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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
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魔獣

「ダリアちゃん。パーティーホール、こっちじゃないけど? 二次審査に間に合わなくなっちゃうわよ」


 壁面に手を当て、薄暗い廊下を奥へと進むダリアに、ヘクターが言った。ダリアは長い兎耳を横に倒したまま振り返り、立ち止まる。

 ゴンドリー辺境伯の楽屋を出てから、ダリアはずっと浮かない表情のままだ。


「……ダリアちゃんのお父さんとお母さんは、兎人と人間だけど、ちゃんと愛し合ってた事は確かなんでしょ? だったら、辺境伯が言ってた事の方がおかしいんだから。気にしないで、大丈夫だと思うわよ」


 むしろ、何故ヘクスティアが、『サラサは兎に殺された』と言ったのかが、気になるけどな。

 そう口の中で付け足し、ヘクターはダリアの兎耳を軽く叩いた。


「……そうだね。兎人に殺されてないしね」


 ダリアは気持ちを切り替えようと、頭を強く振る。そしてヘクターを見上げ、言った。


「あのね、ママ。ブルーノくんがいるっぽいの。劇場に」

「は!? やっぱりここに来たって事?」

「うん。だから、お迎えに行ってからホールに戻ろう? ……なんだか様子がおかしいし。ここに魔力をつけた跡が残ってる。それから、あっちにも」


 ダリアが数歩先の壁を指差し、そこへ歩いた。


「……ブルーノが、誘導してるの?」


 ダリアが頷く。

 気合いが入れ直された兎耳は、高く立ち上がり、しっかりと前方を向いている。


「ママ、行こう」


 ダリアが左手を壁に沿わせたまま右手を伸ばし、ヘクターの指に絡めた。ほんの少し緊張に汗ばんでいる。


 進むにつれ回廊はさらに暗くなる。

 ヘクターの感覚では捉えられない何かをダリアはしっかりと掴んでいるのだろう。歩みは遅いが、複雑な道順を迷い無く進む。

 やがて薄暗い回廊の突き当たり、関係者以外お断りと書かれた厚い木の扉を躊躇せず押し開けた。


 扉の先の通路は完全な闇に包まれている。


「……暗いわね」


 ヘクターはそう呟くと、杖からレイピアを引き抜き起動させた。魔力で作られたレイピアの刀身が輝き、辺りを白く照らす。


「……舞台の、裏かしら?」

「私、始めて来たよ、こんなところ。すごいね……」


 扉の先、奥へと続く通路は、大人三人が両手を伸ばせるほどに広い。しかし両側にうず高く積み上げられた紙製の彫像や木組みの家具、張りぼての老木の圧迫感に、狭く感じさせられる。

