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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
39/99

カクテル

 ヨルドモ国立劇場パーティホール。


 尖頭アーチの柱が三列に列び、大理石の浮き彫りで飾られた高い天井からは、華やかなシャンデリアが吊り下げられている。床はモザイクタイルで蔓模様が描かれ、ゆったりとした内装は白と金に統一されていた。


 いかにも貴族の社交場、といった雰囲気を持つ広々としたホールには、すでに沢山の出場者が集まっている。


 今日のカクテルコンクールでは、まず別室にて点数式の実技審査を受け、その後このパーティホールで、招待された若い貴族や魔導師による投票を行う。

 招待者たちはそれぞれ気になる店舗のテーブルで自由にカクテルを受けとり、軽食をつまみながら投票を行うため、店舗側にとってはある意味目立ったもの勝ちな傾向があり、仮装に近い衣装を着た出場者も多い。


「……変、かな?」


 バー『青兎亭』に割り当てられたテーブルの前。別室で衣服を着替えてきたダリアが恥ずかしそうに言う。

 ヘクターは急いでダリアを引っ張り、テーブルの影へとしゃがみ隠れた。


「変、とかじゃなくてっ!」


 声を押し殺しながら、叫ぶように言う。


 白シャツの上にやや丈の長い灰色のベスト。立体的な裁断がなされ、ダリアの華奢な身体のラインを強調する。

 黒のパンツはタックが入っているが、すっきりと細身で女性的。足元には黒のピンヒール。

 襟の小さな蝶ネクタイが可愛らしい、極めてシンプルなバーテン服。

 ヘクターのバーテン服は普通の黒ネクタイだが、色や素材が揃えられているため、同じ店だとすぐにわかる、お揃いの制服姿。


 ただし、ダリアのものは獣人用だ。


 浅いパンツは後ろ下がりに作られ、ベストの背面に開けられたスリットから白くて丸い兎尻尾が覗いている。

 ブルーノ行き付けの獣人用服屋であつらえてもらった、ダリア専用バーテン服だ。


「パンツ履くのって初めてだから……似合わない? やっぱり」

「そーじゃないっ! いつものバンダナはどうしたのっ? 耳と尻尾、ホンモノ出したらダメだからっ!」


 頭から生えた兎耳は、細いカチューシャで挟みクズ宝石で飾っているため、そういう魔導具と見えなくもないし、兎尻尾も可愛らしいアクセサリーに思えなくもないが。


「『青兎亭』だからね。兎の格好が丁度いいんじゃないかって事になって。この街には獣人が殆ど居ないし、兎の獣人なんて聞かないから、良くできた作り物にしか見えないよって」

