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兎は月を墜とす  作者: hal
冬の蟹
2/99

 ダリアが暮らす『青兎亭』従業員用住居は、店舗と同じ雑居ビルの三階にある。

 従業員用、とはいうものの他にバイトは居ない。ダリアの部屋の他にもう一つある個室は店長、ヘクターの部屋だったが荷物置き場にしているようで、ヘクターが泊まる事は一度もなかった。

 つまりは実質的な一人暮らしだ。

 そのためにダリアは安心して衣服を脱ぎ、十分にくつろぐ事ができた。


 部屋に戻るとダリアはランプを灯し、ストーブへ火を入れ、可愛らしい雑貨類で飾られた鏡台の前へ座った。

 天鵞絨のリボンを解いてポニーテールをおろし、バンダナの下からぶるり、長い兎耳を引き出す。頭上から生えた真っ白な耳はくるくる楽しげに廻り、解放感に打ち震えた。


「今日は、暇だった! のわりに疲れちゃったけど」


 ダリアは独り言を呟きながら、『青兎亭』の制服……フリルがあしらわれた黒いエプロンドレスと膝上丈の靴下を脱ぎ捨て、シャツを緩めた。


「今夜もお疲れさま、私!」


 大きく伸びをしベッドへうつ伏せに飛び込むと、ローライズの下着からはみ出た白くて丸い兎尻尾が小さく揺れた。


 人間の魔導師を極端に優遇するこの国では、獣人の存在自体がかなり珍しい。

 しかもダリアは、まずあり得ないと言われる希少なハーフだ。……確かに、二足歩行の巨大な兎、兎人である父親と、人間の母親。何をどうすれば子供が作れるのか、愛、だけでは説明し切れない。

 とにかく、ダリアの外見は母親である人間と似ていたが、魔力の質は兎そのもので、コントロールが非常に難しい。


 ベッドに寝転んだまま仰向けになり、ダリアは目を閉じた。

 両手を鳩尾に当て、神経を研ぎ澄まさせ、体内の兎を追いかける。やがて掴んだ魔力の端を、糸を手繰るようにして指先まで誘導する。ゆっくり、両腕を垂直に伸ばす。そのまま意識して魔力の通る道を太く開けば、指の先からぼろぼろと青い光が零れ落ちた。

 法則に則った詠唱等で、魔力を魔法に変えて使用する人間とは異なり、獣の魔力は各々性質が定められている。溢れた兎の魔力はダリアにまとわりつき、ふわりと宙に持ち上げた。


『重力操作』


 月と同じともいわれる兎人の魔力は、重力を操り世界の理を狂わせる性格を持つ。そのため兎の魔力に飲み込まれると、人間の魔法は法則を忘れ暴走してしまう。

 つまり兎人は魔導師の天敵とも呼ばれ、人間に狩られる存在だ。


「ただ単に、お月さまにむかってふわふわぴょんぴょんする楽しい力だと思うんだけどなあ」


 ダリアは眉を寄せ、言い訳をした。魔力に身を委ね、宙に漂う事はとても心地よい。


 しかし十年前、ダリアが学校で兎の魔力を暴走させた際、魔導師の卵たちは魔法の制御能力を一斉に失った。暴走は次々と連鎖し、学校を取り囲む結界までもが破壊され、最終的にハーリア地方の小都市が半壊するまでの大惨事となった。

