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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
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楽屋

 カクテルコンクールの一次審査を終え、ダリアは足早に部屋を出た。衛兵の視線から逃れるように廊下の角を曲がると、そこにあった柱へ、もたれ掛かりながらしゃがみこむ。


「ふわあーっ。めちゃくちゃ、緊張した……」


 独り言と共に大きく息を吐き出した。

 磨きげられた大理石の柱に、ダリアの顔が暗く映りこんでいる。

 緊張にひきつり強張る頬。両手で包み、ぐねぐねと揉み解した。


「顔、かっちかち。変な表情になっちゃってたかなあ」


 出来る限りバーテンらしく優美に上品に、微笑みを絶やさないよう心掛けていたのだが。


 一次審査のカクテルを作っている間、どうにか平静を保ち続けた心臓は、カクテルが出来上がった途端、思い出したように高速で脈を打ち始めた。視界が白く点滅し、不用意な笑いが腹の底から湧き上がる。

 審査員席中央には、事前にヘクターから聞いた通りの『マッチョで髭のおっさん』ゴンドリー辺境伯、つまり審査員長が座っていた。

 ダリアは意識的にゴンドリーへ微笑みかけたが、この頬では緊張に歪む不気味な笑い顔になってしまっていただろう。


「……あのカクテル、匂いには結構自信あるんだけど」


 ヘクターと旅行へ行った時に作ってもらった、白葡萄酒に黒すぐりの果実酒を混ぜたカクテル。

 ダリアはお気に入りのそれをアレンジし、オリジナルカクテルを製作した。

 北国の稀少な赤葡萄酒に、黒すぐりの果実酒、林檎の蒸留酒、それからほろ苦い杏子酒を一滴。

 表面に香り高い薔薇を浮かべ華やかさにこだわった、ダリアらしい匂い重視のアレンジ。

 ダリアにとってはとても美味しいカクテルに仕上がっていたが、『マッチョで髭のおっさん』の口にあっただろうか。


 ひんやり冷たい柱に掴まりながら、のろのろと身体を起こし歩き出す。


 宮殿のように豪華な通路。劇場まで続く毛足の長い深紅の絨毯。

 ダリアの母サラサは、数年前まで頻繁に劇場へ通っていた。派手で奇抜な異国のドレスを纏い、会員専用ホールでたっぷり寛いだ後、この絨毯をなぞるように階段を下り、劇場の一階、正面箱席へと入る。

 あまりの懐かしさに、ダリアは記憶を辿りながら、少し大回りをしてパーティーホールへと戻ることにした。


 柔らかな絨毯が靴音を消し、廊下は人気なく静かだ。点々と灯るランプに壁にかけられた乾画(テンペラ)が照らされる。

 今日、この劇場では、何の公演も行われる予定がない。

 昼間だとは思えないほどに薄暗い階段。大理石の手すりに手を添え、ゆったりとした半螺旋を下りる。高い天井からは豪華なシャンデリアが降ろされていたが、火は灯っていない。

 しかし、床も壁も、会員ホール同様に赤と金で飾られ厳かに美しかった。


「……あれ?」


 ふと、違和感を感じダリアは立ち止まる。

 劇場を囲む回廊。

 その、紅く塗られた蔦文様の壁に、まだ真新しい獣の魔力。


「……ブルーノ、くん? ほんとにここにきてるの?」


 間延びしたダリアの声が暗い廊下に響いた。


 壁に残された魔力跡は、魔獣や獣人が行う縄張り表示のようなものだ。

 本来であれば精一杯虚勢を張り、強い魔力を擦り付け、ここは自分の縄張りだと主張するものなのだが。

 このヤマネコの魔力跡は弱々しく、そして、数歩の間隔を開けながら誘導するように付けられている。


「追いかけてって、事?」


 ダリアは手を壁に当てると、感覚を研ぎ澄まし、魔力跡を追いながらゆっくりと歩きだした。


※※※


 ブルーノの魔力跡をたどり進むと、いつの間にか関係者楽屋の並ぶ廊下にいた。

 点々と繋がる魔力跡は楽屋の扉にも付けられているようだが、その扉の前に衛兵が立っている。


 人が来るはずのない廊下を、壁に手を当てつたい歩く兎耳のバーテン少女など、不審者以外の何者でもない。


 どう歩けば怪しく無いだろうか。

 柱の影に隠れ、衛兵の様子を観察する。


「私に御用でしょうか? サラサ様」


 突然、背後から声をかけられた。

 振り返ると困惑の表情を浮かべたゴンドリー辺境伯が立っている。


 ゴンドリーは、話はとにかく此方でと、衛兵の守る楽屋の中にダリアを押し込めた。


 ダリアが部屋に入るとゴンドリーは扉を閉め、部屋の灯りをつけるより先に騎士のように右膝を折り恭しく頭を下げる。


「サラサ様。驚くほどにお変わりのないご様子で。久方ぶりでございます」

「……えっと」


 ダリアは狼狽した。


 目の前の審査員長、ゴンドリー辺境伯は、ダリアをサラサ……ダリアの母親と、間違えているようだが。

 しかし、半年と少し前亡くなったダリアの母親は、四十代後半。年齢より若く見られるタイプではあったが、まだ十八歳のダリアをサラサだと思い込むのは、いくらなんでも無理がないだろうか。

