表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
37/99

飼い主

 不安定に組まれた素焼きの瓦が、乾いた音を大袈裟にたて、大教会の屋根から滑り落ちた。地面に叩きつけられ、赤茶けた破片が砕け散る。

 突然の騒音に中央広場の人々は頭上を見上げた。

 高いアーチ屋根の上、帽子を目深に被り宙を駆ける青年。広場は騒然となる。


 青年は瓦を何枚か蹴り飛ばしながら屋根を走り抜け、時計塔へとしなやかに飛び移った。

 塔の壁面を掴み、軽々よじ登る。塔の中の螺旋階段を駆け上がるよりも断然速い。

 柱、小窓、石のちょっとした出っ張り。それらに次々と指をかけ、身体をしならせながら器用に塔の上を目指す。


 頂上まであと身体一つ。

 斜めに飛び出す壁面に、広場の人々が一斉に息をのむ。


 彼は身体を丸め弾みをつけると、勢いよく青空に舞った。


 風に押し上げられたかのように、悠々と塔の縁を掴み取り、たやすく登りきる。

 地上から感嘆と拍手が沸き上がった。


 真夏の高い空、遮る物はない。塔の上縁に立ち、広場を眺め降ろす。


 地面から吹き上がる突風。

 帽子が舞い上がり、風に盗まれた。


 大きな猫耳が露になる。


 警戒心を剥き出しにピンと後ろを向いた耳は、周囲の音を必死に拾い続ける。

 シャツの下から覗く縞模様の長い尻尾は、不機嫌そうに左右に揺れ、強風に煽られる身体を支えた。

 金の瞳に浮かぶ黒い瞳孔は、眩しさと緊張で細められ、広場を見詰め何かを探す。


 犬が吠え喚く。

 何人もの警吏が降りてこいと叫ぶ。

 飼い主(・・・)の説明が悪かったのか、魚を手に持ち口笛で呼ぶ者さえいる。


 青年は、どちらかといえば、魚よりは鶏肉派なのだが。


「……見つけたっ!」


 青年がようやく目的の人影を見つけ、破顔する。


 降りてくる気配がない青年に、警吏たちは業を煮やし、塔の螺旋階段を登り始めた。

 階段を駆け登る、人と犬の不揃いな足音。疲労混じりの呼吸音。


 大きな猫耳は後ろを向き、瞳は広場の女性を凝視する。


 けして見失ってはならない。


 やがて彼女は青年に気がつき、驚いたような顔をして手を振った。青年は緊張を保ちつつ、そっと手を振り返す。


 と、背後で閂が解かれる音がした。


 塔の天井の石がゆっくりと持ち上がる。上にしゃがみ体重を乗せ抵抗してはみたが、青年の身体は軽い。石扉と共にあっさり浮き上がった。


「ネコくん、大人しくしてくれよ?」


 警吏であろう男の頭が覗き、猫撫で声を出した。キョロキョロと辺りを見渡して青年を探す。

 その頭上、石扉の上から青年は、驚かすように警吏の顔を覗き込んだ。


 鼻を付き合わす程の近距離。

 金の瞳が愉しげに細められ、警吏の目を絡めとる。


 ヤマネコの『惑乱』。


 意識を失った警吏の身体が、ぐらりと傾いた。


 青年の重みに石扉が再び閉じる。

 螺旋階段を転がり落ちる音。後続の警吏たちの悲鳴。犬が慌てたように吠える。


 それを合図に、時計塔の縁にぶら下がると、ジグザグに壁を伝い降りた。


 教会前広場で人々が歓声をあげる。

 常に魔導師や貴族を贔屓し、金で動く警吏は、市民に好かれていない。

 広場の人々は、ネコが警吏を翻弄するコミカルな捕物劇に気分を良くしたらしい。


 青年は真っ直ぐに女性のもとへ走り、その腕を掴むと、教会入口の柱影に隠れた。

 その様子に市民たちは、平素な振る舞いを始め、何気なく二人を守る人の壁を作る。


「すごいね、ブルーノくん。ジャンプが得意だったんだね」

「……別にジャンプが得意って訳じゃないよ」


 女性……いつものように広場に花を買いに来ていたダリアが、青年……ヤマネコのブルーノに楽しそうに言い、ブルーノは眉尻を下げ、困ったように笑い返す。


「ねえさん、今日、ちょっとお店に出られなさそうなんだ。お休み貰っちゃうけど、ごめんね? ヘクターさんによろしく」


 ブルーノがすまなそうに言うと、ダリアは微笑み、はーい、と返事をした。


「……それと、あと……」


 ブルーノは言い淀む。

 このどうしようもない、積み上がりきった自業自得を、兎や狼に助けてくれと頼み込む。それはさすがに情けない。


「……でも、いいや。ちょっとだけ頼っちゃえ」

「なあにー? ウサギさんに任せなさーい」


 ダリアが先輩風を吹かせた。小柄なダリアが得意気に胸を反らせる姿に、つい、笑いがこみ上げる。


「じゃあね、もし僕が明日、ねえさんの前に顔を出さなかったら、心配して探してもらえる?」


 せめて、今日くらいは自力で頑張ってみよう。

 ブルーノは低いレベルの目標を掲げた。


「わかったよ、じゃあ、今はまだ心配しないで良いのね?」

「うん。きっと大丈夫。いままでも似たような事、何回もやらかしてるし。だから明日のコンクール、行けなかったらホント、ごめんね。できるかぎり頑張って行くようにするけど。……っと、じゃあまたっ! ねえさんもアッチに逃げてっ!」


