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兎は月を墜とす  作者: hal
初夏の白
24/99

兎の祭・前

 二人目の魔女は言いました。

 赤い目を見てはいけません。


※※※


 春の終わりの明るい夜空。満月に擦れる流星の群れが、ひらりひらり地上に墜ちる。


「……明日は春の祭か」


 寝室の窓から月を眺め、男は吐き捨てるように言った。


母親(サラサ)の手を離れたからと言って、流石に力を使いすぎだ。……何を考えている」


 先日、昼間の月が繰り返し輝き、城で執務を行っていた老魔導師たちをパニックへ陥らせた。黒の魔女を殺した兎人を、いまだ恐れる魔導師は多いようだ。

 兎人の王が力を使う度、月は律儀にもそれに応え輝いているのだろう。


 男は月を睨むのを止め、足元に溜め息を吐いた。

 兎は何故、暴れているのだろうか。見当もつかないが、蟹を潰したのも船を壊したのも兎に違いない。船を上空から墜とすなど、人にできる所業ではない。

 あのように無闇矢鱈に存在を主張されては、兎を狩る者が現れてしまうではないか。


 今、兎を護るのは狼。蜥蜴はすっかり静観を決め込んだようだ。


「……狼の行動は、わかりやすいな」


 国の狗として依頼に従い、次々と屍鬼(アンデッド)を倒している。

 ならば。


「まず、捕らえるべきは狼か」


 狼を再び捕らえ、兎を手繰り寄せ手に入れなくてはならない。もう時間が無い。ぐったりと動かなくなった人魚のためにも、兎の力が必要だ。


 罠を張ろう。

 邪魔な狼を捕らえ、殺す罠を。


 男は再び夜空を睨む。

 春の終わりを示す流星群の中央で、月は一人、微動だにせず見降ろしている。


※※※


「さっ。明日の準備しなくちゃね。ダリアちゃん、ホールの掃除終わったら先に家に戻ってていいわよ」


 バー『青兎亭』の営業を終え、ヘクターが玄関外に『閉店』の札を掲げた。


 厨房に戻りゴソゴソと作業をはじめた途端、甘い香りがふわり店内を漂う。

 ダリアは匂いに誘われ、厨房を覗いた。


 魔法を使える事がバレて以来、ヘクターはダリアの前で魔法を使うことに躊躇なく、食材の保存 、酒の品質管理、一部調理にいたるまでを魔法に頼っていた。


 調理台の上、光輝く魔法陣に乗せられた甘そうな食材。

 砂糖にバター、生クリーム。チョコレートと干し葡萄。それと沢山の小麦粉と卵。蒸留葡萄酒(ブランデー)、カカオの果実酒等々。

 魔法陣は保冷効果のあるものなのだろう。


 ダリアはこくりと音をたて、唾を飲み込んだ。


「ね、ママ、なに作るの?」

「チョコレートのケーキ。明日は春の誕生祭でしょ。店で出そうと思って」


 ヘクターは粉を量りながら答える。


 明日は豊穣と繁栄を祝う、春の女神の誕生祭の日。城塞内では華やかな祭が行われる。

 この祭では繁栄のシンボルとして兎と卵、豊穣のシンボルとして穀物や果物を掲げており、教会の魔導師たちが卵の中身を抜き、替わりに祝福とプレゼントを込める。大人たちは、それを鮮やかに飾りつけ街中に隠し、兎の装いをした子供たちが探して回る。

