花畑
「どうしたの? ここ、すっごく皺が寄ってるよ」
ヤマネコのブルーノがヘクターの眉間に触れる。と、ヘクターは無言のまま手で払いのけた。
「……ね、ねえ、実はバイト嫌だったりするのかな?」
「別に」
ヘクターの黒髪は雨の滴で濡れている。それを拭いもせずさっさと馬車に乗り込み、一番奥の席を陣取った。ブルーノも急いで隣に座る。
農場行きの粗末な馬車に次々と若い男が乗り込み、すぐに車内はいっぱいになった。
雨のため鎧窓は固く閉ざされ、車内はぼんやりと薄暗い。ヘクターはブルーノへ視線を向けることなく、閉ざされた窓の向こうをじっと睨んでいる。
「本当に、何かあったの?」
「なんでもない。寝るわ」
そう言って拗ねたようにマントを外し、布団がわりにかける。
ブルーノの知るヘクターは、穏和で妖艶なオカマだ。今日のように不機嫌さを隠さず前面に押し出した顔は初めて見る。
「ね、農場につくまでいろいろ話そう。それにむしろ僕の前で堂々と寝ることにビックリだよ。食べちゃうぞー」
ブルーノがふざけた調子でマントを剥がそうと強く引く。と、ヘクターはぎろりと鋭く睨み、マントを頭から被った。
「うわー……こわっ」
馬車が大きく揺れ、ゆっくりと走り出す。
男たちはそれぞれの『草』に火をつけ、あっという間に車内は、煙と陽気な会話で充たされた。
ブルーノも『草』を喫みながら呟く。
この人、何で来たんだ。
ヘクターは『草』も『花』も苦手だ。農場に向かう他の若者たちとはタイプが違う。この態度では、ブルーノとの仲を深めるために来た、という訳でも無さそうだ。
「……やっぱり、金に困ってるだけなのかな」
ため息交じりにそう言った。
※※※
数日前の夜、歓楽街のいつもの店。
その日もヘクターはゆっくりと酒を呑んでいた。隣にはブルーノ。向かいには紫煙をなびかせる魔導師。車座に座る中央には大量の酒瓶が並ぶ。
ブルーノがふざけながら抱きつく。薄手のシャツ越しに感じる、鍛え上げられた身体。
バーのママらしからぬその体躯に、最初、潜入操作の警吏を疑った。が、警吏であれば魔導師であるはずだ。ヘクターの腕には魔導師の証である魔法陣の刺青が無い。
恐らく身体を鍛えるのが趣味の人なのだろう、オカマには多いタイプだ、と、ブルーノは変に納得をした。
抱きつくついでに、身体に纏わり付く魔獣の魔力を、ヤマネコの魔力で上書きする。
相変わらず魔導師の男は、隙あらば、と見目の良いヘクターを狙っている。最初にブルーノの『惑乱』のことをバラしたのも、ヘクターからの印象を良くするためだろう。しかし、ヘクターが『草』も『花』もやらず、酒にもやたら強い為、ガードを壊せないでいた。
魔導師は女を口説くように得意気に語る。
彼がどれだけ裕福で、魔力が強く、神に愛されているのか。
ヘクターは口説かれ慣れた女のように笑い、話に耳を傾け、男をおだてた。
「『花』ってすごく高いんでしょ? ほんと、お金持ちなのね。ここ数日分の『花』だけでうちのお店、修理できちゃうんじゃないかしら。『花』、どこからそんなに手にいれてるの?」
「金に困ってるのか?」
魔導師が好色な笑みを浮かべる。
「うん、まあねー。お店が爆発しちゃったから」
ヘクターが眉根を寄せ、困ったように笑いながら答えた。ああ、そういえばあの爆発は凄かったね、と、ブルーノも言う。
「いくら欲しいんだ? 言い値で買ってやるぞ」
「失礼ね。愛が無いのは嫌なの」
小さな舌打ちがヘクターから聴こえた気がして、ブルーノは振り返った。心なしか艶っぽく笑う頬がひきつっているようだ。
今、ヘクターさん、イラッとしてた?
