながら言った。 


「……昔のシャオ(・・・)は、あんなにも素直で愛らしかったのに。すっかり口も気味も悪いオカマのおっさんに……。飯くらい普通に付き合えばいいじゃないか」

「気持ち悪さもおっさん度合いも、ゴンドリー伯(・・・・・)の方がずっと上なんじゃないかしらっ! それに私、今夜は用事があるのよ。ちょっと会いに行かなくちゃならない相手がいてね。

ダリアちゃん、更衣室で早く着替えてきなさい。もう時間が遅いから。……間に合わなくなっちゃうわよ」


 急がなくちゃ、とダリアは呟き、顔色を青くして更衣室へと走った。


※※※


「……流石に、暑ちぃ……」


 劇場から従業員部屋の自室に帰ったヘクターは、そう独り言を言いながら、柄物の長袖シャツを羽織りボタンをとめた。

 シャツの下には黒い革製のスーツ。やたらと頑丈だが通気性が悪く、とにかく暑い。

 正直着たくはないが、魔導師を相手(・・)にしなくてはならない可能性がある。念のため、準備はしておいた方がいいだろう。

 足に付けた装具を調整し、塗りもので顔の火傷痕を薄くする。腰にボディバッグをつけ、魔方陣が描かれた黒い板を数枚差し入れた。


 歓楽街で浮くことのない、軽薄な青年風の服装に着替え終え、自室を出る。

 リビングでは、動きやすそうなワンピースとヒールの低いブーツを身に付けたダリアが、肩掛けの小さな鞄に、包帯や塗り薬、オヤツの果物を詰め込んでいた。


「……駄目よ」


 ブルーノを一緒に迎えに行くつもりなのだろう。ヘクターはたしなめるように言う。


「連れていけるわけ、ないでしょう。ブルーノに呼ばれた場所、ダリアちゃん向けじゃないお店なんだから」


 歓楽街の退廃的なバー。

 ダリアなら壁に描かれた官能的な絵画を見ただけで、挙動不審に陥るだろう。


「……ついてくもん。だって、ブルーノくん、私に助けてって言ったんだよ?」

「ちゃんと私が連れて帰ってくるから。信用して待ってなさい」

「でもっ。何かあったら大変だし、私にもできることがあるかもじゃないっ」


 何かあったら大変だから連れていきたくないんじゃないか。

 そんな当たり前の事さえわかっていない楽天的なダリアを軽く小突く。


「だーめ。ブルーノにあんな事した人と、話し合いしに行くんだから。ダリアちゃんじゃ何も出来ないわよ」

「……そっか……あっ!!」


 ダリアが突然何かを思い付いたかのように、大声を出した。


「そうだ、あれ、持っていったらいいよっ!

ママ、部屋入るねっ!」

「あ、うん。いいけど」


 ダリアはヘクターの部屋に入り、本棚に乗せられた青月石(ブルームーンストーン)を手にした。

 兎の祭りの日、暴走しかけたダリアを抑える為にマイヤスが使った青月石。仄かに輝くそれは、ヘクターの部屋で只のランプ代わりになっている。


「ほら、これっ。持っていってよ。小さいからポケットに入るし」


 青月石はダリアの手のひらで、静かに青い光を放っている。


「……これって、あの白い水かけないと、力が引き出せないんじゃなかった?」

「そうなの? 力とかはよくわかんないけど。宝石は交渉(・・)に使えるでしょ?」


 ダリアが青い目を弓形に細め、笑った。


 何をどこまで気がついているんだ?

 世間知らずで鈍いタイプだ、と思っていたダリアから出た、『交渉』という似合わない単語に驚かされる。

 飼い猫として扱われているブルーノを連れ帰る、という事は、金銭的な『交渉』になる可能性が高いだろう。


「青月石、珍しいものね。売ったらそれなりの価格になるだろうし……」

「ね。御守り代わりにもランタン代わりにもなるから便利だよ。私だと思って持っていって!」

「……ダリアちゃんだと思ったら交渉には使えないじゃない。そうね。じゃ持っていくわ。その代わり、ダリアちゃんはお留守番してるのよ?」

「うんっ! ママ、頑張ってね!」

「……」


 ダリアが嬉しそうに手渡す青月石を、ヘクターは何処か腑に落ちないといった表情で受け取る。


 ヘクターがシャツのポケットへ青月石を仕舞い入れるのを見届け、ダリアはこっそりと、悪戯っ子のように笑った。


※※※


 暗く濁った灰紫色の空から落ちる、引き出したばかりの絹糸のように細い雨。


 今夜の歓楽街は人通りが少なく、僅かな客を奪い合い、呼び込みが声を張り上げていた。ぬかるんだ地面は水溜まりだらけで、人々は土の飛沫を跳ねさせながら早足で通りすぎる。


