秘密
朝、ヘクターが夢から目を覚ますと、自室の床で倒れている事に気が付いた。
「……俺、何で床に……?」
辺りに転がる酒瓶。脱ぎ散らかされた服。足に装具は無く当然のように全裸だ。
上体を起こし後ろ頭をかきつつ、昨夜の出来事を手繰るように思い出す。
「えっと。確かダリアがシャワー浴びて、その後俺も入って。で、俺の部屋で酒呑んで。
……ダリアが『お店がお休みだと夜が長いね』とか言い出したんだ」
ベッドの上に寝転がり、酔いに瞳を潤ませ、頬を赤らめながらそう言った。……夜は長い、と。
祭の日の魔力暴走により、殆どの魔導具等は既に壊れている。再び魔力が暴走したとしても被害は比較的少ないだろう。
ヘクターは酒をあおった後、リビングの結界を消し、補助魔法がかけられた足の装具を外した。兎の魔力が暴走する事を大前提に、魔導具が暴発してもそのまま続けられるように。
どのタイミングで服を脱いだのかは覚えていない。が、兎を暴走させるより前に、狼はあっさりと重力操作に負けた。
「兎、最強過ぎるだろう……」
取り敢えず水でも飲もう、と、リビングへ続く扉を開ける。
「っっ! やだっ変態っ!!」
頭目がけ飛んでくる学生鞄。ヘクターは手で受け止める。リビングには耳を赤くし顔を手で覆うアネットがいた。
「……何で朝からうちにいるの?」
「アネットちゃん、昨日私がお花買いに行かなかったから、風邪かと思って様子見に来てくれたんだって」
長い兎耳をクルクル回し、ダリアが嬉しそうに言う。
「あらそう。しばらくお店お休みなのよ。
ところでアネットさん、あなた学校行かなくていいの?」
ヘクターは台所に向かい、水を汲んだ。呑みすぎて渇いた喉を冷たい水が心地好く通る。
「あ、そうだよ、アネットちゃん。ちゃんと学校行かなきゃダメだよ。様子見に来てくれたのはすごく嬉しいけど」
「そうそう。まだ学生なんだから、しっかり勉強しなさいね。サボるのは良くないわ」
アネットの向かい、ダリアの横にヘクターも立ち、転がっていた装具を足に付けた。
「……っ裸の癖にマトモな事言ってないで、さっさと服、着なさいよっ! この露出魔っ!! ダリアちゃんも平然としてないでよっ!」
「うーん。なんだか最近、裸に馴れちゃった。ママすぐ脱ぐんだもん。昨日も呑み始めてすぐに脱いでたし。上手く目を反らせば、あんなの気にならないよ」
ダリアはヘクターの方を見ないように気を付けながら言う。
「っあんなの? ダリアちゃん、あんなのって事はないでしょ!? ちゃんとそれなりだからっ!」
「もーっ! とにかく服着てきてよーっ!」
アネットが叫ぶ。うっさい、と呟きながらヘクターは自室に戻った。
扉が閉まる音。アネットはようやく手を顔から外し、赤い顔のままダリアに訪ねる。
「……なんで顔を合わせるだけでドキドキしちゃう相手の全裸が平気なの?」
「ちゃんと見ろっとか言われたら流石に無理だけど。視界に入れてないから平気」
「そういうものかなあ……。ねえ、ダリアちゃん、質問。まず、この部屋。なんだかすごいけど、どうしたらこんな風になるの?」
リビングの家具はズタズタに切り裂かれ、床板にはヒビが走っている。
「えっと。私がね、ついうっかり部屋を壊しちゃったの」
「ついうっかりっ!? うっかりの範疇じゃないわよっ! これ」
「……本当に『ついうっかり』でこうなっちゃったのよ。アネットさん、原因は聞かないであげて?」
ヘクターが着古したシャツと緩やかなパンツに着替え、リビングに入りながら気だるげに言った。
「さ、着替えてきたわよ。アネットさんはもう学校行きなさいね。ダリアちゃん、朝御飯どうする? 家で食べるなら私、店の方に行って干し肉でも取って来るけど」
「そうだねー。私、昨日の残り食べようかな。果物まだあるよね?」
「あとっ! あともう一つ質問があるんだけどっ!」
アネットがダリアの頭上を指指す。
「……それ、カチューシャじゃ無いわよね?