 ヘクターと釣り合うほど大人っぽくなりたい、大人扱いをされたい、と思ってはいたが、四十代だと思われるのはさすがに心外だ。

 きっと、お母さんではない別のサラサさんと間違えているんだろう。と、ダリアは決め付けた。

 そう考えなければ、心の平穏が保てない。


 辺境伯は、公爵に次ぐ高い位の貴族だ。勘違いのままに傅かれるのはかなり居心地が悪い。

 ダリアも急いで膝を折り、目線をより低く下げ、その場に座り込んだ。


「ゴンドリー辺境伯様、そのようになさるのはおやめください。私はサラサではありません。ダリアという名のただの娘です」

「サラサ様。……なるほど、今はダリアと名乗っていると……では、ダリア様、とお呼びいたしましょう」


 ゴンドリーは跪いたまま顔を上げ、答える。


 冷や汗が流れ、苦笑いが漏れた。何かまだおかしな勘違いをされているようだ。

 ダリアが弁解する前に、ゴンドリーが口を開く。


「ダリア様、今になって何故、私の前に? 一体何をお望みなのですか?」

「カ、カクテルコンクールで優勝して一攫千金を……」


 反射的にダリアが答えると、ゴンドリーは気の抜けたような表情を浮かべ、不思議そうに言った。


「一攫……千金? はあ。何のために?」

「いや、あの、借金の一括返済……」

「借金……」


 威圧感に負け、つい正直に答えてしまう。

 ゴンドリーは顎に手を当て、髭を撫でながらダリアをまじまじと見、そして急に顔を青ざめさせた。


「我々に、借りを返せ、と。そう仰るのですね」

「へえ?」


 ダリアが頓狂な声をあげ、ゴンドリーを穴が空くほどに見詰める。


 母親であるサラサよりは少し若い、巨体の壮年。黒い髪と髭、黒い瞳。西方の血が混じっているのか、つい指を差し入れたくなるほどに眉骨が高く彫が深い。

 どこか見覚えのある、妙な艶を含む端整な顔立ち。おそらく若い頃は相当の色男だったのだろう。


 普段は劇場の特別な出演者が使用する豪奢な楽屋。

 窓は無く、まだ部屋全体の灯りをつけていないため、魔導具の足元灯が橙色の光を仄かに放っている。

 床には廊下と同じ、柔らかな毛足の長い絨毯がひかれ、部屋の中央にはゆったりとしたソファーと葡萄酒の置かれた低いテーブルが置かれていた。それら調度品の全ては豪華に装飾されている。