 ブルーノはダリアの背中を押し、教会の中へと押し込めた。ヤマネコよりもずっと貴重なダリアが捕まると、恐らくもっと大変な事態になる。


 塔を駆け降りてきた警吏の前をわざとらしく横切り、走り抜けた。


「ネコが逃げるぞっ! あっちだっ!!」

「捕まえろっ!」


 警吏がそう叫び、ブルーノを追う。


 たかだか、迷子の飼い猫探しに、御苦労なものだよね。

 そう呟き、チラリと一瞥した。背後で犬が放たれ、ブルーノは急いで屋根によじのぼる。


 農場の『花』の一件以来、歓楽街を避け顔を出さなくなったブルーノを取り戻そうと、飼い主(・・・)が警吏に金を積んで、『迷子の飼い猫探し』を依頼したのだろう。


 飼い主(・・・)からの逃走は、もう何度目になるかわからない。その度に強引に連れ戻され、酷く躾け直される。

 しかし今回はいつもより、探し始めるのが早く捕まえ方が大袈裟だ。


 屋根伝いに歓楽街へ走る。どうにか逃げ切り、身を隠さなくてはならない。

 より危険で、よりややこしい道へ。警吏たちを誘導するように駆けた。


 日の光の下に見る歓楽街は、憐れなほどにみすぼらしく、汚物にまみれている。

 無計画に積み重ねられたオンボロの建物。その屋根は脆く、跳ねる度に大穴が開き足をとられた。


 真夏の日中。日を遮る物が何もない屋根の上。ブルーノは暑さにやられた。汗をかきにくい身体は、体温が上がりきったのか、目眩がする。

 少しでも身体を回復させようと舌を出してその場に座り込む。


 もうしばらくしたら警吏に追い付かれるだろう。事実、犬の鳴き声はすぐ下に迫っている。


 警吏達が屋根に登り始めたら、今度は一気に北へと走ろう。


 目指すは、国立劇場。

 明日のカクテルコンクールの会場。


 うまく警吏を撒ければそれで良し。撒けなくても一晩耐えきれば、兎や狼に助けを求める事が出来る。

 下手に歓楽街や飼い主(・・・)の家に捕らえられたなら、助けが来る可能性など無くなってしまう。


 前から後ろから、挟み撃ちにしようと壁をよじ登る気配。

 ブルーノは立ち上がり、走り出すために構えた。


 足首が痛む。


「……ごめん。ダリアねえさん、ヘクターさん。明日、助けて下さい。できれば今すぐにでも。僕、やっぱりキツい事は嫌いなんです。今回はすごーく嫌な予感がしてるんです」


 ブルーノは神に祈るように指を動かし、兎と狼に、見も蓋もない祈りを捧げた。


※※※


「ほら、持ってきたぞ、コプニスの解毒剤。作り方も書いてもらった」


 いつもの王城内手当室。豪華な寝台に腰掛けながら、ヘクターは白竜の長、ザルバに小瓶とメモを投げ寄越した。

 ザルバは嬉しそうに受け取り、解毒剤の匂いや味を確かめ、メモを睨みながら言う。