ダリアちゃん、兎の獣人だった……の?」
「あ……」
ダリアが顔を白くして床に座り込んだ。やべっバンダナ俺の部屋か、とヘクターが呟く。
アネットの問いへの答えはそれだけで充分だった。
「……ママ、どうしよ。私、ヨルドモから出ていかなきゃ……」
「そうね。……ここはアネットさんの弱味を握るなりなんなりして、脅して口止めしかないわね」
「ちょっ! 普通に説得する場面でしょっ!? 秘密にしてた理由とかちゃんと話てくれれば、私、説得されるからっ! や、やっ! 変態っ、その手の動き、怖いからやめてっ! お願いだから説得しようとしてよっ! 第一私、弱味なんてないから!」
ヘクターがダリアの肩を抱きながら指を怪しく動かす。
「えー。説得よりも恐喝の方が、楽だし効果があるじゃない? それに、弱味は探すものじゃなくて、造るものだから。大丈夫、今弱味がなくても一刻もしたら……」
アネットが回れ右をし、玄関へと走り出すのと、ヘクターがひょいとアネットの襟首を掴むのはほぼ同時だった。
ほんっと、ガキの頃から変わってねーんだな。こいつ。
ヘクターが笑いながら呟く。まだ幼児期のアネットは、表情のコロコロ変わる扱い易い可愛い子供だった。成長した今でもその性質は殆ど変わらず、とてもからかいやすい。
「……仕方ないわね。ちゃんと説得してあげるから。あっさり説得されなさいよ?」
襟首を捕まれ、涙目のアネットが首を何度も縦に振る。
ヘクターはアネットを解放し、『説得』をはじめた。
※※※
「ダリアちゃんは兎人のハーフだったのね。うん、それで言動がいつも変だったのね」
アネットが何かに納得したように言う。
「アネットさん、たぶん兎人ハーフだから、とかそういう事以前の問題よ、この娘は。……兎人ってとっても珍しいじゃない? 魔導師に捕まったりしたら、研究されたり材料にされたりしちゃうかもしれないから。絶対に黙っててね。内緒っ」
「わかった。でもその仕種は止めて。鳥肌たったから」
ヘクターが人差し指を口に当て、可愛らしく首を傾けるのを、アネットは手で払い除けた。
「じゃあ、この部屋がぐちゃぐちゃなのも、兎人ハーフの力なの?」
「そうなの……。私、ここだけじゃなくて、お店も滅茶苦茶に壊しちゃった。
だからママに弁償しないとなの。他にも仕事増やそうかと思って」
ダリアが力無く耳を下げた。アネットはその兎耳を擦り、柔らかな感触を楽しみつつ言う。
「……ダリアちゃん、『ついうっかり』お店を壊しちゃう人は、働かない方がいいと思うわ」
「っそんなっ!」
兎耳が跳ねた。アネットはそれを捕まえ、再び気持ち良さそうに頬摩りをする。ヘクターも兎耳に手を伸ばしながら言った。
「そーよ。だから、無理に急いで返さないで何十年か只働きしたらいいじゃない。どうせ住み込みなんだし」
暖かく柔らかな兎耳。毛の間に指先を埋もれさせるだけで幸せな気分になれる。くすぐるように触るとくるりと回って逃げた。
「えー。やだよ、何となく」
「……いい事思い付いた! ね、ダリアちゃん。一攫千金しようよ。魔物を退治して、材料部位を魔導師に売るのっ! 私最近、そういう小説読んだのよ。魔法使いの女の子が獣人と戦士を連れて世界中の魔物を倒す旅をするの。それで王子様と恋に落ちたり、魔王を退治して世界を救うんだけど。
どうかなあっ!」
アネットが瞳をキラキラと輝かせながら言った。
ヘクターは呆れた顔をし、答える。
「……アネットさん、あなたもし、道で野犬に襲われたとして倒せる? 魔物は野犬よりも強いのよ。それに、倒したとして、死体を解体して内蔵を持ち帰るなんて出来るの? 魔導師の欲しがる部位ってたいていエグいわよ。目玉とか、心臓とか」
「そういう事は全部、変態がやればいいじゃない」
「なんで只のバーのママさんが魔物を倒して心臓を抉らなきゃならないのよっ!? 第一、私に借金を返すのに、私が魔物を倒す意味が解らないわっ!」
「ママだったら普通に魔物退治できそうだよね」
「ダリアちゃん、ややこしくなるから黙っててね。……えっとね。一攫千金、無くはないのよね。しかも安全なやつ。私、やる気無いから、あなたたち二人でやってみたら?」
ヘクターがそう言うと、アネットとダリアは顔を見合わせ、頷く。