 ダリアと母親は原因を悟られる前にハーリアから逃げたが、もし兎人の魔力を持つとバレたなら、ダリアはどんな酷い目に遭わされるのだろうか。


 宙で寝返りをうつように身を捻り、魔力を霧散させベッドに降りる。


 それに母親が言うには、若い女子に兎耳と兎尻尾がついているだけで、変態趣味の人間を誘いかねないのだとか。


 ダリアは拳を握り、心を引き締める。

 自分の身は自分で守らなくては。優しかった母はもう、この世にいないのだから。


※※※


 翌朝、ダリアは礼拝のついでに手紙屋へ寄った。

 教会に併設されたこの施設は、区域内の住人に宛てられた手紙を一括で管理している。そのため、数日置きに立ち寄り自分宛の手紙を受けとるのが、市民の常となっていた。

 ダリアは自分の登録証と『青兎亭』の登録証を差し出し、二通の手紙を受け取った。

 一通は会った事のない親戚からのダリア宛ての手紙。もう一通は『青兎亭』に宛てられた……。


「……んー?」


 ダリアは手紙を見詰め、首を傾げた。差出人が国王の名を冠している。

 上品で厚みのある白い封筒は、蔓草に王紋を重ねた立体的な金箔装飾に飾られていた。そっと爪の裏で擦ると金が削れ、指先がキラキラと輝く。


「なんかこれ、すごーい」


 封筒に立派な装飾をするなど、ダリアの常識では考えられない事だ。

 ヘクターが開封したら、貰って小物入れにしよう。そう思いついたダリアは、野ウサギのように軽快に飛び跳ねた。


※※※


「あら、国主催のカクテルコンクールの申込み書だわ。これ、毎年恒例なのよ」


 開店準備をすませたヘクターは、そう言ってひろげて見せた。

 金箔の施された厚紙に華麗な飾り文字で『カクテルコンクール』と書かれている。コンクールについて書かれたパンフレットと申込み書類。ダリアはそれをマジマジと眺めた。


「へー。国ってそんなの主催するんだ、変なの。『青兎亭』も出場するの?」

「うーん、準備とか面倒だから出たくないんだけどね。今年は四年に一度の訳アリで、出なくちゃ行けないかも、なのよね」


 ヘクターは可愛らしく頬に指を添え、悩ましげに眉を顰め首を傾けた。綺麗系お姉さんなら魅力的なのだろうが、ワイルド系男前ではただただ、気持ちが悪い。


「訳アリ? このコンクールって何? もしかして……すごーい賞品が出るとか」

「ああ、賞金は凄いわよ。この店の売り上げ一年ぶんのくらいは、軽く出るかな。……うん、後で考えましょ」


 ヘクターは中身を厨房の引き出しに片付けると、空の封筒をダリアに渡した。

 キラキラの飾りも、赤い蝋でできた封もとてもダリア好みで可愛らしく、じっくり眺めてから蝋が割れないよう丁寧に鞄へしまう。とその時、ダリアの手が何かに触れた。

 取り出してみれば、うっかりすっかり存在すら忘れてしまい込んでいた親戚からの手紙だった。

 開店まではまだ時間がある。ダリアは封を開け、手紙を読んだ。


「……人魚ぉ?」


 思わず頓狂な声があがる。


「ダリアちゃん、人魚がどうかしたの?」

「あ、ママ。私の親戚がハーリアで人魚を研究する学者さんをやっているらしくて。それで助手が止めちゃったから住み込みで手伝いに来て欲しいって……」


 ダリアが手紙を振りつつ言うと、ヘクターは驚愕に口をあんぐりと開けた。


「……ダリアちゃんの親戚が、学者!? ちょっと……本当に血、繋がってるの? ダリアちゃんって勉強とかそういうのとはかなーーーーり縁遠いタイプじゃない。しかも助手って!」

「一応、血は繋がってるみたい。確かに私、見るからに勉強とかは苦手そうだし、実際苦手だけど。でも、親戚さんもまだ一度も会った事無いじゃない? だから助手に誘ってくれてるんじゃないかなあ」

「ダリアちゃん……バカっぽいって事、自分でも認めてたのね。……ねえ、親戚なのに一度も会ったことないの? そんな所にいきなり住み込みだなんて、いくらなんでもちょっと怖いわよねえ……。手紙、私にも読ませて?」


 ヘクターは手紙を受け取り、目を眇めつつ読み終えると言った。


「……人魚、ねえ。確かにハーリアの海にいるらしいってウワサは聞くけど。

でも、このオジさん独身で一人暮らしみたいだし、ダリアちゃんをいきなりお願いするのはどうかと思うわ。

だけど……親戚の申し出を完全に無視するのも、今後のために良くないかもね。うん、近いうちに『青兎亭』お休みにして、一緒に行きましょう。

それでもし、私からみても下心のない善良な人だってわかったならその時、ダリアちゃんがどうするか決めたらいいわよ。

もしオジさんがダメ男だったら、ママは許しません」


 ヘクターは腰に手を当てて頬を膨らませ、まるで本当に母親であるかのようなポーズをする。ダリアはついその姿を実の母親に重ねてしまい、激しく噎せた。


「もー、イヤだ! 髭じょりじょりなお母さんなんて!」

「えっ、髭、剃りきれてないの? ちょっ、どの辺り? すぐ剃ってこなきゃ、恥ずかしいじゃないっ」

「耳の下あたりっ。ちくちくじょりじょりなんだからっ」


 ヘクターは急いで鏡を取りだし、痛っと叫びながら髭を抜く。ダリアはその様子に小さく笑い、親戚がどれほどいい人だったとしても、まだしばらくここで働かせて貰おう、と心に決めた。


※※※


 昨夜と違いよく晴れているためか今夜は客足がよく、開店し二時間も過ぎると店内は満席となった。


 目の廻るような忙しさにダリアはクルクルと翻弄された。手の込んだ料理のオーダーが入った途端ヘクターは厨房に篭ってしまい、ダリアはホールの仕事を一人でこなさなくてはならなくなる。

 『青兎亭』は居酒屋ではなくバーだ。料理ではなく豊富な酒を楽しむ店だが、それでも夕刻にはかなりの料理が注文される。ヘクターの料理は塩気が強く味は濃いが酒との相性が良く、なかなかに旨いというのも注文が多い理由の一つだ。

 忙しい状態は長く続き、気がつけば夜の刻、閉店まで残り僅かのまったりとした時間帯になっていた。夜になれば何件か梯子してきた酔客ばかりになり、料理はもちろんオーダーの数自体がぐっと減る。

