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兎は月を墜とす  作者: hal
夏の恋人
35/99

兎と狼とヤマネコ

「っ暑っちぃーーーっっ!!」


 ヘクターが悲鳴をあげ、タオルで汗を拭った。

 グレーの夏物ベストはとうに脱ぎ捨て、シャツの襟元は大きく開けている。肘まで捲り上げた袖口からは無惨な火傷痕が覗いていた。


 バー『青兎亭』の小さな厨房。

 薄暗く幻想的な雰囲気を醸し出すホールとは全く違い、室内は明るく照されている。

 フライパンや鍋が並べられた大きな竈。その横には堆く薪が積まれ、火が絶やされる事はない。

 調理台の上にはオーブンやフライヤー等の魔導具が並び、次々と入る料理の注文に稼働し続け高熱を放っている。


 あまりの暑さに調理台が陽炎のように揺らめいた。


 暑さ対策と食材の保存の為、数ヵ所に『冷却』の魔法陣が設置されている。しかしそれであっても、身体中の毛穴から大粒の汗が吹き出し、立つのも辛いほど目眩がする。


「ママ、グラタンとポテト入りましたっ」

「うわあ。……はあい」


 注文を受けたダリアが厨房に入り込み、ヘクターへと伝えた。


 服を全て脱ぎ捨てたいのは山々だが、店の構造上、カウンター席から厨房を覗き見る事が出来てしまう為、さすがに脱げない。


「何でこんなに料理が出るんだよっ!?」


 半ばキレかけながら棚の香草を掴み取る。


 開店数刻たたずに人気メニューは品切れとなり、普段はあまり作る事のない料理さえも次々と注文が入った。

 もともと料理よりも酒を楽しむタイプの店だ。それほど用意されていない食材はあっという間に底をつき、メニューに次々と横線が引かれていく。


 やがて、食材はほぼ空になった。


 オーダーストップをダリアに伝え、カウンター席から見えない場所に移動し、シャツを脱いで身体を拭う。

 新しいシャツを身に付け、脱ぎ捨ててあったベストに袖を通し、平然と落ち着いた顔を作ってから、カウンターの内側へ移動した。


「……カウンター、すっずしいっ」


 バーのママらしからぬ魔力量を誇る魔導師、ヘクターは、酒の品質管理の為にカウンターの内側にも『冷却』の魔法陣を置いてている。


「良かった! ママ、カクテルお願いします」


 ダリアが嬉しそうに言った。

 カウンターに置かれた未提供メモには様々な酒の名前が書かれている。あまりにも多くの注文が入り、ダリア一人では捌ききれなくなっていたようだ。

 麦酒と葡萄酒だけダリアに任せ、カクテルを片端から作り始める。


 春の祭り以来初めての営業となる『青兎亭』は、祭りで獲得した新規の客で混雑していた。

 改装の際にテーブル席部分を広めにし、4人席を増やした事も裏目に出ているようだ。


 カクテルコンクールどうこう以前の問題で、客を減らさないとやっていけないな……。

 次々とカクテルを仕上げながら、本気でそう考える。


「……すっげー値上げしよう」


 ヘクターがそう呟くと、カウンターに座る常連カップル、クインスとミズナがギョッとした顔をした。


「値上げっ!? こんなに繁盛してるのに? 仕入れ値があがったのかい?」

「えー、嫌だわー。結婚で物入りなのに……。やっぱり改装で沢山取られちゃったの?」


 聞かれちゃった、と苦笑いをし、ヘクターは店内を見渡しながら言う。


「こんなに繁盛しちゃうと、私とダリアちゃんじゃやっていけないもの。お客さんを減らさなきゃって思って。それに、料理の注文多すぎて、真夏になったら熱くて死んじゃうし」


 『客を減らしたい』と客の前で言い切るヘクターに、クインスとミズナは呆れたように笑った。


 ダリアは未だ、忙しそうにテーブルの間を駆け回っている。

 新規の客にはダリア目当ての男性客も多くいるようだ。彼らが隙を見てはダリアに話しかける為、ダリアは手を止めてそれに対応しなくてはならない。その事が忙しさに拍車をかけていた。


