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兎は月を墜とす  作者: hal
花の嵐
20/99

結界

 吹き荒れる風が綿埃のような雲を散らし、うろんな月影が噴水の飛沫を光らせた。


 春の夜空には明るい星がない。

 深夜の刻を過ぎ、灯りの消された大教会前広場は暗く、流水音だけがザラザラと響いている。


 と、地面が突然輝いた。幾筋もの光線が走り抜け、複雑に交錯する。

 直後、稲妻が直撃したかのような閃光が周囲を包み、巨大な魔法陣が出現した。光を飲み込んだ陣は武者震いにも似た明滅を繰り返し、前に佇む小さな人影を照らし上げる。


「ふふっ、できた」

「うまくいったね」


 影は一つ。だが声は、二つ。


 精緻で複雑な陣を満足げに眺め、少年と少女の声を同時に出した唇がにんまりと吊り上がった。


 影が陣に手を翳す。華奢な指に嵌められた三つの指輪が、月光に煌めいた。


 途端、陣は明滅を止め、広場は再び沈黙した。


※※※


「変態、あと二十歩離れて」

「このガキうっざい。そんなに離れたらダリアちゃんが襲われるでしょ、子供のあんたとは違うんだから」

「変態と並ぶ方がよっぽど危険よ。いつ暗がりに引きずりこまれるか、わかったもんじゃない。ほら、ランタン私が持つからさっさと離れて歩いてよね、ロリコンで露出狂のオカマの癖に」


 アネットはそう言って思いきり舌を出し、ダリアの背中へ隠れた。


「ママ、アネットちゃんはきっとね、『両手が塞がって大変そうだから、ランタンくらい私が持つわ』って言いたいんだと思うの」


 素直じゃないなあと微笑むダリアに、アネットは頭を激しく振って否定する。


「え? ちょっと! なんで私がそんなこと言いたいと思うのよっ! ダリアちゃんって実は馬鹿なの!?」

「……ダリアちゃん、さすがに曲解し過ぎじゃない? それにこれは重いから、私が持ってるから」


 ヘクターは右手で杖を突きつつ、左手のランタンを掲げ見せた。左隣にはダリア、その隣にはアネットが並び、三人で北地区の路地を歩いている。


 家に帰りたくないのだろう。アネットの足取りは重く、歩みが遅い。


「アネットさん、お家ついたら御両親に事情説明しなきゃなの。悪くは言わないから何があったのか教えてくれない?」


 ヘクターが言うと、アネットは心底嫌そうに顔を歪め、だがポツポツと話始めた。


「……御両親、ね。うちは家にママとお爺ちゃんしかいないわ。

パパは国の魔導師で、お城に住んでるの。ロージーのとこもパパが魔導師。ロージーは同じ学校で、同じクラスで。一番仲良しの大好きな友達」

「……ロージーって、昼間にお店に来てた、癖毛の子?」


 あの獣のような怒りをぶつけてきた小柄な少女を思い返し、ヘクターはたずねた。


「うん……今日家に帰ったら、ママが急にね、もうロージーと遊んじゃダメだって言ったの」

「どうして?」

「よくわかんない。ロージーが元気になったから、だって。元気になったから遊んじゃダメだなんて、おかしいよね」


 元気になったから遊んではいけない。


 どういう意味なのだろう。

 確かにロージーは、健康そうではあったが。


「……それは、おかしいね」


 ダリアも首を傾げ、アネットに言う。アネットは我が意を得たりと声を大きくし、続けた。


「でしょ? わけがわからないわよね。またいっぱい遊べるって、思ってたのに!

