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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
38/99

コンクールの前に

嗜虐注意。

 窓の無い狭い室内、『花』が香のように焚かれている。

 床に置かれた異国のランプが、煙る空間にオレンジの筋を幾重にも作り、天井近くまで届く大きな棚を照らしあげていた。

 この劇場の特性なのだろう。その棚には、派手なカツラや仮面、張りぼての武器類、古い時代の装飾品、弾き方の解らない楽器など、歴史物語を彩る小道具類が、本物偽物入り雑じり並べられている。


 国立劇場の小道具部屋。

 その床の中央、色鮮やかな衣装の山の上、猫の耳と尻尾を持つ青年……ブルーノがぐったりと倒れていた。

 首輪から伸びた鎖は、棚の柱に繋がれている。手首を戒めていた手錠は、ブルーノが殆ど抵抗をしなくなったあたりで外された。


 この退廃的な雰囲気が気に入ったのか、魔導師の男……ブルーノの飼い主(・・・)は先程から上機嫌で棚を眺め、次はどの道具で躾を行おうかと吟味をしている。


 部屋の外では従者が四人。見張りを行いつつ中の様子を伺っていた。

 ブルーノが『惑乱』を使ったならすぐさま、飼い主が声をあげ従者を呼ぶ手筈になっている。

 しかし部屋中に立ち込める『花』の匂いが、ブルーノから意思を拭い去っており、そのような抵抗は無いだろう。


 もともとはブルーノが、裕福そうな男から小銭を巻き上げる事に失敗し、始まった関係だ。

 散々に脅され、利用され、気付いた時にはペットとして、男の財産に組み込まれていた。


 幸か不幸か、売り飛ばす予定のペットの身体に、傷をつけるつもりはないらしい。

 飼い主は幾つかの比較的安全な道具を手に、ブルーノへの執拗な躾を再開した。


 微睡みかけていた身体を襲う、焼けるような痛み。急激に意識が覚醒し、呼吸を止めたり荒げたり、力を込めたり抜いたりし、必死でやりすごす。


 身体に傷を付けられない分、絶望に歪む表情が見たいのか、飼い主はとても雄弁に語り出した。


 ブルーノの次の飼い主がどれ程の醜男でどのような癖を持っているのか。 ブルーノの生意気な表情がどうやってその男を悦ばすのか。

 その男は以前、歓楽街の店でブルーノを見掛け、まだ売るつもりの無かった今の飼い主へ、価格交渉を持ち掛けたらしい。

  随分な金持ちで、内海に島を持っており、今夜にもハーリアに到着する予定だそうだ。


 長時間に渡る躾に、何度も意識が飛びかける。

 今の飼い主はブルーノの意識を飛ばせてしまいたい様子だ。 目が覚めたら新しい飼い主の腹の下にいるだろう、と下卑た顔で笑う。


 痛みと疲労に意識が鈍る。しかし今倒れたなら本当に飼い主が言う通りになるだろう。

 とめどないオシャベリに一縷の望みを残し、意識を保ちながら耳を傾ける。


 やがて飼い主は嬲る手を止めずに、明日の計画を語り始めた。


 ブルーノが足掻くように身体を伸ばし、棚へと手を伸ばす。


「なんだ? あんなものが欲しいのか?」


 飼い主が笑う。


「今更、神に祈るつもりなのか? 獣のくせに。しかし、祈りを捧げる獣を躾るのも、なかなかに背徳的で悦いな。取ってやろう。どれだ?」


 飼い主は立ち上がり、小さな神像画(イコン)を取ってやった。

 ブルーノはそれを手元の布で大事そうにくるみ、祈るように抱き締め、新たな痛みに耐えようと目を閉じる。


 その姿に飼い主は愉しげに笑い、さらに責めを強め、ブルーノの意識はようやく途切れた。


※※※


 嘲笑うような月夜。


 二艘の護衛艦を引き連れ、用心深く進んでいた小型帆船が、突如船脚を止めた。護衛艦も帆船に従うようにその場に留まる。

 護衛艦から帆船に、カンテラを使った合図が繰返し送られたが、静まり返った帆船からは何の返事もない。

 夜の海は穏やかに凪ぎ、既に目視出来る場所に、ハーリアの灯台が白く輝いていた。


 その帆船は、三角帆に特徴的な竜馬(シーホース)の紋章を掲げ、船首、船尾、梶、にいたるまで純金の竜馬で飾られている。黒く頑丈な甲板は、王室船と間違える程に磨きこまれ、至るところに金を使用した彫刻が施されていた。