ブルーノは話題をそらそうと話し出した。
「最近は『花』、だいぶ出回ってるね。もう少ししたら安くなるよ。収穫の季節だから」
「へえ、そういう時期なの」
「『花』の収穫って結構な重労働なんだ。花が落ちてしばらくするとこんなちっちゃな実が出来るんだけどね、それに朝、傷をつけて、夕方に汁を回収するんだ。花が落ちる前の白い花畑はすごーくキレイでね。お昼とか、精製前の薄ーい茶色の汁をのんびり吸いながらぼーっと見ているとすごーく楽しいんだよ」
「……それ、どうなの? ていうか詳しすぎない?」
ヘクターがブルーノを怪訝な表情で見る。
「春と秋にバイトしてるから。今年もそろそろだね」
へぇっ、とヘクターが呟き、少し間を置いて小さく笑った。
「それ、住み込みの短期バイト?いいわね、興味あるわ」
「変なやつだ。肉体労働が好きなのか? お前だったら別の仕事の方が儲けられそうだがな。紹介状書いてやろうか。そうだな、一晩肉体労働を……」
魔導師が言うとヘクターはクルリとブルーノを振り返った。
笑顔が怒りにひきつっている。
「……ブルーノ君、そのお仕事、あなたから紹介してくれないかしら。頼りになるわー、ネコちゃん」
「ちょっ、顔、怖いっ! 僕にふらないでよっ、あっちからも凄い睨まれてるから!」
「ネコちゃんは優しくて可愛いから、無条件で紹介してくれるわよね。そうねー、お仕事終わったらちょっとした御褒美くらいあげてもいいわよ」
「お、おいっ! 俺が紹介状を書いてやると言っているだろう! 今年は大量に労働力を募集しているんだっ!」
魔導師が身を乗り出し言った。
※※※
ヘクターは座ったままマントを被り、静かに目を閉じている。馬車はガタゴト揺れながら労働力を農場へと運ぶ。
今夜は忙しくなるだろう。
『花』が何処に卸されているのか調べなくてはならない。倉庫に潜り込むかそれとも帳面を探すか。
とにかく今は眠り夜に備えなければ。
雨にぬかるむ田舎道に馬車が激しく揺れた。隣に座るブルーノも『草』に酩酊し、ぼんやりと目を閉じて黙っている。
薄暗く静まり返った車内。あまりにも酷い揺れの為、新たな『草』に火をつける者も居ない。次第に暗くなる雨の田舎道を極めてゆっくり走り続ける。
やがて馬車はガタリと大きく揺れ、停車した。
馬車の最奥に座っていたヘクターは、一番最後に馬車から降りる。
案内され、入った寄宿舎は白い石造りで、三角の赤い屋根がついていた。
他にも似たような建物が何棟か連なり建てられている。『花』の精製所、倉庫、そして管理所。全ての建物に防火の結界が貼られていた。
それら建物の周囲を囲むように、辺り一面に白の花畑が広がり、夜の雨に濡れている。
一見、牧歌的で美しい光景だ。
ダリアが見たら喜ぶかな。……いや、きっとこの臭いに文句を言うだろうな。
白い花畑からは、観賞用の花とはかけ離れた悪臭が漂っている。
のんびりと入口付近で景色を眺めていると、ブルーノが駆け寄ってきた。
「今年は面談で説明があるんだってさ。去年は適当にハイハーイッて感じだったんだけど。取り締まりとかあったのかな。……ちょっと聞いてくる」
「……面談……?」
嫌な予感がする。
すでに面談を終えた若者たちに話しかけ、ブルーノがまた戻ってきた。
「えっとね、今年はちゃんと労働者を管理するとかで、二、三人ずつ働く内容を説明して、で、指輪をくれるんだって」
「……指輪」
「変な人が紛れないように、だってさ」
見ると、若者たちの指に例の赤い指輪が填まっている。
「……はは、まさかの屍鬼主直営農場……」
ヘクターは顔色を変え、から笑いをした。
せめて、多少の変装くらいしてこりゃよかった。とりあえず杖だけは隠さなきゃな。
ヘクターには判りやすい外見の特徴が多い。それは、特徴を隠しさえすれば見つかりにくい、という利点にも繋がっている。
しかし今回、大規模な『花』農場からの出荷先をリストアップし、街に戻ってからしらみ潰しに探せばいいと軽く考えていたのと、同伴者にブルーノがいたために、変装をしていない。