 その際、魔導師に抜かれた卵の中身は飲食店に安く卸され、飲食店は卵と穀物や果物を用いたお菓子を作り、振る舞う。


 大教会からそう遠くない『青兎亭』もイベントに参加する予定になっていた。


「ママってお菓子も作れるんだ。出来上がったら味見させて」

「それまでにホールの掃除が終わってたらね」


 ヘクターが言うとダリアは急いでホールに戻り掃除を始めた。


 ダリアは甘い物が大好きだ。

 しかし、バー『青兎亭』にデザートメニューはなく、ヘクターも普段甘い物など食べない。食事は殆どヘクターが作り、外食はあまりしない。

 友人がアネットしかいないダリアには、一人で飲食店に入りお菓子を食べる事など出来ない。


 鼻歌を口ずさみ、いつもより念入りにテーブルを磨きながらも、兎の耳はシャカシャカいう小気味の良い音を捕らえ、兎の鼻はチョコレートの匂いに囚われる。

 自然と口腔によだれがたまり、気分が浮き足立った。


「……まだー?」

「そろそろ一個目を焼き始めるけど。焼き上がるのはまだまだ先」


 掃除を終え、我慢が出来ないダリアは厨房の中に入った。

 調理台には滑らかな茶色の液体が沢山のケーキ型に入れられ、焼かれるのを待って並んでいる。が、流石にこの生地をすする訳にはいかない。


 ヘクターがオーブンに一つ目のケーキを入れた。


「早く焼けないかな」


 オーブンの鉄扉を眺め、弾むようにダリアが言う。


「焼けたらベルが鳴るようにしたから」


 ヘクターが呆れたように笑う。


 ダリアは、調理台にチョコレートの切れ端でも残っていないか探したが、特に見当たらなかった。かわりに干し葡萄を一粒口に投げ込み、仄かな甘酸っぱさに目を細める。


 続いてヘクターが、果実酒と蒸留葡萄酒、砂糖をボールに入れ、混ぜ始めた。


「……それなに? いい匂い……」

「これはケーキにかけるシロップ。うちはバーだからね。大人が食べる分にはこのシロップをかけようと思って」


 ヘクターと調理台の間に入り込み、手をボールへ延ばす。しかし手が届く前にボールはひょいと持ち上げられた。


「……だめ、これは流石に」

「甘い美味しそうな匂いしてるよ。食べたーい!」

「だーめ。……て、うわっ!」


 空気がぐにゃりと歪み、ヘクターが倒される。

 重力操作。

 ヘクターの手を離れたボールはダリアの手に降りた。ダリアはスープを飲むように口をつける。


「ダメだって! それ、濃い酒だからっ!」


 ダリアを掴み引く。バランスが崩れ、折り重なるように倒れる。


 上からボールが降ってきた。


※※※


「……うわあ。ベトベト……。ダリアちゃん、飢えてるの? 野性? ダメよ、これ甘いけどお酒なの」


 床に座るヘクターの膝に、ダリアが倒れ込んでいる。頭から黒いシロップを被ってしまい、もうぐちゃぐちゃだ。


「あーあ」


 そう言って顔についたシロップを拭い、手を見た。黒く細い糸が指と指とをつないでいる。


 と、ダリアがその手を掴み、指を口に入れた。


「……え?」


 幸せそうに頬を紅潮させ、一本一本、指を舐める。引き抜こうとすると、両手で手を強く掴まれた。


「えっと、ダリアちゃん?」


 そう言うとチラリとヘクターを見て、恥ずかしそうに目を臥せる。右手で手を掴んだまま、シロップに濡れた左手をヘクターの口の前に伸ばした。


 チョコレートの甘い匂い。

 脳を打つ強い酒の匂い。


 つい、差し出されたダリアの指を口に含む。濃いシロップの痺れるような甘さが広がる。


「……いや、食べたいって意味じゃないから」


 口に指を入れたまま、ヘクターが小さく呟いた。

 膝に跨がり、夢中になって指を舐めるダリア。

 ダリアの柔らかい舌が指に吸い付く。逃げるように指を動かすと小さな歯列に指が触れる。指と指との間を吸われ、産毛が逆立つような快感が走った。

 思わず、差し込まれているダリアの指を軽く食む。


 ポタリッと雨滴のように冷たいシロップが前髪をつたい落ちた。

 ……これは罠だ。きっと罠だ。どーせ、俺から手を出すとダリアが我にかえって、魔力が暴走してドカーン……。


 今、厨房では冷蔵や保管、オーブンの魔法陣が発動している。ダリアが魔力を暴走させれば下手すると建物ごと吹き飛びかねない。