ロージーはすごい子なのよ。私、けっこう魔力があるんだけど、ロージーは私よりも魔力が多いの。学校で一番なんじゃないかしら!」


 一緒にお城の魔導師になるんだから、とアネットは得意気に胸を反らした。


 王城都市の魔法学校で最も魔力量が多い子供。

 ヘクターは眉を顰めた。


「もしかして……ロージーさんの身体が悪いって、魔力が強すぎて器があわないってやつ?」

「……うん。魔力が多すぎて、だんだん動けなくなっていっちゃって……。でも、この間ハーリアで人魚にお願いして、身体を治してもらったのよ! だからもう器は崩壊しないんだって!」


 人魚。


「崩壊しかけていた器を、人魚が治したの?」

「そうなの。すごく元気になって、力も男子みたいに強くなったんだって!」

「そう、なの。人魚と会って崩壊が止まったのね。……人魚、ね」


 ヘクターは俯き、黙り込んだ。


 緩やかな昇り坂の石畳をカツカツと音をたて、ランタンの橙色の明かりで周囲を照らしながら進む。

 馬車が充分にすれ違える程広い路地に並ぶ邸宅はどれも立派だ。奥へと昇るに連れ、邸宅の規模は大きく、門構えは厳めしくなる。


「……ここが、私の家」


 アネットが示す豪邸に、ダリアがうわあっと呟いた。


 王城を小ぶりにしたような、白亜の宮殿。警備兵のいる門を潜ると、噴水を配した中庭が見える。昼間に訪れたならさぞ美しいのだろう。


「お爺ちゃん、公爵だから。私は魔導師になるから関係ないわ」


 アネットはアーチ屋根の玄関ポーチを昇りつつ、そう言った。


※※※


「なんだか納得いかなーい!」


 アネットが声を張り上げた。

 ダリアも天涯つきのベッドに腰を降ろし、不満げに背中を丸める。


「なんで大人だけで話し合い、なのよっ! 私の事なのにーっ!」

「私、大人なのに。ママ、やっぱり大人として見てくれてないのかな……」


 家に着いた途端、ヘクターは急に畏まり、アネットの祖父に小声で二言三言話すと、『大人の話があるから』と、ダリアたちを残し応接室に向かっていった。


 ダリアとアネットは今、アネットの自室に閉じ込められ、部屋の外には使用人兼見張りが控えている。


「お爺ちゃんも、なーんであんな怪しい人を相手してんのよっ! あの変態が信用できるように見えるのかしら!」


 アネットは手早く制服を脱ぎ捨てると部屋着に着替え、ベッドに飛び込んだ。

 ダリアも仰向けに倒れ、同じようにベッドへ転がる。手触り滑らかなシーツ、身体をしっかりと支える上等なスプリング。丸一日分の疲労感が瞼を重く痺れさせる。


「……ね、アネットちゃん? 人魚って、どんなお願いでも聞いてくれるのかなあ」

「わかんないけど、とりあえず、するだけしてみたらいいんじゃない?」


 ダリアはモゾモゾと靴を脱いでベッドを這い上がり、枕に抱きついた。


「私、もっと大人の、女の人になりたいの」


 ……できれば、人間の。

 口の中だけでそう付け加える。


「私も大人になりたい。大人になってさっさと城に住むの。自分の好きなように生きるんだから」


 アネットもベッドをゴロゴロと転がってきた。肩が触れ、腕がぶつかる。くるり、身体を回すと、目の前に決意に満ちたアネットの顔があった。


「ね、ダリアちゃん。近いうちにロージーと三人でハーリアに行こうよ。で、人魚にお願いしてみよう」

「……ママも一緒なら、いいよ。四人で行こう」

「うーん、変態も一緒かあ。ロージー怒るかな。じゃあロージーは私が説得するね。仲良く四人でハーリアに行こうって」


 アネットの手が、ダリアの髪を撫でた。ダリアは心地良さに目を閉じ、枕に顔を埋める。


「ダリアちゃん、明日、広場で相談しようね。歌も沢山歌って、一杯お話しよう」

「……うん。明日、ね。おやすみなさい」


 ぼんやりとそう答え、大きく息を吐いた。途端、全身がずっしり重くなり、眠りの泥へ沈んでいく。