 楽屋という特性上、壁一面に金縁の大きな鏡がかけられており、入り口そばの床に座り込む巨漢の貴族と小柄な兎少女が間抜けに映っていた。


 訳がわからない、と言いたげにダリアが小首を傾げる。長い睫に縁取られた青い瞳。不思議そうに上下する睫毛に空気が煽られる。


 無言のまま、じっと互いに凝視した。


「……あの、もうよろしいでしょうか?」


 おかしな沈黙に耐えきれず、ダリアが小声で言った。

 なんといっても、顔が近すぎる。

 何となしに誰かを思い出す顔立ちに、つい赤くなってしまう。


 純情な娘のように頬を染めるダリアに、何処から何処までが演技なんだ? と、ゴンドリーが呟いた。


 ゴンドリーは何かを確かめるように、大きな指をそっと伸ばし、ダリアの頬へ慎重に触れた。

 ダリアは戸惑いながら後ずさり、身体を離す。


「ダリアという名のただの娘だと。まるで本当にそうであるように思わせる……」


 ゴンドリーが小さな笑みを口の端に浮かべ、低く囁く。


「本当にそうですからっ!」

「まるで瑞々しい獲物のようだ。狩人の本能を刺激する。……ダリア様、カクテルに何を混ぜられたのですか?」


 指先が頬から顎へと伝い走り、顎を掴みあげた。


「カ、カクテルですか? 北方の赤葡萄酒に林檎の蒸留酒と、それから黒すぐりの……って顔近いですっ!」


 手から逃れようと大きく後ろに下がる。背中がソファーにあたった。壁の鏡に、逃げ場なく捕らわれた兎耳の少女が映る。


「解毒剤はどうやったらいただけるのですか?」

「……解毒、剤?? あ、ああ、コプニスでしたら家にありますし、他の解毒剤も今夜から作り始めようと思っていたところですが。薬がいるのですか?」


 いつのまにか手が絡め取られ、ゴンドリーの胸元に引き寄せられていた。


「種類によっては、特に解毒をしなくても構いませんが。このまま溺れてしまえる恋の毒を混ぜて頂いたのでしたら」

「はああああ!? 何の話っ!?」


 ゴンドリーが艶かしく笑う。


「黒の魔女様に魔法を使わせない方法を一つ思いついたのです。けして歌わせないように、永遠にその唇をふさぎ続ければいい。……そうでしょう?」


 世界がくるりと回転し、ゴンドリーの頭越しに天井が見えた。

 壁の鏡の中に、無惨にソファの影へ押し付けられた獲物の小兎と、捕食者。それと、呆れた表情で頭を抱える見慣れた顔の男が映る。


 杖が、振り下ろされる。


「っ痛!!」


 悲鳴があがり、ゴンドリーが頭を押さえ、転がった。

 ダリアの身体がひょいと抱えあげられた。


 悶絶していたゴンドリーが起き上がり、怒鳴るように言う。


「……なんだ、お前か。せっかくの美味しい好機をっ!」

「好機、じゃねーっ! 三十近く年下の娘に盛りやがって。せっかくわざわざ楽屋まで挨拶に来てやったのに、最悪な場面を見せつけんなっ!」


 暖かいヘクターの腕に包まれダリアは安堵し、兎耳をくるくると回しながら頬を寄せた。


「全く。なんてタイミングの悪い奴だ。相変わらず配慮が足りていないな」

「ふざけんなっ! 首を切り落とさなかったのが俺の配慮だっ!」


 ヘクターが杖をゴンドリーの首へと向ける。ゴンドリーは煩わしそうにその杖を払い除け、頭を擦りながら呟くように言った。


「喘ぎ声が収まるまで待ってから部屋に入ればいいだけだろうが」


 再び、杖が高く振り上げられた。

 

※※※


 力任せに殴ったはずのゴンドリーは、平然と楽屋のソファに座っている。

 向かいにはヘクターとダリアが並んで座り、天井に取り付けられた魔導具の照明が室内を明るく照らしていた。


 ゴンドリーがまじまじとダリアを見詰め、納得がいかない、といった様子で言う。


「本当に、サラサ様本人ではないと? しかし、親子というにしては、似すぎているが。見たところ、ダリアさんにはサラサ様と髪の毛の色以外、違いが無い。顔も、声も、仕草も、身体も同じだ。記憶を失ったサラサ様、ではないのか?」

「……何で、身体知ってるんだよ」


 ヘクターが低い声で言うと、ダリアがびくりと怯え、ヘクターの腕を強く握った。


「何回か、踊って頂いている。あの頃はなかなか好機に恵まれなかった。強力な敵が多かった上に、サラサ様自体、相当な危険人物だったからな。……見た目は若いまま、毒気が無くなっていたから、これならイケるっと思ったんだがなあ」

「……記憶喪失を本気で期待してたな」


 ヘクターが言うと、ゴンドリーは人懐こく笑う。


「ダリアさん、頭を強く打ったとか、おかしな魔導具を使ったとかで、記憶が無かったりはしませんか?」

「しませんっ。第一、母はついこの間亡くなったばかりですからっ!」

「サラサ様が亡くなったのが、ついこの間? 兎に殺されたのではなく? どうして亡くなったのです?」


 ゴンドリーの言葉にダリアは目を見開き、圧し殺したような声で言った。


「兎に殺された、とは、どういう意味ですか?」

「我々は、そう聴いていましたが。兎人の里で兎人狩りを行い、兎の王に殺された、と。サラサ様と共に兎人狩りを行っていた妹様が、一人で城に戻り、そう言ったのです」

「……そんな筈は、ありません。母は生きていましたし、父を愛していましたから」


 ダリアが俯き、呟くように言うと、ゴンドリーは首を傾げた。


「……父? そういえばダリアさんのお父さん、サラサ様の旦那様はどなたなのです?」

「ゴンドリー伯っ!」


 ヘクターが慌て口を挟む。


「サラサと共に兎人狩りに行った妹というのは、もしかして、ヘクスティアか?」


 ゴンドリー伯は静かに頷いた。


「ああ」

「……そうか。色々と聞きたい事が出来た。後でまたここに来る」


 ダリアの顔色がどこまでも白い。

 ヘクターはダリアを抱えるように強引に立たせ、部屋から出ようとした。


「サラサ様の死因は?」


 ゴンドリーが追いかけるように言う。ヘクターが止めに入る間もなく、ダリアは答えた。


「衰弱死、です」

「……衰弱死!?」


 予想外の死因に、ゴンドリーもヘクターも驚きの声をあげる。

 ダリアは兎耳を力なく横に倒し、俯いたまま部屋を出た。

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