 レイピアを高く掲げ、注ぐ魔力を強める。

 通路の闇が取り去られ、立ち並ぶ大道具の影に、小さな扉が見えた。


 ダリアはヘクターの手を離れ、扉の前へ小走りに向かう。そして、鼻をヒクリと揺らし立ち止まった。

 ヘクターが扉に貼られたプレートを読み上げる。


「小道具部屋、ですって」

「ママ、酷い臭いがする……」

「……ああ確かに、なんだか青臭いわね。これは……『花』の臭い?」


 ヘクターはそう言うと、取っ手を掴み、扉をそっと開いた。


 開いた隙間から溢れるように鼻を刺激する異臭。

 レイピアをかざしながら中を覗きこむ。


 狭い小部屋の壁に添えつけられた、背の高い大きな棚。演劇で使われる小道具が整理され並べられているようだ。

 ヘクターは部屋に入り、足元に置かれた異国のランプに明かりを灯した。

 橙色の明かりに小道具が艶かしく照らし上げられる。


「すっごいわね。これ。変わった物ばっかり。これなんか、何でこんな形しているのかしら」

「それっ! 触っちゃダメっ!」


 棚に並ぶ奇妙に尖った燭台に触れようとすると、ダリアが小道具部屋に飛び込み慌てて止めた。

 ヘクターにしがみつくダリアの顔は蒼白で、吐き気をこらえるように唇を噛んでいる。


「どうしたの? 大丈夫? 臭いがダメなら、部屋から出た方が」

「……大丈夫。ママはこの部屋の物、触っちゃダメだから」

「え?」


 ダリアは棚の前に立ち眉をしかめ、背伸びをしながら燭台をつまみ、床においた。続けて棚から奇妙な形の置物や小道具を十点ほど選び、燭台の隣に並べる。

 最後に、積み置かれた小さな神像画(イコン)から一つを選び出し、見つけた、と呟き抱え持った。


 棚から一歩脇へ移動し、今度はラックに掛けられた衣装を眺める。

 眉根を寄せ顔をしかめると、中から一枚、透けるように薄いショールを選び出し神像画に掛けた。


 ラックから離れ、腕の中の物と床の小道具を交互に眺め、考え込む。

 そうして再び唇を強く噛み、床の小道具を棚に戻しはじめた。


「ダリアちゃん?」

「……こっちはハズレ。これがアタリなの。だからハズレを棚に戻すだけだよ」

「ハズレと、アタリ? すごく汗かいてるわよ。顔色も悪いし、私が戻すから」


 ヘクターが足元の小道具を拾い上げようとすると、ダリアが止める。


「私がやる。ママは触らないで」

「何で? これ、何があったの?」

「……これは、ブルーノくんにつけられてた首輪。だと思う。汗の臭いがついてる」


 床から鎖のついた革製の首輪を拾い上げ、棚に戻す。じゃらり、冷たい金属音がやたらと大きく響いた。


「こっちのは、口に入れられてたのかな。涎の臭い。この燭台は、汗と、血がついてる。

これには……体液」


 声が震え、裏返る。


「あの布は全部、床に敷かれてたみたい。土の臭いと、ブルーノくんと別の人の臭いがいっぱいついてるの。それからこっちは……」

「……ダリアちゃん!?」

「鼻が、良すぎるから。私。ブルーノくん、この部屋でヤマネコの力は使わなかったんだね。……『惑乱』使ったら逃げられそうなのに、逃げれない状況だったのかな」

「体液……」

「……うん」


 ダリアが項垂れた。

 魔獣の鼻に、特殊な匂いは誤魔化しようがない。ダリアにはこの部屋で何が行われていたのか、扉を開けた瞬間にわかってしまっていた。


「ダリアちゃん、部屋から出てなさい。私が片付ける」

「でも、ママに臭いがついちゃう」

「……いいから」


 ヘクターはダリアを部屋から押し出し、ランプを部屋の外に置く。ダリアは力が抜けたように床に座り込んだ。


 世間ずれしていないダリアには、この部屋で行われた事はキツすぎる。

 ヘクターはレイピアで周囲を照らしながら小道具をつまみ上げ棚に戻し、急いで小道具部屋を出た。


「片付けてきたから。手を洗いに行きましょう」

「うん。……ブルーノくん、居なかったね。

魔力跡は、ここで途切れてるの」

「……そう」


 ブルーノはここから何処かに連れて行かれてしまったのだろう。

 レイピアの明かりを頼りに、二人は疲れた様子で暗闇を抜け、手洗い所へ向かった。


※※※


 ダリアの前髪が濡れている。手洗い所で顔も洗い、平然とした表情を作ったのだろうが、顔色は悪い。


 ヘクターが出てくるのを待っている間、小道具部屋から抱いて持ってきた物を見詰めていたようだ。


「それは、何?」