「いいな指輪。あれ、家に持って帰れそうだよね。さ、行こう。寄宿舎、同じ部屋がいいね!」
ブルーノが楽しそうにヘクターの腕を引っ張った。
※※※
狼の特徴
片足が不自由で左利き
右頬と全身に火傷痕
黒髪30代男
整った容姿
「で、いたのだな。今回の面子に」
「ええ。全ての条件に一致し、あっさりと指輪も嵌めました」
「……それはそれで怪しいな。第一、指輪を嵌める筈がない。偽者では無いのか? ……いやしかし、偽者を送り込む意味も解らない……」
管理所内の奥まった一室。
緊急事態に備え宮殿と繋がれた転移の魔法陣が、ゆっくりと明滅する。
狼は恐らく『花』を足掛かりとして探ってくるだろうと、『花』に関連する多くの施設に狼の特徴を伝え、見つかり次第報告するように伝えてはいた。
が、さすがにここまで堂々と現れられると、逆の罠なのではないかと疑ってしまう。
「……ま、まあ、油断せず、生きたまま捉えろ。調査目的できているはずだからな。調査しやすい環境を作ってやれ。捉えるのは明け方、眠ってからだ」
屍鬼主はすでに屍人となっている従順な部下たちにそう命令した。
「……そうだな。幸い、外は雨だ。寄宿舎の全ての窓を閉め、通路を塞げ。その上で防火の結界を消し、中で『花』を焚け。ああ、精製前のやつで構わない」
※※※
「起きろ」
突然指先が軽くなりぼやけていた意識が覚醒した。ブルーノはホヘッ、と間抜けな声を上げ周囲を見渡す。
暗がりに包まれた寄宿舎の八人部屋、上下に別れたベッドの下段。あてがわれた居住スペースでぼんやりと横になっていた事に気がついた。
暗闇の中、ヤマネコの金の瞳が目の前に座る男をハッキリと捉える。
「……あ、あれ? ヘクターさん?」
「ブルーノ、お前、何度かこの施設に来ているんだったな。間取り図を書け。それと、雇い主について知っている事があれば話せ」
指輪を嵌めて以来、朝靄の中を漂うようにブルーノの感覚は濁り、ただただ命じられるがまま仕事をこなし、ベッドに倒れ込み、何も考えられず呆けていた。
ヘクターに指輪を引き抜かれるまでずっと。
「ヘクターさん、その指輪なんか変。それに、ヘクターさん雰囲気違うよ。男言葉だし。……本人、だよね?」
「……」
いつもとは全く違う感情の無い視線。
黒いマントを身に付けたまま、じっとブルーノを見詰め座っている。
まあいいか。せっかく二人でベッドの上にいるんだし。
ブルーノは獲物を捕食しようと金の瞳に魔力を込めた。
……あれっ、と小さく呟く。魔力はしっかりとヘクターを捕らえたはずなのに、意識を奪う事が出来ない。
「何ともない?」
ブルーノが手をひらひら翳し、不思議そうに首を傾げると、ヘクターは低い静かな声を出した。
「そうか、話せないならそれでいい」
左手がふわりと揺れ、指の先端で魔力の塊が光の印を作り出した。右手に持つ黒い板の上、魔法陣が輝きはじめる。ヘクターの口から歌うような詠唱が紡がれ出た。
「……金鍵を携えし女神ベアリーチェよ……」
「っ! ちょっ、ね、ねえっ! 止め止めっ! ヘクターさん魔導師だったのかっ? 何の魔法を使うつもり!?」
詠唱を中断し軽く左手を振ると、鮮やかに印が弾け飛ぶ。
再び印を再構築しようと指を構え直しながらヘクターが答えた。
「『忘却』だ」
「やだよっ! そういう精神系って失敗したら危ないだろっ?」
「失敗などない。ただ一刻ぶん消すだけだ。痛みもないだろう」
「いやいやいや。怖いからやめてくれよ! 大声出して抵抗するよ。僕、今のヘクターさんの事、見なかった事にするからっ。自力で忘れるからっ!」
「……静かにしろ」
ヘクターはそう言って用紙とペンをブルーノに手渡し、魔法陣の描かれた板に魔力を注ぐ。すると魔法陣が輝き、ベッドの上は図を描ける程度に明るくなった。
「ヘクターさん、何者? あ、聞かないからっ! 聞かないから記憶消さないでっ」
ブルーノは必死で思い出しながら建物の間取り図を書く。