「あー、やたら注文が入ったのって、ダリアちゃんに話しかける為だったのかしら……」


 ヘクターが呟くと、それに頷きながらクインスが言う。


「それもあるだろうね。だけど、祭りの日のケーキがとても美味しかったから、みんな料理の味を期待して来ているんじゃないかな。

この店は、夏も酒の味が落ちないし、何故か涼しいし。僕らの思い出の店でもあるわけだから、是非、値上げはほどほどにして欲しいな」


 クインスの隣でミズナもウンウンと相槌を打った。

 その様子を見て、ヘクターは彫りの深い鼻梁に固い決意を浮かべ、はっきりと宣言する。


「うん、これからは料理、手抜きします! ついでに酒の味もあえて落としましょっ!」


 カウンターの客たちは騒然とした。


「ヘクターさん、忙しくて困るなら、バイトを増やせばいいんじゃないかなっ!?」


 カウンターに座る帽子を被った男性客がそういうと、クインスとミズナは顔を見合わせ、困ったように笑う。


「ママね、アルバイトの募集を始めてからダリアちゃんを雇うまで、半年もかかったのよ」

「この店、そんなに採用条件厳しいの?」


 男性客に聞かれ、ついヘクターは目を反らした。それを見てミズナが昔を懐かしむように話す。


「純粋な、顔採用。私、あそこまで条件の厳しい顔採用って、初めてみたわ」

「違いますっ! 色々とここでは言い辛い細かーい条件があるんですっ!」


 あまり他人を詮索せず、本来の仕事(・・・・・)の邪魔にならないタイプ。

 ふわふわとした緩い雰囲気を持つダリアは、条件に合っているように見えた。

 もちろん、接客業として外見も大事な条件に数えてはいたが、なじられる程ではない。


「どんな美少年を採用するつもりなのか、みんな楽しみにしていたんだよ。ここまで拘るなら間違いなく愛人候補だろうし。そしたら結局、若くて可愛い女の子雇ったからさ。ざわめいたよな。ママ、両方いけるんだって」

「……」

「だからきっと、またバイトを募集してもなかなか決まらないんじゃないかしら」


 二人が楽しげにそう言った。もう、かなり酒が廻っているのだろう。


「ふーん。ヘクターさん、僕、この店で働きたいな。……残念ながら顔は普通だけど」


 男性客が笑いながら帽子を脱いだ。

 大きな、三角形に尖ったヤマネコの耳が顕れる。

 その耳を見て、クインスとミズナは驚きに目を丸くした。ヘクターも怪訝な声をあげる。


「……ブルーノ?」

「うん。ぜんっぜん、気付かないんだもん。哀しかったよ。ね、僕をこの店で雇ってくれないかなあ。農場のバイト、あんな事になっちゃったし、『花』とはもう関わりたくないんだ。だから歓楽街から出ようと思って」

「……あなたみたいに素行の悪すぎる子は、絶対に嫌。雇ったらお客さんが危ないわ」


 ヤマネコのブルーノは、歓楽街に住まう子悪党(チンピラ)だ。一見穏和で外面がいいが、ヤマネコの魔力『惑乱』を使い、ちょっとした悪事を繰り返し生きてきた。


「えーっ、僕、ヘクターさん一筋だから。はい、これ借りてたマント。ありがとう。毎晩抱いて寝たよ」

「……そいえば貸してたわね。これは捨てるわ」


 相変わらずブルーノが妙になついている。ヘクターはうんざりした顔でマントを受け取った。


 『花』の農場から帰る際、帽子を無くし人目を気にして城塞に入れないブルーノに、身に付けていたマントを渡し、馬から降ろした。そのお陰で半裸状態で城に行ってしまった訳だが。


「ね、ね、ブルーノくんだっけ? ママと何かあったのっ!?」


 酔っ払ったミズナが嬉しそうに声をかけた。

 テーブル席ではダリアが背を向けたまま接客をしている。が、意識をこちらに集中させているのか、背中が緊張に強張っていた。


 ブルーノは満面の笑みを浮かべミズナに向かって言う。


「ヘクターさんと一緒に、一泊旅行をしたんだよ」

「っ違います! 泊まりがけの仕事をしに行っただけじゃないっ!」


 ブルーノは肘をつき指を組んで、うっとりと思い出すように話はじめる。


「外はすごい豪雨で、完全に締め切られた部屋。隣り合わせのベッド。微睡んでいた僕に覆い被さるようにヘクターさんが……」

「ちょっと、わざと誤解を招こうとしないの! 用があって話し掛けただけじゃないっ。第一、同室って言っても八人部屋よっ!」

「寝てた僕を強引に起こした癖に。あれから結局、昼まで一睡も出来なかったよ。すごく大変だったし、怖かった……。あんなに沢山の男に一度に襲いかかられたのは、初めてだ……」