「わかんないんだよね。これがアタリの筈なんだけど」


 何かのクイズなのかな、と呟いた。

 夜の神の神像画と、薄く透ける白いショール。


「これに、ブルーノくんの魔力が沢山ついてる。壁の魔力跡とおんなじ感じでね。布には汗もついてるけど、絵にはあんまりついてないの」

「……獣の魔力ってどうやってつけるの?」

「触って、魔力を込めるんだよ。うん。だからたぶん、これはこうやって魔力をつけたんだと思う」


 ダリアは神像画を布でくるみ、抱きしめて見せた。


 薄い、布ごしの神画。

 見覚えのある光景が脳裏を横切る。


「ああ。成る程ね。ブルーノが私を呼んでるみたい」

「どういう意味かわかるの?」

「ええ、これは、ブルーノとよく行った店の事を指してるんだと思うわ」


 壁面に淫靡な壁画が描かれ、薄く透けるカーテンが幾重にも垂れ下げられた、歓楽街の退廃的なバー。

 その店に来い、とブルーノはヘクターとダリアにしかわからない方法で伝えたのだろう。

 そしてこれは夜の神。夜の刻という事だろうか。


「ダリアちゃん。今夜、ちゃんとブルーノを連れて帰るから。あなたは心配しないで待ってなさいね。今日中にブルーノと会えたなら心配しないでいいんでしょ?」

「……ママ、私も行くよ。助けに」

「だーめ。絶対」


 ダリアが不満げに唇を尖らせ、私に助けてって言ってるのに、と呟いた。

 ヘクターは聞こえないふりをし、話を続ける。


「確か昨日、ブルーノは警吏から逃げてたのよね? 迷子の飼い猫を捕まえようとしている感じの」

「うん」

「てことは……」


 ヘクターは歓楽街のそのバーで出会った、魔導師の男を思い出していた。


 ブルーノについて俺が知っている事なんて殆ど無いから、見当外れかもしれないが。

あいつが猫の飼い主で、飼い主の魔導師が、獣人に対してそういう扱いをしているのなら。


 腕を組み考えるヘクターの前、ダリアが小さなため息を吐く。


「ダリア」


 名前を呼ばれ、青い大きな瞳が瞬き、長い兎耳がくるりと回る。


「ほら」


 そう言うと、ヘクターはダリアを幼い子供をあやすように抱き上げた。


「ちょっと休みなさい。疲れたんでしょ?」

「……うん、少しだけ」


 ダリアはヘクターの肩に頭をもたれさせる。暖かさと柔らかな心音。背中を擦る手の心地良さに静かに目を閉じる。


 ヘクターの腕の中。魔獣の少女の身体から緊張が抜け、小さな寝息が聞こえはじめた。


※※※


 魔導師を、人間を、嫌いにならないでくれ。


 そう聞こえた気がして、少し、意識が戻る。


 背中の感触から、柔らかく大きなソファに寝かされていることに気がついた。

 肌触りの良い布が身体に掛けられている。


「……シャオ(・・・)、隣の楽屋が空いている。そちらへ」

「ああ」


 ゴンドリー辺境伯と、ヘクターの声。


 ダリアは寝惚けた頭で不思議そうに呟き、笑った。


 シャオ? シャオって、西の国の言葉だよね。ちびすけって意味の。変なの。

 ママ、あんなに大きいのに。


 ダリアの呟きはゴニョゴニョと寝言に変換され、楽しげに緩む頬を大きな手のひらが撫で上げる。


 丁寧に掛け布が整えられ、気配がダリアの隣からそっと離れると、扉の閉まる音がした。


※※※


「サラサ様、ではなくダリアといったか?

あの娘はシャオ(・・・)の知り合いなのか? シャオが私に会うついでに、無粋な邪魔をしてみただけかと思ったのだが」


 ゴンドリー辺境伯に割り当てられた楽屋の、隣。大きな鏡が壁に掲げられた、ほぼ同じ内装の楽屋。

 ゆったりとした布張りのソファに、ゴンドリーとヘクターは向かい合わせに座る。

 ゴンドリーはヘクターをシャオ……ちびすけと呼び、シャオ(・・・)はその事を特に気にも止めず聞き流し、答えた。


「ダリアは、うちの従業員で、俺のだ。同じバーテン服だろ? おっさんの癖にみさかいなく手を出そうとすんな、ケダモノ」

「……お前がそれを言うか。ダリアは本当に、サラサ様ではないんだな? なら何故あんなおかしな格好を?」

「あー。……うちの店が『青兎亭』だからかな」


 ゴンドリーは馬鹿馬鹿しい、と言いたげに笑った。


「すっかり騙されたぞ。兎の格好など、サラサ様の嫌がらせだと思うじゃないか。サラサ様なら、実は生きてて不老になりましたーえへっ、なんてのも有り得そうな気がするからな。しかしあんなにそっくりな娘がいるとは。本当に父親は誰なんだ。やはり陛下か?」