「じゃあ、持ってくるから。ちょっと待っててね」
ヘクターは従業員部屋を出、数分後、干し肉を口にくわえ、再び部屋に戻ってきた。
ポケットから一枚の紙を出し、ダリアに渡す。厚みのある白い用紙に金箔で書かれた『カクテルコンクール』の飾り文字。
「ほらこれ。『カクテルコンクール』の招待状。ダリアちゃんは覚えてない? エントリーはしてあるわ。出場しないつもりだったんだけど、賞金すごくいいから、二人で新しいカクテルでも考えたらどうかしら。……アネットちゃん、お酒の味見しちゃだめよ?」
「……賞金すごい。なんで出場しないつもりだったの?」
アネットが紙面を凝視しながら訪ねた。
「エントリーすると秋のパーティに店舗参加できるの。今年は四年に一度の船上パーティだから、それには行きたいなって思って」
アネットがへー、と呟く。
ダリアがアネットとカクテル作りに熱中してくれれば、その間、船や指輪について調べる事ができる。
「さ、アネットさん、続きは学校の後にしなさいね。ダリアちゃんはそろそろ朝御飯にしましょ。今日は内装業者が下見に来るから、それまでに食べないとね」
二人が声を揃え、はーい、と返事をした。
※※※
従業員部屋のリビングで、ふわあっ、とダリアが息を吐く。
時刻はすでに夜だったが、昼のうちに購入した魔導具の照明が室内を明るく照らしていた。
やはり昼に購入した安っぽい机の上に、幾つものグラスと計量器具、マドラーやシェイカー、何種類もの果実酒や蒸留酒、果物、ジュース等が並べられている。
ダリアは調剤師か錬金術師のように、慎重にそれらを計量して調合し一口舐めると、その割合と味を細かくメモ用紙へ記録した。
少量づつとはいえ、昼間にアネットが考えたカクテルもダリアが全て味見している。酒に強いわけではないダリアは胸元まで赤く染まり、メモ用紙の文字もぐねぐねと乱れていた。
「ダリアちゃん、頑張りすぎよ。ちょっと休憩しなさい。昼過ぎからずっと呑んでるじゃない」
ヘクターが水を渡す。
「ありがと、大丈夫……まだ。あれ? ママ、お出かけ?」
「うん。少し行きたい所があってね」
いつものバーテン服とは違い、今日は若者のように緩い服を着ている。いつもは降ろしている前髪を上げ、火傷痕を塗りもので隠し、鳥打ち帽まで被っていた。
「なんだか随分と軽そうな格好だねえ。……もしかして、風俗か娼館?」
「だっ! んなとこ行かないからっ! ダリアちゃんっ、酷いっ!!」
そっかあ、良かった。と、呟きながら頭を机に落とす。露になった華奢なうなじは綺麗な桜色に染まっていた。
そっと指先を這わせる。一瞬跳ねた首筋は熱く、ピクピクと脈打っている。
今日は出掛けるの止めておこうか。
指先に伝わる振動にそう思い始めた時、ダリアがごにょごにょと呟いた。
「ん、ダリアちゃん、なあに?」
「……ママに、渡すものがあったの……。そこ、私の鞄の中……」
ダリアが床に置かれた小さな鞄を指差した。
「開けていいの?」
そう言うと、耳が頷くように動く。
ヘクターは鞄を手に取り、中を覗いた。
「……これ、は?」
ビードロのような薄い硝子の球。中は白く濁った水で満たされている。
鞄から取りだし照明にかざすと、水中にさらに小さな硝子球が浮かんでいるのが解った。
「青月石が入ってるんだって。……危なくなったら割るといいよって、マイヤスさんから……。ママに御守りだって」
「マイヤスから? ……浮くのかな、これ」
マイヤスが青月石に白い水をかけ、船の模型を浮かせていた事を思い出す。
確かに何かあった時に浮くのなら便利だろう。しかし、ダリアの口からマイヤスという名前を聴きたくはなかった。
「……いい、いらない。棄てといて」
「そうなの?」
ダリアが眠たげな欠伸を漏らした。
ヘクターはガラス球を鞄に戻し、ダリアを抱き上げ、そっと寝室へと運びいれる。
ベッドに降ろし唇を重ね、照明を消す。
「おやすみ」
そう囁いて従業員部屋の扉を閉めた。
草原の船。
核持ちの屍人たちは禁制ハーブ『花』の常習者だった。
夜の仕事の無い今のうちに『花』の流通網を調べなくては。
ヘクターは、ヨルドモ城塞西地区歓楽街へとゆっくり歩いて行った。