 ブルーノが遠い目をした。

 ヤマネコを狼と勘違いした屍人(ゾンビ)の群れに、ブルーノを投げ込んで囮にしたのはヘクターだ。

 それは怖かっただろう、と、ほんの少し同情的な気持ちになる。


「ああ、あれはごめんなさいね。ちょっと、残酷だったかもしれないわね」

「……ちょっと!? もうトラウマなんだからねっ! 見たくないモノいっぱい見ちゃったし……」


 空を飛ぶ女の子の生首とか、と、ブルーノは小声で付け加えた。


「私も、正気じゃなかったわ。いつもだったらさすがにあんな事しないもの」


 『面白くなくなる』指輪に操られ、ブルーノには見せなくていい残虐な光景を見せてしまった。

 ついヘクターまでも、遠い目になる。


「ね、え、えっと! どういう事情!? 正気じゃない感じのママが、8人部屋でブルーノくんに一斉に襲いかかって、一睡もさせずに凄いモノを見せたって事? それは、責任とらなきゃっ!?」


 ミズナが慌てたように言う。ブルーノは何かに気がついたようにポンと手を打ち、ヘクターは愕然とした表情を浮かべた。


「そうだよっ。ヘクターさん、責任とってください!」


 ブルーノが嬉しそうに言う。

 完全に引いてしまったクインスとミズナは腫れ物に触るように、じゃあそろそろ、と言って店を出ていった。

 ヘクターが項垂れる。


 いつの間にか閉店時刻を越え、バー『青兎亭』に客は居なくなった。ダリアは黙々と布巾でテーブルを拭いている。


「ね、責任とらなくてもいいからさ、お詫びに僕を雇ってよっ!」


 ブルーノはわざとらしく大きな声を出し、ダリアに聞かせるように言った。ダリアは眉を寄せ、困ったように微笑んだ。


「んー。ダメだよ、ヤマネコさん。私は匂いでみんなわかるの。ママの身体からはそんな匂い、しなかったよ。何もしてないのに、そういうのはおかしいから」

「豪雨できっと、消えちゃったんだ」

「私、たぶんあなたよりも鼻がいいの。今度クインスさんたちに会ったら、ちゃんと本当の事を話してね」


 ダリアはヘクターに大丈夫だと笑いかけ、カウンターの掃除をはじめた。その様子にヘクターも安堵を浮かべる。


「……なんだよ、獣人よりも鼻がいい人間なんている訳がないじゃないか。おいっ!」


 ブルーノが大きな声をだし、ダリアの視線を集め瞳を見詰める。

 ヤマネコの『惑乱』。ブルーノの金の瞳から出た魔力が震え、空気を揺らした。

 ダリアはふっと目を細める。

 赤い瞳。酒瓶がぶつかり合い、高い音を鳴らす。


「えっ!? なんだ、これ……っ!?」


 ヤマネコの魔力は兎の魔力にあっという間に喰い尽くされ、塗り潰された。

 完全に無力となったヤマネコを兎の魔力が縛り付け、椅子に重く縫い付ける。


 呼吸が止まりかける程の重圧。

 ヤマネコとはあからさまに質の違う、強大で純粋な、兎の魔力。


 ブルーノは絞り出すような声で呻いた。


「……この間と、同じ……魔獣の、力? 人、型の、魔獣……っ魔人って事!?」

「ハズレですー。兎獣人のハーフです!」


 ダリアがそう言うと、ブルーノを押さえ付けていた圧が解ける。

 荒い呼吸を吐きながらダリアに突っ込んだ。


「兎人は、人って付いてるけど、獣人じゃないからっ!」

「ええっ!」


 青い瞳に戻ったダリアがのけぞり、驚愕の声をあげる。ヘクターはそういえばそうかも、と手を顎に添えた。


「あのねえっ、獣の性質を持った人間が、獣人なの。兎人って巨大な二足歩行の兎で、言葉も喋れないじゃないかっ。魔の性質を持った獣、魔獣でしょう?」

「じゃあ、まあ、魔獣ハーフのダリアちゃんって事でいいじゃない。そんな大した問題じゃないわよ」


 ヘクターが笑いながら言う。ダリアも、まあそれならそれでいいか、と呟いた。


「……君ら、適当だね。結構な違いだと思うけど。僕は魔獣と人間のハーフがいるって事が衝撃だよ。どうやって交わるんだよ、ほんとに。ハーフとか言いながら魔力は兎そのものだし、しかも赤い瞳の兎だし……。ヘクターさん、凄いペットを飼ってるんだね」