「寄宿舎と管理所はここが繋がってて……で、こっちに倉庫があって……。雇い主については知らない。見たことない」
「そうか。ほらこれ返すぞ。寝てろ」
ヘクターはブルーノの手に指輪を乗せた。思わず苦い顔になる。
いや、返されても嵌めるわけないだろ。どう考えても怪しいし。
ブルーノは指輪を嵌めたふりをし、ベッドに倒れ、目を閉じた。
ヘクターがベッドを降りる。空気が揺れ、ドアから静かに出た事がわかった。
ブルーノはシーツにくるまりながら思考を廻らせる。
何なんだ、あの人。刺青無いけど魔導師だよなあ。普段と雰囲気、違いすぎるぞ。それに指輪。あれ、つけるとボーッとする魔導具だろう。何でそんなもの付けさせられてるんだ。
じっとりと汗ばんだ掌を開き、赤い石の付いた指輪を見詰める。魔導具は大変高価な物だ。『花』の労働力に渡すはずなど無い。
ヘクターに割り当てられたベッド以外、全てのベッドから労働力達の寝息が聴こえてきている。全員がその指に赤い石の指輪を付けているのだろう。もちろん、隣の部屋も、その隣の部屋も。
ベッドの中、心臓は早鐘を打ち続けている。もちろん、一瞬も微睡む事などできていない。
空気が動き、室内に人が入ってくる気配がした。ブルーノはぴくりと震え、神経を尖らす。
隣のベッドに人が潜る。
「……ね、ヘクターさん」
ブルーノは話しかけた。
「もしかして、警吏だったりする? 今、ここで何が起こっているのかわかる?」
「全然違う。おやすみ」
ヘクターは問いかけにそれ以上答えようとしない。
やがて、驚くほど早く寝息が聞こえてきた。
「はやっ! むしろどういうことっ!? 何でこの状況で寝れるんだっ!? おおーいっ! ちょっと!」
ヘクターのベッドに移動し、置かれた鞄を脇に避けて座り、話し掛ける。数度、ペシペシ頭を叩いたが起きる気配が無い。
「……ほんと、何だこの人。魔導師なのに魔法陣の刺青が無いってのも変な話だよな。……刺青、実はあんのかな」
ブルーノはヘクターに跨がり、そっとシャツの襟元に手を伸ばす。静かに一つずつ釦をはずし、はだけさせていく。
火傷に爛れた肌。隙間なく埋められた切り傷。腹部の大きな刀痕。
明らかに戦いの痕ではない、凄惨な傷跡に息を飲む。
「拷問の……痕? ヘクターさん、犯罪者か何かなのか?」
不味いものを見てしまったかも知れない。
そう頭を過る。と、ヘクターが目を薄く開いた。
やべっと呟き上に跨がったまま、ヤマネコの魔力を瞳に最大限込める。普通の人間相手なら泡を吹いて卒倒するはずの力。
「……何だ? ブルーノ」
「な、なんでっ!?」
全くヤマネコの魔力が効かないヘクターに慌て、起き上がるヘクターを手で制しつつ、ヤマネコのもう一つの魔力、『混乱』を使う。
ブルーノの膝の下、先程避けたヘクターの鞄の中、パリンと割れる音がした。
「はあっ!? なんだっこれっ!」
ブルーノが叫ぶ。混乱の魔力が空気を軋ませながら広がっていく。圧にシーツがはためき、部屋の扉がカダリと開いた。ブルーノの力がこんなにも強い筈がない。
豪、と魔力がうねり、建物を、白い花畑を飲み込んでいく。
「……青月石だな。マイヤスめ」
ヘクターが呟いた。
青月石は兎の余剰魔力の塊だ。兎が力を使い、月が応える度に溢れた魔力が塊になる。
石はヤマネコの『混乱』の魔力をそのまま兎の魔力に乗せて暴走させた。
もし人の魔法であったなら、魔力は法則を忘れ、ただただ暴れただろう。しかし既に法則が定められた獣の魔力はその目的を忘れず、全てを『混乱』させる為に膨れ上がる。
混乱が広がっていく。
『花』に火をくべるタイミングを待ち、待機していた屍鬼たちは、自分へ与えられた命令をただ反芻した。
『花』に火をつけろ。
防火の結界を消せ。
狼を閉じ込め捉えろ。
管理所では屍鬼主が混乱させられ、無闇に屍鬼に命令を下した。建物中にの屍鬼がそれに応える。
「ひっ!」
ブルーノが息をのみ、後ずさる。
指輪を嵌められた若者たちが、ベッドから起き上がり、唸るように咆哮をはじめた。