 見ればカウンターの内側にヘクターが戻り、客の相手を始めていた。ダリアもようやく落ち着き、ゆっくりとグラスを磨き直す。


「昨日はありがとう。おかげでちゃんと仲直りできたよ」


 カウンターの端でのんびりと、砂糖を混ぜレモンを添えた温かい蒸留麦酒(ウイスキー)を呑みながら、常連客のクインスが言った。


「来週この店で、ミズナにプロポーズしようと思っているんだ。……本当は昨日するつもりだったんだけどね。仕切り直しだ」


 クインスはポケットから小さな箱を取りだし、開いた。中には青白く光る宝石のついた指輪が二つ、並んでいる。


「これ、婚約指輪ですか? すごく綺麗……。何ていう石なんですか?」


 覗き込んだダリアが言うと、クインスは嬉しそうに目を細めた。


「この石はね、ミズナと出会った日に二人で拾ったんだ。青月石(ブルームーンストーン)って言うとても珍しい石なんだって。

三年前の秋の夜、僕たちは偶然月見の船に乗っていてね」


 ヘクターが一瞬、目を丸くした。が、クインスは気付かずにそのまま話を続ける。


「船内ではパーティをやっていたんだけどあまりにも月が綺麗だから、僕は甲板に出て大きな月を眺めていた。そしたら同じように月を眺めている可愛らしい女性がいた。それがミズナだったんだよ」


 クインスは懐かしむように指輪を眺める。


「そうしたらミズナが言ったんだ。『なんだか哀しい歌声が聴こえない?』って。僕も耳を澄ますと単調な波の音に紛れて、美しくもの悲しい歌声が聴こえてきたんだよ。僕が驚いてミズナを見た途端、歌声に引っ張られるように月が青く大きく輝いて、船がグラリと揺れたんだ」


 いつの間にかヘクターはダリアの隣に並び、クインスの話を聴いていた。

 いつも通りのオカマじみた表情……ではない。どこか精悍で険しいその顔つきにダリアは違和感を感じた。


「海に投げ出されかけたけれど、二人で抱き合い、柱にしがみついて耐えた。船は何回もグラリグラリと揺れて、その度に月が大きく輝いた。とても怖かったよ。結局、船は転覆することなく、しばらくして揺れは収まった。

船酔いでフラフラになりながら風にあたっていると、カタンと音がして、見たら甲板にこの青月石が落ちていたんだ。まるで、月から落ちてきたみたいにね。

石を拾いあげた時、海の方から水が跳ねる音が聴こえた。……あれは人魚だったんじゃないかって、僕たちは二人、いつも話しているんだ。哀しい歌声で船を転覆させる、ハーリアの人魚だったんじゃないかって」


 話を終えたクインスが照れを隠すように蒸留麦酒に口をつけた。


「……人魚、ですか。私の親戚がハーリアで人魚の研究をしているみたいなんですけど……」

「ハーリアの人魚伝説は有名だよ。何年かに一度は人魚が船を転覆させるって噂だ。ハーリアに親戚がいるなら遊びに行くといい。今じゃ人魚で町興しをやってるからね。……それにハーリアは一年中、とにかく蟹が太っていて美味しい。焼いてよし、刺身もよし、茹でても味噌をすすっても、とにかく美味しくて酒がすすむよ!」


 と、ヘクターが身を乗り出し、奇妙に高い声で言った。


「それよ! ハーリアって聞いてからずっと胸に引っかかってたのよね! 私も三年くらい前にハーリア行ったんだけど、用事が詰まっちゃってて蟹を食べる暇が全くなかったのよ! 

あー、蟹味噌じゅるじゅるしたいー!! 新鮮な蟹の刺身にしゃぶりつきたい!! ……ダリアちゃん、早急に蟹パーティを開催しなきゃいけないわ! よっし、明日出発するわよ、ハーリアに!」

「え! いくらなんでも、急すぎっ! まだ手紙の返事、書いてないのにっ!」


 あまりにも急な展開だ。焦るダリアにヘクターは凛々しく唇を引き締め、堀の深い眉を彫刻のように寄せ、言った。


「ダリアちゃん。蟹はね、女を狂わせるの。……大丈夫、親戚さんの手紙には、いつでもおいでって書いてあったわ。ここは失礼覚悟で強襲しましょう。……本性も見たいし。

クインスさん、明日、明後日はお店閉めるから、ミズナさんへのプロポーズはその後でね」

「……あ、ああ」


 クインスも急な展開に驚いているようだ。


「二日間店お休みにするっていろんなところに連絡しなくっちゃ。ダリアちゃんも明日は早いから、ちゃんと準備してから寝るのよ? 朝迎えに行くから。ふふんっ、蟹っかにーかーにー」


 有名な童謡の歌詞をデタラメに変え、陽気に歌いはじめたヘクターに、まだ残っていた客たちの目は点になった。

 ダリアも微妙な薄笑いを浮かべながらしかし明日、懐かしいハーリアへ帰郷するのだと思うと、胸が楽しげに高鳴り始めていた。

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