「おやすみ、ダリアちゃん、子供みたい」


 アネットの苦笑が聞こえ、部屋の明かりがそっと消された。


 やがて、一刻ほどが過ぎた頃だろうか。


 ドアが静かに開き、細い光が室内へ射し込んだ。バンダナの下の兎耳が、感覚も曖昧なままに囁き声を捉えた。


「ダリアちゃん? ……寝ちゃったか」

「泊まっていっても構わないが」

「いえ、……準備がありますので……」


 大きな腕がダリアをふわりと抱きかかえ、ヘクターの匂いが鼻の穴を満たした。子守唄のような心音。マントを掛けられたのだろう、暖かな布が心地良い。


「……センダーク伯の件、出来る限り早急に御願いいたします……アネット嬢を結界から出さないように……」

「……今夜はうちの馬車を使うがいい……明日は、頼んだぞ」


 ヘクターと、アネットの祖父だろうか。


 眠いのに、うるさいなあ。

 ダリアはヘクターの胸に顔を押し付ける。心音に包まれ、再び深い眠りへと堕ちていった。


※※※


「……ん……ママ?」


 目を擦りながらリビングへ入って来たダリアは室内をぐるりと見渡し、訝しげに兎耳を倒した。着替えずに眠ったため、いまだ店の制服を着ている。


 起こしてしまったか、とヘクターは苦笑いを浮かべ、引き摺っていた黒い大理石の板を部屋の中央へ倒した。


「ごめんね、うるさかったかしら。まだ早いから戻って寝ててちょうだい?」

「……なあに、それ。魔方陣? そんなの何処にあったの?」


 リビングに置かれていた家具は全てキッチンの方に積み重ねてある。

 たった今鎮座させられた板は、一辺が両手を広げたほどもある巨大な正方形で、表面に描かれた複雑な図形が、静かに明滅を繰り返していた。


 ヘクターは分厚い魔導書を数冊投げ落とし、添え木された右足を庇いつつ、板の前に座り込んだ。


「これは、結界。私の部屋のベッドの下に入れてたんだけど……。あっさり突破されてたからね。もっと強力なのに書きかえておこうと思って。……『解呪』」


 命令を下した途端、魔方陣は輝くのをやめ、室内の気温が僅かに上がった。ダリアが近寄り、横に座って陣を覗き込む。


「結界?」

「そう、結界。んー、どれ描こうかしら。

やっぱり『対魔物用絶対結界』とか……いや、でも……」


 板を布で拭いつつ魔導書を繰っていたヘクターは、指を止めた。


『魔物を飼いはじめたな? ……魔力の質は、完全に魔物のそれだ』


 白竜の魔導師、ザルバに言われた言葉が頭を過る。

 ザルバにはダリアが魔物であるかのように感じられたようだ。もし、魔物用結界が誤作動しダリアを弾き出してしまえば本末転倒だ。

 結界に関する魔導書をもう一度、目次から開き直し、今度は『対屍鬼(アンデッド)専用結界』の頁で指を止める。


「まあ不安は残るけど。仕方ないわね」


 そう言って専用のペンを懐から取り出し、板の表面に新たな図形を描き始めた。


「ママ、すっごーい」


 ダリアが感嘆の声をあげた。

 板を滑るペン先は、精緻で複雑な幾何学模様を波紋が現れるように淀みなく描いていく。

 見るまに板は新たな紋様で埋め尽くされ、ペンを離した途端、完成した陣は力強く輝きだした。


「……大神、ベアリーチェよ、我は地を駆ける小狼……」


 ヘクターは厳かに、詠唱を始めた。

 同時に両手の指をヒラヒラと動かし、印を結ぶ。体内から溢れる魔力が光跡を描き、幾重にも重なった。


「……ここに砦を築かん。『清浄なる堅砦』」


 指先に編まれた印を陣へ導き、流し込む。充分な魔力を得た魔方陣は一旦明滅を潜めた直後、一度に光と圧とを吹き上げた。


 眩く冷たい、清らかな閃光。

 一段階室温が下がり、室内の……建物全体の空気がハッキリと変化した。


「かっこいい! まるで魔導師様みたい」

「そ? もっと褒めて。ただの魔法使いだけどね。結界はとりあえず成功、ね」


