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兎は月を墜とす  作者: hal
初夏の白
33/99

四章エピローグ

 夜の海は心臓が凍るほどに冷たい。


 塵が月明かりに揺れ、星屑のように輝く。沈黙とゆらぎの中、耳は微かな歌声を捉え、彼は大きく腕を掻き音のする方へと泳いだ。


 前方に回遊魚を思わせる屍魚(ゾンビフィッシュ)の黒い群れ。彼はレイピアをふるい、それを散らす。魚の血と白い体液が海水を濁らせる。

 靄の中に腕を差し入れ、掴み、強く引いた。


 見つけたっ!


 彼は魔女をしっかりと抱き寄せ、海面に戻ろうと水を掻いた。しかし海底から伸びる金の触手が魔女の足を素早く捉え、引き摺りこむ。


 髪の毛のようにしなやかに揺れる、魔力に輝く触手。それは魔女だけでは飽きたらず、彼をも喰らおうとうねり、広がった。


 魔女が歌の詠唱を終え、彼の頭を掴み寄せ唇を重ねる。


 唇が静かに離れ、魔女は彼に向けて勢いよく魔法を放った。衝撃が腹を打つ。光の球は彼を水面へと押し上げる。


 海の底、ダリアそっくりな魔女が哀しく笑った。


「ダリアッ!」


 ヘクターは叫びながら目を覚ました。


※※※


 真上にダリアの顔。頬を包む暖かな指先。

 従業員部屋のソファの上、膝にヘクターの頭を抱えたまま眠るダリアがいた。


 夢の名残に未だ激しく打つ心臓を押さえ、下から寝顔を眺める。薄く開いた唇の端に涎の粒が光った。


 今日は酷い一日だった。ヘクターはそう呟く。嫌な夢を見てしまったのはその性かもしれない。


 あの日、沈んだのはダリアじゃない。黒の魔女、ヘクスティアだ。

 十五年前、魔女の騎士であったヘクターは、海に墜ちた魔女を助ける事が出来なかった。


 静かに身体を起こし、眠るダリアの唇を親指で撫でた。


 ふわあ、と、ダリアが身じろぎをする。


「……起きた?」


 ソファに並び座るヘクターが言う。ヘクターの肩にもたれた頭をあげ、ダリアは目を擦った。


「ごめん、私、寝ちゃってたみたい。ご飯作ろうと思ってたんだけど。今から作るね。今日はママ、疲れてるでしょ?」

「何を作るつもりなの?」

「んとね。パンがあって、あと無花果とオレンジがあるから……」

「……外食にしましょう。私、肉が食べたいわ」


 ヘクターが苦笑いを浮かべ、言う。兎人ハーフのダリアとは種族的に食の好みが合わない。


※※※


 食事を終え、夕闇に包まれた街を歩く。雨はとうに止み、初夏の爽やかな空気が街を包んでいる。

 ダリアはヘクターを見上げ、嬉しそうに言った。


「こうやって、外でご飯食べて一緒に歩くのって、もしかしたら冬の旅行以来かな」

「そうね。うちの店、定休日ないものね。……じゃあ、ちょっとこのまま、デートしましょうか」

「っ! デート!!」


 ダリアの顔が一瞬で赤く染まる。

 デート、という言葉に緊張をしたのか、並ぶ距離を急に離した。


 ヘクターはゆっくりと、杖をつきながら歩く。杖のない左側にダリアが回り込んだ。


「あ、あのね。……旅行、どうだったの? 楽しかった?」

「……うーん。むしろ最悪だったわ。でもこれでしばらく、家でのんびりできるようになったから。夜も呑みに行かなくてよくなったしっ! あの苦い薬ともお別れよ」


 ダリアはそうなんだ、と呟きながら、そっとヘクターの小指を握る。ヘクターはその手を絡めるように握り返し、呟いた。


 こいつ、会話は完全に上の空だろ。

 ダリアなりに距離を縮めようと頑張っているのだろう。

 小さく笑い、手を振りほどく。ダリアの指が慌て、小指を掴もうとする。ヘクターはそのまま手をダリアの腰へ回し、身体が密着するよう強く引き寄せた。

 覗きこむようにダリアを見ると、耳の後ろまですっかり朱に染まり、あちらこちらに目を泳がせている。

 暴走されたら困るな、そう思い少し力を緩めた。


 『青兎亭』がある雑居アパートのすぐ近く、猫が沢山集まる小さな空き地。

 特に散歩したい場所も無いが、部屋に戻るのは惜しい。二人は空き地の瓦礫に座った。


 日はすっかり落ち、空に下弦の半月が笑うように光っている。


 密着した身体に、お互いの心音が響く。腰を抱き寄せていた手が、ダリアの左手を握る。

 薬指に小さな金属。祭りの日に卵に入れた指輪がそこに填められていた。


 ダリアの顔に影が墜ちる。互いの顔が近付き、甘い予感にどちらからともなく瞳を閉じた。


 鼻先が触れ合う。柔らかな唇に唇を押し当て、そっと離した。


 目眩がする。


 回した腕の位置を変え、抱き寄せた。

 一回、二回と数を数えるように啄みあう。


 次第に熱を持ち、重なりは深くなる。唇が離れる瞬間に水音が鳴り、意識が掬い取られた。

 頭の後ろを掴み、首の傾きを変えさせる。舌を差し入れ、そっと歯列を味わう。熱い唾液を流し込んだ。