「……良さそうな薬だが、これだけではよく解らん。やはり、薬師本人を連れてこい」

「やだよ。ザルバも薬作れるだろ? 解らないのか?」

「俺は本を頼った独学だ。感覚的な部分が本やメモでは伝わってこなくてな。こういう物をキチンと作れる薬師に直接学びたいのだ」


 ザルバが小瓶を振りながら言った。ダリア特製二日酔い薬の出来栄えに満足げだ。


 魔獣の性質を持つダリアは、城の結界を通過出来ない為、ここに連れてくる事は不可能だ。

 しかしその事をザルバに言えば、護衛や部下を十数人引き連れ、従業員部屋に遊びに来てしまうだろう。


 そんな面倒に巻き込まれたくはない。


 ザルバは大事そうに小瓶とメモをしまい、言った。


「薬はたったのこれだけか? 薬師に作ってもらった分を全種類持ってこい、と言っただろう?」

「これだけだ」


 ヘクターが答えると、ザルバは疑わしそうにヘクターを見る。


「……優秀な薬師を前に、お前が二日酔い薬だけしか作って貰っていないなど、考えにくい。ほら、だせ。どうせ、避妊薬や催淫剤、睡眠薬、強壮剤くらいは作らせているのだろう?」

「……っ! その手がっ!」

「なんだ、ホントに作って貰っていないのか。失望したぞ」


 ザルバが肩を落とし言う。

 ヘクターはぼんやりと妄想にとりつかれ、ザルバに聞いた。


「……催淫剤を、作った本人に飲ませるにはどうしたらいいかな」

「薬師なら臭いと味ですぐわかる。自分が作ったものなら尚更だ。なるほど。そういう理由で作らせていなかったのか。わかりやすいな」


 いやしかし、味の濃いケーキに混ぜれば……と、ヘクターは呟きながら考える。

 ザルバは呆れた顔をし、足の装具を新しいものへ取り替えた。


「それはともかく、解毒剤を何種類か、出来るだけ沢山、作って貰えないか? 足りない材料があるならこちらで手に入れる。薬の出来次第だが、高値で買い取ろう」

「……何があったんだ?」

「『花』の副作用だ。この間の件で、一気に供給が途絶え高騰した。『花』の依存者は貴族や魔導師ばかりだ。手に入れる為に財を投げうつ者が沢山出てきてしまってな」

「解毒剤でどうにかできるものなのか?」


 ヘクターが問うと、ザルバは眉をしかめる。


「わからない。応報だと放り投げたいが、国を売り飛ばすような者が表れないとも限らん」

「そうか」


 仕方がない、ダリアに頼もう。

 これから毎日、薬の調合の臭いに悩まされる事になるのか、と憂鬱になった。


※※※


 城での治療を終え、ヘクターは従業員部屋に戻る。


「ダリアちゃん。今日、お医者さん(・・・・・)がね、ダリアちゃんの二日酔いの薬、凄く褒めてたわ。なんでも解毒剤が今、すごーく必要なんですって。他の解毒剤も作ってくれないかしら」