 それらを値踏みするように、全裸の少女が甲板をゆっくりと歩く。背後に家鴨(アヒル)のように太った魔導師を従えながら。


 少女……ロージーはすこぶる機嫌が良い。


 なんといっても、この船の主、家鴨魔導師は、海からあがったロージーと対峙した瞬間、攻撃魔法を使ってきたのだ。

 ロージーに比べれば圧倒的に弱い火力ではあったが、今までに捕らえた魔導師よりも幾分か見処がある。

 さらに、この装飾過剰な船には、ロージーのスイーツ船を、さらに豪華に飾る事が出来そうな雑貨が沢山設置されていた。


 ロージーは後部キャビンへと続く階段を跳ねるように降り、手摺に備え付けられた蔓薔薇のランプを物色しながら言った。


「ね、アヒルさん、あなたは何なの?」


 家鴨魔導師は既に、心臓に(コア)を埋め込まれ、ロージーの従順な従屍鬼(ペット)となっている。


「トゥオーロ島の領主です。ネコを購入する為、ヨルドモへ向かっていました」


 家鴨魔導師がぼんやり答えると、ロージーと、ロージーの中のモーリスは、歓声をあげた。


「ネコだって!」

「私もネコ飼いたいなっ! どんなネコなの?」


 家鴨魔導師はロージーの問いかけにうっとりと、思い出すように答える。


「とても可愛らしい、牡のヤマネコです。茶の艶やかな毛並みに長い縞模様の尻尾。生意気そうな金の瞳。人懐こく、いまだ若いネコです。……こちらはそのネコ用に用意させた船室です」