 欲望に白く塗り潰され、熱が疼く。呼吸が浅くなり、完全に一つではない存在がもどかしい。

 口を大きく開いたまま、噛み付くように貪る。小さな吐息がせつなげに零れた。


 今、ダリアが暴走したら、街が壊れる。

 頭にそう過り踏みとどまった。何しろ月が輝いている。


 名残惜しげに唇を放す。細く輝く唾液が糸を引き、ダリアは恥ずかしそうにそれを拭った。


 ヘクターがダリアを見詰める。ダリアも顔を紅くし、目元を潤ませながら見詰め返す。


 咄嗟に暴走を覚悟し、身構えたが、ダリアの魔力は震えず膨らまず、穏やかに凪いでいる。


 ……あれ? ダリア、俺を見ると暴走しちゃうんじゃなかった?

 暴走の気配の無いダリアに、却って不安が募る。


 もしや、あのちっさいおっさん(マイヤス)に気持ちを持ってかれた、とか……まさかそんな訳、無いよな……。


「……ダリアちゃん、なんで暴走しないの?」

「あ、マイヤスさんが……」


 ダリアの口からマイヤスの名前が出たため、ヘクターは眉を酷く歪ませた。


「マイヤスさんが暴走しない魔導具をくれたの。暴走すると危ないからって」

「魔導具?」

「うん、ほら」


 ダリアがワンピースの襟元を解し、胸元を開いた。

 そこには青月石(ブルームーンストーン)のペンダントトップが付いたチョーカー……首輪が装着されている。


 ヘクターがそっとそれに触る。


 一瞬指先が首に触れ、ダリアの身体が跳ねた。


 首輪には留め金が付けられていない。魔導具である以上、下手に外せば効力を無くし、壊れてしまう。


 マイヤスはわざと首輪を選んだのだろう。

 ヘクターが手を出そうとはだけさせれば必ず目に入る場所に、本当の飼い主は自分だという証を残した。


「俺の、なのに」


 唸るように呟く。

 苛立ちに胸が震える。


 この魔導具はダリアに必要な物だ。その事はちゃんと解っている。

 しかし、ヘクターがいくら調べても用意する事が出来なかったそれを、あっさりとダリアに贈られてしまった事が忌々しい。

 そして、他の男からの贈り物を平然と身に付けているダリアにも腹が立った。


 やり場の無い怒りをぶつけるように、桜色に染まる首筋に噛みついた。

 首輪に代わる痕を残すように、歯を立て、強く吸う。兎の小さな悲鳴があがる。


 そのまま、瓦礫の上にダリアを押し倒した。


「え? ちょっと!?」


 ダリアが驚いたような声をだす。


「だめ?」

「……あ、その、待って!? ……ん」


 わざと、甘い声が漏れるよう舌を這わせた。


「ダリアは俺のだから。俺が飼い主だって言っただろ?」


 ダリアの首が粟立ち、ひくひくと脈を打っている。


「そ、そうじゃなくて、ちょっと、ちょっとだけ待って!」


 ダリアがヘクターの腕を強引に押し退け、ぴょんと立ち上がり、目を閉じ深呼吸をした。


「……えー。……っ!?」


 ヘクターが興を削がれ不満げに呟く。と、突然ダリアの纏う魔力が変わった。


 ダリアが目を開く。


 赤い瞳。


 兎の魔力が渦巻き、世界が大きく歪み、景色が揺れた。


 耳をつんざく高音。兎が咆哮する。

 半月はそれに応える。


 地上との距離を縮め、昼間の太陽を思わせる明るさで広場を煌々と照らした。


 ダリアが目を楽しげに目を細め、青く強い光を浴びながら微笑む。


「……」


 全く訳が解らない。ヘクターは呆気に取られた。


 やがて、月が輝きを納めると、ダリアは照れたように笑い、ヘクターの隣に座った。瞳は青に戻り、魔力も普段通り凪いでいる。


 ダリアが先程と同じように、目を閉じ、首を小さく傾けた。キスの続きをねだるように。


「……いやいや、今の何?」


 全くその気になれず、ヘクターが言う。


「ヤマネコさんがいたから」

「……ヤマネコ、ブルーノが居たのか?」

「うん。私、匂いでわかるの。だから、んー、何て言えばいいのかな? 魔獣としての実力を示して存在を主張してみました!」


 ダリアが得意気に言う。


「……ダリアちゃん、野性すぎるっ! 怖いっ! あと、ムード無さすぎ!」

「あれえ、だめだったかな……。でもね、魔力がちゃんとコントロールできるようになって、なんだかとても強くなった気がするよっ!」

「……強くなる必要、全く無いじゃない。あんまり人間ばなれしないでちょうだい。突然月に吼える彼女とか、嫌だ……」

「カノジョッ!?」


 ダリアが目を見開き、飛び上がる。


「今、カノジョって言った!? ね、言った!?」

「……言ってない。さ、部屋に戻るわよ」


 ヘクターが立ち上がり、雑居アパートへと歩きだす。

 ダリアは跳ねるようにヘクターの周りを回った。


「カノジョ!?」

「……ちがーう。ただのペット」


 そう言って、じゃれるように部屋へ帰っていった。

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