「うん、いいよ」

「じゃあついでに……」


 催淫剤や強壮剤も、と言おうとし、止まった。さすがに彼女に直接、催淫剤を作れとは言い辛い。


「……知っているお薬、全部作って貰えないかしら?」


 どんな薬であってもザルバなら喜んで買い取るだろう。


「ええええっ!? 私、解毒剤だけで50種類くらい知ってるんだけど、全部って!?」

「ああ、そんなに種類あるの……。薬師の世界って奥深いのね」


 一応前向きに作ろうとしてくれてはいるが、素敵なお薬まで辿り着くには、何年かかる事だろう。

 ヘクターはソファにひっくり返り、大きく息を吐いた。


 ダリアが珈琲を用意し、ソファに運ぶ。

 ヘクターの隣に並び座ると、思い出したかのように言った。


「あ、今日、ブルーノくんお休みだって。明日のコンクールも来れないかもって」

「まさか本屋の件、追求されるの嫌だから、とかじゃないわよねえ……」


 明日の面倒事は全て押し付けようと企んでいただけに、急に居なくなると困ってしまう。


「警吏さんたちに追いかけられてたよ。明日、戻って来なかったら心配して助けて、だって」

「ブルーノ、何やらかしたの? 本人が悪いなら心配もしたくないし、助けようもないわ」


 ソファの肘掛けにもたれ、珈琲に口をつける。

 ダリアも困ったね、と呟いた。


「でもね、悪いことして追われてる感じでもなかったんだよね。警吏さんたちがお魚やマタタビ、猫じゃらしとか持って、『ネコちゃん、降りておいでーっ』て叫んでたの。私、本物のネコが時計塔に登って降りれなくなっちゃったのかと思ったら、ブルーノくんなんだもん。ビックリしちゃった。……ブルーノくん、猫じゃらしで遊ぶのかな?」


 ダリアが警吏の口真似をしながら言う。


「なんなの、その馬鹿な光景。無邪気に猫じゃらしで遊ぶブルーノを想像しちゃったじゃない。……すっごく似合わない」


 しかしその状況であれば、悪事を働いて捕まった訳では無いだろう。


「あー、仕方ないわね。明後日(・・・)、心配してあげましょう。詰所に出向いて引き取り手続きかしら。もー、めんどくさいっ」


 ダリアは小さな声で、もうとっくに心配だよね、と言った。


※※※


 ヨルドモ城塞北西部。

 貴族や魔導師の住宅地と、西地区の間に位置し、国営の娯楽文化施設が並ぶ優雅な地域。

 劇場、競技場、美術館、図書館。

 それら建物自体が既に、芸術品のように美しい。

 道幅は大型の馬車がすれ違える程広く、交差点毎に神々や英雄の大理石像が並び、警備の兵と共に街を守っている。


 道幅が広い分、屋根と屋根とが離れている。間を飛び移りながら逃げることは出来ない。

 ブルーノは石畳の上を走り、劇場へと向かう。


 警吏が追ってくる様子は全く無いが、つい先程まで、足首から血が流れていた事に気付かず走っていた。鼻のいい犬を撒けてはいないだろう。

 かといって目的地を変えるほどの気力も体力も残ってはいない。


 ブルーノは劇場の裏口、使用人や劇団員が使う入口を探しあて、解錠をし、中に忍び込んだ。『冷却』の陣が張られているのか、中は涼しく気持ちがいい。


 明日、カクテルコンクールがある以上、今は演目をやってはいないはずだ。


 会場となる大広間には今、明日の準備を行う人たちが沢山いるだろう。そちらに逃げたなら追ってくる警吏につき出されてしまう。


 ブルーノはフラフラと、大広間を避け、薄暗い劇場をさ迷う。


 演劇ホール、控え室、楽屋。


 小道具置き場にたどり着き、そこで足を止めた。ここなら物が多く、隠れやすい。何より、気持ちの良さそうな布が沢山ある。


 ブルーノは衣装の山に身体を投げ出すと布を頭から被り、そのまま意識を手放した。


 何人かの足音が聞こえる。

 疲れすぎた身体はピクリとも動かない。


 犬が布越しにブルーノの臭いを探っている。


 笑い声。

 コインの擦れる音。


 柔らかく暖かな布は取り去られ、固く冷たい首輪と手錠とが嵌められるのが解った。


 起きたくない。


 起きたなら、躾が始まる事はわかりきっている。


「なんだ、ブルーノ。寝たふりか? さっさと起きろ」


 やはり、飼い主(・・・)である魔導師の声がする。


「……また逃げやがって。警吏にいくら積んだと思ってるんだ。まあいい。ブルーノにとって良い知らせを教えてやる」


 ぐったりと眠り続けるブルーノに飼い主(・・・)は構わず話続ける。


「明日、新しい飼い主(・・・)のところに連れていってやろう。そいつに充分可愛がってもらえ。……まったく、ブルーノと出会えて俺は幸運だ。お前の売値でしばらく『花』には困らないですみそうだ」


 脳が理解を拒否し、意識は闇へと沈んでいく。

 新しい飼い主(・・・)がせめて、兎や狼のような人だったらいいな、と、まず有り得ない希望がぼんやりと浮かんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