 ヘクターは夢中で陣を眺めるダリアを見た。結界の影響を受けているハズだが、特に弾かれてもいない。

 安堵の息を吐きつつダリアを膝に乗せ、腕の中、温めるように包んだ。


 そのまま懐から黒く薄い板を数束取り出し、床に並べる。前のめりになりながらも右手でダリアの身体を抱え、左手は床に散らばる新たな魔導書を選び、開いた。

 頁を繰り、目的の陣を板に写し取る。陣が明滅を始めると手を翳し、明滅を止めさせる。


 魔法陣が描かれたカードが、次々と出来上がった。


「……何やってるの?」

「これはね、明日の準備。……明日はお店はお休みにして、ちょっとお出掛けしなきゃいけないの。ダリアちゃんはお家で待っててね。結界から絶対、出ちゃダメよ。……もし、誰かが迎えに来ても……」


 ふわあ、と小さな欠伸が漏れた。


「……」


 兎耳が揺れ、前に崩れる。

 ヘクターは慌てて引き寄せ、仰向けに抱え直した。

 ダリアは目を柔らかく閉じ、うっすらと唇を開いている。既に夢に堕ちているようだ。


「……相変わらず、寝つきがいいな」


 すっかり寝てしまったためだろう、幼い子供のように体温は高く、汗の匂いが仄かに香っている。

 ヘクターはカードの用意を止め、頬を撫で鼻をつついた。その度に眉が顰められ、可愛らしい苦悶が浮かぶ。


「……ママ」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「……」


 すうっと、息が吐かれた。


 寝言、か。

 少し遠慮がちに抱き寄せ、より深い眠りへ沈めようと優しく背中を擦る。


「……ママ、子供扱い、やだ」


 ダリアがハッキリと言った。


「また寝言?」


 再び膝へ降ろし顔を覗き込むと、やはりぐっすり、幸せそうに熟睡している。

 ヘクターは盛大な溜め息を吐いた。


「ばーか。こっちは必死で我慢して、ワザと子供扱いしてやってんだよ! ……魔力の調整くらいさっさとマスターしてくれよ。大人扱いしたら暴走して街を破壊するだろ、お前」


 鼻をつまむ。ふごっと色気の無い音が鳴り、ダリアが慌てて口で息を吸い込んだ。


 あんな事までしておいて、今さら無防備にもほどがあるだろう。

 発情期に植え付けられた強烈な記憶が、艶めく呼吸音が、耳の奥へ蘇る。つい延びてしまう指を握り込み、衝動を抑えた。


「あー、もー。ホントに抑えきれなくなったら、何もない原っぱに連れ込むからなっ!」


 そう言って再び抱き上げ、どうにか意識を反らすと魔方陣カードの作成に戻る。

 今日中に準備を終えなくては、自分の命が危うい。


『ローズマリア・センダーク』


 センダーク伯爵家の一人娘。父親は黒獅子の魔導師。

 魔法の才能に溢れ魔力が高かったが身体が弱く、十歳から器の崩壊が始まった。

 伯爵、黒獅子共に先々週から療養のための休暇に入っている。


「……人魚、か」


 ロージーは人魚に器を治してもらった、という。力も以前より強くなったと。

 そして、ロージーはアネットと、何故かダリアにまで執着している。


 人魚。


 頭の中に人魚に関わる人物が浮かぶ。

 一人はダリアの親戚、人魚の研究者、マイヤス。

 もう一人は歌を人魚に教えてもらったという歌う屍人(ゾンビ)モーリス。


『そうだよ。深い海の底で歌を歌う、優しくて美しい人魚だ。おじさん、……人魚のこと、知ってるでしょう?』


 モーリスはヘクターまでもが人魚の関係者だと言いたげな口調だったが、心当たりはない。


 やがて、予定していたカードを全て作り終えたが、ベッドに帰る気にはなれなかった。明日に備え寝なくてはならないのだが。


 膝に抱えたダリアの柔らかな髪へ顔を埋め、目を閉じる。


 この温もりを手放す事は、出来そうにもない。

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