「ホンモノだってバレたら大変だから言ってるの。そんなに動く耳なんて作れないでしょっ! 全く、ブルーノにけしかけられたのね?」

「耳、動かさない事くらいできるよ? バンダナや帽子の下に入れてる時はいつも、動かさないようにしてるし」


 大きく動かしたらバンダナ外れちゃうもの、と、ダリアが笑いながら言った。


「……嘘だあ。今も、クルクル回ってるじゃない」

「動かなかったら、本物だってバレないよね? ほら見てて、しばらくじっとするから。邪魔してもいいよ」


 ダリアがそう言うと、ヘクターは盛大に溜め息を吐き、何故かその場に正座をした。ダリアも釣られ、膝を付き合わせるように居住まいを正す。


「ダリアちゃん。あなたそういうところ、すごくズルい」

「へ? な、何が!?」


 動揺に耳が揺れないよう、必死で押さえた。ヘクターは真剣な表情のまま説教をするように話す。


「『じっとしてるから、好きにしていいよ。』なんて、こんな場所で言うことじゃないでしょう。思う存分、好きにできる時に言いなさい」

「ちょっと違うよ! 言い方!」


 兎耳を動かさせるための作戦なのだろう、ダリアは耳に力を込めた。


「いい? 今夜、家に帰って同じ台詞を言ってくれるなら、その格好でコンクールに出てもかまわないわ」

「……え、『しばらくじっとするから、邪魔してもいいよ。見てて。』って?」


 ヘクターは静かに首を横に振る。


「そうじゃない。キチンと上目使いで『我慢するから、ママの好きにしていいよ。』って言いなさい」


 ダリアの白い兎耳が、端まで桃色に染め上げられた。


「い、言ってないっ! そんな台詞、全く言ってないしっ! じゃなくてママ、何でさっきから尻尾引っ張ってるのっ!?」

「……つい。尻尾弄ったら耳がヘニョッてなるかなって思って」

「なるよっ! そりゃなるけど、そんな事するのママだけだからっ! ママがおかしな事しなかったら、耳が動くなんてバレないんだよっ?」


 ヘクターが舌打ちする。


「……尻尾が表に出てたら当然握るじゃない」

「ここじゃダメっ! 家に帰ったら尻尾、好きに触っていいからっ!」


 ダリアがそう言った途端、ヘクターは尻尾を放し立ち上がった。そして艶めいた笑みを浮かべ、言う。


「耳、絶対に動かさないでね。今日だけはその格好でいいわ。隣とかすごい衣装だし、うちは地味な方よね」


 ところで、どの辺りまでが尻尾なのかしら、と、ヘクターが呟く。ダリアは真っ赤な顔のまま、おかしな約束をした事を悔いた。


※※※


「あ、そこに居たんですね。これ、係りの人が置いていきましたよ」


 隣のテーブルの出場者……南方の国の踊り子のような服装をした……が、概要の書かれた用紙を差し出し、ヘクターは礼を言って受け取る。

 テーブルの影に隠れ話し合いをしていた為、係りの人が隣へ託したらしい。


「ほらダリアちゃん、一次審査の詳細だって。隣は出場者だけじゃなくてスタッフ全員仮装なのね。私、巻き込まれなくて良かったわ」

「……そうだね」


 実はヘクター用の狼セットも用意してはいたが、ブルーノが持っている。その事実は黙っておく事に決め、ダリアは床に座り込んだまま用紙を読む。


「私の一次審査は最後の方だね。付き添いなしで行くのかあ……。この審査員長のゴンドリー辺境伯って人、どんな人かママ知ってる? 去年も同じ人だったの?」


 ヘクターがあからさまに嫌そうな顔になり、答えた。


「毎年、その人よ。マッチョで酒好きの髭のおっさんだから、見たらすぐわかるわ」

「辺境伯って国境の方の伯爵の事よね? 遠いのに、カクテルコンクールのために来たのかな」

「……ね。わざわざ出てこないで、地方に隠っててほしいわ」


 腕を組み、遠くを見るように半目になって言う。


「ママこの人の事、嫌いなの?」


 ダリアが不思議そうに言うと、ヘクターはつまらなそうに答えた。


「別に」


 ふうん、と、ダリアは会話を打ち切り、手元の用紙に再び視線を戻した。


 別に、ただ、めんどくさいだけだ。


 ヘクターは口の中で呟く。

 無色となった頃から毎年、イベントの度に警護をさせられている。

 二人でいると周囲が妙に気を使う上、わかりやすく嫌そうな表情を浮かべて避けても、ゴンドリー伯は全く空気を読んでくれない。

 警護の間中、土小人(ドワーフ)と力比べで勝っただの、崖道の大岩を素手で砕いただの、一年分の頭が悪そうな自慢話を嬉しそうに羅列する事も、ヘクターにとってはめんどうだった。