「ペットじゃなくて、カノジョなんだけどね」


 ヘクターが当然の事のように言う。

 ダリアはパクパクと口を開閉させ、顔を真っ赤に染め上げた。


「カ、カノジョって!? この間、ペットだって言ってたじゃない。カノジョって言ったらペットって言って、ペットって言われたらカノジョって言うし……」

「……ああ、カノジョじゃ不満なの。じゃあ、カノジョとペット、好きな方選ばせてあげる」

「カノジョ! カノジョカノジョカノジョッッ!!」


 ダリアが迷いなく叫ぶのを見て、ヘクターは満足げに微笑む。


「……なんかとってもめんどくさいな、この二人」


 ブルーノが小声で呟いた。

 ヘクターは見せつけるようにダリアの頭をカウンター越しに撫で、ブルーノに言う。


「そういう事で。私、ちゃんとカノジョいるみたいだから、諦めてちょうだい?」

「さすがに格上の獣のエサを掠め取るようなことはできないよ。怖いもん」

「……えっと。私がエサ、なのね。あなたたちの認識では」

「ヘクターさん、美味しそうだからね。でもほんと、僕もできれば獣人に理解のある人のところで、普通に働きたいんだよね。この街じゃ、獣人にまともな仕事なんて無いからさ。

真面目な話、僕は()さんが何者かわからないけれど、仕事(・・)の邪魔をする気は無いよ。忙しい時間帯は、僕がホール、兎のねえさんがカウンターに入って、()さんは厨房で料理してあんまり人前に出ない、って形が仕事(・・)での理想だったりするんじゃない?」


 ブルーノが真剣な顔で言った。

 おそらくこれが、ブルーノの考え抜いた本音。獣が人の世界で働く為に、『青兎亭』を選んだ理由。

 表の世界に店を持ちつつ、常に魔獣の気配を纏わせ、あのような仕事(・・)をこなすヘクターであれば、お互いに都合よくやっていけるはずだ。

 確かに、強引に客を減らすより、ある程度理由のわかっている者を雇い入れ、俺自身が表に出ないようにした方が、上策だろう。ダリアもカクテルを一通り作れるようになっている。

 さらに言えば、知りすぎているブルーノを歓楽街に野放しにするよりも、監視のできる手元に置き懐かせておいた方が安心感はある。

 

「ねー、ママ。この場合、ママも私もカノジョなのかな? お互いにカノジョだなんて、なんかおかしいね」


 ヘクターが考えに耽っていると、未だに浮かれるダリアが唐突におかしなことを言い出した。


「あ……ああ、この場合、性別的にはとっても普通な関係だから、私がカレシで問題ないと思うわ」

「種族的にはぐっちゃぐちゃだけどね」


 ブルーノが軽口を叩く。

 ダリアはカレシ、カノジョ、と呟き、頬を押さえながら上機嫌でにやけた。


「で、ダリアちゃんはどう思う? ブルーノさんがここで働きたいって言ってるんだけど」

「もう今日みたいなの嫌だから、雇っちゃえばいいんじゃない? 私もホールよりも常連さんの多いカウンターがいいかな。変な人いると大変だし。一緒に働くなら、兎だってわかってる人の方がいいし」

「兎のねえさんっ! さすが魔獣っ! 心が広い!!」

「もしママに何かしたら、重力操作で板切れよりも薄くしちゃうけどね」


 ダリアが楽しげにそう言うと、ブルーノの動きが凍った。


「そうね。ダリアちゃんが兎で私が狼である以上、もし何かあった場合ヤマネコさんは無事に逃げることなんて出来ないものね。よし、雇いましょう。従業員部屋は満室だから、ちゃんと家から通ってね」


 ヘクターが契約用の書類を作成し始める。

 顔色の冴えないブルーノが、もしかして、早まったのか……と小声を漏らした。


 ヨルドモ城塞西地区、裏通りの小さなバー『青兎亭』の従業員は、狼と兎、それからヤマネコの三人となった。

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