 シャオはゴンドリーから視線を外し、壁の大鏡を見る。鏡の中、巨漢の背中越しに、バーテン姿の男が口を開いた。


「陛下は一切関係ねーよ。まあ、とにかく、サラサとヘクター(・・・・)は、別人なんだよな? いくら記録を調べても、ヘクターのことしか出てこないからさ。……サラサがヘクターの偽名かと思ってたよ。ダリアとヘクターの顔、結構似てるし。あー、別人で良かった」


 親子攻略とか、ちょっとアレだもんな、とシャオが独り言のように呟やき、苦笑いを浮かべた。ゴンドリーは眉をしかめ、遠い目をする。


ヘクター(・・・・)か。ヘクスティアの事をそう親しげに呼ぶのは、もうお前くらいだろうな」


 ゴンドリーは昔を思い出すように語り始めた。


「二十数年前、魔獣の集落を幾つか潰した魔獣狩り自体は、聞いたことがあるだろう。それの本当の首謀者がサラサ様だ。兎人のように無詠唱で強力な力を使う魔獣は、魔導師にとって脅威だからな。サラサ様は魔導師の為の国を作ろうとしていたんだ」

「……強引だな」

「国内に魔導師中心主義の風潮が流れた。獣人や亜人たちは迫害され、徒に殺されるものまで出た。うちの国は獣人や亜人が殆ど居ない上に、立場も弱いだろう? それはその頃の名残だ」


 シャオが頷くのを待ち、ゴンドリーは話を続ける。


「もちろん反発も凄く、特に亜人種の国とは戦争直前まで拗れた。そんな時、サラサ様が兎に負けて死んだ。いや、死んだと、ヘクスティアが言った。それを期に全て、黒の魔女の暴走だった事にしたんだ。サラサ様を記録から消し、まだ幼く扱いやすい性質の妹、ヘクスティアを黒の魔女に仕立て、身代わりにして」


 静まり返った室内。纏わりつく湿気が雨の気配を運ぶ。


「それ以来、サラサ様の話は、禁忌となった。サラサ様に夢中になり、言われるがままだった陛下の汚点でもあるからな。シャオはその頃、野山で野生化してたからしらないだろうが」

「……二十数年前、ねえ。まだ覚えてる人間は多そうだけどな」

「覚えてても口には出せない。口に出せば『黒の魔女に呪われる』」

「そういう噂を流した、と言うことか」

「まあ、他にも色々と。サラサ様の記録がない理由はそういうことだ。

ダリアを陛下に見せないようにな。サラサ様の純真無垢版など、誰でも欲しくなる。間違いなく取られるぞ」

「……サラサのかわりとして?」

「ああ。サラサ様を模した玩具として」


 鏡ごしに見える二人組みの男。

 ゴンドリーもシャオも、黒い髪色で癖毛ぎみ。西の国の特徴を持つ、甘く端整な顔立ち。

 シャオから見ても、年の差はあるがよく似た外見をしている。


 話を終えたのか、ゴンドリーが黙りこんだ。

 シャオが楽屋を出るためソファから腰を浮かすと、ゴンドリーは再び、堰を切ったように話始めた。


「そうだ。リタが娘を産んだぞ。それから、メルドの息子の剣筋がいい。あいつも騎士になるかもしれん」

「へえ」

「それと、お袋がな。シャオは自由すぎて心が休まらないわ。お嫁さんは貰わないのかしら、だとさ」

「……結婚とかできねー。俺、狗だし」

「足の治療をしているのだろう? 完治したら騎士に戻れるんじゃないのか? 最近ずいぶんと活躍中みたいじゃないか」

「別に戻りたくてやってるんじゃねーよ。

仕事だからだ」

「そうか」


 ゴンドリーは一年分の近況をちびすけ(・・・・)に次々と伝え、話を引き出そうとする。

 シャオはめんどくさそうにしながらも、会話を続ける。


 一年に一度、ヘクターがシャオになる日。

 ヘクターが毎年、嫌そうにしながらもカクテルコンクールに顔を出す理由。


 二次審査はとっくに終わっただろう。

 未成年の癖に会場に潜り込むと宣言していたアネットが、今頃ウロウロと戸惑っているかも知れない。


 薄膜のように劇場を包む雨音が、耳鳴りとなって聴こえてくる。


 気苦労の絶えない長男と放蕩な末っ子(シャオ)は、とりとめのない会話を緩やかに続けた。

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