 ヘクターは左手に傘をさし、右手で杖を突く。

 ザルバ製の魔導具でもある足の装具のお陰で、歩くだけであれば杖は必要無い。しかし杖にはレイピアが仕込まれているため、できる限り持ち歩いていた。

 周囲から違和感がない程度杖に頼り、傘で顔を隠しながら目的地へと歩く。


 地下へ続く土の階段を降り、青い鉄扉の前に立つ。重い扉を強く押すと、ゆっくりと音もなく開いた。


 白を基調とした退廃的な店内。

 甘い香の臭いと、異国風なリュートの音色。神々の淫猥な壁画に、薄く透ける白いカーテン。

 店内を見回したが、ブルーノもあの魔導師も見当たらない。ダリアなら、ブルーノの居場所をすぐに察知出来るのだろうが。


 ヘクターは毛足の長い絨毯にはあがらず、案内に来たボーイに話しかけた。


「ネコちゃんと、待ち合わせなんだけど」


 過去に何度か見た覚えのあるボーイはヘクターを眺め、ああ、と呟くと、営業用の笑顔を浮かべる。


「では、こちらへ」


 壁画の一部を覆う緋色のカーテンをボーイが引くと、そこに細い廊下が現れた。

 案内されるがままに、ボーイの後ろを歩く。廊下にはいくつもの黒い扉が並び、使用人が立っている部屋もある。表のフロアからは想像も出来ない奥の広さに、ヘクターは感嘆の息を吐いた。


 ボーイは使用人が二人佇む部屋の前で立ち止まった。


「こちらになります。ごゆっくりどうぞ」


 そう言われ、促されるままにヘクターは扉をノックする。

 返事を受け扉を静かに開くと、広々とした室内に驚いた顔の男が一人、紫煙を揺らしながら座っていた。

 仕立ての良い、上質なシャツを纏い、袖口から魔法陣の刺青を覗かせた、まだ若く裕福そうな男。ブルーノとこの店に来るとほぼ必ずいる、あの魔導師だ。


「……しばらくぶりだな! どうした、何故ここに?」

「こんばんわ、お久しぶりね。ここ、お邪魔してもいいのかしら?」


 ヘクターは部屋を見回しながら応える。


 靴を脱いで上がるタイプの、白く広々とした室内。低い位地に置かれた照明が妖しげな光を放っていた。

 部屋の隅に布がかけられたケージが置かれている。おそらくあの中にブルーノがいるのだろう。


「おお、こちらへ来い。話し相手が欲しかった所だ」


 魔導師が隣を叩きながら嬉しそうに言う。


 靴を脱ぎ、絨毯へと上がる。

 床の跳ねるような柔らかさに驚かされ、背筋に冷たいものが走った。何も気がついていないふりをし、魔導師の向かいへと座る。

 もっと近くに来い、と、不満げな顔をされたが、『花』の事を調べている時に散々口説かれた相手だ。この床全体がベッドのような部屋で、近くに座りたくはない。


「昨日も今日も、ネコちゃんが遊びに来なかったから、ちょっと気になって。お店に来てみたらここに通されたんだけど、ネコちゃん、居ないのかしら」


 ヘクターは甘えるような口調で言う。


「いや、ここには居ないな」


 魔導師の視線がケージへと流れたのを確認し、ふーん、と呟いた。


 まあ、この状況じゃ、言わないよな。ブルーノが居る場所わかったし、外で待ってりゃいいか。

 そう思い、一旦引き上げようと腰を上げる。


「そ。じゃあ、帰るわ」

「……ブルーノはお前のところに行っていたのか?」

「ええ、ここ最近はずっと、うちに遊びに来てたのよ」


 店の従業員としてだけどな、と口の中でつけたし、笑いながら立ち上がる。

 すると魔導師は慌てたように言った。


「じゃあ、連絡先を教えてくれ! ブルーノにお前が来たことを伝えておくから」

「……なんかおかしくない? ブルーノ、私の家、知ってるし。別に伝えてもらわなくても大丈夫よ。じゃあね」


 入り口にしゃがみ、靴を履こうと手に取ると、魔導師は立ち上がり大きな声を出す。


「待て待てっ! せっかくだから一杯くらい呑んで行けっ! 好きな酒を奢るぞ」

「でも待ち合わせなんでしょ? お店の人が言ってたわ」


 ヘクターは魔導師の諦めの悪さに苦笑しながら言った。


「いや、相手が来るまでの間、話でもしていけばいいじゃないか。何しろ独りでは寂しくてな」

「……相手ってどんな人?」

「ああ、ただの商談相手(・・・・)、お前とは違う、不細工な男だ」

商談(・・)……ね」


 この国では貴重な、ヤマネコの獣人ブルーノをケージに入れ、近くに置いた状態での『商談』。

 取引される商品が何なのかは、考えるまでも無いだろう。

 ヘクターは靴を戻し、先程と同じ場所に座る。


「……じゃあその商談相手さんが来るまでなら、いいわよ。その代わり、お酒は同じ物を二つ頼んで、一緒に呑みましょう」

「何故だ?」

「だって、あなた私が呑むお酒に薬とか入れそうだもの」


 ヘクターが笑いながらそう言うと、魔導師も間を空けて笑った。


「……ははは、まさか」

「……あはは。そんなこと、するわけ無いものねえ」


 ははは、と二人、乾いた声で笑いあう。


 本当に薬を盛るつもりだったのか……。

 こっそり腰を浮かし、ほんの少し、魔導師との距離を離した。

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