 ダリアは舌を手のひらに念入りに這わせている。

 やがて味がしなくなったのか、すっかりよだれにまみれた手を口から離した。と、またヘクターの髪の毛から頬に、シロップがつたい落ちる。

 ダリアは嬉しそうにその黒い液体を眺め、ヘクターの口に指を差し入れたまま顔を引き寄せ、紅色の舌を出し、頬をつたうシロップに唇を近付けた。


「ダリアちゃん、本物のバカっ! エロすぎるっ!」 


 ヘクターが頭を押さえる。

 むぎゅう、とダリアが呻いた。


「なんでっ! シロップ美味しいっ、もっとちょうだい!」

「やっぱり完全に食欲かっ! 少し期待した自分が情けない。誘ってんのかと思うだろうがっ!」

「誘って? 何に?」

「……少し酔ってるだろ」


 ダリアがへらっと笑い首を傾ける。オーブンがリリリ、とベルを鳴らした。


「あーっ、できたっ! ケーキできたよっ! ケーキっ!」


 ダリアが膝から飛び降り、ヘクターの腕を引きながらオーブンの扉を指差す。

 期待と興奮に目をキラキラと輝かせる。


「絶対、味見させてあげない。ダリアちゃん、さっさと家に帰ってシャワー浴びなさい」

「えーっ、ひどいっ! ケーキたーべーるっ!」

「……帰りなさい」


 ヘクターが手や顔を流しで洗い、身体を拭きながらダリアを睨む。

 あからさまな黒いオーラに、ダリアはうっと呟いて厨房を出た。


「……先に戻りまーす」

「はい。服、さっさと洗わないと落ちないわよ」


 店の入口の扉がカランと鐘の音をたて、ダリアが逃げるように家へ戻る。


「あーっ! もう、馬鹿娘がっ!」


 オーブンからケーキを取り出す。焼き立てのケーキの甘く芳ばしい匂い。シロップでぐちゃぐちゃに汚れた室内。新しい生地をオーブンに入れ、再び加熱をはじめる。


 指先がゾクリと痺れた。


※※※


 翌日。


 空は穏やかに晴れ上がり、花を落とした木々は葉の隙間から丸い陽光を透し、青く萌えた。空砲が放たれ、春祭の開催を報せる。


 早朝に、ダリアは『青兎亭』のある雑居アパートの表、草影へ卵を隠した。


 今日の仕入れを行うため、花で飾り付けられた中央市場へと向かう。街中では兎の仮装をした子供たちが走り回っている。


 大抵が頭に兎耳のカチューシャ、鼻に黒い塗料といった装いだが、中には兎に見えるつなぎを着た子供もおり大変愛らしい。

 他に狼姿の大人が数人、教会前に佇んでいる。狼の耳と尻尾、大きな口をつけた彼らは、兎を追い回し卵探しを妨害する役割だ。

 ダリアも子供の頃はバンダナの上に兎のカチューシャを着け、鼻を染め、卵探しゲームに参加していた。バンダナの下に隠された兎耳では本物過ぎる。


 成人を迎え、子供として参加する事は出来なくなったが、大人として祭を見守るのもまた楽しく、心が踊る。


「ダリアさん、久しぶりですね」


 祭の様子を眺めていると、突然声を掛けられた。

 振り向けば小柄な中年男性。親戚でハーリアの学者、マイヤスがいた。

 マイヤスも祭の様子を楽しげに眺めながら言う。


「今日は一人ですか? 狼さんは一緒ではないのですか?」

「狼さん?」

「兎さんを狙うのは狼さんです。童話でも祭でもそうなっています。

どうも私は人の名前が覚えられなくて。ほら、うちに一緒に来たあの黒い髪の男性です。

今日は一緒にいないのですか?」


 マイヤスは人懐こい穏和な笑みを浮かべ、笑った。ダリアもつられて微笑む。


狼さん(・・・)は今、お店でお祭りの準備をしてます。私は市場に仕入れに来たんです。

うちのお店でも今日はケーキを配るので、良かったら夜、来ませんか?」

「それはちょうどいい。狼さんに少しお話があったので。

今日は城に書類を取りに来ましたが、手続きが色々と大変そうで。

夜、だいぶ遅くなるかもしれませんが必ず寄らせて貰いますね。

それから、ダリアさん」


 マイヤスは真面目な顔になり、眉をしかめて言った。


「あまり、兎の力を使わないように。とても危険ですから。……ではまた夜」


 ダリアが店の場所を教えると、マイヤスは笑顔で手を降り、城の方角へと歩いて行く。


 再び空砲が鳴り、卵探しゲームの開始を告げた。

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