 第一、自分よりもマッチョな男を警護する意味が全くわからない。

 今年は警護を断ったが、何処かのタイミングで挨拶をしに行かなくてはならないだろう。


「ほんと、めんどくさいヤツだよなあ……」


 ヘクターは独り言を言った。


※※※


 ゴンドリー辺境伯は酷く混乱していた。


 カクテルコンクール一次審査の会場、劇場の会員専用ホールの小部屋。

 パーティホールとは異なり、壁と絨毯は深紅で統一され、惜しげなく随所に貼られた金箔が重厚な雰囲気を醸し出している。


 ゴンドリーは審査員長として、カクテルの味、独創性、将来性、見栄え、技術のそれぞれに点数をつけるため、審査員席に座っていた。


 目の前でシェイカーを振るのは、まだ若く愛らしい少女。審査員五人分のカクテルを手早く作っていく。その流暢な手捌きはまるで、熟練の薬師のようだ。

 血液を思わせる程に赤いカクテルを、逆三角形のグラスに注ぎ入れ、食用薔薇の花弁と金箔で飾る。


 満足のいくものができたのか、青の瞳を上弦の月のように曲げ、少女は妖しく微笑んだ。

 係員がカクテルを受け取り、盆に乗せる。その間、少女はゴンドリーを静かに見詰め続けた。


 薄い笑みを浮かべながら。


 少女は髪の色以外、黒の魔女と瓜二つだ。時を凍らせ、この場で溶かしたかのように。

 ゴンドリーは混乱する頭を鎮めるように首を横に振る。黒の魔女はもう二十年以上前に死んだ。確か最後は、……兎人に殺されたのだ。


「……兎に」


 目の前の少女は、兎の耳と尻尾を身に付け、兎の仮装をしている。偶然だとはとても思えない。


「……サラサ様、いったい何故?」


 少女が黒の魔女、サラサ様(・・・・)だと確信し、ゴンドリーは呟いた。


 目の前にサラサが作ったカクテルが置かれる。サラサは国最高の魔導師でありながら、国最高の薬師でもあった。

 艶やかに赤い液体。飾られた花弁は心臓を、金箔は血飛沫を表しているように思える。


「……これを、飲めと仰るのですか?」


 背筋に冷たい汗が伝い落ち、微動だにせず此方を見詰めるサラサと目が合う。


 このカクテルには一体、何が混ぜられているのだろう。毒か、薬か。

 飲み干したなら、どうなってしまうのだろうか。


 グラスに目を戻す。小刻みに震える指先に、カクテルの水面が波打つ。


 もう一度サラサを見る。昔と変わらず優しげであどけない表情。

 しかしゴンドリーは、彼女がその可愛らしい顔を歪めないままに、何人もの人間や亜人の首を墜とすところを目の前で見た事がある。

 なかなかカクテルに口をつけないゴンドリーに、サラサは眉根を寄せた。ゴンドリーは、次の瞬間にも自分の首が胴体から離れてしまうような恐怖を感じる。

 指の震えは止まらない。左手を添え指を支えつつ、グラスを鼻先に近付けた。


 何種類かの果実の甘い芳香。

 葡萄酒をベースに、果実の蒸留酒や混成酒を合わせてあるようだ。大輪のブーケのような優雅さと無邪気さをあわせ持ち、まさしくサラサのように香りたつ。


 意を決し、ゆっくりとグラスに唇を近付ける。残酷な女王の爪先に口付けを落とすように。


 軽やかな酸味。意外な程に飲みやすく、あとを引く惚けるような甘さ。

 毒は、おそらく無味無臭の遅効性のものが混ぜられているのだろう。特に異変はみられない。

 毒消しと引き換えに何かを要求されるのだろうか。二次審査のパーティで審査員たちを人質にとられるのかもしれない。


 ゴンドリーは審査表に目を落とす。

 一応、形だけでもこのカクテルを審査しなくてはならない。

 運がいいことに、良い点数をつけることを戸惑うような出来ではない。さすがは魔女、といったところか。

 もっとも最悪の出来だったとしても、サラサを模したカクテルを悪く評する勇気はない。


 と、審査表に小さなメモ書きが書かれている事に気がついた。


『注意! 入賞させない事』

「……」


 確か、入賞させると問題がある人物がいるからと、殿下を通じアイツから頼まれた……。


「……いや、そりゃサラサ様を入賞させると色々問題があるだろうがな」


 もし、入賞させなければサラサの機嫌を損ね、ゴンドリーの首は宙を舞う。


 ゴンドリーは審査表のメモ書きを睨み、今度はもう一度、カクテルを口に含み直す。


「悪いな、シャオ(・・・)。今回は真剣に公正に、審査させてもらう」


 公正な評価の結果、自分の首が飛ぶのはいたしかたない、と覚悟を決め、再度味覚を尖らしカクテルを味わった。


※※※


 陛下、貴方に魔導師の為の王国を作って差し上げましょう。


 二十年以上昔、黒の魔女、サラサは王にそう進言し、消えた。

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