 家鴨魔導師が扉を開け、ロージーに室内を見せた。


 床には白く清潔な布が敷き詰められ、部屋全体が柔らかなベッドという様相の部屋。ネコ用の玩具や巨大な姿見、毛繕いキット。何種類か用意された愛らしい首輪。

 どうやら家鴨魔導師はネコをずいぶんと丁寧に可愛がるつもりらしい。

 部屋の鍵が外側からかかる仕組みになっている事と、装飾的な刑罰用具が壁面に取り付けられている事以外は。


「うわあ、可愛い部屋! トラネコちゃん飼いたーいっ! このまま港に降りて、明日はヨルドモにネコを取りに行こうっ!」


 ロージーが目を輝かせ、モーリスもそれに同意する。


「そうだね、僕もネコが飼いたいな。でもヨルドモに行くのなら、狼に気を付けなくちゃね。ダリアさんかアネットちゃんと会えるといいな」

「まだ転移の陣が繋がってないもんね。二人を連れて帰るのは難しそうよ」

「そっか。でも機会があれば、いいよね?」

「もちろん」


 ロージーとモーリスは笑いあう。

 一見人形劇のように、一人二役の会話を行うロージーとモーリス。それを訝しく思うものはいない。


「狼に気を付けなくちゃね」

「狼に気を付けなくちゃね」


 二人分の囁くような笑い声が船室に響く。


 この船には既に、生きた人間は一人も乗っていなかった。

 幽霊船と化した帆船は、再度ゆっくりと前進を始め、護衛艦も安心したかのように帆船に追従し、港へと走り出す。


 いつの間にか、月は厚い雲に覆い隠され、細い雨が炭黒の海を静かに叩き始めた。


※※※


 つい一晩中、窓を開け放って寝てしまっていた。夜のうちに降り始めた雨が、部屋に静かに入り込み、床を濡らしている。

 昨夜はブルーノが居ない分、店は息もつけない程に忙しく、疲労のため倒れるように寝てしまい、未だに身体が油臭く肌がべたついていた。


「……風呂」


 寝惚けた声でヘクターは呟き、指通りが悪い髪をかきあげながら、従業員部屋の自分のベッドから身体を起こす。


 閉めようとした窓の下、ダリアが見えた。


 アパート近くの小さな空き地で、傘をさしたまま地面にしゃがみ、野良猫に話し掛けている。


「ダリア、猫と話せるのか!?」


 眠気が吹き飛び、ダリアを凝視した。

 傘のため表情まではわからないが、盛んにリアクションを取りながら、真剣に会話をしているようだ。


「……ダリアだもんなあ。なんていうか、人間離れしてんなあ……」


 魔獣のハーフだ。猫と会話が出来てもおかしくないのかもしれない。

 ヘクターは妙に納得した。


 やがてダリアは会話を終え、猫へ手を振り別れると、今度は近所に住む婦人に話しかけられ、立ち止まる。

 ヘクターは静かに窓を閉め、雨に濡れた床を拭い、風呂場へと向かった。


※※※


 ヘクターが風呂からあがると、ダリアが、リビングのソファに座っている。


「おかえり。朝から何処に行ってたの?」

「ただいま。大教会でお祈りしてきたよ。もう少し早く戻るつもりだったんだけど、教会のお爺さんとか、お花屋さんとか、いろんな人と話してて遅くなっちゃった」


 ダリアが話しながら横にずれ、隣を開ける。ヘクターも身体を拭きつつ、ソファに座った。


「ダリアちゃん、猫と話せたの?」

「……見てた? 童話じゃないんだから、話せるわけないでしょ。会話出来なくても、ネコに話しかけたりって、しない?」


 ダリアは顔を赤くし、ヘクターから目を反らしながら言う。


「……ダリアちゃんなら、猫と話せそうだから」

「話せればいいのにね。空き地にトラネコがいたから」


 ダリアは膝を抱え、ソファの上で小さくなった。


「トラネコ……ブルーノが心配?」

「うん。まだ仲良くなったばっかりだけど、やっぱり心配だよね。トラネコさんに行き先聞いてみたけど、ニャーニャーゴロゴロで、わからなかったよ。やっぱり。

ブルーノくん、今日一日待ってから心配すればいいって言ってたけど、本当に大丈夫なのかな」

「きっと、大丈夫よ。よくある事だって言ってたんでしょ? 劇場に行ったら『心配した?』とか言いながらひょいって顔を出すんじゃない?」


 外は雨が音もなく降っている。

 柔らかな静寂に建物自体が包まれているようだ。

 ダリアが小さく笑う。


「ふふ。ほんとに劇場で待っていそうだよね」

「きっと、いるわよ」


 ふらふらと揺れる長い兎耳を撫で、匂いを嗅ぐように口付けを落とした。耳はくすぐったい、というように回り、手の中からするりと逃げる。


「……劇場、かあ。昔、お母さんとよく行ったなあ」


 ダリアは目を閉じ、思い出しながら話す。


「昔ね、お母さんがすごく歌劇好きで。公演が変わる度に行ってたの。しかも、気に入ったら何回も同じのみたりして」

「……お母さん、ホンモノね。ダリアちゃんも演劇好きなの?」

「うん。ここ何年か行ってないけどね」

「じゃあ、今度観に行こうか」

「うんっ! 一緒に!」


 肩を引き寄せ、持たれかけさせる。

 カクテルコンクールは国立劇場のパーティホールで開催される。そろそろ家を出る準備をするべきなのだろうが、心地好い体温から離れるのが勿体なく、ただぼんやりと考え事をした。


 ダリアのお母さん、か。


 魔女、『サラサ』。

 詠唱魔法を歌い、薬を煎じ、ドレスを纏う、首を笑顔で跳ねる厄介な魔女。

 魔獣と子をなし、歌劇が好きで、高価な劇場に足繁く通う財力を持ちながら、市井に紛れ生活をしていた。


 ヘクターは城へ治療に行った際、一通り調べてはみたのだが、そのような魔女の記録は残ってはいなかった。


 ……その魔女は本当に、『サラサ』なのか?


 ヘクターにもたれ目を閉じる少女を眺める。

 かつての恋人によく似たその顔に、嫌な予感を感じ、頭を抱えた。

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